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「死ぬなら自分の家で死にたい」
とゼノ達に伝えたら、すんなり認められて私は、帰宅することができた。
まるで戦場のような村の道をとぼとぼと歩く。道端に知っている人がたくさん息絶えていて、私のいく道を血液で赤く染めている。
一通り殺し終えたのか、悲鳴や物音は聞こえなくなっていて、ゼノ達の荒い息遣いぐらいしか耳に入らない。
私の後ろをウィミがついてきているおかげなのか、すれ違ったゼノが私を襲うことはなかった。
慣れた道を歩く。これが最後の散歩だろう。収穫前の春麦が黄金色に輝いているのに、私はこの麦を収穫することは出来ない。
「ウィミ、春麦の収穫はやっておいてね。一人で大変だと思うけど、それだけはよろしく」
振り向くと、ウィミは目を真っ赤にさせて私を見つめている。そして、ウィミともう一人、付いてくる奴がいた。足を痛めたウィミを支えながら無言で付いてくるのだが、その目つきがあまりに鋭くて、恐怖を感じる。
「スティさん、ウィミが収穫大変そうだった手伝ってくれませんか?」
あの首に刺青を入れた男の名前はスティというのだと、ウィミに教えてもらった。
スティからの返答はなかったので、私は再び正面を向いて家へと歩を進める。
ああ、足と手が震えて来た。
家が見えて来た時、私の胸の奥は恐怖と後悔で一杯になり、手足がガタガタ震えて、冷や汗がじっとり前髪を濡らした。
父とキュフ君はまだ家にいるだろうか。どうかお願いします、居ませんように。
そう強く念じながら、玄関扉を開けると、そこには誰も居なくて、まだらな赤い血の模様が広がっているだけだった。
私たちは外にスティを残して家の中に入り、扉を閉めた。
「ウィミ。キュフ君とクソ親父居ないね。無事に逃げられたのかな?」
「サブリナ、あのね」
「ごめんね。ウィミが不幸なのは全部私たちのせいだね」
父が人身売買で連れてこなければ、こんな田舎で畑仕事を強要されて、その上人殺しまでさせられるんだから、不幸すぎる。
「サブリナ、違うの」
「足が痛いのに最期まで、わがまま言ってごめんね。大丈夫、ウィミに迷惑かけないように自分で死ぬから」
私は太い紐はないかと探し回っていると、ウィミが私を後ろから抱きつくように捕まえる。そして耳元で囁く。
「私のことは忘れて」
「ウィミ、どういう意味?」
「私は、ここに来て良かった。私は大丈夫だから、これから先は忘れてね」
振り返ろうと手を振り解こうとするが、ウィミの力は強くて振り解けない。そして口に何かを詰め込まれた。そうか、きっと毒薬か。
私は大人しく飴玉のような物をごくんと飲み込むのだった。
ボヤけていく視界の中に、涙目のウィミがぼんやりと見えた。彼女が泣いている姿を初めて見たな、と思いながら痛みもなく、ゆっくりと目を閉じた。
死ぬって想像していたより、穏やかみたいだ。
冷たい。胸が苦しい。息ができない。やっぱり、死ぬって辛いじゃないかと思って、目を開けると、そこはどうやら水の中で、死後の世界って水中なんだと初めて知った。
ゆっくりと暗い方へと沈んでいく。
なぜか漠然と感じるのは恐怖だ。
とにかく息ができないから、必死に手を伸ばすして上へと足掻いてみる。ゴボゴボと口の中に水が大量に入って来て喉が痛いし、胸も潰れそうに苦しい。
手を伸ばす。手を伸ばす。手を伸ばす。
すると私の上から何か大きなものが落ちて来て、衝撃と一緒に白い泡が大量に発生して水面へと昇っていく。
きっと何かが落ちて来たんだ。これでは私は、次々落ちてくる重い何かに押し戻されて水面には上がれないだろう。諦めかけた時、体をがっしり掴まれた。
誰かに掴まれて上へと連れて行かれている。
「おい、しっかりしろ!」
水面を越えると、急に呼吸が楽になった。しかし、飲み込んだ水が喉から外に出たがって、呼吸はし辛いし、息を吸おうとする度にまた水が入ってくる。
上を向いて水面ぎりぎりに顔を出すが、服が水を吸って下へと沈んでいきそうになるのだ。
頭の上の凍えた風が吹きつけて来て、水面に叩きつけられそうになる。
「サブリナ!」
誰が私を抱えているのだろう。咳き込みながら目を開けると、そこに居たのは。
「ラシュさん」
手芸屋のあのおじさんだ。今まで名前を忘れていたのに、父が刺された現場でこの人に名前を呼ばれて記憶が蘇った。
幼い私は、ラシュという名前が発音し辛くて、何度も練習していたことがあった。
そうだ。この人はラシュさんだ。
「サブリナ、捕まっていろ」
ラシュさんは私を抱えながら河岸に辿りついて、私を岸に引っ張り上げる。
私の体から冷えた水が滴ると一緒に体温を奪っていく。
冷たい、寒い。体がブルブル震える。私はどうやら生きているらしい。
辺りを見渡すと、ここはハサミ川だということがわかった。冬の終わりの川水は想像以上に冷たくて、肌が痛いと感じるほどだ。
「いい加減にしろ!せめて歌ぐらい歌わせろ!」
男の子の叫ぶ声が聞こえる。この声は、キュフ君の声だ。
私が川の上流の方を見つめていると、ラシュさんが、私を立ち上がらせようとする。
「ラシュさん、どうなっているんですか?私は死んだはずじゃなかったんですか?」
確か、ウィミが私に毒を飲ませた。そして気が遠くなって気づいたら川に落とされていた。
「待ち合わせ場所まで急ぐぞ。走れるか?」
川の上流で多くのゼノ達が何かを次々に投げ入れている。
「村人を川に投げているんですね」
ラシュさんは私を無理やりに立ち上がらせ、びしょびしょの体で走り始める。
「死体には鳥の羽を結んでいるから、川の人魚が死体を川底に連れていく。そうすればこの大量虐殺の証拠隠滅できる」
「それで私も投げ込まれたんですね」
川に投げ込まれた死体が次々に、川から伸びて来た手によって水底に引っ張り込まれていく。子どもの死体なのか高く放り投げられた遺体に、川の人魚の手がびょーんと伸びて空中で捕まえて連れていくのを見た。
「どうして私は人魚に捕まらなかったんだろう」
「ウィミが鳥の羽をすり替えた。本来、麦に害のある冬の渡り鳥の羽を使う予定だったが、ウィミはあの赤い大きな鳥の羽をサブリナに付けた。だから人魚はサブリナを捕まえなかった」
力強く握られた右の手首が痛かったが、この状況では言えそうにない。
「ウィミはどうして私を助けたの?」
「ウィミはこの計画に最後まで反対していた。しかし他のゼノ達の恨みと自由への渇望は止められなかった。私もその一人だ」
どうしてこの人は私を助けようとするのだろう。この人は私の父を刺した男なのに。
「どうして父を殺そうとしたんですか?」
「許せなかった。幼い娘を一人残して帰ってこない男が。買って来た少女を奴隷のように働かせる男が許せなかった」
確かに側から見れば、娘達に苦労をかけるどうしようもない親父に見えただろう。
むしろ家族が生活するために、この村の誰もが嫌がった外商の仕事を一手に引き受けのだ。
「私とウィミのためにやったっていうこと?」
「いいや。自分の身勝手な理由だ。テイズンとは幼馴染で、それなりに仲も良かった。だから余計に許せなかった。あんなに優しくて、思いやりのあった男がどうして娘に辛い思いをさせるのかって」
テイズンというのは父の名だ。年が近そうだとは思っていたが、やはり知り合いだった。狭い村なのだから知っていて当然なのだろう。
「テイズンが一年に一度は帰ってくるから、サブリナとウィミが自由になれない。そう思い込んだ。でもそんなのはただの言い訳で、ただ彼奴を羨ましく思っていただけなんだ。妻がいて、娘がいて、仕事があって、村人に頼られていて、私には何もないから」
「ジェルちゃんはラシュさんの娘なのでは?」
「ジェルは養女だ。鉄の一族のためにそうしなければならなかった」
河川敷を走り続け大きな橋が見えてくる。その少し手前には小さな船着場があり、そこでこちらに手を振る人がいる。
「ソラヤさん、無事だったんだ」
ソラヤさんは古い船の前で飛び跳ねながら、両手を振っている。
「彼女と一緒にあの船で川を南下するんだ」
「南下?首都のメルに渡るのではなくて、南下してどこを目指せばいいんですか」
「ケルウス王国だ。難民として受け入れてもらえるはずだから、大丈夫」
ソラヤさんと落ち合うと、ラシュさんは私を急いで船に押し込み、船の床板を外して地下室に隠れるよう言った。
「ソラヤ、すぐに船を出して南下し、国境近くに小さな船着場があるからそこで待っていてくれ。キュフを後から向かわせるから」
「ラシュさん、いろいろありがとうございます」
ソラヤさんが船に乗り込み、親しげな雰囲気でお礼を言っている姿を見ると、二人は知り合いのように見えた。
「旅の幸運を祈っている。気をつけて」
そう言って、ラシュさんは私達が乗った船と木を繋いでいる綱を解いて、綱を甲板に投げ入れる。
そして何事も無かったように、無表情に戻って、来た道を戻っていくのだった。
「ラシュさん、ラシュさん!」
ありがとうと言おうとしたが、父を思い出すと素直に言葉は出てこなかった。
ラシュさんは振り返らなかったが、私はその背中に向かって名前を何度も呼び続けた。
ごめんなさい。ありがとう。どんな言葉で別れたらいいのか分からないまま、その背中が小さくなって見えなくなるまで見つめた。