入浴と教師たちの反応
「ヤブっちゃん、凄いねえ……」
東原が、唖然とした表情で呟く。
彼女の視線の先にいる矢吹は、先ほどからトレーニングに励んでいる。今は逆立ちし壁に背をつけ、その体勢で拳立て伏せをしているのだ。
「本当、凄い筋肉ッスよね……」
鹿島も、唖然とした表情で言った。
彼女たちは、一時間ほど前に昼食を食ぺ終えた。矢吹は、相変わらず旺盛な食欲を発揮し、高杉の残したものまで平らげたのだ。
そして今は、鍛錬に励んでいる。他の三人は、唖然とした表情で見ていた。
一方、灰野はというと、ずっと扉を見つめている。少女たちの方は、見向きもしない。少女たちも、この陰気な少年には、誰も注意を払っていなかった。
矢吹がトレーニングに励む中、コツコツという音が聞こえてきた。足音のようだ。となると、誰かが来る。少女たちは、不安そうに顔を見合わせた。
やがて、扉が開いた。立っていたのは松山であり、ニヤニヤ笑いながら口を開く。
「よし、お前ら来い。これから入浴だ」
「にゅ、入浴?」
東原が聞き返すと、松山はいやらしい笑みを浮かべたまま答える。
「そうだ。今から入浴だ。タオルを持って、さっさと付いて来い」
少女たちは、言われるがまま外に出た。一列になり、薄暗い廊下を歩いていく。
十分ほど歩くと、松山が立ち止まる。彼の前には、鉄製の扉があった。
松山扉を開け、少女たちの方を向く。
「ほら、みんな入れ」
言われた通り、少女たちは中に入っていく。
そこは、灰色の壁に覆われた部屋だった。床には、カゴが五つ置かれている。奥にはガラスの扉があり、浴室への入口となっているようだ。
そんな部屋の仲で、松山が口を開く。
「さあ、ここが更衣室だ。さっさと服を脱いで、カゴの中に入れていけ」
「えっ? 今ここで着替えるんですか?」
東原が尋ねると、松山は頷いた。
「当たり前だ。早くしろ。時間は限られているんだぞ」
「そ、そんな……」
顔を歪める高杉に、松山はニヤリと笑う。
「おい、何か勘違いしていないか? 先生はな、お前らの裸が見たくて付いて来てるわけじゃないんだぞ。先生はな、入浴中に異常がないように見ていなければならないんだ。責任があるんだよ」
得々と語っている松山。その時、矢吹が高杉に近づいた。耳元で、そっと囁く。
「あたしの後ろに隠れて着替えろ。そうすりゃ、多少は隠せるはずだ」
一方、東原も余裕の表情で口を開く。
「へっ、こんなの全然たいしたことないよ。あたしはさ、変態オヤジの前で裸エプロンで家事したことだってあるからさ」
「な、なんスかそれ」
思わず聞き返した鹿島に、東原は苦笑した。
「そういうのが好きなオヤジもいるんだよ」
答えた後、彼女はジャージを脱ぎ始めた。その時、上ずった声が響き渡る。
「先生! 質問があります!」
「はあ? 何だ?」
松山が、面倒くさそうに振り返る。そう、先ほどの声の主は灰野であった。少女たちから離れた位置で、ひとり着替えていたのである。
そんな灰野が、何か言っている。しかし、よく聞き取れない。松山は、仕方なく近づいていった。
だが、灰野の口から出ていたのは、実にしょうもない質問であった……。
「入浴時間は何分ですか?」
そんなことを真顔で聞いてきた少年に、松山は不快そうな表情で答える。
「三十分だよ。しおりに書いてあっただろうが。ちゃんと読んどけ」
「すみません。それで、三十分というのは具体的にどこからどこまでが三十分なのでしょうか?」
なおも尋ねる灰野。その時、矢吹がそっと高杉の手を引いた。
「今のうちに入っちゃおう」
囁いた矢吹に、高杉も無言で頷いた。
ふたりは服を脱ぎ、浴室に入っていく。東原と鹿島も、後に続いた。
浴室は、旅館のものをそのまま使用しているようだった。奥に湯船が設置されており、壁には水とお湯の蛇口が付いているシンプルなものだ。一応、石鹸とシャンプーとT字カミソリも置かれている。少女たちは、急いで体を洗い始めた。
更衣室では、松山と灰野の言い合いが続いている。
「三十分は三十分だよ。くだらんこと聞くんじゃねえ」
「はい、わかりました。それは、着替える時間も含めて三十分ですか?」
「そうだよ! だから、早く着替えろ!」
苛立ちをあらわにしている松山に、灰野はなおも尋ねる。
「はい、着替えます。ところで、全員がここに入った時点から三十分というわけですね。となると、もうカウントは始まっているわけですか?」
「そうだよ! くだらんこと聞いてねえでさっさと着替えろ!」
今にも殴りかかりそうな剣幕の松山だったが、灰野のペースは変わらない。妙に間延びした口調で質問を続ける。
「はい、わかりました。で、時間は先生が計っているのでしょうか?」
「先生が計ってるに決まってんだろうが!」
「はい、わかりました。で、どの時計で計ってるんでしょうか?」
「これだよ!」
松山は、殴るような仕草で右腕を突き出した。手首には、腕時計がはめられていた。
しかし、その動きに矢吹は反応してしまう。拳を避けようとして、その場で転倒した。
途端に、大きな声で喚き出す──
「痛い! 痛い! 頭の骨が折れた! 死ぬ!」
「静かにしろ! どこの骨も折れてねえよ! さっさと立て!」
そんな言い合いをしている間、少女たちは湯船に浸かっていた。もっとも、のんびりとはしていられない。今も、松山の怒鳴り声が聞こえている。
「よく聞け! お前がくだらんことを聞き続けてくるからな、入浴時間はあと十分しかないんだ! さっさと風呂に入れ!」
「は、はい。わかりました」
灰野が答えた時、少女たちが更衣室へと入ってきた。入れ替わるように、灰野が浴室に入っていく。
途端に、松山の表情が崩れた。ニヤニヤ笑いながら、少女たちひとりひとりの肢体を見ていく。彼女たちも、一応はタオルと手で隠していた。だが、タオルは小さい。隠しきれていない部分もある。
その時、浴室から声がした。言うまでもなく灰野である。
「先生すみません! これは何ですか!?」
「先生、灰野が呼んでますよ。行った方がいいんじゃないですか」
東原が、とぼけた表情で促した。松山は、チッと舌打ちする。
「なんなんだ、あのバカは……」
「早く行った方がいいですよ。あいつバカだから、何しでかすかわかんないです。ほっといたら、湯舟で溺れるかも知れないですよ」
「それもそうだ。しょうがねえなあ」
松山は、渋い表情をして浴室に入っていった。灰野なら、やりかねない……と判断したのだ。
その間に、少女たちは服を着る。
「あいつさあ、絶対わざとやってるよね」
不意に、矢吹がボソッと呟いた。
「だろうね。あいつ、見た目より度胸あるのかも」
東原が答える。その時、おかしな声が聞こえてきた。
「うわあ、お前ひどくやられたなあ」
松山の声だ。矢吹は、ふっとガラス越しに浴室を見る。途端に愕然となった。
浴室には、灰野と松山がいた。当然、灰野は全裸だ。こちらに背中を向けた状態で立っている。
その背中には、傷痕があった。それも、数カ所に渡って付けられている。
傷の種類も普通ではない。刃物と思われる長い傷、どこかの地図のような火傷痕、さらには奇妙な丸い傷痕まであるのだ。
「は、はい。僕、いじめに遭っていたので……」
灰野の声が聞こえてきた。一般人なら確実に引いている光景だが、松山は平気な顔で見ている。
「だろうな。けどよ、今のうちに言っとくぞ。あんまりふざけてるとな、もっと恐ろしい目に遭わされんぞ。ここではな、お前のいじめなんか子供の遊びレベルなんだよ。忘れんな」
「は、はい」
・・・
「今年の一年は、本当に上玉ぞろいだな」
浜口の言葉に、松山はウンウン頷く。
「そうですね。ここまでとは思いませんでした。全員、磨けばダイヤモンド級の逸材ですからね」
そう言って、松山は笑った。
彼らふたりは、外の喫煙所にいる。灰野らが入浴を終えて部屋に戻った後、とりあえずの一服というわけだ。
両方とも、火のついたタバコをくわえている。どちらも喫煙者であり、しかも紙巻きタバコの愛好家なのだ。
「だからこそ、今回は慎重にいかないとな。なんたって、あいつらはエリートだ」
浜口が言うと、松山は口から煙を吐きながら答える。
「間違っても、自殺させるわけにはいかないですからね」
そう、今回は絶対に自殺者を出せないのだ。学園長からも、きっちり釘を刺されていた。
この友愛学園では、一年生のうちから徹底した管理教育を行なう。
まずは入学式だ。もっとも強く鼻っ柱の強そうな生徒を、浜口が全員の見ている前で叩きのめす。しかも、その生徒に全裸で土下座という屈辱的行為をさせる。場合によっては、ひとりでは終わらないこともある。
このイベントにより、新入生たちに強烈な衝撃を与えるのだ。ここで一発カマしておき、反抗する気力を削ぐわけである。
次に、松山が部屋まで案内するのだが、途中で警備隊を呼びだす。ボタンひとつで、こういう連中が駆けつけて来るのだぞ……という脅しである。これが駄目押しとなり、ほとんどの生徒は心を折られてしまう。
ただし、そのまま圧力をかけ続けていくと、生徒の精神が限界を迎える可能性もある。事実、過去には入学して三日で自殺してしまった生徒もいたのだ。
そこで、入学式の翌日は手綱を緩める。自習と称し、部屋で自由に行動させるのだ。
もっとも、明日は授業だ。ここでの厳しい指導により、再び手綱を締める。この繰り返しで、生徒たちを洗脳し服従させていくのだ。
「問題は、灰野なんだよな。あいつ、予想以上に厄介だぞ」
浜口の言葉に、松山が反応する。
「厄介、といいますと?」
「実はな、さっき学園長から連絡がきた。あいつの親戚である大泉だがな、梅屋哲夫とも繫がっているらしい。その梅屋から、灰野をよろしくと言われたそうだ」
「えっ!? 本当ですか!?」
松山は驚愕の表情を浮かべた。
それも当然だろう。梅屋哲夫といえば、ホテルや不動産業を全国展開している豊丸総業グループの会長だ。
この男、政界とも太いパイプを持っている。また、友愛学園にも「客」として訪れたこともあった。
そんな男が、灰野のバックにいるとなると……さすがに、下手なことは出来ない。
「だからな、いじめ過ぎてノイローゼにでもなられたら困るんだよ。あまり、やり過ぎるな」
「わかりました」
「こうなると、灰野の扱いにも注意が必要だな。下手すりゃ、あいつに教員免許を取らせるパターンもあるかもしれないぞ」
教員免許を取らせるということは、灰野を友愛学園の教師にする……ということだ。
しかし、松山は顔をしかめつつ答える。
「いや無理ですよ。あいつはバカです。どこをツッいても完全なバカですよ。空気は読めないし、常識も知らない。あそこまでバカなガキは、初めて見ました。あいつには、教員免許取得なんか不可能です」
「まあ、確かにな。となると、地下の工場いきか」
「それもどうですかね。工場でも、とんでもないことをやらかしそうですよ。仕方ないから、学校で掃除でもやらせとくのが関の山じゃないですか」
その頃、谷部はとある部屋を訪れていた。
灰色の壁に覆われているが、壁にはいくつものモニターが設置されている。警備隊の制服を着た男ふたりが椅子に座り、モニターを眺めていた。
「新入生の部屋だが、何か変わったことはないか?」
そう、生徒たちの部屋には隠しカメラが仕掛けてある。この部屋では、カメラの映像が見られるのだ。もちろん、更衣室や浴室にも仕掛けられている。
少女たちは着替えを見られないように動いていたが、実のところ無駄な努力であった。
「特にないですね。矢吹が、夜中に暴れたくらいですか」
ひとりの男が答えると、谷部は訝しげな表情になった。
「暴れた? 何をしたんだ?」
「ずっと布団を被ってたんですが、いきなり飛び起きて畳をぶん殴ったんです」
「いきなりか?」
「ええ。その前に、灰野が寝ぼけてトイレに入り、出てきたと思ったら転んだんです。それが、矢吹の布団のそばだったんで……もしかしたら矢吹は、灰野が布団に入ってこようとしたと誤解したのかもしれません」
「なるほど。で、灰野はどうだ? おかしな行動はしていないか?」
「ないですね。だいたい、あいつは情けない奴ですよ。部屋の中でも、ずっと扉の方を向かされてます」
「扉、か。他に、おかしな点はないか?」
「そういえば、昨夜トイレに入る時、わざわざ上着を脱いでたんですよね。で、天井に引っ掛けてました。そのせいで、カメラが塞がれたんですよね」
警備隊は答えた。御丁寧にも、生徒たちのトイレにまでカメラが仕掛けてあるのだ。無論、生徒たちには知らされていない。
「なんだと? あいつ、カメラに気づいたのか?」
「いや、それはないですよ。灰野はトイレに入る度に上着を脱ぐんですが、掛ける位置は毎回違うんです。だから、あれは偶然ですね」
「偶然、か」




