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Legend of kiss3 〜水の王子編〜  作者: 明智 倫礼
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届かないもの

 机に頬杖をつき、亮はぼんやり考えごとをしていた。彼女の腕時計は、十七時前を指していて。彼女の影は、昼間よりぐっと長く伸びていた。下校時刻から一時間も経過した教室には、亮一人きり。廊下にも校庭にも、人影はまったくなかった。


 あたりが異様な静けさに包まれていることに気づかないほど、亮は一生懸命頭を悩ませていた。

 だいぶ傾いた夕日を眺めながら、


(やっぱり、考えてもわからないなぁ。どうしたらいいんだろう? 誰かに聞いた方がいいのかな? でも、誰にーー)

 

【水に属する者】


 相談相手を探そうと、教室へ顔を戻した亮の瞳に、ふと教壇が映った。


(……そうだ。先生はどうかな?)


 廊下側の窓から向かいの校舎ーーレースのカーテンが揺れる、八神の部屋をうかがう。


(あ、まだ、明かりがついてる。帰ってないみたいだね。聞きにいってみようかな? でも……)


 日頃のことを思い浮かべ、亮はちょっと躊躇ちゅうちょする。


(先生と話そうとすると、すごくドキドキするんだよね。どうしてだかわからないけど……。やっぱり、別の人ーー)


【限られし時の中】


 まるで、他の選択肢を誰かに奪われたかのように、亮は八神の部屋をじっと見つめた。


(何だかわからないけど、先生に聞いてみた方がいい気がする。よし、聞いてみよう! おぉっ!!)


 張り切って椅子から立ち上がり、荷物を手早くまとめた彼女は、ぱっと教室を飛び出した。


 静かな廊下を歩きながら、亮は自分と担任教師とのことを考える。


(何でだろう? 先生が苦手……なのかな? んー……それはちょっと違う気がするね。でも……姿見ただけで、びっくりしちゃうんだよね)


 視界に入っただけでも、亮はやられてしまうほど、八神の罠は効果大だった。さらに、今日の数学の授業を思い浮かべ、


(そうだよ、さっきも……。あんなに見つめられたら、どうしていいかーー)


 八神の瑠璃紺色の瞳を思い出した亮は、そこで引っかかりを覚えた。


(そういえば……。今日、先生少し様子がおかしかった気がする。何だか……淋しそうな目してた…)


 他の誰も気づかなかったことを、八神の一番近くにいた亮は感じ取っていた。入学当初からの彼を思い出し、ぼんやり自分の足音を聞く。


(時々、先生、淋しそうな目をすることがあるんだよね。どうしてだろう? それに……。それを見ると、自分は切なくなーー!!)


 見慣れた扉が視界に入った亮は、無言のまま、大きく飛び上がった!


「…………!!」

(わっ! い、いつの間にか、着いちゃってるよ!?)


 八神対策を全然考えなかった亮は、人気のない廊下でガタガタと震え出した。


(と、とにかく、落ち着かないと……。し、質問できないからね。し、深呼吸ーー!?)


 大きく息を吸おうとしたが、部屋の中で優雅な八神が待っているかと思うと、亮の心臓はドキリと大きく脈打って、それに続けとばかり、バクバクと早鐘を打ち始めた。


(わわわわ………。ど、どうしよう……? こ、これじゃ聞けないよ!?)


 落ち着きという言葉を己の辞書に持っていない彼女は、夕暮れの廊下で口をパカパカしながら、右往左往し始めた。



 ーー 一方。

 部屋の中にいた、優雅な策略家ーー八神は静かに仕事をしていたので、ドアの向こう側の気配にすぐ気がついた。あごに手を当て、冷静な思考を展開。


 私の部屋の前へ来て、声をかけてこない人ーー。


 彼の脳裏に数名の人物ーー生徒が浮かんだ。その候補を絞り込むため、策略家は的確な言葉を口にする。


「誰ですか? そちらにいるのは」


 いきなり声をかけられた亮は、びっくりして、思わずカバンを落としそうになった。


「……!!」

(えぇっ!? ま、まだ、心の準備が出来てません! も、もう少し待ってもらえませんか?)


 八神はドアを凝視し、得た情報を元に、さらに候補をしぼってゆく。


 私が声をかけても、返事を返してこない人ーー。


 数名の女子生徒の名前が浮かび上がった。ついで、手元に置いてあった懐中時計へ視線を落とす。

 

 十七時十一分、ちょうど。

 この時間帯に私の部屋を訪れる人ーー。


 優雅な策略家に、ひとつの可能性が浮かび上がった。


 あの人であるーーという可能性が高くなった。


 その人との今日一日の出来事を、八神は詳細に頭の中へ並べてゆく。


 朝、出席を取っている時に返事をしなかったのはーーおかしい。

 私の授業で、考えごとをしているのはーーおかしい。

 返事を返してこない可能性が高いのに、返事を返してきた。

 今日、私に質問をしてきた人。

 それらから判断すると……。

 ーー彼女であるという可能性が一番高い。


 ドアの外に立っている人と、八神の中のイメージが一致した。その人が今どんな状態でいるのか容易に想像できた彼は、くすくす笑い出した。


(また、驚いているんですか? そうですね……?)


 笑うのを止め、憂い色の瞳を少しだけ細める。


 このまま待っていても、あなたが私に返事を返してくるーーという可能性は非常に低い。

 私が言い当てると、あなたが驚くーーという可能性は非常に高い……でしょうね。


 策略家の瞳に、小さな光が宿った。その輝きは、悪戯好きの少年のものと、まったく同じだった。


(少し叱らなくてはいけませんね)


 八神は教師らしく、ドアの外の人を叱る。


「神月さん、返事をして下さい」


 予想を裏切らず、亮はびっくりして飛び上がった!


「はっ、はい!」


 心臓をバクバクさせつつ、彼女はドアへ不思議そうな顔を向ける。


(ど、どうして、自分ってわかったのかな?) 


 キュッと鳴った上履きの音を聞き、八神はまたくすくす笑う。


(一番わかりやすい人ですからね、あなたは)


 返事を返したお陰なのか、何とか話すことが出来るようになった亮は、戸惑い気味に、


「せ、先生! ……ちょ、ちょっと質問があるんですけど……いいですか?」

「えぇ、構いませんよ」


 八神は応えて、椅子からさっと立ち上がり、その返事を聞いた亮は、ほっと胸をなで下ろした。


「あ、ありがとうございます」

(よ、よかったぁ。ちゃんと言えたよ)


 彼女は気づいていなかった、この先さらなる難関が待っていることを。八神はドアを開け、


「どうぞ」

(また考えごとをしていて、この時間帯まで残っていたんですか?)


 亮の単純すぎる行動パターンは、策略家・八神には筒抜けだった。


「は、はい。失礼します」

(だ、大丈夫かな? あ、足がガクガクするよ……)


 亮はギクシャクしながら、部屋へ入った。前を歩いていた八神は部屋の中ほどで、彼女へ振り返り、


「どうぞ、かけて下さい」

「あ……あぁ、はい」


 亮は声が震えそうになるのを必死で抑えながら、いつも紅茶をご馳走になるソファーへ、何とか座ることが出来た。


 夕暮れの学校で、先生ーーいやいや、八神とふたりきり。亮にとって、これ以上ドキドキするシチュエーションはなかった。


 八神が紅茶を用意している間、ドギマギしている亮の視界には、書斎机の上にある赤いカーネーションがチラチラ映っていた。


(ど、どうしよう……。ちゃ、ちゃんと聞けるかな?)


 茶葉をティーポットへ入れた八神は、キョロキョロしている生徒をそっとうかがう。


 神月さんは今、落ち着いていないように見える。

 今、私が声をかけると、あなたは驚くーーという可能性が非常に高い。


 そう思いながら、紅茶をもてなす者として、当然のことを彼は口にする。


「お菓子はいかがですか?」


 突然、響いた優雅な声に、亮は大声を上げた!


「えっ! お、おかしですか!?」

(お、おかしって、何?)


 おかしな反応をしている生徒へ、八神は振り返り、


「どうしたんですか?」


 いつもの優雅な笑みを向けられた亮は、わけがわからなくなり始めた。


「えっと……あ、あの……」

(ど、どうしたんでしょうか? 自分は……。え、え〜っと……??)


 一生懸命考え出した生徒の言動から、八神は、


 私の言葉はあなたに伝わらなかったーーという可能性が高い。


(そうですね……こちらで、確かめてみましょうか?)


 そして、優雅な策略家はこんな聞き方をする。


「いかがですか?」


 主語をわざと抜かされたので、亮は八神の欲しがった情報を簡単に渡してしまった。


「す、すみません。……ちゃんと聞いてなかったので、もう一度言ってもらえませんか?」


 あまりにも自分の思った通りの反応するので、テーブルへ紅茶を運び始めた八神は、くすくす笑い出した。


(私の言葉はあなたに伝わらなかったみたいですね。

 おかしな人ですね、あなたという人は。

 仕方がありませんね)


 肩を小刻みに震わせている担任教師に、亮は目をぱちぱち。


(あれ? どうして、先生は笑ってるのかな?)


 テーブルにシルバーのトレイを置いた八神は、生徒のためにもう一度、


「『お菓子はいかがですか?』と聞きましたよ」


 間近で八神に微笑みかけられた亮は、ドキリとした。


「お、お菓子でっ……ですね。たーー!?」


 『食べます!』と危うく答えそうになった亮は、今日が何の日か思い出した。

(あっ、そうだよ! 今日はダメだよ。イチゴのショートケーキが待ってるから)


 自分の誕生日をすっかり忘れていた亮は、大慌てで、


「せっ……せっかくなんですが、今日は大丈夫です」

「そうですか……」


 相づちを打ちながら、几帳面な教師は生徒に心の中で注意する。


(言葉遣いが、少しおかしいですよ)


「さぁ、どうぞ」


 八神は紅茶だけを差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 亮が受け取ったのを見ると、八神は向かい合うようにソファーに腰掛けた。


(今日はあなたの様子がずいぶん違うみたいです。何かあったんですか?)


 真正面ーーしかも、テーブルひとつ挟んだ至近距離に、天敵である八神に座られたので、亮は手が震え始めた。


(え、えっと……。先生の正面はすごくドキドキするよ。教室なら大丈夫なのに……。ど、どうしてかな?)


 紅茶に手も付けず、亮はキョロキョロする。


(だ、誰もいないからかな? ど、どうして、ここに一人で来ちゃったんだろう?)


 彼女は今頃、ことの重大さに気づいた。八神は優雅に紅茶をかき混ぜながら、

 

 あなたから話し出すーーという可能性は非常に低い。

 そうですね……こうしましょうか。

 

 ティースプーンを静かに置き、担任教師から話を切り出した。


「質問は何ですか?」

「えっ!?」


 突然話しかけられた亮は、びっくりして飛び上がった! いつもと変わらない反応をする生徒に、八神は真面目な顔で、


「私は何もしていませんよ。どうしたんですか?」

(これでは、あなたが何をしに来たのかわからなくなってしまいます。

 今は、きちんと話をしています。

 罠を仕掛けていません)


 八神はやっぱり亮に罠を仕掛けていた。いけない教師である。バカみたいに口をパカパカさせながら、亮は、


「は、はい……」

(な、何もしてないのはわかってるんですけど……。ただ見てるだけでも、ドキドキするんです! ど、どうしたらいいんでしょうか?)


 緊張のあまり、亮の質問はすり替わりそうになっていた。それでも、質問しようとがんばって、呼吸を整え始めると、八神の後ろにある時計が目に入った。


(わっ、もう五時二十分になるよ! ど、どうしよう? 早く聞かないと、パーティに間に合わなくなっちゃうよ)


 話しかけようとして、亮は時計から八神へ視線を戻し、心臓が飛び出るくらいドキッ!


(えっ! せ、先生、ずっとこっち見てるよ。え、えっと……)


 八神は紅茶を飲みながら、慌てふためいている生徒の動きを、冷静に捉えていた。

 

 神月さんは私の後ろを気にしているように見える。


 さらに焦り出した亮は、もう一度時計を見つめ、


(こ、このままじゃ時間が過ぎちゃうよ。わからないことは、ちゃんと聞かないと)


 優雅な策略家は、彼女の視線の方向を見逃さなかった。


 私の右斜め後ろにあるものはーー時計。


 自分が観察されていると気づいていない亮は、珍しく難しそうな顔をして、


(今日中に聞かないといけないみたいだから……。よし、がんばって聞こう!)


 一大決心をした彼女は、八神に視線を合わせ、


「あ、あの……。さっき、聞いた質問なんですが……」

「授業中に聞いたことですか?」


 平然と聞き返しながら、八神は亮の行動の意味を判断。


 神月さんは時刻を気にしているように見える。

 そちらから判断して……

 彼女にはこのあと、何か予定があるーーという可能性が出てきた。


 罠にはめられ、クラス中から注目された亮は、十分反省をしており、素直に謝った。


「……あぁ、はい。す、すみません」

(授業中に考えごとはいけませんでした)


 八神はゆっくりとかぶりを振り、


「いいえ、構いませんよ」


 生徒のことを心配して、先を促した。


「それで、どうしたんですか?」


 亮は両手をぎゅっと強く握りしめ、


「き、聞いて欲しいことがあるんです」

(先生に、どうしてもなんです)


「えぇ、ですから?」

(同じ内容を、あなたは二度言いましたよ)


 八神に心の中で注意されているとは知らず、亮は少しずつ話し出した。


「夢の話なんですが……」

(だ、大丈夫かな? ちゃ、ちゃんと言えてるかな?)


 『夢』という単語に八神は違和感を覚えつつ、相づちを打つ。


「えぇ」

(なぜ、そちらの話をあなたは私にしに来たのでしょう?)


「実は小さい頃から見る夢があって、それを今日も見たんです」


 八神は今朝見た夢を思い浮かべながら、


「えぇ」

(あなたにも、そういう夢があるんですね)


「いつも急に苦しくなって、死んでしまう夢なんです」


「そうですか」

(私とは違うみたいです)


 切なさを胸に隠しながら、うなずいた八神の耳に、続きを語る亮の声が、


「それで、誰かに何かを伝えたくて、でも……伝えられなくて、そのまま死んでいくんです」


 そこで、亮の魂だけに誰かの声が届けられた。


【追憶】


 瑠璃色の髪の奥に潜む、瑠璃紺色の瞳と、夢のことが重なる気がして、亮は目をぱちぱちさせた。


(あれ、似てる?)


 急にまばたきの多くなった彼女に、八神は相づちを打ちながら、


「えぇ」

(あなたは今、何か考えているように見える。そうですね……)


 模索し始めた策略家の前で、亮は我に返り、


「そ、それでですね……」


 八神は珍しく、ぼんやりと返事を返した。


「……えぇ」


 ーーそちらの可能性が出てきた……。


 そして、ふたりの言葉はふと途切れた。


「…………」

「…………」


 何もかもがオレンジ色に染まる、夕暮れの一室。八神と亮は見つめ合ったまま、しばらく黙り込む。瑠璃紺色の瞳の奥に広がってゆく、底知れぬ悲しみを、亮は見つけ、


(先生、また淋しそうな目をしてる。どうしたんだろう?)


 いつもと違う、大人びたブラウンの瞳を、八神は真っ直ぐ見つめ返し、


(伝えたくて、伝えられなくて。

 聞きたくても、聞けなくて。

 考えてもわからないこと……)


 亮のくりっとした瞳に映った自分の姿に、八神は我に返った。そして、


「それで、どうしましたか?」


 会話が途切れていることに気づいた彼の瞳は、いつもの冷静なものに戻っていた。亮ははっとし、


「……あ、はい!」


 居住まいを直して、しっかりと話を続ける。


「声を聞いたんです」


 その言葉を聞いた八神は、少し顔をほころばせた。


「えぇ」

(おや? 先ほど、『見た』と言っていましたが、『聞いた』に変わったんですね。おかしいみたいです)


 八神の小さな異変に気づかず、亮は、


「それで……」


 彼女はそこで、躊躇した。


(だ、大丈夫かな? ちゃんと伝わるかな? 途切れてるから、ちょっと心配ーー)


 いつまでも本題に入らない生徒に、八神は一回目の警告。


「時間がないのではありませんか?」

「えっ!? な、何でそれを知ってるんですか!?」


 大きく目を見開いた亮に、八神はくすくす笑う。


「わかりますよ。先ほどから、時計の方を見ていましたからね」

(気がついていないみたいです、自分自身の行動に)


 今頃それを指摘された亮は、申し訳なさそうに、


「す、すみません……」

(忙しいところ、時間割いてもらってるのに……。ずいぶん、失礼なことしちゃったなぁ)


 気持ちを改め、彼女は話を再開する。


「どこからか、優しい女の人の声が聞こえてくるんです」

「えぇ」


 何の脈略もない言葉を聞き、八神の笑みは一層濃くなった。


(なぜ、そちらをわざわざ私に聞きに来たのでしょう?)


 亮は真摯な眼差しで、誰にもまだ言っていない、夢で聞いた言葉を告げる。


「そして、こう言うんです。 『なんてことでしょう。……とは、私は許せません。……。自ら、この呪いを解く意思があるのなら、その機会と方法を与えましょう。今から五千年後に……うでしょう。彼の者ともう一度、真実の愛をはぐくみ、十八の誕生日までに……』です」

「そうですか」


 間を置くための言葉を発し、八神は心の中で優雅に降参のポーズを取った。


(そちらだけでは、私にもわかりませんよ。

 そちらを、あなたは私にどうして欲しいのでしょう?)


 放課後わざわざ自分の部屋を訪れた、生徒の要求を待つため、八神はティーカップを手にした。そして、亮は一番聞きたかったことを質問する。


「あの、どういう意味なんでしょうか?」

(重要なことのような気がするんです。だから、教えて下さい)


 ティーカップを元へ戻し、八神はくすくす笑い出した。


(本当に何も考えずに、こちらまで来たんですね)


 担任教師の態度に、亮は戸惑う。


「あ、あの……」

(先生、どうして笑ってるんですか? おかしなこと言いましたか?)


 笑うのを止め、八神はひと息をつく。


(仕方がありませんね)


 そして、教師として、きちんと生徒の質問に答え始めた。


「そのままの意味ではないんですか?」

「そのまま……ですか?」


 自分の言葉をただ繰り返した亮に対して、八神は大人の余裕でうなずく。


「えぇ。所々、途切れていて聞こえないみたいですが、大体の意味はわかるみたいですよ」


 普段、自分が聞き慣れない言い回しをされたので、亮はぽかんとした。


「え、大体……ですか?」

(自分には全然わからないんですが……)


 優雅な策略家は聞いたままーー自分勝手な解釈などまったく入れず、わかりやすく解説。


「あなたに呪いがかけられていて、それを解くための機会と方法を教えているみたいですよ。機会は十八の誕生日までかも知れませんね。そして、方法は、どなたかと心を通じ合わせなければいけないということみたいです。それから、何をするかはわかりませんが、そちらで呪いを解くようにということみたいですよ」

(おとぎ話みたいです。あなたは見る夢まで、面白いんですね)


 次から次へとスラスラと言われた内容を、亮はひとつひとつ頭の中で整理しながら、


「……あぁ……そう……ですよね」


 明らかに理解していないとわかる彼女に、八神はこんなことを聞く。


「答えは出ましたか?」


「えっと……?」

(あれ? どうなったのかな?)


 質問の内容がズレていることに気づかず、首を傾げた亮を見て、八神はくすくす笑った。


(あなたは答えを聞きに来たのではないんですから、答えは出ませんよ。

 おかしな人ですね、神月さんは。

 そちらよりも……)


 いつまでもぼんやり考えている生徒に、教師は二度目の警告。


「時間はいいんですか?」

(急いでいるのではありませんか?)


「えっ……?」


 我に返った亮の視界に、八神の背後にある時計が映った。


(うわっ! た、大変だ。五時四十分になってるよ!? 櫻井さん、六時に来るって言ってたよね、急がないと)


 がばっと立ち上がった亮のカバンから、綺麗な包み紙がふたつ落ちてきた。それを見た八神は、優しい笑顔を見せる。


 今朝、あなたたちの様子が少しおかしかった。

 あなたは時刻を気にしていた。

 ふたつの情報が示しているものはーー


 優雅な策略家は、探し出した答えを亮に提示する。


「今日は、あなたの誕生日なんですね?」


 亮はまじまじと八神の顔を見つめ、


「えっ、どうしてわかったんですか?」


 彼は床にちらばったプレゼントへ視線を落とした。


「そちらを見れば、わかりますよ」


「あぁ、そうなんですか」

(どうして、気づいたのかわからないですけど、先生ってすごいですね)


 細かいことは気にせず、納得してしまった亮に、八神はくすくす笑いながら、


「春日さんと如月君からですね?」

(まだ、納得してはいけませんよ。情報がいくつか抜けているみたいですよ)


「はいっ!」


 亮は元気よく返事をすると、プレゼントをカバンの中へしまった。あとは生徒が帰るのを待つだけ。これ以上、何も話すことのない教師ーー八神に、


【…………】


 策略家の冷静な頭脳の奥深くを、何かがかすめた。


(おや?)


 誰かに操られるように、机の上に飾られた赤いものへ意識が奪われる。


(あちらは……)


「先生、ごちそうさまでした!」


 くるっとドアへ向いた亮が座っていた席には、一口も飲まなかったティーカップが。彼女が歩き出そうとすると、


「神月さん?」


「はい?」

(あれ、忘れ物したかな?)


 亮が振り返ると、八神は赤い花を一輪差し出した。


「こちらを差し上げますよ」

(今日は最後まで、逃げ出さなかったご褒美ほうびです)


「えっ?」


 目の前にある花の名前を、亮はつぶやく。 


「カーネーション……ですか?」

「えぇ」


 短く肯定した八神から、亮は花を受け取り、


「あぁ……ありがとうございます」

(先生からもプレゼントもらっちゃった。嬉しいなぁ)


 花をクルクル回しながら、素朴な疑問を八神へぶつける。


「七月でも咲いてるんですね?」

(五月が時期なのかと思ってた。知らなかったなぁ)


「時期としては、五月から七月だそうですよ」


 答える八神には、彼の真の姿を映すように、綺麗な夕日が差していた。


「そうなんですか……」


 亮はカーネーションから、八神へ顔を上げ、その瞬間、彼女の心はある感情でいっぱいになった。


 ーーーーあなたは、とても綺麗な心を持った人。


 意識がはっきりしてきた亮は、急に八神の机の上に飾られている、赤いカーネーションが気になり始めた。


(そういえば、これって、いつも先生の部屋に飾ってあるよね? 何か意味があるのかな? 聞いてーー)


 彼女の質問を遮るように、八神が口を開く。


「赤いカーネーションの花言葉を知っていますか?」


 亮は彼へ顔を戻し、


「いえ、知りません」


 素直に首を横に振った彼女に、八神は少しだけ微笑む。


(あなたは、正直な人……ですね)

「『母の愛』と『愛を信じる』です」


 優雅な声が響くと同時に、


【時は満ちた】


 何かと重なる気がして、亮は首を傾げた。


(あれ? 前にもこんなことがあったような……? なかったような……? んー……?)


 カーネーションを手にしたまま、いつまでも帰る気のない生徒に、八神は三度目の警告。


「時間はいいんですか?」

(あなたが私の部屋へ来てから、三十三分以上が経過していますよ)


 時計を見た亮はびっくりして、


「えっ、あっ!?」

(四十五分になるよ。た、大変だ! 走って帰らないと、間に合わないよ)


 転がるようにして、彼女はドアのところまで行き、


「きょ、今日はありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げた生徒に、八神は教師らしく、


「どういたしまして、気をつけて」

「はい、さようなら」


 亮が部屋から出ていき、パタンとドアが閉まると、八神はくすくす笑い出した。


(神月さんは、いつでも変わりませんね)


 やりかけの仕事を再開しようと、亮がさっきからずっと気にしていた時計を見上げる。


(十七時四十五分十五秒。迎えが来るまで、あと、三時間四十四分ーー)


 そこで、西日が差し込む窓へと視線を向け、ぽつり、


「綺麗な夕焼け……ですね」

(おかしい……ですね)


 朝と同じ違和感を胸に抱きながら、ティーカップを片付け始めた。

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