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Legend of kiss3 〜水の王子編〜  作者: 明智 倫礼
8/41

懐かしき夢

 ザーっという、絶え間なく続く音に、意識がすうっと戻ってきた。激しい雨音に目を覚ましたその人は、真っ暗な視界ーー目を閉じたままで、ため息をつく。


(今日は、天気が悪いみたいです)


 カタカタと窓を鳴らす音を聞き、


(風が強いみたいです。今日は、お休みをいただかなくてはいけませんね)


 寝返りを打ち、枕に顔をうずめた。


 今日は、誰も起こしに来ないーーという可能性が高い。

 少し、このまま休ませて……。


 再び意識を眠りの底へ沈めようとすると、ノックなしで、ドアの開く音が。


(おや?)


 雨音をバックに聞きながら、異変の起きた方へ気を配る。


(何かあったのでしょうか?)


 確かめようとすると、布団をいきなり引っ張られた。


(おかしい……ですね)


 すっと目を開けると、そこにはーー淡いオレンジ色のドレスを着た小さな女の子がいた。少女を見た、ベッドの中の人は思わず息を呑み、


(あなたは……!)


 誰かの真似をして、女の子は腰に両手を当てながら、


「おにいさま、おねぼうはいけませんよ」


 どう見ても五歳ぐらいの子供に叱られ、『お兄さま』と呼ばれた人は、少しだけ微笑んだ。


「…………」

(あぁ……これは夢なのですね)


 布団をぱっとめくり、女の子はさらに叱る。


「さぁ、おきてください」


 無理やり起こそうとしている小さな子に、注意する女の声が。


「マリア様、勝手に部屋へ入ってはいけませんよ。ヒュー様はお疲れなのですから」


 召使いらしき人の発した名を聞き、ベッドの中の人はくすくす笑った。


(夢なんですね)


 くるっと癖のついた瑠璃色の髪を、ガクリと下へ垂らした女の子は、


「あぁ……はい」


 しょんぼりしてしまった彼女を見て、『ヒュー』と呼ばれた人は優しく声をかける。


「いいんですよ、マリアさん。起こしに来てくれて、嬉しいですよ」


 女の子はぱっと顔を上げ、


「はいっ!」


 元気よく返事をした。その素直な姿を微笑ましく思いながら、ヒューはベッドから起き上がる。そして、いつもの癖で眼鏡を取ろうとしてーー


(見える……?)


 髪を掻き上げる仕草を装い、誰に知られることもなく右目の視界を遮る。


(見える……)


 いつもぼやけている左目だけの視界は、今はとても鮮明で。右目を隠したまま、ヒューは部屋を見渡し、


(見えるん……ですね)


 驚きと戸惑いを胸に抱いた彼の耳に、召使いの声が、


「朝食のご用意が整っておりますが、いかがなさいますか?」


 自分のすぐ側で嬉しそうに微笑んでいるマリアへ視線を落とし、ヒューの冷静な頭脳が動き出す。

 

 彼女が私の部屋へ訪ねてきた理由。

 召使いの言葉。

 あちらであるーーという可能性が高い。

 確かめてみましょうか?


 瑠璃紺色の瞳で、ヒューは小さな人を優しく見つめ、


「マリアさんは、もう食べたんですか?」

「まだ、食べてません」


 マリアは大きく首を横に振り、ヒューは間を置くための言葉を告げた。


「そうですか」

(そうですね……こうしましょうか)


 彼は召使いへ顔を向け、


「それでは、食堂でマリアと一緒にいただきますので、よろしくお願いします」

「かしこまりました」


 召使いが丁寧に頭を下げ、部屋を出ていくと、マリアは自分の手よりもずっと大きい、ヒューの手を引っ張って、


「きょうは、おそとにいけないから、いっしょに、あそんでほしいです」

「えぇ、構いませんよ」


 にっこり微笑み返し、カタカタと風に鳴る窓ガラスへ、ヒューは顔を向けた。

 

 外は雨。

 ーーそういうことなのかも知れない。


 ヒューの瞳がふと曇ったことに気づき、マリアは不思議そうに。


「どうしたんですか?」


 すっと優しい瞳に戻り、ヒューはゆっくり首を横に振った。


「何でもありませんよ」

「……?」


 じっと自分を見つめているマリアから視線をそらし、ヒューはベッドから出た。


「さぁ、マリアさん。私は着替えをしますから、外で待っていてもらえますか?」


 誤魔化されたとはもちろんわかるはずもなく、マリアはぱっと顔を輝かせ、


「はいっ!」


 元気に言って、ぱっと部屋を出ていった。



 マリアに手を引っ張られるまま、ヒューは食堂へ入った。

 レンガ造りの暖炉。

 細かい細工の施された、アンティークチェア。

 真っ白なテーブルクロスに、大きなテーブル。

 その上には、綺麗に磨かれた銀の食器類。


 すでに、腰掛けていた男女ふたりが、あとから来たヒューとマリアに優しい笑みを見せた。


「おはよう」

「おとうさま、おかあさま、おはようございます」


 マリアはヒューの手を離れ、ふたりのすぐ側にある小さな椅子へと走ってゆく。

 瑠璃色の髪をした優雅なひとと。

 金色の髪をした上品なひと

 ふたりを見つめ、ヒューは少しだけ微笑んだ。


(そういうことなのかも知れませんね)


 そして、挨拶をふたりに返しながら、


「おはようございます」


 ヒューが席へ着くと、さっそく朝食が始まった。召使いが食べ終えたものと、次のものを交換し、飲み物などに、常に気を配っている。


 普通ならば、雰囲気に慣れないところだが、ヒューは何のためらいも、戸惑いもなく食事をしていた。

 スープの皿を召使いが片付け始めると、自分と同じ瑠璃色の髪をした男が、


「今日は東の方の嵐の影響で、港近くでトラブルが起こったそうだ」

「えぇ」


 相づちを打ちながら、ヒューは窓をちらっとうかがって、


(そのために、雨が降り風が強いんですね)


 吹きつける雨のせいで、外の景色は歪み、どんな風景か見渡せないでいると。ヒューの耳に、男の声の続きが。


「そのために、ギルドとの会議は明後日に延期になった」

「えぇ」


 ポーカーフェイスのまま、ヒューは相づちしたが、彼の心は強い引っ掛かりを覚えた。


(おかしい……みたいです)


 男はまったくヒューの心の内に気づかず、自分の側に座っているマリアの頭を優しくなで、


「だから、今日はマリアの面倒を見てやってくれないか?」

「えぇ」


 短く相づちを打ち、ヒューは引っ掛かりの原因を探ってゆく。


 港。

 ギルド。

 会議。

 海があり、産業が盛んーー


 カチャカチャという食器の音が耳に入り、食事を共にしている人たちを見渡した。


(少しおかしなところがあるのは……夢だからかも知れませんね。それならばーー)


「おにいさま?」


 幼い声に我に返ると、くりっとした瑠璃紺色の小さな瞳が自分を見上げていた。にっこり微笑み返し、ヒューは悪戯っぽく、


「今日はお付き合いしますよ、マリア姫」

「ありがとう!」


 飛び切りの笑顔を見せたマリアに、ヒューは珍しく優しい眼差しになり、


(素敵な笑顔ですね)


 再び、食べ始めた彼の心は、幸福感で満たされていった。


(目が覚めるまで、この夢に浸りましょう。それが、私には心地よいのですから)



 朝食後、さっそく。マリアは兄ーーヒューの手を引っ張りながら、赤い絨毯じゅうたんの敷かれた廊下をずんずん歩いていた。


「おにいさま、こっちです」


 慌てている妹の小さな背中の後ろで、ヒューはくすくす笑い、


「マリアさん、そんなに急がなくても、たくさん時間はありますよ」


 妹は歩く速度を変えず、兄へ笑顔を向ける。


「あたらしいのが、ひけるようになったから、きいてほしいです」

「そうですか」


 前を歩く妹の可愛らしいリボンを眺めながら、ヒューは引っ張られるまま、あとをついていった。



 大きな扉をよいしょっと、マリアが開けると、そこにはーー大きなグランドピアノが置いてあった。

 マリアは兄から手を離し、急いでピアノへ走ってゆく。その前にある椅子をよじ登り始めた妹を見ながら、ヒューは側にあった椅子を運び、妹の斜め後ろに座った。マリアは椅子の上で、お尻を左右にモゾモゾさせながら、弾きやすい位置を模索中。


 その仕草を見て、ヒューは妹に気づかれないように微笑んだ。


(可愛い人ですね、あなたは)


 いよいよ準備の整ったマリアは、兄へ振り返り、


「きのう、ひけるようになりました」

「そうですか。では、聴かせて下さい」


 ヒューが言うと、マリアはピアノへ向き直り、深呼吸を一つ。そして、精一杯弾き出した。簡単なメロディーだったが、リズムは遅くなったり早くなったりを繰り返す。ピアノの重い鍵盤には不釣り合いな妹の手を、ヒューは見つめ、


(……小さな手ですね)


 目を伏せるように、暖炉へ視線を落とした。雨音に混じる、つたないメロディーに耳を傾けながら、ヒューはそっと目を閉じる。


(一生懸命なんですね、あなたは)


 そこで、ふとピアノの音だけが止んだ。何とか間違わずに最後まで弾き終えたマリアは、得意げな顔で兄に、


「どうですか?」


 目を開け、ヒューは優しく微笑む。


「上手でしたよ」

「おにいさま、ひいてください」


 妹の突然の願いに、ヒューは戸惑うことなく、


「えぇ、構いませんよ」


 座っていた椅子から優雅に立ち上がり、マリアの座っているピアノの椅子へ。兄のために、妹は左へ少し避けたが、ヒューが弾くためのスペースは十分ではなく、妹の心理を悟って、ヒューは少しだけ微笑んだ。


(私の側に、あなたはいたいんですね。しかし、これでは……困りましたね)


 心の中で優雅に降参のポーズを取り、妹に優しく、


「マリアさん、もう少し後ろへ下がって下さい。そうでないと、これでは私のひじがあなたにぶつかってしまいますよ」

「あぁ……はい」


 素直にうなずき、マリアはお尻を左右にずらしながら後退してゆく。さっきと同じ方法を取った妹に、ヒューは、


(素敵な人ですね、あなたは)


 そして、ピアノへ向き直り、自分が映り込む程よく磨かれた鍵盤を見つめた。その上に軽く手を置き、すっと息を吸い、吐き出すと同時に、ピアノの低音が雨音と混じり始めた。


 規則正しく並ぶ、白と黒。

 その上を、ヒューの細い指が滑るように動いてゆく。

 洗練されたメロディーライン。

 ほんの少しの憂いを秘めた曲調。

 それは、即興ですぐ弾けるような曲では決してなかった。

 ピアノの弦を背景にした、ヒューの脳裏には、その曲の五線譜が鮮明に浮かんでいた。

 ヨーロッパ調の広い部屋に、ピアノの音が舞い踊る。

 そのメロディーを聞く、小さな姫のため、ヒューは懸命に自分の一番好きな曲を弾き続ける。

 クルクルと踊り続けたメロディーは、これで終わりというようにーーリタルダント(*音楽用語、だんだんゆっくり)……。ふわっと広がった最後の余韻が、広い部屋から消えた。


 ヒューが鍵盤から手をそっと離すと、すぐ隣りから、パチパチと拍手が起こった。


「だいすきなきょくです。ひいてくれて、ありがとう」


 小さな姫にひざまずくように、ヒューは優雅に、


「どういたしまして」


 その後しばらく、ふたりは他の曲を弾いたりして、のんびり時を過ごした。



 朝食同様、昼食も家族そろって済ませ、姫のお供をすることとなっている、ヒューは図書室に来ていた。

 本独特の匂いと、雨の匂いが重なる空間に、マリアの本を読む可愛い声が響く。それを聞きながら、ヒューは相変わらず、吹きつける雨をじっと見つめ、物思いにふけっていた。


 降り続く雨。

 窓を揺らすほどの強い風。

 そしてーー


 妹へ視線を向けようとすると、不意に扉がノックされた。マリアの方を見ず、ヒューは、


「はい、どうぞ」


 それに反応し、一人の召使いが入ってきた。そして、こう聞く。


「王子、本日はいかがなさいますか?」


 ヒューはあごに手を当て、


「そうですね……」


 考える振りを始めた彼の脳裏に、今抱いた違和感がしっかりと焼き付いた。


 『王子』……。

 おかしいみたいです。


 自分の膝の上に、ふと暖かみを感じ、そちらへ視線を落とすと、マリアがいつの間にか眠ってしまっていた。それを見つけたヒューは、少しだけ微笑み、


(夢ならば……王子ということもあるかも知れませんね)


 そしてそこで、彼の癖がふと出た。机の傍らに置かれた、四角い箱をちらっと見て、


 十四時二十五分十五秒。

 『いかがなさいますか?』の意味は、あちらであるーーという可能性が高い。

 そうですね……?


 小さな寝息と雨音、吹きつける風の音を聞きながら、ヒューは召使いの問い掛けに答えた。


「ロイヤルミルクティーでお願いします」


 王子の返事はぴたりと、召使いの質問と一致し、召使いは当然というように、


「はい、かしこまりました」


 そして、王子の膝で眠る小さな姫をちらっとうかがい、言葉を続ける。


「ティールームで召し上がりますか?」


 問われた王子は、小さな姫の重みを感じながら、


(起こしてしまっては、可哀相ですからね)


 動くという選択肢を避けた彼は、ゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、こちらで構いませんよ」


 言い終えるとほぼ同時に、ヒューの冷静な頭脳が速やかに稼働開始。


 先ほどの召使いの視線。

 そちらから判断してーー

 召使いの次の言葉は、『マリア様を部屋へお連れいたします』であるーーという可能性が高い。


 予想を裏切らず、召使いは、


「それでは、マリア様を部屋へお連れーー」


 ヒューは優雅に遮り、


「いいえ、このままで構いませんよ」

(今日は一緒に過ごすとマリアと約束をしたのですから、そちらの約束を破るわけにはいきません)


 妹想いの兄に、召使いは少し微笑み、


「さようですか、それではこちらにおふたり分お持ちいたします」


 軽く会釈をして、部屋から出ていった。



 しばらくすると、銀のティーセットとともに。

 色とりどりの甘〜い香りの菓子。

 一口サイズのサンドイッチ。

 香ばしく焼けたスコーンに、それにそえるクリーム。

 みずみずしいフルーツなど、ふたりでは到底食べ切れないほどの料理が運ばれてきた。


 召使いが慣れた感じでセッティングし、ヒューのカップへロイヤルミルクティーを注ごうとすると、彼の膝で眠っていたマリアが目を覚ました。


「ん……んん……」


 眠い目をこすり始めた小さな姫に、ヒューは悪戯っぽく、


「お目覚めですか? 姫さま」


 マリアはのんびり起き上がり、


「……ん〜」


 大きく伸びをした。ヒューは乱れた彼女の髪を直しながら、


「よく眠れましたか?」


 まどろんだ瞳を、マリアは兄へ合わせ、幸せそうに笑う。


「……あぁ、はい」


 ヒューはティーカップを見せて、


「マリアさんもいかがですか?」


 甘い菓子の匂いを吸い込んだ妹は、一気に目が覚め、元気よく、


「はい、のみます!」


 召使いがふたり分の紅茶を淹れ始めると、ヒューの膝に手を乗せたまま、マリアは何か言いたげに、兄の顔を見上げ、


「あ、あの……」


 優しく彼女の頭をなでながら、ヒューは静かに聞き返した。


「どうしたんですか?」


 私の膝の上に乗りたいと、あなたは言おうとしているーーという可能性が高い。


 兄が予想した通りの、可愛いおねだりをマリアはする。


「おひざのうえに、のってもいいですか?」


 自分の思うままに行動する妹が微笑ましくなって、ヒューの瞳に優しさが広がる。


「えぇ、構いませんよ」

(私の側にいたいんですね、マリアは)


「ありがとう」


 妹はさっそく、兄の膝の上にぽんと腰掛けた。小さな姫を後ろからのぞき込み、瑠璃色の髪の王子が、


「マリア姫、どちらを召し上がりますか?」


 マリアは目をキラキラさせながら、テーブルの上を眺める。


「ん〜……!」


 少し離れたところにある、甘い香りを漂わせているものを指さした。


「クッキーがたべたいです」


 それを側で聞いた召使いは、手際よくクッキーを小皿に盛りつけ、姫の前に差し出した。


「ありがとう」


 しっかりお礼をし、マリアは夢中で食べ始めた。クッキーを持つ彼女の手を見つめ、ヒューは少しだけ微笑む。


(小さな手ですね)


 愛おしさを感じた彼は、それを隠すように自分のティーカップへ手を伸ばした。


 

 家族そろっての、楽しい夕食を終え。


 ヒューは一人自室でくつろいでいた。立派なソファーに腰掛け、朝からずっと降り続いている雨音を聞いている。ふと、扉がノックされ、


「はい?」


 さっと立ち上がりながら、ヒューは手元の時計をちらり。


(二十時四十分十七秒)


 すっと扉へ近づき、それを開けた。そこにはーー

 眠そうな顔をしたマリア。

 微妙な顔をした召使い。

 そのふたりが立っていた。

 彼女たちの様子を、冷静なヒューの瞳が捉える。


 召使いは困っているように見える。

 マリアは眠いように見える。

 先ほどの時刻ーー二十時四十分十七秒。


 ネグリジェを着た妹の小さな手に握られた、薄い本ーー絵本をちらっと見て、


 これらから判断してーー

 マリアは私と一緒に寝るために、私の部屋を訪れたーーという可能性が高い。


 一瞬にして、そこまで判断したヒューはさっとかがみ込み、妹へ優しい眼差しを向ける。


「マリアさん、どうしたんですか?」

「……あぁ、はい」


 召使いを気にしながら、言いよどむ妹を見て、ヒューの瑠璃紺色の瞳にかすかな光が差す。


 先ほどの可能性がさらに高くなった。


 小さな姫に、召使いは少し強い口調で、


「マリア様、いけませんよ。いつまでもヒュー様と一緒では」


 その言葉から、ヒューはさらに状況を冷静に見分ける。


 先ほどの可能性は非常に高くなった。

 召使いは少なくとも、マリアの意見に賛成ではないーーという可能性が非常に高い。

 召使いの言葉ーー『いつまでもヒュー様と一緒では』。

 そちらから判断して……

 いつも一緒に、私とマリアは寝ていないーーという可能性が高い。

 以前は、一緒に寝ていたーーという可能性がある。


 ヒューはさらに、召使いがマリアを自室へ連れてきた理由を探る。


 わざわざマリアを連れて、召使いは私の部屋を訪れている。

 そちらから判断して……。

 召使いは私の意見を聞きに来ているーーという可能性が高い。


 しょんぼりしているマリアを優しく見つめ、ヒューはあごに手を当てる。


(あなたの望みを私は叶えたい。そうですね……?)


 彼は響く雨音に耳を傾け、


(……こうしましょうか)


 すっと立ち上がり、召使いと同じ目線に立った王子はこう告げる。


「今日は構いませんよ、このような天気ですから」

(私もマリアの側にいたいんです)


「さようですか……?」 


 しつけ役を任されている召使いは、最後の確認というように、王子の瑠璃紺色の瞳を見つめ、


(本当に、よろしいのでございましょうか?)


 王子はその瞳で優雅に微笑み返した。


(えぇ、私が許可をします。ですから、心配はいりませんよ)


 召使いは王子の深層心理を理解し、ほっと胸をなで下ろした。


「かしこましました」


 そして、丁寧に頭を下げ、


「失礼いたします」


 召使いは同じ瑠璃色の髪の兄妹きょうだいに微笑みを残し、去ってゆく。


(ヒュー様は、マリア様を大切に思われているんですね。本当に、仲が良くていらっしゃいますね)


 召使いを少し見送ってから、眠そうな目をしているマリアの背に手を当て、ヒューは優しく。


「さぁ、一緒に眠りましょうか?」

「……は、はい」


 マリアは背を押されるまま、兄の自室へと入った。

 大きな大人用にベッドに、小さなマリアは寝かしつけられ、ヒューが毛布を肩まで掛ける。


「側にいますから、安心して眠って下さい」

「これを……よんでほしいです」


 マリアはそう言って、さっきから大事そうに持っていた絵本を兄へ差し出した。それを受け取ったヒューは、にっこり微笑み、


「えぇ、構いませんよ」


 ベッドの傍らに腰掛けようとして、その隙に、視界の端で、


(二十時五十六分二十四秒)


 今にも眠りそうなマリアの、柔らかい瑠璃色の髪を優しくなで、


 あなたは二十一時前に眠るーーという可能性が非常に高い。

 可愛い人ですね。


 とても幸福な笑みを見せて、ヒューはぱっと本を開いた。


「Far out at sea the water is as blue as the lovelist blueflower and as clear as glass. But……」


 兄の声を少しでも長く聞いていたくて、マリアは眠いのを我慢していたが、しばらくすると、彼女はすうっと眠りに落ちていった。


 妹の規則正しい寝息を聞き、本を読むのを止めたヒューは、時計へ目をやる。


(二十一時ちょうど)


 マリアを起こさないように、そっと絵本を閉じ、


「お休みなさい、マリア姫」


 妹のおでこに、そっとキスをした。静かにベッドから立ち上がったヒューは、再びソファーに腰掛ける。優雅に足を組んで、手にしていた絵本の続きをゆっくり読み始める。


(……it is very deepーーdeepear than man can reach and deeper than many tall churches,one upon the other. Down there live people called the Sea-folk. Please……)


 視界へと入り込む文字の羅列を残しながら、今日一日の出来事を詳細に思い返してゆく。


 雨音

 風の音

 ヒュー

 マリア

 食堂

 東の方で嵐

 港

 ギルド

 ピアノ

 暖炉

 王子

 ロイヤルミルクティー

 クッキー

 絵本


 ヒューはそこで、自分のベッドですやすやと眠るマリアに微笑みかけ、


(素敵な夢ですね)


 しばらく、降りしきる雨音と、マリアの寝息を聞いていた彼は、心地よい眠りにいざなわれ始めた。読んでいた絵本を閉じ、ゆっくりとソファーから立ち上がる。小さな姫が眠るベッドへ近づき、彼女を起こさないよう、そっと中へ入る。


(お休みなさい)


 心の中だけでささやき、ヒューも眠りについた。

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