悪の反対側にいるもの
東原が落ち着いたタイミングを見計らって、灰野は再び口を開く。
「先ほどは話がズレてしまいましたが、もうひとつ言っておかねばならないことがあります」
言いながら、彼はリュックを指さした。
「このリュックの持ち主ですが、おそらくは重大な任務を帯びて島に上陸したものと思われます。その目的が何なのかはわかりませんが、僕と似たような人種と思われます」
「ひょっとして、殺し屋なのか?」
矢吹が聞くと、灰野は首を捻る。
「その可能性もありますが、そんな単純な者ではないのではないかと。僕は、海外のエージェントではないかと思っています。CIAや、KGBといった連中ですよ。あいつらは、ヤクザや半グレなんか比較にならないくらいの極悪人ですからね」
「あの、CIAって正義の味方じゃないんスか? 映画なんかだと、悪いテロリストと戦ってるイメージっスよ?」
目を丸くして口を挟んだ鹿島に、灰野は冷ややかな視線を向け尋ねる。
「鹿島さん、悪の反対側にあるものは何だと思います?」
「それは、もちろん正義ッスよね」
当然、とでも言わんばかりの口調だった。しかし、灰野はかぶりを振る。
「違います。悪の反対側にあるものは、また別の悪なんですよ」
「えっ?」
「世の中を見てください。他人を蹴落としたり傷つけたり陥れたり死なせたりしながら、表情ひとつ変えず振り返りもせず何事もなかったかのように進んでいく者……つまりは悪人こそが、この世界で力を持っているのです。正義の味方なんて連中は、悪人から見れば上手く利用するためのものでしかありません。善人では、どう足掻いても悪人に勝てない……なぜなら、善人には力がないからです。悪人を裁くのは、それよりも強い悪人連中がやることなんですよ」
「ち、違うだろ! 悪人を裁くのは正義だよ!」
言ったのは矢吹だ。鋭い表情で、灰野を睨む。正義感の強い彼女にとって、今の発言は許せないものだったのだろう。
だが、灰野はクスリと笑った。続いて、決定的な言葉が放たれる。
「では、あなたはなぜここに入れられたのですか? あなたには、悪いことをしたという自覚はありますか?」
問われた矢吹は、呆然となっていた。灰野という男、どうやら自分のしたことを知っているらしい。
もっとも、彼女にとってショックだったのは、その部分ではない。悪いことをしたという自覚、と言われたからだ。
そんなものはなかった。有るはずもない。誰が何と言おうが、自分のしたことは間違っていないと胸を張って言い切れる。
嫌がらせを受けた女の子を守るために話し合いに行ったら、向こうが襲いかかってきた。それも、男が三人がかりで掴みかかってきたのだ。だから、全員ブッ倒した。
にもかかわらず、こんな刑務所よりひどい場所に入れられた──
「いや、ないよ。あたしは、悪いことはしてないと思っている」
少しの間を置き、矢吹ははっきりとした口調で答えた。
「そうでしょう。話を聞けば、僕も矢吹さんが悪いとは思いません。しかしながら、世の中の善悪を決めているのは、結局のところ上級国民です。上級国民に善人はいません。もしいるとしたら、善人の皮を被っているだけです。そいつらの裁量や筋書きで、世の中の大きな流れが決まっていくのですよ。警察だの検察などといった連中も、しょせんはそういった連中の手先です。この世の中は、正義と悪の戦いではないのです。悪人と悪人が、己の利益のため戦っているだけです」
静かに語っていた灰野だったが、そこでニヤリと笑う。
「僕はね、実の父親を殺しました。その後も、何人もの命を奪ってきました。一般市民から見れば、完全な極悪人ですよね。ただね、そんな極悪人でなきゃ出来ないこともあるんです。現に、この友愛学園を見てください。こんな犯罪者どもの運営する学校が、犯した罪を暴かれることなく十年以上も続いているのですよ。これも、上級国民の力です。皆さんも、身に染みたのではないですか?」
「ああ、その通りだよ」
答えたのは矢吹だ。他の少女たちも、表情こそ違えど思いは同じだった。そう、彼女たちも薄々感じていたこと……それを、灰野は改めて言葉にして語っていたのだ
灰野はクスリと笑い、話を続ける。
「僕は、この学園を潰すために派遣されました。極悪人を使い、悪人を潰す……これ以上の使い途はないでしょう。CIAなんていう連中もまた同じです。極悪人が、国家の運営に邪魔な悪人を殺しているだけです。ただ奴らは、国家のためなら善人も殺しますがね」
そこで、灰野は言葉を止めリュックを指差す。
「さて、話を戻しましょう。この島には、海外のエージェントがいたと思われます。そいつは、間違いなく極悪人です。しかし、食料や武器といった大事なものをほっぽり出して姿を消しました。これは、明らかに変です。ひょっとしたら、持ち主は既に死んでいるのかも知れません。が、そんなことは我々の知ったことではありません。この際、残っているものは我々で有効利用させていただきましょう。ただ、このリュックは始末しておきます」
そう言うと、灰野は鞘付きのサバイバルナイフを東原に差し出す。
「このナイフは、東原さんが持っていてください。矢吹さんは素手でも充分に戦えますが、他の方は武器がないと戦えないですからね。いざとなったら、このナイフで戦ってください」
「う、うん。わかった」
東原が答えた時だった。鹿島が、にゅっと手を伸ばす。
「じゃあ、このピストルは僕が持ちますよ」
「駄目です。あなたに持たせると、何をするかわからないですからね。これは、高杉さんが持っていてください」
言いながら、灰野は拳銃を取り上げ高杉に差し出した。
「えっ、私がですか?」
「そうです。素人が、下手に拳銃を持つとロクなことになりません。最悪、暴発させて自分や味方を撃ったりしますからね。ですから、これは誰にも使わせないために、あなたが保管しておくのです。あなたが、これを使うような事態にはさせません。その前に、僕たちが敵を倒します。わかりましたね?」
「は、はい」
「では皆さん、このレーションを食べましょう。ものすごく不味いと思いますが、無理しても食べてください。戦うには、エネルギーが必要です」
・・・
その頃、学園では──
「な、何なんだお前ら!」
怯えた表情で叫んでいるのは松山だ。
彼の前には、ふたりの男がいる。いずれも警備隊の制服を着ているが、顔つきが普通ではないのだ。目つきは異様に鋭く、濃い隈が出来ている。さらに口は半開きで、よだれがダラダラと垂れていた。
まるで、映画に出てくるヤク中のようだ──
「まさか、お前ら工場のヤクに手をつけたのか」
後ずさりながら、松山は呟いた。もっとも、島の地下で作られているドラッグは、こんな効き方はしないはずなのだ。
怯えた松山は、壁のボタンを押した。これで、警備隊が飛んでくるはずだ。
だが、助けは来ない。その間にも、男たちはどんどん迫ってくる。
「やめろ! 来るんじゃねえ!」
悲鳴にも近い声をあげつつ、松山は下がる。こんな時、どうしていいのかわからない。暴力的なことのほとんどは、浜口をあてにしていたのだ。
浜口は何をしている?
さっきから、浜口とは連絡が取れないのだ。松山は、ホールめがけて走った。
勢いよく扉を開け、怒鳴る。
「浜口先生! 大変です……」
松山は、声を途中で飲み込んだ。
頼りの浜口は、畳の上で倒れているのだ。うつ伏せの体勢で、大の字になっている。しかも、周囲はドス黒く染まっている。これは、血液の染みではないのか。
浜口は死んだ。しかも、一年生たちの姿は見えない。
何が起きているのだ──
「そ、そんな……」
松山は呻いた。西田に続き、今度は浜口が死んでいる。しかも、警備隊の連中はおかしくなってしまった。
今、松山の頭の中は真っ白になっていた。想定外の事態に立て続けに襲われ、どうすればいいのかわからない。
そんな彼の背後には、先ほど見た警備隊のふたりが迫っている。だが、松山は気付いていなかった。仮に気付いたとしても、今の彼には何も出来なかっただろう……。




