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Legend of kiss3 〜水の王子編〜  作者: 明智 倫礼
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立場の違い

 夏服の白いシャツに身を包む、生徒たち。

 彼らの前に、八神は立っている。

 自分の担当クラスーー二ーCの教壇に。

 毎朝の日課ーー出席を取る優雅な教師は。

 名簿片手に、女子生徒たちの憧れの眼差しを巧みに交わしながら。

 さわやかな夏風に瑠璃色の髪を揺らしながら。

 生徒の名を読み上げてゆく。


如月きさらぎ君」

「おう」


 いつも通りの、生徒らしくない返事を聞き、


(今日も、あなたは同じ行動を取るのでしょうか? 楽しみにしていますよ)


 八神はそうやって、ひとりひとりに心の中で声をかけていた。


「白石君」

「はい」


 人を引きつけるような、澄んだ声が響いた。


(今日もたくさん、プレゼントや手紙をもらいましたか?)


「スチュワート君」

「は〜い」


 ふんわりした声が、教室の隅々まで届いた。金髪の天使を八神は少しだけ見て、


(今日は、あなたと約束をしていましたね)


 さらに仕事をこなしてゆく。


 

 しばらくして、


「春日さん」

「はい」


 はっきりとした返事が返ってくる。


(いつも通りの、いい返事ですね)


 少しだけ微笑み、八神は次の人へ。


神月かづきさん」

「…………」


 そこまで順調だった出席取りが、不意に途切れた。八神は名簿から、ついと視線を上げ、


(おや?)


 真正面、最後尾の席にいる生徒ーー亮の姿を捉えた。いつもと違って、彼女はぼんやりしていた。それに見つけた八神は、

 

 その可能性は非常に低い。

 

 彼なりの判断をしながら、もう一度呼ぶ。


「神月さん?」


 優雅な視線に気づいたのか、


「……あぁ、は、はいっ!」


 慌てて返事を返してきた亮から、八神は再び名簿へ視線を落とした。


(どうしたんですか? 今日は)


 亮たち五人に気を配ったまま、さらに出席を取り続ける。


(なぜでしょうね?

 私は、あなたたちがとても気になるんです。

 理由はわかりませんが。

 教師としては、失格なのかも知れませんね。

 特定の生徒を作るのは。

 しかし……どうしても気になるんですよ。

 考えてもわからないこと……そういうことなのかも知れませんね)


 出席を取り終えた八神は、名簿を机の上に置き、次の仕事へ移ろうと視線を上げた。その短い間に、

 暑そうに襟元をパタパタさせている、如月 誠矢せいや

 いつもと変わらずぼうっとしている、白石 祐。

 天使の笑みをたたえている、ルー スチュワート。

 頬杖をつきつつ、窓の外を眺めている、春日 美鈴。

 何だか落ち着きのない、神月 亮。

 いつもと代わり映えのない五人だったが、八神にはこう映っていた。

(何かあったのでしょうか? いつもと様子が違うみたいです)



 四限目が終了し、八神は教科書をたずさえ、教室を出ようとしていた。

 そこへ、


「八神先生!」


 背後から自分を引き止める声がし、


「はい?」


 すっと振り向くと、四人の女子生徒たちが、何やら気合いの入った様子で立っていた。八神はいつも通りの、優雅な笑みを浮かべ、


「どうしたんですか?」


 そう聞き返しながら、正確に迅速じんそくに、彼の頭脳は稼働開始。

 

 昼食を誘いにきたーーという可能性が非常に高い。

 

「っ!」

(その微笑みが……!!)


 優雅な微笑み攻撃に、危うく倒れそうになった女子生徒たちは、呼吸を整えつつ、八神が予想した通りの言葉を口にする。


「……お、お昼、一緒に食べませんか?」

(今日こそは、お願いします)


 策略家は珍しく、困った表情をし、


「残念ですが、今日は、お客様が見えるんですよ」

 

 信じてもらえないーーという可能性が高い。

 

「本当ですか?」

(もしかして、他の女の子たちからの先約が?)


 八神の判断した通りに、女の子たちに引く気配はまったく見られなかった。それに対し、八神は真剣な眼差しで、彼女たちをじっと見つめ、次なる手を打つ。


「えぇ」

(彼との約束は本当ですよ)


 静かに、真っ直ぐ肯定されたので、女の子たちは引かざるおえなくなった。


「あぁ……わかりました」


 優雅な策略家の戦術に、女の子たちはあっという間に敗北。意気込みも消え、がっくりと肩を落とした彼女たちに、


「それでは」


 言い残し、八神は廊下を歩き出した。その歩みは、まるで舞踏会で軽快なワルツを踊っているかのように、貴族的で優雅なものだった。その後ろ姿に、傷心気味だった女子生徒たちもうっとり。


「先生、やっぱり素敵です……」

(たとえ、どんなにつれなくても……)


 上質な上着のポケットから、八神は懐中時計を取り出し、


(十二時十五分三十五秒)


 歩き慣れた学校の見取り図を記憶の浅い部分へ引き上げ、


(そうですね……こちらからの方がいいかも知れません。

 また、断ることになるーーという可能性がありますからね)


 そうやって、憂い色の瞳をした彼は、女子生徒たちの通る場所を避けて歩き出した。まるで、自分の領域に、誰も入ってきて欲しくないというように。


 人通りのほとんどない廊下を、カツカツとかかとを鳴らし歩いてゆく。

 しばらくすると、生徒たちのざわめきが戻ってきた。

 人通りの多い廊下を一度は必ず通らなくては、自分の部屋には戻れない。

 そこへ近づくに連れ、八神の瞳は徐々に色づいてゆく。


(今日も、来るかも知れませんね)


 突き当たり、左側の角を見て、


 

 2ーCの四限目は国語。

 授業の終了が一分遅れたーーという可能性が高い。

 2ーCの教室から、購買部への最短距離の廊下。

 あなたは今日も同じ行動を取るーーという可能性が高い。

 

 その角まで来ると、左方向から猛スピードで走ってくる、赤髪の生徒を発見。


「おや?」

(来ましたね)


 わかり切っているはずのに、八神はわざとおどけた感じでつぶやいた。校則違反をしている赤髪の生徒ーー誠矢はいきなり八神に、

「ここで、会ったが百年目!!」


 突然の前振りに動じることなく、八神はスマートに。


「あなたに仇討あだうちをされる覚えはありませんよ」


 そして、きちんと教師の仕事をする。


「如月君、廊下は走らないで下さい」

(校則違反ですよ)


 にやりとした誠矢は、大声で、


「八神、そこ邪魔だって!」


 廊下の端へ避けつつ、八神はいつも通りの言葉を、


「如月君、先生をつけて下さい、先生を」

(あなたは生徒で、私は教師なのですから)


 優雅に降参のポーズを取りーーそのまま誠矢を見送る姿勢を取った。若さ全開で、近寄ってくる赤髪の美少年を眺めつつ、


 如月君は同じ速度で走ってくるーーという可能性が非常に高い。

 如月君は返事をせず、私の前を通り過ぎるーーという可能性がある。


 その予想を裏切らず、誠矢は無言で、


「…………」


 猛スピードで目の前を通りすぎていった。結局、廊下を走ることをやめさせなかった八神は、乱れた髪を掻き上げつつ、走り去った誠矢の背中を見つめ、


(なぜでしょうね?

 私はあなたに呼び捨てにされることが、悪い気はしないんです)


 己自身に、あきれたため息をつき、


(いけませんね、特別扱いは)


 自分をいましめ、再び歩き出した。


(さぁ、彼との約束の場所へ急ぎましょうか)



 『ふんわり』がトレードマークのルー天使は、いつもと違い、硬い表情をしていた。アンティーク家具でそろえられた一室ーー八神の部屋で。


 じっと待っているルーの視線の先で、優雅な声が発せられる。


「おいしいです。紅茶によく合うでしょうね」

「はい、アリガトウゴザイマス」


 少しだけ微笑むが、ルーの声には固いものが混じっていた。いつもらしくない金髪の美少年に、八神は優しく、


「いいんですよ、ここは学校なんですから」

(あなたと私は、ただの生徒と教師なんですから、こちらでは)


 ルー天使は真剣な眼差しで、とんちんかんなことを言う。


「イエ、ゲジゲジサンニナラナイト」


 少しだけ微笑み、担任教師はきちんと訂正。


「それは、『けじめをつけないと』ですよ」

 

(あなたには、日本語を時々言い間違えるーーという傾向がある。

 あなたの国籍はイギリス。

 去年の4月に、日本へ留学。

 そのために、言い間違えることが多いのかも知れませんね。

 しかし……それだけではないのかも知れません)


 優雅な教師は、自分の担当生徒のことをよく理解していた。カチカチの表情で、ルーは、


「ア、アリガトウゴザイマス」

(光さんは、優しいデス)


 八神は嘆息し、首をゆっくり横に振る。


「本当にいいんですよ。あなたがあなたらしくしているのが、私は一番好きなんですから」


 そこで、瑠璃紺色の瞳が一瞬陰った。滅多に見せない策略家の気持ちを汲み取って、ルーは、


「は〜い」

(光先生は、優しいさん)


 いつも通りのふんわり天使に戻った。春風が不意に広がったような、穏やかな雰囲気の中で、八神は懐中時計に目をやり、


(十二時十六分十三秒ーー昼休みが始まって、六分十三秒が経過。

 この時刻に、あなたがここにいるということは……。

 そうですね……こうしましょうか)


 何かを判断した策略家は、ルーに、


「あとで、私の家へ届けてもらえますか?」

(あなたはまだ、昼食を取っていないのではありませんか?)


「は〜い」

(届けるさ〜んっ♪)


 背中に羽根が突如現れたかのように、軽やかな返事をルーは返し、すぐに八神の気持ちに気づいた。可愛く小首を傾げ、


「ありがとう」

(キミはとても優しい人なんだ)


 ルーのサファイアブルーの瞳が一瞬、しっかりとした雰囲気を持った、


(ボクに、木さんがお遣い……??)


 すぐに、いつもの純真無垢じゅんしんむくな瞳に戻った。日本語をめちゃくちゃに覚えている、イギリス人のルーは、そのまま首を傾げる。


(違うさんだから〜……?? スキップで〜、お遣いさ〜ん)


 迷宮入りしそうな生徒に、八神は、


「急がなくていいんですか?」

(白石君が、そちらのケーキを心待ちにしているのではありませんか?)


「ふふふっ、失礼しますさんっ♪」

(祐クン、待ってるさん。大好きさんだから、届けるさんっ♪)


 小脇にチョコレートケーキの箱を抱え、ルーはドアへくるっと向き直った。


(木さんがお遣いさんで〜……気遣いさん! 答えさんが、来たの〜♪ ふふふっ。ひ〜かるセンセ〜も、見つかるさ〜ん♪)


 嬉しそうにスキップしながら、出ていった、十七歳の少年を見送り、八神は少しだけ微笑んだ。


(スチュワート君は喜んでいるみたいです。何かあったのでしょうか?)


 

 一人きりになった部屋で、八神は昼食を食べ終えると……。さわやかな夏風に揺らめくレースのカーテンへと近づき、生い茂る木々の隙間を見下ろした。彼の視線の先には、亮、祐、誠矢、美鈴、ルーが楽しそうにランチをしている姿が。


 いつまでも色あせない、記憶の一部と五人の姿が重なり、八神の瞳に淋しさが広がる。


(あなたたちは仲がいいんですね)


 瑠璃色の髪が風に揺れ、今朝の夢がふと蘇り、


(あの答えは何なのでしょう?

 私が答えを見つけることは、出来るのでしょうか?)


 胸の奥で、切なさが存在感を濃くしてゆく。


(なぜ、なぜ……。なぜ、私は……)


 出口の見えない迷路を彷徨さまよい始めると、昼休み終了の予鈴が鳴り出した。さっと視線を上げ、八神は胸に広がった切なさを、無理やり消し去る。


(さぁ、数学の時間です。2ーCですね、教室は)


 授業の用具を手にして、八神は部屋をあとにした。

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