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濡れた体から体温が奪われて、ガタガタとじっとできないほど全身が震える。歯も閉じていられず、何度か舌を噛んでしまった。
うずくまって寒さと戦い続けてどれくらいが経つだろう。船は数時間前に止まったっきり、動く気配はない。
「サブリナさん、大丈夫ですか?」
地下室に顔を出したのはソラヤさんで、とても険しい表情をしている。
「何かあったの?」
「近くまでゼノ達が来ているんです。物陰に隠れていてください」
そう言って、ソラヤさんはそっと地下室の扉を閉めた。
私は震えながら地下室にあった、樽の裏に隠れ、歯がガタガタ震えるので、服の裾を口に丸めて押し込んだ。
しばらくして、ソラヤさんの話し声が聞こえて来た。やはりゼノが私を探しに来たのだろう。
「この船には見覚えがあるな。この船をどうしたんだ?ランテルナさん」
「サブリナのお父さんが使っていた物だと聞いています。死の間際に使って良いと言ってくれました」
ソラヤさんは男と話をしている。その声に聞き覚えがあった。スティだ。
「この船の代金は確か半分以上を村長が出したって聞いたが」
「その村長さんも、もうこの世にはいないんですよね。なにか問題でもありますか?」
二人の声が地下室の扉の上から聞こえる。
「船でどこに行くんだ?」
「私たちは当てのない旅なんです。特に行き先は決めていません」
「この船の操縦をどうするつもりなんだ?」
そうだ。この船は荷物を積むことができる中型の船で、女の子の力で漕げるような大きさではない。大人の男が二、三人がかりで動かすことができる大きさで、操縦も難しいと聞いたことがある。
「傭兵を雇っているので、彼らと合流後に出発する予定です。ご心配なく」
「傭兵?あんた達、この村から一歩も外に出ていないのどうやって、傭兵を雇えるんだ?」
傭兵の紹介所は大きな都市や街にしか無いときくし、きっとソラヤさんの嘘だろう。その嘘を信じてくれと私は目を瞑って祈った。
「村長さんに薬を煎じるのと引き換えに、首都に手紙を飛ばしてもらいました。間違いないです」
伝書鳩ならハサミ川くらい軽々越えて、首都の傭兵紹介所まで届くだろう。
「なあ、そろそろおしゃべりはやめて、足元の地下扉を開けてくれないか?」
「なんのことですか?」
「布を被せて隠したつもりだろうが、足音の音が違うんだよ」
スティがそう言うと、扉の真上で足をドンドンと力強く鳴らす。床板が割れそうなほど勢いで、私は思わず悲鳴が出てしまいそうになり、息をぎゅっと止めた。
「ほら、あるじゃないか」
地下室の扉が軋みながらゆっくり開けられていく。
このままでは見つかる。
「ここには私しかいないのに、そもそも何か探しているんですか?」
「俺はずっと数を数えていたんだよ。村人の数。二人足りないんだ」
「数え間違いではないですか?」
「そんなはずはない。麦を食べる鳥の羽を用意したのは俺だ。二枚余ってるんだよ」
地下へと続く階段を男がゆっくり降りてくる。
「一人はルシオラの子どもがどこかに隠した、この船の持ち主で、もう一人はその娘だ。誰だろうな。あの親子を逃したのは」
「さあ。私は知りません」
スティが階段を下り切った時、ソラヤさんがそう冷たく言うと、突如地下室の扉を閉め始めた。
「おい!何をする」
バタンと扉が閉められ、上に何か重いものが載せられる鈍い音が鳴って、この地下室は真っ暗になった。
私を殺しに来た男と二人っきりになってしまった。ソラヤさん、なんでこんなことを?
混乱するなか、私はとにかく物音を立てないように努めるしか無かった。
「おい、開けろ!偽物のランテルナ、いい加減にしろ」
偽物のランテルナとはどういう意味だろう。
「お前がランテルナのはずがないだろう。ランテルナは絶滅したんだ。生き残りなど存在しない。生命の循環の均衡が崩れた。この先、生き残れる生物は限定される。普通の人間が生き残りたければ、俺たちゼノに協力しろ!」
この人は、何を言っているの?
この男が闇の中で叫んでいる話の内容が全く理解できない。
階段を登って、扉をガンガン両手で叩いているが、外からの応答はないようで、スティは叩くのをやめたようだった。
「そこに誰か居るんだろう。テイズンさん?それともサブリナか?」
さっきまでとはまるで別人のように、優しい声音で私に呼びかけてくる。
「あんたたち親子は幸運だよな。ラシュさんに気に入られているから。知らないと思うけど、ラシュさんはこの辺のゼノを束ねる長なんだ。でも男だから首長を名乗れなくて、いろいろと苦労されてるんだ。鉄の一族は女が治める決まりなんだとよ」
私は震える顎を抑えるために、必死に口に詰め込んだ服を噛み締める。そして殺人鬼の話に耳を傾け続けた。
「この村にあの旅人がやって来たせいで、予定が狂った。この計画は春麦の収穫後になる予定だった。それなのに、どこからかこの『掃除』の計画を聞きつけて、村人たちに言って回りだした。しかしここの村人たちはバカばっかりだから誰も信じなかった。ゼノが村人を全員一掃するつもりだなんて」
ソラヤさんもキュフ君も私の家に来てからほとんど家に居ることが無かった。私はてっきり薬草探しと、ウィミの仕事を代わりにやってくれているんだと思っていた。
「あの旅人達がテイズンさんが帰って来たら、村人達をこの船で逃す算段を企てていることが分かった。だから先に手を打つことにしたんだ。概ね成功だが、ここで村人二人と旅人二人と一羽を逃す訳にはいかない。この村の惨状を外には漏らさない」
そう言うと、闇の中で男が動き出したことが気配で分かった。何かを探すように歩き始め、箱や布などを蹴り飛ばしていく。私を探している。
「サブリナ。お前はきっと俺の名前も知らない。知ろうとしていなかった。ゼノだというだけで蔑んで、無いものみたいに自分の世界から排除していた」
違う。そんなことはしていない。
「心底腹の立つ女だよな。ウィミと暮らしていたくせに、ゼノに興味がないって顔をして、無愛想な顔で歩いているお前の姿を見ていると、毎回殴り殺したくなった」
見つかれば殺される。見つかってはいけない。
「ウィミを物みたいに金で買って来たあのクソオヤジも許せない。人の命をなんだと思ってるんだ。その上、まともに面倒を見るわけでもなく、ほったらかしで強制的に労働させるし、自分の娘の面倒まで見させた。憎くて気が狂いそうだった。だから俺が先に刺してやったんだ。あのクソオヤジ裏切られたって顔してたな。人間の肉って簡単に刺さるもんなんだって気づいて、自分の行動力の無さに呆れたよ。こんなに簡単ならもっと早くやってればよかったってね」
父を刺したのはこの男だった。ラシュさんでは無かった。ならどうして、ラシュさんは私たちの家の前で血だらけで立っていたのだろう。
「みんなで決めたんだ。自分を奴隷として扱っている村人を自分の手で殺そうって。ウィミと一部の女達は嫌がっていたから、俺が代わりにやってやるって決めたんだ。全てゼノのため。先祖たちの恨みを晴らすことと未来の子孫のために全てを取り戻すことこそが、俺の役目だ。必ず取り返してみせる。国も自由も、魔法も」
その信念と恨みの声が頭の上から聞こえた。気づいた時には、スティの手が伸びて来て、私の髪を鷲掴みにし、物陰から引きずり出そうとする。
「痛い!痛い!」
髪がぶちぶちと音を立てて抜けたり切れたりしていく。手を振り払おうとしたくても頭皮が痛くて、身動きが取れない。引っ張られる方向に付いていくしかない。
「ゼノの方が夜目が利くのを知らないのか?」
「離して!」
「離すわけないだろう」
男は私の髪を掴んだまま、外へ続く階段を登っていく。そして出入り口の板をドンドン叩いて、ソラヤさんを怒鳴るように呼び立てる。
その時だった。がたんとこの船が大きく揺れたのは。
不意に船体揺れたため、スティの手が緩み、私は階段を転がり落ちていく。落ちていく私のことなど気にせず、スティはソラヤさんを呼ぶために板を叩き続ける。
「おい、誰が操縦しているんだ。ここを開けろ!」
船はしばらくどこかに向かって進み、とある場所で停止した。
そして階段の先の板がゆっくり外される。眩しい光の中から現れたのは、砂色の長い髪の女性で、その手には黒く光る小刀が握られていた。
ソラヤさんだ。
「お前、どういうつもりだ」
「スティさん、大人しく出て来てください。サブリナさんも一緒に」
見たことのない冷ややかな瞳で、私とスティを見下ろしている。私の知っている眼差しと似ても似つかない、まるで別人のようだった。