扉の向こう側
結局その日は、ヒューは激情の渦に飲み込まれないように、感情を抑えることで手一杯。リエラはひどく心配したが、自分から聞かないことに決めたので、ヒューに声をかけることもしなかった。
マリアはリエラと寝たがり、ヒューとはそれぞれ違うベットで眠りについた。
リエラは冷たいものを感じて、夜中に目をふと覚ました。
(ん、雨?)
くりっとしたブルーの瞳を開けると、小さな川が目の前に、複数落ちてくる様子が映っていた。
(わっ、大変だ!
屋根から、雨がいっぱい入ってきてるよ)
がばっと起き上がった時、
ズドーン!
雷鳴が地響きを伴って、響いた。倒れていた八神と、手の震えていたヒューを思い出し、リエラは胸騒ぎを急に覚えた。
(もしかして……)
隣でぐっすり眠っているマリアを起さないように、ヒューの眠っている部屋へ素足で歩いていった。降り注ぐ雨の中、壁際から、中をそっとのぞくと、
「っ……!」
毛布をぎゅっと握りしめて、苦しそうに胸を押さえているヒューがいた。リエラは慌てて駆け寄り、
「大丈夫ですか?」
(雷がやっぱりダメなんだ)
「っ……!」
乱れた瑠璃色の髪は、神経質な顔にまばらにかかり、ヒューは何も応えてこない。リエラは彼の腕にそっと触れて、
(震えてる。
大丈夫かな?
苦しそうだけど……)
苦痛の表情をしているヒューの顔を、リエラがのぞき込むと、しゃくりあげるような息をともなって、ブツブツという声が。
(何か言ってる。
何だろう?)
ヒューの口元に、リエラは耳を近づけた。
「……Do not leave me alone……Because of me……Everyone died……. Because I am a child of the devil, everyone died……. Everyone I love died……Only I have survived……. Why am I ……living? Why, suddenly, everyone disappears from me……Why……Why……Why……」
(……私一人、置いていかないで……私のせいで……みんな死んで……。私が悪魔の子だから、みんな死んで……。大切な人はみんな死んで……自分一人が生き残って……。なぜ、私は生きている……でしょう? なぜ、突然、 私の前から消えて……なぜ……なぜ……なぜ……)
ヒューの鍵のかかられた、扉の向こう側に、突然出会って、リエラはびっくりした。
(えっ?)
冷静な瞳は硬く閉じられ、神経質な指は毛布を力強く握りしめている。どう見ても、目を覚ましていないヒューを前にして、リエラは、
(うなされてるんだ。
でも、『child of the devil?』
何で、悪魔の子なんだろう?
『Everyone died……Only I have survived……』
みんな死んで、ヒューさんが一人で、生き残ってる?
変な夢、見てるのかな?)
雷光に照らし出されたヒューの横顔を見て、リエラは違和感を抱き、
(でも、夢だけで、こんなに苦しそうになるかな?
起してあげた方がいいのかな?)
肩に手をかけようとした時、ヒューが急にがばっと起き上がった。
「Please do not leave me alone!」
(私を一人にしないでください!)
王子はすぐそばにいた姫に素早く近づいた。
(えっ!)
急接近に、ボケ姫はびっくりして、後ろに倒れそうになったが、
(倒れちゃう……?
あれ? 倒れないよ。
体が途中で止まってるような……?)
真っ直ぐ立っているよりも、前かがみになっている状態に、リエラはなっていた。すぐ耳元で、優雅さを含むが、憂いを秘めた震える声が舞った。
「Do not leave me alone, please do not suddenly disappear from me……」
(一人にしないで、急に消えたりしないで……)
リエラが顔を横へ向けると、ヒューが必死でしがみついていた。今までとは比べ物にならないほどの至近距離。ボケ姫は後ろに倒れそうになったが、
(えっっ!
ヒュっ、ヒューさんに、いつの間にか抱きしめられてるよ。
そ、それも、すごい力で、逃げられない!)
苦しそうに肩で息をしている、王子の温もりを感じながら、リエラは何とか呼吸を整えて、
(一人になるのがすごく淋しいんだね、きっと。
そうだとしたら、今、自分が出来ることは……)
雷鳴と雨漏りの音のかき消されないように、リエラはヒューの耳元に近づいて、優しく、
「どこにも行きません。大丈夫です。ずっと側にいます。だから、安心してください」
(一人じゃないです、ヒューさんは)
「……Thank ……you…… so much」
(……あ……りがとう……ございます)
ヒューは途切れ途切れに言って、リエラをしっかり抱いたまま、ベッドにまた横になった。ボケ少女は視界が急転して、
(え……?
あ、あの……抱きしめたまま、眠ってます。
お、起き上がらないと……)
策略家から逃れようとしたが、ヒューの力はすごく強く、ボケ姫は抱きしめられたまま、
(あ、あの……頬が触れてます。
すごくドキドキします。
ど、どうしたらいいんですか?)
ヒューの香りが思いっきり、リエラの鼻をくすぐって、ボケ姫は心臓をバクバクさせながら、
「ヒュ、ヒューさん?」
(眠ってるんですか?)
「…………」
優雅な策略家は静かな寝息だけを返してきた。王子の腕の中で、姫は珍しくため息。
(熟睡してるんだね。
安心したのかな?)
リエラは抱きしめられたまま、まわりの異変に気づいた。
(雨、止んだんだ。
よかったね。
これで、ヒューさんがうなされることもないね)
リエラは上半身だけ、ベッドに乗っている状態。非常に苦しい体勢の中、ない頭で一生懸命考えて、
(どうしようかな?
背中が痛くなってきたよ。
ひざも床にずっとついてて、痛いし……)
起きそうにもない心を閉ざした策略家に、リエラはもう一度、
「ヒューさん?」
「…………」
しかし、王子は何も応えないどころか、呪いかけられし姫を、自分の心の隙間に入れるように、さらにぎゅっと抱きしめた。
(さっきより、強くなったね。
困ったなぁ)
視線を右に少しだけ向けて、ヒューの寝顔を確かめと、彼は今まで見たことないほど、大きな安らぎに包まれていた。
(本当に、安心したんだね。
初めて見たよ、ヒューさんがこんなに安心してるの。
ずっと、淋しかったのかも知れないね。
ヒューさん、大人だと思ってたけど、子供みたいで可愛いんだ。
知らなかった。仕方がないね。
離してもらえないから、このまま、ベッドに入れてもらおう)
上半身を策略家によって物理的に自由を奪われた、ボケ姫は何とか床から足で立ち上がり。毛布を左手でめくって、ヒューと同じベッドで眠りについた。




