婚約破棄、それは終わりを告げる鐘の音。
終わりとは突然訪れるものなのかもしれない。
「きみとはもう無理だ。だから、急なのは悪いけど、婚約は破棄とさせてもらうよ」
鳴り響く鐘の音は終わりの合図。
最後の小節は唐突にやって来る。
影はその時まで姿を見せない。物陰に、誰かの心の奥に、見えもしない空間の中に、透明な姿で佇んでいる。そして、その時を迎えた瞬間、いきなり目の前に姿を現すのだ。それは牙を向き、一瞬にして人を噛み殺す。それゆえ気づいた時には手遅れになっている、というのが、影の正体で。
「さよなら」
終わりへ向かう旋律は止められない。
そして、婚約破棄を告げられた私の心もまた……。
◆
「……幸せになりたかったな」
崖の端に立つ。
鐘の音は今も響いている。
私の頭の中で。
もしここで生を終えたなら、これまで積み上げてきたものや楽しかった思い出はすべて無に還ることとなる。誰かは覚えていてくれるかもしれない。ただ、私という存在そのものはこの世から消滅する。これまでのあらゆる努力も水の泡となる。
それでも……。
「母さん、ごめん。……さようなら」
私を止めるものは何もなく。
その場から前へ身を放り投げた。
足が地から離れる刹那、ほんの僅かな時間だったのだろうが、私は数多の記憶を見る。
あぁ、美しかった。
とても楽しかった。
母さん、父さん、近所のおばさん、友だち……。
できるならまた会いたかった。
いや、いつまでも変わらずに。
平凡に暮らせていたならどんなに良かったか。
視界が涙で滲んだ気がして……。
そして、終わりを告げる最期の鐘の音が響く。
◆終わり◆