共闘
灰野たちは、学園へと到着した。
高い塀に囲まれた学園は、しんと静まりかえっている。人の気配は感じられない。普通なら、何かしらの音が聴こえているはずだ。
「確かに、これは変ですね」
呟いた灰野に、谷部が相槌を打つ。
「そうだろう。君は、ずっと学園の内部を観察していた。違いがわかるだろう」
「えっ? 観察?」
矢吹が口を挟むと、灰野はクスリと笑う。
「そうです。僕は、東原さんの命令でドアの方を向かせられていましたからね」
「わ、悪かったね」
若干、すまなそうな様子で言った東原。しかし、灰野はかぶりを振る。
「別に責めてるわけじゃないですよ。むしろ、お陰で警備隊の行動パターンを知ることが出来ましたから。奴らは、三十分ごとに僕らのいた部屋の前を回っていましたね」
言った時だった。突然、とんでもないセリフが飛んでくる──
「ちょっと僕、そこに登って見てみるッス」
直後、近くの大木に飛びついた者がいる。言うまでもなく鹿島だ。猿のように身軽な動きで、スルスルと登っていく。
一同は、唖然となっていた。
「おいおい、彼女は凄いな」
谷部が苦笑しつつ言ったが、その間にも鹿島は登っていく。かなり高く、友愛学園の最上階に届きそうだ。落ちた場合、死ぬ可能性も高いはずなのだが、彼女は意に介していないらしい。
「でも、あの木じゃ、てっぺんまで登っても中を見るのは難しいんじゃ……」
もっともなことを言ったのは高杉である。確かに、鹿島の登った木は高い。しかし、友愛学園の塀からは、かなりの距離がある。しかも、そこから中庭もあるのだ。双眼鏡でもない限り、中の様子を見るのは難しいのではないか。
「あいつ、後先を考えなさすぎ。だけど運動神経は凄いよ」
東原がボソッと言った時、鹿島が大木から降りてきた。と同時に、口を開く。
「あれ、かなりヤバいっスよ! 本当にゾンビみたいなのが、廊下をフラフラ歩いてたッス! いやあ、面白くなってきたッスね!」
元気よく報告した彼女の瞳は、キラキラと輝いていた。今の状況が、本当に面白くて仕方ないらしい。
「まず、ひとつ聞かせてください。距離はかなり離れていますが、建物の内部が見えたのですか?」
灰野が尋ねたところ、鹿島は自信たっぷりに頷く。
「はい、見えました。僕、小学生の時に視力が三・〇って言われたんスよ。保健の先生がビビってたッス。その後は、測るの面倒くさくて検査してないッスけど、視力は落ちてないと思うッス。もし、これが間違ってたら、僕は裸で逆立ち歩きして島を一周してもいいッスよ」
そのセリフに、灰野は苦笑しつつ答える。
「そこまで言うなら信用しましょう。それにしても、あなたは本物の野生児ですね。将来、とんでもない事件を起こしそうです」
対する鹿島は、嬉しそうな表情で頭を掻く。
「そうッスか? 照れるッスね」
いや、今のは褒めてないから……と矢吹が言おうとした時だった。
「なあ、これはいつ解いてくれるんだ? ここが危険な状況なのは、もうわかっただろう。本物のバイオハザードだよ」
言いながら、両手を突き出したのは谷部だ。彼の両手首は、灰野が着ていたジャージで縛り上げられている。
「うーん、あなたを信用していいものですかね……」
灰野が言うと、谷部は真剣な表情で語りだす。
「このままだと、大変なことになるぞ。さっきも言ったが、このレイビーガスのもっとも恐ろしいところは、保菌者に噛みつかれると感染してしまう点さ。そうなると、噛まれた者にも同じ状態になる。しかも、なぜか感染者同士で争ったりはしないんだ。彼らが襲うのは、非感染者だけなんだよ。このままだと、学園に外部の人間が来る。そこから、被害が拡大していく恐れもあるんだ」
「本当にゾンビみたいですね……」
高杉の言葉に、谷部は頷く。
「そう。ゾンビみたいなのが今、学園を占領しているんだ。その数は、おそらく百人を超えるだろう。地下にあった麻薬製造工場や、奴隷として売られる予定だった者のいた部屋からも連絡がない」
「じゃあ、あたしたちは何をすればいいんだよ?」
鋭い表情で聞いたのは矢吹だ。彼女は、既に臨戦体勢に入っているらしい。今にも殴り込んで行きそうだ。
「俺はこれから、学園内に侵入する。そして、外部への連絡を試みるつもりだ。そこで、君らの協力が必要なんだよ。一緒に学園内に侵入し、外部と連絡する。もし感染者が襲いかかってきたら、皆で撃退するんだ。いざとなったら、殺しても構わない。上の連中には、緊急避難ということで見逃してもらうよ」
答えた谷部。緊急避難とは、要するに自分や他人の命が危険な時、法を無視した選択をしても罪には問われない……という制度だ。
すると、灰野は目を細め尋ねる。
「で、僕にも何らかのメリットはあるんですよね?」
「メリット? 何を言っているんだ?」
「実を言うと、僕はあなたの手助け無しにここから脱出できます。近いうちに、仲間が助けにくることになっているのですよ。したがって、危険を侵してまで、あなたに協力する必要はありまん。それに、警察が来れば、僕は逮捕されるのがオチです。つまり、あなたに協力するなら、それなりの見返りを保証して欲しいですね」
「ならば、君がこれまで犯した罪に関しては全て目をつぶる。新しい容疑がかからない限り、逮捕されることもない。今ここで起きていることと、君の犯した罪を天秤にかければ、どちらに傾くかは考えるまでもないだろう。何より、俺ひとりでは生きて帰れる自信がない。君の……いや、君らの助けが必要だ」
「もうひとつ……こう言っては何ですが、彼女たちは足手まといにしかならない気がしますよ。それでも、連れて行くのですか?」
灰野の言葉に、表情を一変させたのは矢吹だ。
「はあ!? 足手まといって何だよ! だいたいな、こんなもん放っておけるわけないだろうが! あたしは行くぞ! こんな事件が起きたのを知ったのに、何もしないなんて人として間違ってるだろ!」
怖い顔で怒鳴ったが、そこに割って入ったのは東原だ。
「いや、灰野の言うことも間違ってない。ヤブっちゃんはともかく、あたしなんかは、一緒に行っても何も出来ないよ。使えない人間は、残った方がいいんじゃないかな」
「いや、ここで人を分けるのは悪手だと思う。死にたくなければ全員で一緒に行動すべきだ。万一、残った者が襲われたら……また、感染者が増えることになる」
そう言うと、谷部は再び両手を突き出した。
「まずは、これを外してくれ。話はそれからだ」
谷部の両手を縛っていたジャージを、さっと解いた灰野が口を開く。
「手を貸すかどうかはともかく、とりあえずは聞いておきましょう。ここから、どう動くつもりですか?」
「まずは、最上階を目指す。そこなら、外部との通信手段が有るはずだ。そこで、警察上層部の連中と連絡を取る。ここで起きたことを知らせるのが先決だ」
「その後は?」
「中の状況を見てみないと、何とも言えん。今言えることは、学園内部は感染者だらけということだけだ」
「谷部さんは、内部の構造をある程度は知っているのですよね?」
「一応はな。ただ、俺は就任したばかりの下っ端教師だ。学園についての知識も浅い。浜口だったら、確実に俺より詳しかったんだがな」
「あの人は、もう死にましたからね。松山はどうです?」
「あいつは駄目だ。こういう事態では真っ先に逃げる男だし、いても確実に足を引っ張る」
「まあ、そうでしょうね。となると、我々だけで中を探るしかないわけですね」
「じゃあ、君も手伝ってくれるんだな?」
尋ねた谷部に、灰野は口元を歪めつつ答える。
「僕が行かなくても、こちらにいる四人はあなたに同行しそうな雰囲気ですからね。それに、こうなった以上は結末を見届けたい気持ちもあります」
「何スカシてんだよ。あたしらが心配だから、って素直に言えばいいのに」
笑みを浮かべつつ、灰野の肩に軽いパンチを入れた矢吹。さらに、鹿島がニコニコしながら口を開く。
「灰野氏、ツンデレなんスよね。それにしても、本当にホラー映画みたいッス。面白くなってきたじゃないッスか」
「あんた、それ本気で言ってんの?」
東原が苦笑しつつ言うと、鹿島はウンウンと頷く。
「もちろん本気ッスよ。僕、もうワクワクが止まらないッス」
「いやあ、あんた大物だわ」
東原の言葉に、周りの皆がクスリと笑った。




