朝の騒ぎ
突然、部屋の明かりがついた。窓がない部屋のため外の様子はわからないが、朝になったらしい。
同時に、不気味な音楽が流れてきた。ジャンル的にはクラシックのようだが、外にいた時には聴いたこともない種類の音楽である
熟睡していた少女たちも、さすがに目を覚ました。顔をしかめながら起床する。
「はーあ、趣味の悪い曲だね」
東原がボソッと呟くと、高杉が憂鬱な顔で室内を見回し口を開く。
「やっぱり、現実だったんですね。悪い夢だったら良かったのに」
「確かに、夢だったら良かったな。でもよ、これは現実なんだよ。嘆いてても仕方ねえ。入ったら、後は出るだけだ」
言ったのは矢吹だった。その表情は、昨日とは違っている。目には光が戻っていたし、声も力強い。
「や、矢吹氏、大丈夫ッスか?」
鹿島が恐る恐る声をかけると、矢吹は頷いた。
「ああ、もう大丈夫だよ。昨日は、迷惑かけてごめん」
「本当だよ。夜中に、いきなり怒鳴るから何かと思った」
東原が笑いながら言った時、扉が開いた。
立っていたのは浜口だ。いかつい体にジャージ姿は、昨日と変わりない。後ろには、白衣を着た者が数人いる。数個の布袋を積んだ台車を囲み、下を向いていた。
浜口は、自信たっぷりの表情で口を開く。
「いいか、お前ら。今日は自習だ」
「自習ですか?」
東原が聞き返すと、浜口は頷いた。
「そうだ。今日は一日、室内で学習しろ。それと……」
そこで、浜口は言葉を止めた。後ろに控えている者たちから、布袋を受け取り言葉と共に室内へ放り投げていく。
「これは東原。これは鹿島。これは矢吹。これは高杉。で……灰野か。各自、名前が書いてあるだろう」
言われて見れば、布袋のひとつひとつに名前が書かれている。だが、これは何が入っているのだろう。
その疑問には、すぐに浜口が答えてくれた。
「今、部屋に入れたのは替えのシャツと下着だ。これから、今着ているシャツと下着を洗濯する。今すぐ着替えろ。洗濯物は全部、そのカゴに入れておけ」
そんなことを言った後、入口のところにカゴを置いた。
しかし、少女たちにとって聞き流せない発言である。
「はい? 今、ここで着替えるんですか?」
驚愕の表情を浮かべ尋ねた東原だったが、浜口の態度はにべもない。
「そうだ。早くしろ」
「そんな……人前で着替えるなんて……嫌です」
高杉が、か細い声で抗議する。だが、浜口に聞く気はなかった。
「お前ら、まだわかってないみたいだな。ここでは、俺の命令は絶対なんだよ。嫌だって言うなら、昨日の矢吹みたいな目に遭うぞ。いいのか?」
途端に、矢吹の表情が変わる。拳を握りしめ、浜口を睨みつけた。
と、浜口も彼女の変化に気づく。ニヤリと笑い、彼女に視線を向ける。
「おう、何だ矢吹? 先生に、何か文句でもあるのか?」
「ヤブっちゃん、落ち着いて」
東原が、横からそっと声をかける。だが、矢吹の神経を逆なでするかのように、浜口は喋り続ける。
「あるわけないよなあ。昨日、先生にあれだけやられたんだ。最後は泣きながら、許してぇなんて言ってたもんな」
完全にバカにした口調である。
矢吹の体が震えだした。言うまでもなく、怒りによるものだ。今にも殴りかかって行きそうな雰囲気である。
しかし、浜口は全く動じていない。なおも煽り続ける。
「いいか矢吹、お前は女の間じゃそこそこ強いんだろうよ。だがな、お前レベルの男はそこらにゴロゴロいる。俺から見れば、クソ雑魚レベル……いや、それ以下なんだよ。だいたいな、女は黙って男に股ひらいてりゃあ──」
その時だった。突然、灰野が動いた。
「せ、先生! わかりました! すぐに脱ぎます!」
上ずった声で叫んだかと思うと、ズボンを脱ごうとした。だが、足に引っかかり転倒したのだ。
唖然となる一同だったが、灰野の奇行は終わらない。ゴロゴロ転がりなから、廊下へと飛び出したのだ。
「灰野! お前何してんだ!」
浜口が怒鳴ったが、灰野の暴走は止まらない。派手な動きで廊下に飛び出たが、直接にピョンピョン飛び跳ね出したのだ。
「うぎゃあぁ! 痛い! 痛い! 骨が折れた!」
叫びながら、廊下を駆け回る。白衣の者たちは、止めることも出来ず、ただ見ているばかりだった。浜口に至っては、開いた口が塞がらない……という様子だ。
そんな中、灰野はさらに暴走する。いきなり立ち止まると、浜口の手を掴み叫び出す──
「うわあぁ! 血だ! 血が出てる! 死ぬ! 死ぬ! 先生! 今すぐ病院に連れてってください!」
このやり取りに皆が呆然となっている中、矢吹もまた動き出した。恐ろしい速さで着替え、それまで身につけていたものをカゴに放り込む。
次いで高杉の前に立ち、そっと囁く。
「あたしが壁になって、あいつらの視界を遮る。その間に、早く着替えるんだ」
「えっ?」
まだ混乱から覚めていない高杉だったが、矢吹は怒鳴りつける。
「早く着替えちまえ! 下手に逆らったら、何されるかわかんねえんだぞ!」
「あ、ありがとう」
答えると、高杉は慌てて着替え始める。東原と鹿島も、ハッとなり着替えを開始する。
一方、廊下では灰野が騒ぎ続けている。浜口たちの視線は、そちらに向いていた。
今も、灰野の叫ぶ声が聞こえてくる──
「痛いです! 先生! ほら血が出てます! 死にそうなくらい痛いです! 僕は死んでしまいます!」
「るせえぞ! 黙らねえと殺すぞ! だいたい、こんなの掠り傷とも呼べねえじゃねえか!」
浜口が怒鳴った時、東原が冷めた表情で口を挟む。
「ちょっとお、あたしたち着替え終わったんだけど。後は灰野だけだよ。早く着替えてくんないかなあ」
言われてみれば、確かにカゴの中には洗濯物が放り込まれている。
「ほ、本当ですか!? すみません!」
途端に、灰野は何事もなかったかのように部屋に戻った。おとなしく着替え、シャツとパンツをかごに入れる。
「はい先生、みんな着替え終わりました」
すました顔で言う東原に、浜口も答える。
「お、おう。お前ら全員、着替えたな。これから毎朝、洗濯物を回収しに来るぞ。覚えておけ」
そう言うと、浜口はカゴを台車に積み込む。その後、扉を閉め去っていった、
「これから毎朝、あんなイベントがあるのかよ。楽しいとこだね」
足音が聞こえなくなったことを確認すると、東原がボソッと呟いた。続いて、鹿島も相槌を打つ。
「本当ッスね。しかも、これどこで買ってきたんスかねえ」
呆れたような口調で言いながら、自身のシャツをつまんだ。
鹿島の言うことも、もっともな話だった。下着にしろシャツにしろ、新品とは思えない。着古したもののようである。
「なんか、本当の囚人になった気分だね」
東原が言った時だった。突然、高杉の目から涙がこぼれる。
「私たち、人間扱いすらされてないんですね。こんな動物園の檻みたいな所で、男の見てる前で着替えたりしながら、あと三年も生活しなきゃいけないんですか……」
その時、矢吹が彼女の肩をガシッと掴んだ。
「大丈夫だよ。あんたが着替える時は、あたしが壁になる。変なことされそうになったら、あたしが守る。もう、やられっぱなしにはならない。たとえ殺されても、あいつらには屈しない。死ぬまで闘い抜いてやる」
矢吹の言葉は力強いものだった。高杉に、というより自分自身に言い聞かせるような感じだ。
「ありがとう」
涙を拭きながら、高杉は頭を下げる。そんなふたりのやり取りを、東原と鹿島は複雑な表情で見つめていた。
そして、灰野もまた矢吹と高杉のやり取りを見ている。彼の顔には、先ほどまでとは違う表情が浮かんでいた。
しばらくして、また足音が聞こえてきた。
ややあって、扉が開く。昨日と同じく、警備隊の男が立っていた。白衣の者たちがワゴンを囲んでいる。
警備隊の男が、御椀を入れていった。さらに、おかずの入った皿も入れていく。受け取るのは灰野だ。今朝のメニューは、御飯に大根の味噌汁、得体の知れない魚と野菜のおひたしである。
全ての御椀と皿をちゃぶ台に乗せると、皆は食べ始めた。矢吹は昨日とは違い、旺盛な食欲で朝食を平らげていく。
矢吹は、あっと言う間に食べ終えてしまった。一方、高杉は御飯も味噌汁も半分くらいしか食べていない。すぐに箸を置いた。
すると、矢吹がそっと声をかける。
「なあ、それ残すのか?」
聞かれた高杉は、キョトンとした顔で答える。
「えっ? 残しますけど……」
「もらっていいか?」
真顔でそんなことを聞いてきた矢吹に、高杉は戸惑いつつも聞き返す。
「箸つけちゃってますけど、いいんですか?」
「ンな細けぇこたぁいいんだよ」
「いいなら、どうぞ」
高杉の返事を聞くと同時に、矢吹は猛烈な勢いで食べ始める。
「す、すごいな。ヤブっちゃん、よく食うね」
東原が呟き、鹿島がくすりと笑う。
「矢吹氏って、キリリとしたカッコイイ姉御系キャラかと思ってたッスけど、実は食いしん坊キャラでもあったんスね」
「食いしん坊で悪かったな」




