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朱色の橋の話

作者: 恋音ちひろ
掲載日:2020/10/08

 私の街には朱色の橋があって、ある伝説が残っている。

 昔、天女が灰色の橋に降り立った時、衣の長い裾を引っ掛け、派手に転んでしまったそうだ。何人もの人が見て見ぬふりをし、通り過ぎていく。そこにある男が通りかかった。

 その百姓の男は、若くして両親を無くし、身寄りもなく、独り苦しい生活を送っていた。しかし、貧しいながらも転んだ天女の手当てを行い、食事を用意し、一生懸命に尽くした。

 天女はその優しさに惚れ、天に還ることもなく、一生をその男と共にした。男が一生を終えた時、天女は自らの衣の『朱色』で、この灰色の橋を染めた。

 今では『縁結びの橋』などと呼ばれ、ちょっとした観光スポットとなっている。


 小学生の頃に、祖母からそんな話を聞かされたものだから、その時からいつかは『運命の王子様』に出会えると思っていた。

 母親もその話を聞かされて育ち、私に朱愛とあなんて名前を付けるほどだ。中学生になって、友達と過ごしているうちに、ふと恋愛とは無縁の人生を送っていることに気づいた。

 運命などない──。それが常識なのだ。

 大学生になった今、身長百六十五センチメートルの私に、一向に恋愛の足音は聞こえてこない。

 オフホワイトの耳あてに、キャメルのコート。ベージュのムートンブーツに、アイボリーの手袋。これが、私の冬の正装。

 もう少し、可愛い服の似合う女の子に生まれたかった、なんて鏡の前で思う。この身長で、服だけが可愛くてもなぁ……。

 下駄箱のくまのぬいぐるみに「行ってきます」を告げ、一人暮らしのアパートを出る。

 大学まで、自転車で三十分。バイト先まで、自転車で二十分。いずれにせよ、川を一つ渡らなければならないので、私は毎日その朱色の橋の上を通らなければならない。

 「縁結びの橋だよ!」なんてはしゃぐ彼女と、何となく照れくさそうな彼氏。

 三日に一回はこんなカップルに出会うけれど、大学三年になっても、夢見た恋愛とは無縁な暮らしをしてきたものだから、少し目を伏せたくなる。


 今日は、土曜日。バイト先のケーキ屋さんへ向かう。パティシエの圭子さんは、三十代前半で二児の母。

 お弟子さん達には成長して欲しい、と厳しめのようだけど、バイトの私達にはとても優しい。

 私は、陳列やレジ打ち、隣にあるカフェのオーダー取り、たまに圭子さんの子供たちの相手をする位で、全く不満を抱えることなく働くことが出来ている。

 昼過ぎから閉店まで働き、余ったケーキをバットに入れ、店内の掃除が終わった所で、圭子さんが声をかけてくれた。

「朱愛ちゃん、お疲れ様。これ今日の分、持って帰ってね」

 そう言って、余ったケーキを箱詰めしてくれた。

「ありがとうございます」


 ひっくり返さないように、背中のリュックに入れて自転車を漕ぐ。二十時の冬の夜は、真っ暗だ。そのせいだろう。前に居た人に気付かなかったのは。

 気付いた時には、体に鈍い痛みが走っていて、ひんやりとしたアスファルトの上に横たわっていた。

 辺りを見回すと、黒いスーツケースと、倒れた男性。慌てて立ちあがって、声をかける。

「ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

 するとその男性は、髪をくしゃっとしながら、ゆっくりと起き上がって言った。

「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」

「本当にごめんなさい!」

「俺は、スーツケースがクッションになったから。それより、君は大丈夫?」

「大丈夫です!」

 そう元気よく言った後で、思い出した。背中のリュックのケーキを。

 慌ててリュックを開けて、中を見る。

「あ……」

 もちろん、無事な訳が無い。

「それって、ケーキ?」

「そうなんです。ケーキ屋さんでバイトしていて、余り物を頂いたんです」

「お詫びっていうのも何だけど……ちょっとお茶でもどう?無理にとは言わないけど、明るい所行きたいし」

「お詫びしたいのは私の方です!ぜひ!」


 初対面なのに、何で「ぜひ」なんて言っちゃったんだろう。そんなことを思いながら、男性の隣を歩く。沈黙を破ったのは、男性の方だった。

「俺は、前川 進。君の名前は?」

「私は、中川 朱愛とあです。朱色の朱に、愛」

「朱愛か、良い名前だね」

 名前に良いも悪いもあるのかなと思ったけれど、前川さんは続けて言う。

「俺は、進でしょ?常に前に進めーみたいな。寄り道しなかったら、人間つまらなくなるもので。朱愛ってさ、温かいイメージ。安らぎとか、ゆとりとか、癒し系だね」

 そんなこと考えもしなかった。暗くてあまり分からないけれど、きっとこの人は私よりもずっと年上で、大人なんだろうと思った。


 そうして着いたのは、近所のお洒落なカフェバーだった。四人席に向かい合わせになって座り、リュックとコートを隣の椅子に置く。

 進さんの顔を見ると、二十代後半から、三十代前半といったところだろうか。素敵なオーラに、爽やかなルックス。

 ワックスでキメたであろうその髪型は、テレビに出ている美容師さん並。ケーキとカクテルを頼み、改めて向き直る。

 カクテルは、名前を見てもさっぱり分からないから、進さんにお任せした。

 今更ではあるけれど、男の人と二人きりでカフェバーに入ったことがないことに気付いた。

 ましてや、初対面の人と何を話せばいいのだろう。どこまで聞いていいのだろうかなんて考えている内に、つい俯いてしまっていた。

「朱愛ちゃん?」

「はい?」

「ちょっと強引だった?」

「いや、そんなことは……」

 きっと、俯いているのは、嫌がっているのに断れなかったからだと思われたみたい。そんなことは、ひとつもないのに。

「俺、数時間前にこの街に来たばかりで。アラサーなのに独りで新しい街でやっていけるかな、なんてぼーっとしてたから悪かったなって思って」

「こちらに来られたのは、お仕事の都合なんですか?」

「そうそう、転勤」

「実は私も、大学合格してからこの街に来て、一人暮らしなんですよ」

「へぇ。そうなんだ」

 心なしか、前川さんの声のトーンが明るくなったような気がした。


 お酒が入って、ちょっとオープンになった頃。

「朱愛ちゃんって、大学生とは思えないくらい凄い大人っぽくて落ち着いているけど、可愛いし無邪気な所もあるよね」

「えーそんなことないですよ」

「だって俺、最初朱愛ちゃん見て、年下だろうとは思ったけど、二十代後半くらいだと思ったからね」

「それって、老けてみえてるってことですよね…」

「違う違う。色気があるってことだよ」

「うわぁ。何てことを…」

「いや、その、何ていうの…落ち着いてて、綺麗でっていうか…その…」

 慌てる前川さんが面白くて、でもちょっとその言葉が照れくさくて仕方ない。俯いて足を組み替える。

「そういや、前川さんっておいくつなんですか?」

「三十二だよ」

「お一人っていうのは、単身赴任なんですか?」

「いや。彼女すら居ないからね。今までこの人って人が居なくて」

 学生時代から今までずっと、モテたであろうに。ちょっぴり口を尖らせる。

「前川さんなら、選び放題でしょ?」

 少し、茶化してみる。

「いや、本当に好きになった人はみんな、離れていっちゃったから。モテる方が、本当に好きな人と付き合えないもんよ」

 私には無縁過ぎて、何が何だか分からない。モテる人とは世界が違うな、と痛感させられた。

「大人になって、ある程度のキャリアなんかが付いてくると、余計ロクでもない人が寄って来て、出会いすら良いものが無くてね」

 そう嘆く前川さんに、朱色の橋の伝説を話してみることにした。


「まるで、俺と朱愛ちゃんみたいだね」

 そう言われてみれば確かに、あの橋が無ければ、私達は出会わなかったかもしれない。

「本当ですね」

 だからと言って『運命の王子様』なんて、思わない。十一も離れているのに──。


 そうして、あっという間に二時間ほどの時間が過ぎ、私達はそれぞれの家に帰ることにした。

 お財布を出す間もなく、前川さんにご馳走になり、最後は家まで送っていくなんて言われたけれど、そんなことまでしてもらう訳には行かない。

 ご馳走して貰ってしまったので、連絡先を交換することにした。お店の前で別れて家路につく。

 その途中で、家に帰って何をしようか考える。まずは、お礼を言おう。そして、お風呂に入って寝よう。

 転んだ時の痛みが翌日ひびかないといいなと思いながら、布団に潜り込む。


 翌日。二日酔い気味で、大学に行く。親友の暁美は、私が普段お酒をほとんど飲まないことを知っているので、とても心配された。

「私と飲みに行かないのに、誰と飲んでたのよ」

「一緒に飲みに行かないのは、暁美が強すぎるからだよ。昨日、ちょっと自転車で男の人に当たっちゃって…その人が連れて行くっていうから、カフェバーに入ったの」

「カフェバーって、あそこのheart timeのこと?」

「んー確かそんな名前」

「あそこのカクテル、度数強いよ?その人、初対面の朱愛を酔わせて、何をするつもりだったのやら…」

「そんな人じゃないよ」

 確かに、heart timeに入ったのは、前川さんがそこに行ったからで…。

 よく考えたら、通り道に他にもお店はあったはずなのに、どうして初めてこの街に来た人があんなお店に入ったのかは分からない。

「で、昨日何飲んだの?」

「カクテル。前川さんにお任せした」

「その男、前川っていうのね。カクテル、どんな味?」

「オレンジジュースに、お酒混ぜたみたいな…」

「スクリュー・ドライバーじゃない?やっぱりその男危ないよ」

「だから、そんな人じゃないってば」

「聞きなさい。スクリュー・ドライバーは、レディー・キラーって言って、飲みやすいけどアルコール度数が高いの。

 これから絶対飲んじゃダメだからね。特に、朱愛みたいな娘はすぐやられちゃうんだから」

 結局、暁美には前川さんのことを分かってもらえなかった。それでも何故か、前川さんのことを信じたいと思っている自分が居た。

 前川さんとのやりとりは、そんなに多くはないけど、それでもあの日が夢に出てくるくらいには、私の中に住みついていた。


 二週間が経ったある日。食事でもどうかな、とお誘いが来たので、すぐにOKの返事を返した。

 今度の食事はお昼だったので、二人ともお酒は飲まなかった。私の大好きなパスタを食べ、見晴らしのいい公園でゆっくり休む。

 そこで、暁美との話を思い出し、意を決して聞いてみることにした。

「あの」

「どうしたの?」

「この間私が飲んだのって、スクリュー・ドライバーですか?」

「そうだよ」

「どうして、あのカクテルに?」

「あははっ。朱愛ちゃんオレンジジュースが好きでしょ?」

「何で知ってるんですか?」

「だって、かばんの中にオレンジジュース入ってたもの」

 どうして、かばんの中身を知っているのか…。謎はまだ解けない。

「なんでかばんの中身知ってるんですか。まさか、透視能力とか!?」

「いやいや、そんなバカな。転んだせいで、ケーキ潰れちゃってたでしょ。あの時に、ちらっと見えて。女の子のかばんの中見るなんて、ちょっとモラルが無かったかな」

 そうだった。透視能力とか、ふざけたこと言った自分が恥ずかしい。

「透視能力か…人の心を透視出来たらいいのにね」

「誰か透視したい人居るんですか?」

「ん?まあね」

「えー。誰だろう」

「内緒」


 やっぱり、前川さんは暁美が思うような人じゃない。とても優しくていい人。そんな風に思えた二回目のデートだった。


 最初の出会いから、一ヶ月。今度は、ドライブのお誘いだった。

 小さい頃の話、学生時代の話、前に暮らしていた街の話。助手席の私に、いろんな話をしてくれた。

 辺りが暗闇に包まれた頃、またあのカフェバーで話した。すると、突然前川さんがこう切り出した。


「あのさ。ここ、俺の職場なんだ」

え? 驚きのあまり、声が出ない。前川さんは続ける。

「支店のオーナーみたいな。と言っても、ここの店舗に来たのは、朱愛ちゃんを連れてきた時が初めてだったんだけど。隠しててごめんね」

「いいえ。謝られるようなことでは」

「いい歳して、何を考えているのか分からないけれど」

 そう言って、前川さんは席を立ち、カウンターの下から何か取り出す。

 それを後ろに隠して、私の前にかしこまった様子で立つ。

そして、ひざまずいて差出したのは、青い三本の薔薇の花束。

「俺と付き合ってください」


体が急に熱くなるのを感じた。緊張が走る。きっとそれは、前川さんも同じなんだろうけど。

 運命とか王子様とか、信じられないと思っていたけれど、前川さんとの出会いは運命そのものだと思う。出会った日のことは、忘れることが出来ないだろうな。


返事はもちろん……。

「お願いします」


 前川さんが、くしゃくしゃの笑顔になる。

「断られたらどうしようかと思ったよ」

 ずっとその笑顔を忘れないで居て欲しい。

 付き合うなんて、恋愛なんて分からない私だけど。

「断るはず無いですよ」

 だって、運命だもの。

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