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「これ、一体どうしたの?」
三日目の夜は予想を大きく超えることが起きた。 キュフ君が大きな荷物を抱えて帰って来て、食卓の上にドンと下ろすと、満足げにそれを見せて来た。
「村のみんなからお裾分けを貰ったよ。野菜に砂糖に小麦、果物も少しあるし、干したキノコもある。これでしばらくは心配ないよね」
「どうしてこんなに?キュフ君、何をしたの?」
「別に何も。みんな、村の客人をもてなさなきゃって言って沢山くれたんだ」
大籠の中には高級品の干したキノコや、砂糖と塩まで入っている。たとえ客人が来たからって簡単に振る舞える食材ではない。
海のないこの土地では塩なんて高級品すぎて、私は塩を貰った人に返しに行こうとしたほどだ。
「サブリナさん。大丈夫、気にしないで」
「でも……」
「大丈夫、大丈夫」
そう言いくるめられ、私は家を飛び出すのを思いとどまった。
そしてソラヤさんが帰ってくると、今度は食卓に小袋を置いた。
「サブリナさん。貰ってください」
小袋の中は銀貨が詰まっていた。
「貰えるわけないじゃない。このお金はどうしたの?」
「二人と一羽の宿泊代と食費代なので受け取ってください」
ソラヤさんはキラキラの笑顔でお金を差し出すが、どうしてもこんな大金は受け取れない。せめてもどうやって用意したのかくらい理由を知りたい。
「理由を教えてくれなければ受け取れないよ」
「実は、私の作った薬が大評判で、よく売れたんです」
毎日、籠一杯に薬草を摘んできてはいたけど、よく考えればウィミの痛み止めを作るだけにしては多すぎる量だった。
「キュフも沢山貰って来たんだね」
「それが、ソラが配った薬が大評判で、みんな感謝の気持ちだってくれたんだ」
ようやく納得がいった。大きな町とは違いここは田舎の村で、体の不調を訴えても小さな病院しかない。そして薬などは滅多に入ってこないから、とても重宝されたのだろう。
「痛み止めを配ったんですか?」
「そうなんです。ルシオラの秘伝レシピで作っていますから、よく効きますよ」
れしぴ、という言葉は聞き慣れないが、きっと他国の言葉だろう。
「え?ソラヤさんってルシオラなんですか?」
「いえいえ。ルシオラはキュフの方で、私はたぶん普通の人です。でもある親切なルシオラのおじさんに薬の作り方を教わったことがあるんです」
ルシオラは仲間意識が強く、他種族を受け入れることは殆どないと聞いたことがある。この村もルシオラは住んでいなくて、少し離れた場所にルシオラだけの集落を作っているのだ。
「この時期はみんな畑仕事が忙しくて、足腰が痛んでいるだろうから大喜びだっただろうな。でもこんなには貰えない」
小袋の金貨を一部抜いて、殆どをソラヤさんに返した。
「食材はここにこれだけあるから食費はいらない、宿泊料金だけ貰っておく。あとは旅の支度に使ったほうがいいよ」
ソラヤさんは少し戸惑っていたが、素直に受け取ってくれた。
「ソラ、最初から薬を売っていれば良かったね」
「まさか、トキトさんの薬があんなによく効くなんて思ってもみなかったよね」
二人は同じ言葉の速さで会話を楽しそうに続ける。息が合っている姿を見ると、過ごして来た時間が分かるような気がする。
「二人とも仲直りしたんだね」
私がそう言うと、キュフ君とソラヤさんが口を閉じて何かに気づいたような表情を浮かべた。
「あ、忘れてた」
「私も」
今日の朝まであまり二人で話している姿を見ていなかったから、ついきいてしまったが、再び喧嘩状態に戻ったりしないよね?と二人の表情を交互に伺ってみるが、どうやら大丈夫そうだ。
二人は目を細めて声を出して笑い始めたから。
「喧嘩ばっかりしてたらトキトさんに怒られるね」
ソラヤさんがそう言って白い歯を見せ、
「多分、ニト様にも叱られるよ」
キュフ君も優しげに目尻を下げた。
大丈夫そうだ。
お腹いっぱいになった次の日は雨だった。水分の多い雪も混じって、そろそろ冬が終わることを告げるような天気だ。
ソラヤさんは薬作り、私とウィミは編み物、キュフ君は悪天候でも外に働きに行った。
四日目はとにかく穏やかな日で、女子三人でずっと他愛のない話に花を咲かせ、お腹が空いたらお腹いっぱいになるまで食事をすることができた。
久しぶりに楽しい、と思える一日だった。
その日の夜もみぞれ雪は降り続けたので、私は無理やりウィミと同じ寝台で寝ることになった。床で眠るにはかなり寒かったのだ。
サーサーとみぞれ雪が降る音が耳について離れなくて、私はなかなか眠りにつくことができなかった。
「サブリナ、起きてる?」
背中合わせの私の後ろでか細い声が聞こえた。
「ウィミも眠れないの?」
「うん。おじさんっていつ帰ってくるのかな?」
最近、よく父の帰宅を心配するウィミ。今までこんなにも気にしたことなんてなかったのに、どうしたのだろう。
やっぱり怪我をして心細くなってしまったのだろうか。
「そろそろじゃないかな」
「そうだよね。そろそろだよね」
「あのクソ親父、別に帰ってこなくてもいんだけど」
「うん。帰ってこない方がいいよね」
いつもの流れで、私が「帰ってこなくていい」と言うと、ウィミはいつも合わせてくれて「そうだね」と言うのがお決まりのようになっている。
しかし今日は何故かいつもと雰囲気が違って聞こえるが、表情は確認できない。寝返りが打てないほど、この寝台はとても狭いのだ。
「ねえ、サブリナ。私がここに来た時のこと覚えてる?」
「覚えてるよ」
父は母が亡くなってすぐに、外に物を売る仕事を本格化した。母と結婚する前から商人のように、この村で採れた麦や手工芸を首都や近隣の村に売りに出ていたが、その仕事を他国まで手を広げた。
外国まで売り歩くせいもあって、家には年に一度しか帰ってこれなくなったのだ。
女の子を連れて来たのは、母が亡くなってから一年後のこと。まさにこの季節だった。
春麦の収穫に合わせて父が帰って来た時、隣にはボロボロの服を着た手足の細い女の子が一緒だった。
「サブリナには言ってなかったけど、私ね、おじさんにお金で買われたんだ」
実はなんとなく知っていた。ゼノが他国で人身売買されているという噂を耳にしたことがあったから。もし人助けで連れて来たのなら、命の恩人に当たる父に対して好意的になるはずが、父に対してそんなそぶりは見たことがなかった。
「ウィミはどこから来たの?」
子どもの頃はよくこの質問をしたが、いつもウィミは「遠いところ」としか答えてくれなかった。もしかしたら今日なら答えてくれるだろうか。
「クジラ山脈の麓に小さな村があって、私はそこで生まれ育ったの。家族は父と母と姉の四人家族。でも流行病で家族が死んで、村人も半分以上が亡くなった。そこに人売りの商人が来て、村人達がゼノを売りに出した。そこに私もいたの」
返答も相槌も何も出てこなくて、ただ黙って聞いているしかできなかった。どんな言葉も、ウィミを傷つけてしまうのではないかと思ったから。
「牢屋みたいな荷馬車に揺られて、寒いし、お腹は空くし、身体中が痛くなるし、涙も涸れるし、毎日辛かった。そして数日後、辿り着いたのはケルウス王国だった。大きな街で、たくさんの人が行き交う通りの店先に並ばされた。道ゆく人にまるで野菜や魚を選ぶように品定めされて、そこでおじさんに出会ったの」
私の知らない過酷な現実があって、私と同じ歳の女の子がそんな酷い目にあっているなんて想像もしていなかった。
「おじさんは財布をまるごと商人に渡して私を買った、ここに連れて来た。そして私に家の仕事を頼む、娘と仲良くしろ、と言ったわ」
父はどうして娘と同じ年ぐらいの女の子を買おうと思ったのだろう。
「サブリナ知ってた?私を買ったせいで、村の売上金を全部使ってしまって、おじさん今も村長に返済を続けているんだよ」
「……知らなかった」
父は村の代表として村で採れた麦や手工芸品などの商品を持って売り歩いているので、自由にお金を使うことなど出来ない立場だ。
それで、村の人から何を言われても何も言い返さなかったのか。
「ねえ、サブリナ。私ってここに来ても良かったのかな?」
「……ウィミはここに来てどう思うの?」
私とウィミは姉妹ではない。こんなにも毎日一緒に生活して、一年の大半を二人っきりで過ごして、姉妹でもなければ親友でもない。
この関係は何と言うのだろう。
「わからない」とウィミが答えるので、私も「わからない」と答えるのだった。
朝方になって外が白んできた頃、ようやくウトウトと眠り始めたのに、玄関の扉がガタガタと揺れる音が聞こえて目を覚ました。
はじめは風が戸を揺らした音のように聞こえたが、何か少し気になって、玄関を確認しようと上着を羽織る。
ガタガタと揺れる扉をゆっくり開けて、私は一瞬声を失った。
「お、お父さん」
サーサーと降るみぞれ雪の中、父が玄関前に倒れている。しかも血まみれで。
白い雪の上に広がる赤い血が私の足元まで流れてくる。
父の手が再び玄関扉を掴もうとするので、私はその手を咄嗟に掴んだ。
「お父さん、どうしたの!」
「に、逃げろ」
「え?」
「ウィミと、ふ、ふたりで逃げろ」
父の体をよく見ると、背中から血が溢れているのが見える。しかも数箇所。
私は怖くなって言葉が思いつかない。手足も震え始めていく。医者に診せないといけないとは思うが、体が言うことを聞かない。腰が抜けて震えが止まらず、声も出ない。
すると遠くの方から、女性の悲鳴がうっすら聞こえて来た。子どもの泣く声も響いてくる。
「どうしよう」
頭の中は「どうしよう」としか考えられていない。
父が手を伸ばして自力で家の中に入ろうとし始めるので、私も四つん這いで中に入り、父を引っ張り入れようとするが、大人の男の人を動かすには、私の力では弱すぎる。
「だ、だれか助けて。だれか」
「どうしたんですか?」
顔を出したのはソラヤさんで、私と父の状況を目にした途端、眠そうな目が急に見開き、駆け寄って来た。
「この人は誰ですか?どうしてこんな怪我を?」
「と、とにかく中に」
ソラヤさんが力の限り引っ張り入れてくれて、ようやく父を家の中に入れることができた。そして玄関扉を閉めて鍵をかける。
「サブリナさん。傷口をこれで圧迫してください」
肩掛けを手渡され、私は父の背中に布を押し当てる。すぐに布が湿っていくのが分かった。
「キュフ、キュフ。起きて」
ソラヤさんはキュフ君を起こし、蝋燭に火をつけるように指示を出す。
キュフ君が寝むそうに火のついた燭台を持って来て、私と父を照らすと、彼の目つきが変わった。
「傷口を見せてください。背中を二箇所刺されているようですね。おじさん、他に痛いところはありませんか?」
父は息遣いが荒く、首を横に振るしかできない。
「ソラ!止血剤ってある?」
「ちょっと待って、今探しているの」
ソラヤさんが自分の鞄をひっくり返して、薬を探している。この騒動にウィミも目を覚ましたようで、痛む足を引きずりながら起きて来た。
「おじさん!」
足を庇いながらも走って近づき、父の前で膝をつく。
「に、にげろ」
「お父さん、誰から逃げるの?」
父は再び力を振り絞ってウィミに手を伸ばす。血まみれの手がウィミの手を震えながら握る。
「サブリナだけは、ゆ、許してくれ」
「おじさん」
「ふたりで、にげろ」
ウィミの表情が固まっている。父の震える血の手をじっと見つめながら、何かを考えているようだ。
「サブリナ。逃げる準備をして。私が時間を稼ぐから。キュフさんもソラヤさんも、支度をしてください」
ソラヤさんが止血剤を持って来たと同時に、ウィミはぎこちなく立ち上がり、足を引きずりながら玄関扉を開ける。
血まみれの玄関先に人が一人立っていた。