妊娠した婚約者を婚約破棄して捨てた
「お願いです! 婚約破棄なんて考え直してください!」
王城の玄関ホールで、一人の令嬢が元婚約者に縋ってそう懇願する。
勿論、ホールにいた者達は一斉に視線を其方に向けた。
「しつこいぞ! 私の子を妊娠したと言うが、本当に私の子か怪しいものだ!」
酷い事を言われ、令嬢の手が男から離れた。
「そんな……。私が拒むのを無理矢理……!」
男が、泣き崩れた令嬢を冷たく見下ろしていると、王女が現れた。
「シミオン。何の騒ぎ?」
シミオンと呼ばれた男が、自身の新たな婚約者を振り返る。
「セオドーラ。大した事じゃない」
「王女殿下! お聞きください! 私のお腹にはシミオンの子供がっ!」
元婚約者との間に子供がいると知ったらセオドーラがシミオンを捨てると思ったのか、泣きながら訴えてきた令嬢を、セオドーラもまた冷たい目で見遣る。
「セオドーラ。嘘だ。アーシュラは、嫌がらせで他の男との子を私の子だと言い張っているんだ」
「そうでしょうね。恥ずかし気も無く、よくやるものだわ。みっともない」
セオドーラは愛する男を揺ぎ無く信じ、アーシュラを軽蔑した。
「お願いです! せめて、認知を!」
「衛兵! その女を追い出しなさい!」
命令に従い、衛兵達はアーシュラを立たせ、城の外へ連行した。
そして、この話は瞬く間に広まった。
「馬鹿な事をしたものだ」
帰宅したアーシュラは、父親に叱られた。
「結婚前に体を許したお前が悪いのだ!」
「わ、私は、拒んだのです」
「隙があったのだろう! それとも、誘惑したのではないか?!」
アーシュラが悪いと決め付ける父親に、彼女は更に傷付き絶望する。
シミオンの身分が高いからなのか。それとも、アーシュラを嫌っているのか。
「しかも、それを公の場で口にするとは! 恥知らずが! 我が子爵家に泥を塗ったのだぞ!」
アーシュラは、最早涙も出ない程、心が凍り付いていた。
「子が生まれるまでは置いてやる。その後は、出て行くように!」
月満ちて無事に出産を終えたアーシュラは直ぐに子供と引き離され、彼女のような訳ありを引き受けてくれてる修道院へと送られた。
まだ名も無い子供が、どうなるのかも判らないまま。
時が流れ、国王が崩御し、一人娘であるセオドーラが即位した。
彼女とシミオンの間には、王女が一人生まれていた。
そんなある日、アーシュラは二人に呼び出された。
昔の事を思い出して心の傷が痛んだが、女王の召喚を断る訳にはいかなかった。
「お前を呼び出したのは他でもない。私とお前の息子の事だ」
「私と貴方様の間に、子など無い筈ではありませんか」
アーシュラがそう答えると、先程からずっと不愉快気な顔をしていた二人の顔が、益々歪んだ。
「私の若い頃にそっくりな顔を見れば、信じざるをえまい」
「そういう事でしたか」
アーシュラが産んだ息子は、言い逃れ出来ない程シミオンに似ているらしい。
「それで、その息子がどうしたのですか?」
シミオンにそっくりな少年がいるからと言って、何の問題があるのだろう?
「息子の名はヴァージルと言うのだが、知っているか?」
「いいえ」
「ウォーレス・ピースマン侯爵の養子となっている」
「そうでしたか」
ピースマン侯爵は何故他人の婚外子を養子にしたのだろうと、アーシュラは不思議に思った。
「そして、此処からが問題なのだが、……我等の娘、ヨランダがヴァージルと結婚したいと言うのだ」
「まあ」
異母兄妹だから、近親相姦になってしまう。
「近親相姦などとんでもない! お前の方からヴァージルを説得してくれないか?」
アーシュラは、少し考えて答えた。
「無理だと思います。私がヴァージルの母である証拠がありません」
アーシュラの両親は亡くなり、実家は、十歳年下の従弟が継いでいる。
当時子供だった彼が、アーシュラがヴァージルの母であると紹介しても、説得力は無いだろう。
「ピースマン侯爵から紹介して貰えば……」
「侯爵は、結婚に反対なさっているのですか?」
アーシュラの問いに、シミオンは沈黙した。
ピースマン侯爵は、二人が異母兄弟と知りながら結婚させる気でいるのか。それとも、シミオンが他の男との子だと言ったのを信じているのか。
「私が二人は異母兄妹なのだと言うよりも、陛下や王配殿下が仰る方が、余程信憑性があるでしょう」
「既に言ったが、『結婚に反対だからと、ヴァージルが偶然お父様に似ているのを良い事に兄妹だなんて嘘を吐くなんて酷過ぎる』と娘が聞く耳を持たなくて」
「だから、ヴァージルの方を説得して貰いたかったのよ」
しかし、説得するには先ず、アーシュラが産みの母だと信じて貰わなければならない。
一体、誰が紹介すれば、シミオン達が用意した偽の母ではないと思って貰えるのだろうか?
アーシュラには分からなかったし、シミオンとセオドーラにも分からなかった。
あの時、認知していればこんな事にはならなかっただろうに。
そう思うと、アーシュラは込み上げる笑いを堪えるのに苦労するのだった。