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麦の穂を守る人 (S-08)  作者: 橙ノ縁
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 甲板に出ると、そこはゼノ達が村人を水底に沈めたあの場所だった。

 岸には血を頭から被ったようなゼノ達が集まっていて、突然現れた船に動揺しているようだった。

 ソラヤさんがスティに手を上させ、背中に小刀を突きつけている。

 そして体に巻き付けていた眩しい光を放つランタンをもう片方の手で掲げる。

「交換条件です。キュフを返してください」

 岸にには後ろ手になっているキュフ君の姿が見えた。彼は雪の混じる地面に膝を付いて、歌を歌っていたが、ソラヤさん口から自分の名前を聞いて、歌うのをやめた。

「返すも何も、このルシオラは勝手にここに留まって歌っている。捕まえたつもりはない」

 そう答えたのはジェルちゃんで、十代の女性とは思えない鋭い眼光でこちらを睨みつけている。

「捕まえたつもりはない割には、手を拘束されているのはどうしてですか。知っています。この村から外に人を出すことはないと。皆殺しだとこの男が言っていた」

 ジェルちゃんがスティを睨み、不機嫌そうに右頬を痙攣させた。

「ゼノの皆さんがここまでする理由については私には分かりません。が、一つだけ忠告しておきます」

「忠告?ただの人間が偉そうに何様のつもり」

 怪訝そうな表情だったゼノ達の間に警戒心が広まり、攻撃的な視線をソラヤさんに向ける。

「ランテルは決して生命を軽んじることはありません。自分たちの勝手な価値観で生命を奪うなど、いかなる事情があろうが、あなた達に祝福の灯が齎されることなど金輪際ないと思ってください」

 ソラヤさんの言葉に誰もが嘲笑混じりの独り言を吐いて口元を歪めた。誰もソラヤさんをランテルナと信じていないのだ。

「偉そうに。偽物が」

 スティが言葉を発すると、ソラヤさんは小刀を握る手に力を込めて、刃先を背中に押すように突く。それ以上押し込めば皮膚を切り裂きそうだ。

「痛いな。まさか本気で刺し殺す気なのか?」

「ゼノは魔法が使えるんですよね。少々の怪我くらい何てことないですよね」

「ゼノがどうやって魔法を使うか知っているのか?血が流れればお前に勝ち目なんてない」

 ソラヤさんがスティを横目で見て、少し微笑んだ。この状況で似合わない行動にスティは動揺を見せる。

「勝つつもりなんてありません。ただ、キュフを返して欲しいだけです。私たちは必ずケルウスに行かなければならないですから」

 二人が話をしていると、ラシュさんがキュフ君を連れて船の前に現れた。この場でソラヤさんが交渉できるのはこの人だけだと思う。こうして私を水中から救ってくれたから。

「ソラヤ、君は本当にランテルナなのか?」

 ラシュさんが全員の疑問を代弁すると、ゼノ達が耳を澄ましてソラヤさんの返答を待つのが分かった。

 確かにただ祝福の灯と呼ばれるランタンに入った光を持っているからと言って、ランテルナである証明にはならないはずだ。

「あなた達こそ、自分がゼノだという証明は出来るんですか?ルシオラは歌を歌い、魂を体から呼び出せたなら証明できるでしょう。しかし、ランテルナとゼノはどのように証明するのですか?親がゼノだと言ったからですか?血を流すと魔法のようなものが使えるからですか?」

 私は知らなかった。どのようにしてゼノが魔法と呼ばれる古の力を使うのかを。どのようにして村の奥にある蹈鞴で作られる鉄を加工するのかを。何も知らなかった。何も知ろうとしなかった。

「ゼノに興味がないって顔をして、無愛想な顔で歩いているお前の姿を見ていると、毎回殴り殺したくなった」というスティの言葉が耳から離れなくて、涙が溢れそうだった。

「親が思い込んでいるだけ、嘘をついているということもあるでしょうし、混血が進んでいる現代では純粋な原住民は存在するのでしょうか。魔法など、数百年前までは誰もが気軽に使うことができた。魔法を使えるか否かという基準ではゼノかどうか分かりませんよね。どう証明するのですか?」

 ラシュさんが言葉を失った。ここで何か基準となるものを口にすればゼノとそうではない人が明確になってしまう。そうなると、殺された人の中にゼノと判断される人が含まれている可能性が出て来てしまう。

「私を何者かと問うのならば、自分がゼノであると、殺された人がゼノでは無いとはっきり説明してからにしてください」

 さあ、交換をとソラヤさんが持ちかけようとした時、ジェルちゃんがキュフくんの前に立ち、ソラヤさんと再び対峙する。

「これは全国のゼノの総意であり、これから自由と国を取り戻す戦が始まる。我々は必ずこれに勝利すると決まっていて……」

「ラルワがいるから必ず勝利できると信じているんですか?」

「どうしてそれを?」

 ラルワという言葉を聞いて驚いた表情をしたのは、二人だけ。ジェルちゃんとラシュさんだけだった。そのほかのゼノ達はきょとんとした顔で、近くの人と顔を見合わせて首を傾げている。

「あの何もかもを燃やすラルワは何者かによって奪われました。その管理者も連れ去られました。計画はもう一度考え直した方がいいのかもしれません。もう取り返しのつかない状況でしょうが」

「ソラヤ、どうしてそのことを知っているんだ?」

 ラシュさんの表情は衝撃を受けていて、絶望感が漂い始めたような青ざめた表情だ。

「嘘やハッタリと思っていただいてもいいです。ここで何を言おうが、自分たちで確認しない限りは信じられないでしょうから。これ以上殺人を繰り返すようならランテルナから祝福はありえないということです。ラルワがいないという計画を立て直すことが先決では?」

 ラシュさんは若い男性に声をかけ、近隣のゼノの長に手紙を出す用意するようにと告げた。

「ラシュさん、ジェルさん。キュフを返してください。私はキュフを彼の友人や家族の下に帰すことを使命としています。この約束は果たさなくてはなりません。彼のためなら私は目の前の男を傷つけることも厭わない」

 キュフくんが下を向いて鼻を啜った。そして小声で何かを呟いたが、私はルシオラではないから、その声を聞き取ることはできなかった。

 赤い鳥が大きな翼を広げて船を飛び立つと、ふわっと浮き上がってキュフくんの肩にとまり、嘴で彼の頭を優しくつつくのだった。

「分かった。スティをこちらに」

「キュフが先です」

 ラシュさんがキュフくんを甲板に乗せると、入れ替わるようにスティを船から下ろした。

 ゼノの男性が私たちに向かって石か何かを投げようとしたが、それをラシュさんが手を挙げて静止させる。

 船が再び動き始める。進行方向を変えるために大きく揺れた時、キュフくんがその場に座り込むと、彼を包み込むようにソラヤさんが抱きしめるのだった。二人は本当の姉弟のようにみえる。

 私はどうしてウィミと姉妹になれなかったのだろう。どこかよそよそしく、心から打ち解けることができなかった。

 全部私が悪いんだ。私がゼノだということで差別していたから。無関心だったからだ。

「サブリナ、忘れるな!」

 岸から名前を呼ばれて振り向くと、何かが自分に向かって飛んでくるのが見えた。

 甲板に投げ込まれたのは、人だった。

「ウィミ!」

「ラシュさん、なんでこんなことを」

 岸から少し離れた船に人間を投げ込むなど、ゼノの魔法としか思えない怪力だ。私を水中で救い上げた時もすごい力だった。

 私とウィミが船の後ろに周り岸を見つめると、こちらをじっと見つめるラシュさんの姿が見えた。その両腕からは真っ赤な血が流れていて、よく見れば、ラシュさんの顔は青白く今にも倒れてしまいそうだった。

 ジェルちゃんが船を追いかけるように駆け寄ってくる。

「ゼノが悪人のように言うな!何も知らないくせに。私たちがどんな仕打ちを受けて来たか。どんなに地獄だったか、どんなに辛かったか、苦しかったか、悲しかったか。ゼノが悪いんじゃ無い。全部あいつらが悪いんだ。私たちは悪く無い」

 叫びながら走り、途中で雪で足を滑らせてその場に突っ伏した。そして声を上げて泣き続け、最後に魂の叫びのような悲痛な声を上げた。

「私だってこんなのは嫌だ!」




「ソラ、ごめん。どうしても歌いたくて、本当にごめん」

 キュフくんが甲板で子どもらしく泣きながら謝っている。初めて彼が子どもらしくみえて、少しホッとした気分だ。

「キュフのバカ。ナイフをあんな使い方したからトキトさんに怒られる。キュフのバカ!」

 ソラヤさんも泣きながらキュフくんをぽかぽか叩きながら怒っている。とても愛情のある怒り方だ。

「慣れないことするから腰抜かすんだよ。ソラに人質とか脅すとか無理。二度としないで。それから二度とバカって言うな」

「言われなくても、こんな心臓に悪いこと二度としない。あーもう。怖かったんだから、このバカ」

 座り込んでえんえん泣いている二人の間で、赤い鳥が心配そうに右左と様子を伺っているのが、とても微笑ましくて、少し笑ってしまった。

 二人が本当に仲直りをしてくれて良かった。

 船が橋を越えてどんどん南東に向かって進んでいく。操縦するのは見知らぬ屈強な大男と若い男と父だった。

 大男はソラヤさんが雇った傭兵で、もう一人の若者は父の仕事仲間で、船頭として雇っているとのことだった。

「テイズンさんにこんな可愛い娘が二人もいたなんて知りませんでした」

「つべこべ言わず進め」

 船頭の彼は父と一緒に今朝帰って来て、村で一泊してから故郷のメルに帰る予定だったが、事件が起きた。宿やにゼノ達が押し入って来たため、私たちの家に逃げて来たらしい。そこで倒れている父とキュフくんに出会い、そして三人でこの船に身を隠したとのこと。

 しかし、キュフくんがソラヤさんのことが心配になり船から飛びだして行った。

 そしてソラヤさんと合流でき、ソラヤさんを船に行かせ、キュフくんは死者に呼ばれるように村に戻って行ったそうだ。

 ルシオラは死者を放って置くことができない。必ずそばに駆け寄り、死者に歌を歌い、魂を体から切り離すという役目を全うしたくてたまらなくなるらしい。

「どうして助かったの?」

 私が父に話しかけるのは、一年ぶりだった。

「村に戻って売上を村長に納めようと、村長の家に向かった。その家の前でスティに出会った。待ち伏せされていたようだった。あいつはごちゃごちゃ何かを呟いていたが、ほとんどが聞き取らなくてな。気づいたら、刺されていたよ」

「それで、どうやって家まで帰って来たの?」

「ラシュが血相を変えてやって来て、俺に肩を貸した。そして家に送ってくれた。全部俺のせいだとラシュは何度も言っていた」

 スティの話ではラシュさんは一族の実質的な長で、一族の犯す罪は全て自分の責任だと、感じているのだろう。

「昔からそうだ。全部自分のせいにする男だ。自分の気持ちとゼノの長としての考えでいつも迷っている。どちらを優先するべきかという葛藤が自分自身を苦しめているんだと言ってもきかない。分からず屋だ」

 父が母以外の人の話をすることは殆どない。しかも親しくて、よく理解し合っているように思える。父の親友がラシュさんだった。

 私の知らないことがまだまだある。

 私が知らなければならなかったことが沢山ある。

 父は血の滲む包帯を押さえながら、座り込んで息を吐いた。

「ウィミ、サブリナを助けてくれてありがとう」

「おじさん、ごめんなさい。私……」

 ウィミは怪我した足を引きずりながら、父に近寄り父の袖の先を掴んで大粒の涙を流した。

「ウィミ、どうしてあの時、私を殺さなかったの?」

 私はてっきりウィミに毒を飲まされるのだと覚悟した。そしてウィミが私の子をと恨んでいて殺したいと思っているなら、殺されても構わない。仕方ないとも思っていた。

「殺せるわけないじゃない。サブリナは家族だよ」

「ウィミ、私はゼノだというだけで関心も示さず、無いものみたいに接して来た、そんな最低な人間だよ」

 ゼノの事を何も知らない。ウィミとずっと一緒に暮らして来たのに、何も知ろうとしなかった。知る努力も歩み寄りもしなかった。

 自分がゼノでは無いというだけで優位に立ったつもりで、根拠のない偉そうな態度をとっていたんだ。

 自分が情けなくて、自分が愚かしくて、胸がくるしい。ゼノだろうが同じ人間なのに。それに気づかないふりを続けて来たのだろう。

「私はウィミになら殺されてもよかった」

「やめてよ。私をなんだと思ってたの。恨みだけで簡単に人を殺すような人間だとでも思ってたわけ?」

 私は首を何度も、何度も横に振る。そんなわけがない。私の家族は人を殺したりする人ではない。

 麦を育てて、パンを作る手を持つ人だ。命を奪う手を持って生まれた人ではない。

「ウィミ、ごめん。助けてくれてありがとう」

 私の言葉を遮るかのように、ウィミは私に勢いよく抱きつくと、涙声でこう言った。

「お礼言うのは私の方。私を家族にしてくれてありがとうございます。ずっと言いたかった」

 父が娘二人の頭を無言で撫でた。幼かった頃にもこうして頭を撫でられた記憶がある。どうして撫でられたのかは覚えていなかったが、ウィミがとても嬉しそうに笑うから、私も同じように笑ったことは覚えている。

 またこうしてウィミが笑うから、私も。


 川は一定の速度で緩やかに進んでいく。寒い風に体温を奪われないように、隣に座る親しい人の温もりを感じ合いながら。

 私たちはケルウス王国へと向かうのだ。

 この先、何があろうとも。私は家族を信じると決めた。

 きっと祝福の灯を持つ少女も、鎮魂歌を歌う少年をどこまでも信じ続けるのだろう。

 人格がどうという話ではなく、どんな性格だろうがどんな過去だろうが、共に親密に過ごして来た時間が相手を特別にする。

 ウィミと私の関係に名前を付けるとしたら、それは「姉妹」だと思う。

 やっと分かった。








 春の麦は偉大な魔法使いが生み出した奇跡の植物だが、実際に奇跡を起こしているのは育てている人たちだ。

 冬の寒さが厳しい何も育たない土地に、人々は春麦に希望を見出したのだ。育てるのが難しく、すぐに鳥に食われてしまう麦。

 しかし春麦の美味しさは人々を幸福にする。パンにすると香り高く、ふんわりと焼き上がる。冬を越すせいか甘味もよく感じられ、まさに幸福の香りと味なのだ。

 幸福を外部に奪われるわけにはいかないと、大きな川に魔法をかけた。

 麦を食べ尽くす渡り鳥を寄せ付けないためにかけた魔法だったが、いつしか人を水底に引き摺り込む人魚いると悪い噂が広まり、鳥どころか旅人や外国人も立ち寄らなくなったそうだ。

 閉じられた環境に降り立った時、感じたのは平穏だった。

 冬なのに一面広がる黄金の麦畑。雪が積もっているのにも関わらず村人は麦を丁寧に育てる。

 静かで優しく、そしてどこか悲しく淋しい。大きなうねりも、劇的な変化も起きる予感がしない、そんな平穏がここにはあった。

「春麦を育てる人は信じる力の強い人が向いているんですよ」

 黄金の植物に囲まれた間から顔を出した、たおやかな笑顔の赤ら顔の老婆がそう教えてくれた。

「冬に麦がなると信じること。麦は川の人魚が守ってくれると信じること。今年も甘い麦が沢山育つと信じること。麦が来年も豊作なると信じること。家族が麦で幸せになると信じること。幸福は信じた先にあるのだから」

 雪がちらちら降り始め、金の植物に降りかかる。まるで砂糖をまぶしているようですね。と冗談を言うと、老婆はおおらかに笑って、「そうかもね」と嬉しそうに答えた。

 川に魔法をかけたゼノと春麦を生み出したゼノは同一人物だ。

 あの方は信じていた。どんなことが起きようが、必ず原住民と移民が手を取り仲良く生きていけると。

 たとえこの世界から魔法がなくなったとしても、人種差別や貧富の格差が広がろうとも、人の心に優劣はなく、等しく違っているということを尊いと感じ、協力し支え合い補い合って生きていけるのだと信じていた。

 だから、ボクたちも信じることにしたのだ。

 魔法が無い世界でも必ず、人々は協力し合って生きていけるという事を。

エアルの手記より


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