最後のひとり
足音は、徐々に近づいてくる。やがて、部屋の前でピタリと止まった。次いで、ガチャガチャという音。先ほど、鍵をかけた時と似た音がしている。
数秒後、扉が開いた。外に立っていたのは、松山と灰野である。
少女たちの顔に、おいおい……とでも言いたげな表情が浮かぶ。しかし、松山はお構いなしだ。灰野の方を向き口を開く。
「よし灰野、この部屋だ。入れ」
聞いた瞬間、少女たちの目が点になる。しかし、松山は灰野に向かい話し続けていた。
「今日からみんな、この部屋で共同生活をすることになる。仲良くやれよ。まずは、そこにある生活のしおりを読んどけ」
「ちょっと待ってください! 女子と男子を、同じ部屋で生活させるんですか!?」
高杉が、顔を歪めて叫んだ。しかし、松山は平然とした顔で頷く。
「そうだよ」
「そんなの、おかしいですよ! こんな狭い部屋で、男子と一緒に生活するなんて──」
途端に、松山の表情が変わる。
「なあ高杉、お前は男子と生活するのが、そんなに嫌なのか?」
「嫌です! 絶対に嫌です!」
「そうか、絶対に嫌なのか。困ったなあ。これは、学園長先生が決めたことなんだよ。つまり、お前は学園長先生に逆らうんだな。よし、わかった。ならば、警備隊を呼んで懲罰房に入れてもらおう」
「チョウバツボウ? 何ですかそれは?」
「ああ、今は懲罰房じゃなくて反省室と呼ぶんだったな。スマンスマン。早い話が、先生に逆らったバカを入れるガラス張りの部屋だ。そこでは、決められた日数の間、裸で生活してもらうことになる。男子と生活するより、ずっとひどいと思うけどな。ただ、お前の全裸生活なら金払っても見てみたいって男は、いくらでもいるぞ。先生も見てみたいな」
そう言うと、いやらしく笑った。
「そ、そんな……」
高杉の表情は凍りつく。周りの少女たちも、唖然としている。
一方、松山は楽しそうだ。鼠をいたぶる猫のような様子で、なおも尋ねる。
「どうするんだ? 先生はどっちでも構わないぞ」
しかし、高杉は何も言えない。真っ青な表情のまま、かぶりを振るだけだ。
そんな高杉に、松山はニヤニヤ笑いながら詰め寄る。
「おい、早く決めてくれや。先生はな、こう見えて忙しいんだよ」
チンピラのごとき口調で、松山は迫る。しかし、高杉は答えられない。
苛立ったのか、松山はドンと足を踏み鳴らす。
「あと三秒以内に決めろ。でなければ、警備隊を呼ぶ。その時点で、反省室送りだ。一、二──」
「わかりました! 灰野くんと生活します!」
叫んだのは東原だ。次いで、彼女は高杉の方を向いた。
「大丈夫だよ。あいつは超ヘタレだから何にも出来ないし、何もさせない。あたしらみんなで守る。だからさ、今は我慢しよ。とにかく、三年経てば出られるんだからさ」
東原は囁きながら、高杉を自信たっぷりの表情で見つめる。その頼もしい態度に、高杉も落ち着きを取り戻したようだった。納得いかない表情を浮かべつつも、首を縦に振る。
そこで、松山が面倒くさそうに口を挟んできた。
「どうなんだ高杉? 灰野と共同生活するのか? しないのか? どっちなんだ?」
「わかりました。灰野くんと、同じ部屋で生活します……」
しぶしぶながら、高杉は答えた。
「最初から素直にそう言やいいんだよ。ったく、先生に余計な手間かけさないでくれや」
そう言うと、松山は東原に視線を移す。
「なあ東原、今日からお前が部屋長やれ」
「はい? ヘヤチョウ? 何ですかそれ?」
聞き返す東原に、松山は真面目くさった態度で答える。
「わかりやすく言うとだ、この部屋を仕切るリーダーのことだよ。やってくれるな?」
「はい、わかりました。ところで先生、ひとつ質問があります」
「おう東原、何だ?」
「あたしたちの荷物は、どうなってるんでしょうか?」
「こっちで預かってる。勝手に捨てたりはしないから心配するな|
「あの、いつ頃に手元に来るんでしょうか?」
「それは……わからない」
「えっ? わからないって、どういうことですか?」
横から、高杉が口を挟む。だが、松山の態度はにべもないものだった。
「あのな、先生たちも忙しいんだよ。いろいろやらなきゃならないこともあるしな。だから、何月何日の何時に届くとは言えないんだ。わかったか?」
言いながら、ジロリと睨む松山。高杉は納得いかないような表情を浮かべていたが、横から東原が答える。
「わかりました」
「じゃあな、おとなしくしとけよ」
そう言うと、松山は扉を閉めた。外から鍵をかけると、コツコツという足音が、廊下に響き渡っていた。
足音が聞こえなくなると同時に、東原は灰野を睨みつける。先ほどまでとは、態度が一変していた。
「灰野……てめえ妙なことしたら、ただじゃおかねえぞ。みんなでボコるからな」
「は、はい!」
灰野は、怯えた表情で返事をした。だが、東原は容赦なく続ける。
「いいか、お前はずっと壁の方を向いてろ。あたしたちには、絶対に近づくな。許可するまで、こっちも見るな。わかったな?」
「わかりました!」
かなり理不尽な要求だが、灰野は躊躇うことなく承知した。しかも、何を思ったか扉の方を向き体育座りの姿勢になったのだ。
「僕、ずっとここにいます。皆さんの方は向きません。だから、安心して生活してください」
「あ、ああ、そうか、わかった。じゃあ、ずっとそっちを向いてろ」
さすがの東原も、この態度は予想外だったらしい。面食らいながらも、横柄な口調で答えた。
室内には、何とも言えない空気が漂っていた。
先ほどから、無言のまま暗い表情で座り込んでいる矢吹。うつむきながらも、時おり不安そうな表情で灰野を見る高杉。そして、扉の方を向き体育座りのまま微動だにしない灰野。
この三人の醸し出す空気に引きずられ、東原と鹿島は気まずい表情で生活のしおりに目を通していた。
そんな時、突然テレビの電源が入る。ニュース番組のようだ。
「そういや、テレビなんか観るの久しぶりだな……」
東原が、ポツリと呟いた。その言葉に、鹿島がすぐ反応する。
「えっ、マジっスか?」
「うん。毎日、この時間帯は外を出歩いてたからね。テレビなんか、観てる暇なかったよ」
「凄いっスね。僕なんか、暇さえあればテレビばっかり観てたッス。とは言っても、チャンネルは三つくらいしかなかったッスけどね」
「えっ、チャンネル三つしかないの?」
今度は、東原が目を丸くしていた。鹿島の方は、恥ずかしそうに答える。
「そうッスよ。うち、ド田舎だったんで……登校中、蛇や狸や猿と普通に会ってたッスよ」
「へえ……話には聞いたことあるけど、実際にそういう人と会うのは初めてだよ」
「だから、つまんなくて外でイタズラばっかしてたんスよ」
「イタズラばっかした挙げ句に、校舎を燃やしたのか。とんでもねえ奴だなあ」
東原が呆れた表情で言うと、鹿島は頭を描きながら頷く。
「そうなんスよね」
答えた後、鹿島は高杉に話を振る。
「ところで……高杉氏は、どんなとこにいたんスか?」
「えっ? あっ、うん、普通の田舎かな」
「普通の田舎って、どんなとこ?」
今度は、東原が尋ねた。
「うーん、何ていうか、とにかく田舎でした」
「じゃあ、ウチみたいに人より獣の方が多かったんスか?」
鹿島が尋ねると、高杉はクスリと笑った。
「いや、さすがにそこまででは……」
答えた高杉の表情は、少しだけ明るくなっていた。
ここに来て、ようやく部屋の空気が変わる。三人で和気あいあいと話している少女たちだったが、矢吹は暗い表情のままだった。会話には加わらず、虚ろな目でぼんやりとテレビを観ている。三人も、何となく矢吹には声をかけづらかった。
灰野に至っては、テレビに背を向け体育座りのままだ。テレビから流れてくる音や、少女たちの話し声を完全に無視し扉を見つめている。
いや、正確には……扉に付いているガラス板ごしに、外の様子を観察していたのだ。先ほどまでの気弱そうな態度とはうって変わって、真剣な表情である。
もっとも、少女たちは灰野の変化に全く気づいていなかった。
一時間ほど経った頃、またしても足音が聞こえてきた。それも、数人のものだ。少女たちの間に緊張が走る。今度は、何が起きるのだろう。
やがて、ガチャガチャという音が聞こえてきた。鍵を開けているのだ。数秒後、金属音と共に扉が開く。
立っていたのは、教師ではなかった。




