帰郷
[猫と私の恋物語]
プロローグ
私が人生で初めて"猫に恋をした"切ない想いをもとに綴られる物語り。
人間に裏切られ心を失くした一人の人間。
戦いに敗れ行き場を無くした一匹のオス猫。
出会った時はお互い独りぼっち。
孤独で虚しくて、何よりとても寂しかった。
信じられる相手もいない。
頼れる相手もいない。
帰る場所も、安心出来る居場所すら無い。
弱くて、情けなくて、悔しくて、今にも泣き出しそうな二つの心。
出会った瞬間にその二つの心が重なった。
あの時の貴方の目を、今でもハッキリ覚えてる。
優しくて、透き通った淡い綺麗なグリーン色。
でもその目は切なく怯えていた。
「私と同じだ…」
貴方の目から強くそう感じた。
自然と零れた涙で、目の前の貴方が歪んだ。
「大丈夫だよ…独りぼっちじゃない。」
私が呟いた言葉を理解したかのように、
貴方は私に近づいて喉を鳴らした。
まるで想いが通じ合ったかのように、
孤独で寂しい想いを暫く一緒に分け合った。
私と貴方の出会い。
決して忘れることはない。
私の心を救ってくれた一匹のオス猫。
オス猫に帰る場所と安らぎを与えた私。
気が付けばお互いを必要とする存在になっていた。
決して見えないけれど、そこには確かな絆があった。
人間と猫。
生物種を越えた恋なんて存在するのだろうか。
そもそもこの感情を恋と呼んでいいのだろうか。
でもそれが私と一匹のオス猫の物語り。
最初で最後の「猫と私の恋物語」。
叶うはずのない切ない物語り。
第一章
-帰郷-
「…死にたかったのに。」
ふと呟いた言葉が引っ越しのダンボールの山に遮られた。
8月の始まり。
別荘が多く建ち潜むこの地域も、この年の夏は特に暑く避暑地と呼ぶには程遠い夏だった。
やっと帰ってきた故郷。
懐かしい部屋、懐かしい匂い、懐かしい思い出、窓の外には懐かしい景色。
ここは私が生まれ育った場所…。
あどけない子供の頃の思い出や、自分が女の子だと意識し始めた思春期の思い出、親や学校の先生、大人への不満を露わにした反抗期の思い出。
色んな歳の自分が残した沢山の懐かしい思い出が蘇って来る。
──こんな形で帰って来るなんて…。
この家を出た頃の私には想像もつかなかった。
希望と自信に満ち溢れ、きらきらと輝いていたあの頃。
怖いものなんて何もなかった。
不安なんてどこにもなかった。
突き進む勇気と自分を信じる力を抱えて、
前だけを見て生きていたあの頃。
今の私には眩し過ぎる……
遠い昔の事みたいに色褪せてぼやけてしまった。
もうあの頃の私はいない。
無邪気に笑う私は消えてしまった。
あの頃の私はもう二度と戻らない。
「どうしてこんな事になっちゃったんだろ…」
「なんで私なの?」
再び呟いた言葉達がまた、積み上げられたダンボールに遮られた。
───私は黙々と荷解きを進めた。
両親や祖母が手伝ってくれる中、私は手を休めることなく目の前のダンボールの山をただただ片付けて行った。
どれくらいそうしていたのか…
滴り落ちる汗で、畳んだダンボールに幾つもの染みが出来ていた。
そんな私に
「暑いから少し休もうか?」
そう気を遣いながら声を掛けてくれる家族でさえも、今の私にとっては辛い存在だった。
…私の事なんて何も分かってないくせに。
心の中で呟いた言葉はもちろん誰にも届かない。
と言うよりは、届かないように我慢して言葉を飲み込んだ…と言う方が正しいのかも知れない。
ずっとそうやって生きてきた。
自分を押し殺し、何もかも周りの人に合わせる日々。
トラブルに巻き込まれるのが嫌で、どこでも誰にでも、"良い人"と思われるように取り繕って生きて来た。
言わゆる"優等生"を演じて生きて来たのだ。
それは多分、子供の頃からずっと。
親や、先生、周りの人に認められたくて、褒められたくて、嫌われたくなくて、ただひたすらに頑張り続けて…
私は「もう一人の自分」を演じて生きてきた。
そして気付いた時にはもう"本当の自分"の存在を忘れてしまっていた。
戻れない所まで来てしまっていた。
何もかも遅かった。
自分の事なのに気付いてあげられなかった。
何年か前から何だか体調が悪く、ちょっと様子がおかしいな、そんな風に感じていた。
突然動悸がして息苦しくなったり、あるいは人と話していると急に恥ずかしさにかられ、早く話を切り上げたいと思えば思う程汗が止まらなくなり、余計恥ずかしくなる。その度そわそわとして、逃げるように人との話を終わらせる。手は小刻みに震え、目眩もした。
寝ている時も心臓の音が気になって眠れない日があったりもした。
そんな状態が続き、心配になった私は病院に行って診察して貰った。
最初は心臓が一番に心配だったため、循環器科へと行った。
問診票に詳しく記入し、実際の問診中も事細かく説明した。
心電図はもちろん、レントゲンも撮った。
診察結果は、
「どこにも異常は診られませんね。疲れやストレスからでしょう。」
その言葉を信じ、私は何も疑わなかった。
何だ、そんな事か。良かった。
そしてまた日常に戻る…が、少しするとまた同じ症状に襲われる。
そしてまた今度は違う病院へ行って診察して貰う。
診察結果は───
「どこにも異常は診られません。疲れやストレスからくるものでしょう。」
また同じ。
そんな事を何度か繰り返した。
調子が悪くなる、不安になる、その度に違う病院へ行く、そして異常無し……。
ただ疲れているだけ、ちょっとストレスが溜まってただけ…
そう自分に言い聞かせて我武者羅にここまで生きてきた。
だから全然気が付かなかった。
気が付いてあげられなかった。
自分の心が必死で助けを求めていたことに。