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Legend of kiss3 〜水の王子編〜  作者: 明智 倫礼
32/41

侍ですか!?

 その日の放課後。

 日が傾き始めた教室で、帰り支度をしているみんなに、ルーがふんわりと先手。


「仲良しさんで、今日は帰ろう?」

(みんな、一緒がいいの)


 誠矢はバイク。亮と祐、美鈴は歩き。ルーはリムジン。てんでバラバラなのに、一緒に帰るなんて、おかしな状態に。


 祐はぼんやり眼のまま、


(今日のルー、変だな)


 誠矢はバイクのキーを手から離して、


(お前、ちょっと怪しいぞ)


 携帯をバッグへ入れた美鈴は、


(あんた、よくわからないね、今日は)


 亮は何も気にせず、荷物をまとめた。


(みんな一緒って、珍しいね)


 昇降口への廊下に差しかかると、なぜか人だかりが出来ていた。校庭を見ながら、ざわついている生徒たちを前にして、


 祐、誠矢、美鈴は同じことを思う。


(今日は、おかしいことが多い)


 いくら混雑していても、出て行く生徒がいるのだから、滞っていることはないはず。なのに、誰も動かない状態。


 さすがのボケ少女ーー亮も不思議そうな顔で、


(どうしたのかな? みんな。

 今日は、ずいぶん混んでるんだね)


 180cmのルーは人混みから少し上に出ているので、何が起きているかわかっていた。春風のように微笑んで、


(ふふふっ、仲良しさん)


 他の四人が、人混みの隙間から校庭を見ると。

 北風が吹きすさぶグラウンドに。

 一人たたずむ袴姿の背の高い男。

 夕日を浴びて、まるで時代劇のワンシーンのよう。


 誠矢はニヤニヤして、


(すげぇ、笑い取ってるじゃねぇか)


 背の高い男の特技を思い浮かべ、祐は珍しく、目を輝かせた。


(久々、見れるかも知れない)


 なんで、その男がいるのかを理論から導き出した、美鈴はあきれ顔。


(また、罠にはめてんの?)


 シリーズ3で、罠といったら、一人しかいない。

 亮は男に会ったことがるのに、誰だかわからず、目をパチパチ。


(誰かの迎えに来たのかな?)


 他の生徒たちが、男の異様な風貌を前にして、口々に、


「侍?」

「不審者じゃねぇのか?」


 生徒たちをかき分けて、先生たちが校庭へ出て行った。男を取り押さえようと、先生たちはしようをしたが、それを気にすることなく、男は低い声で、


「八神 光先生に、お会いしたい」


 それを聞いて、他の生徒たちが、驚きの声を上げた。


「道場破りですか⁉」


 誠矢はゲラゲラ笑い出した。


(いやいや、ここ、学校だって)


 次の瞬間、不思議なことが校庭で起き始めた。先生たちが男に触れただけで、みんな地面に力なく崩れ落ちた。魔法を使ったように、先生を全員、あっという間に倒してしまったのだ、男はたった一人で。


 ありえない光景を見て、他の生徒達が目を見開いた。


「フェイクですか!?」


 そんなわけはない。先生はちゃんと取り押さえようとしている。だが、相手が強すぎるのだ、あることの達人なのだから。詳細はシリーズ4で。


 男の技がどれだけ優れているかを知っている、祐と誠矢は妙に感心。


(やっぱり、すごいです)

(すげぇな、マジで)


 地面に転がるたくさんの先生と、中央に一人たたずむ袴姿の男一人。冬の冷たい風が、男の足元を左から右へ吹き抜け、砂ぼこりが舞い。男の袴もはためいた。 他の生徒たちは、何かを思い浮かべ、また驚き声で、


「時代劇ですか⁉」


 誠矢は全員に、心の中でツッコミ。


(いやいや、だから、学校だって)


 亮は誰だかここでやっと気づいて、後ろに倒れそうになり、


「えぇっっ⁉」

(な、何で、学校にいるんだろう?)


 ワンテンポどころの話ではなく、テンテンポぐらい遅れたボケ少女を横目で捉え、祐、誠矢、美鈴は盛大にため息。


(気づくの遅すぎ!)


 絶妙なタイミングで、優しいが芯のある声が、亮の背後で舞った。


「お待ちしていましたよ」

「えっ!」


 昇降口で滞ってた、生徒が全員後ろへ向くと、倒れ始めた亮を支えた、八神が優雅に微笑んでいた。瑠璃色の髪の策略家を、亮は見上げて、


「す、すみません、いつも」


「いいえ、構いませんよ」

(あなたが倒れるところを見たかったんです)


 八神はもう、亮を驚かせるという快楽から逃れられなくなっていた。運命なのだから、ふたりが出会ったことは。ただ、今は八神の過去と、亮の恋愛の無頓着さがふたりを遠ざけているだけ。


 集まっていた生徒が、海を引き裂いたモーセのごとく、袴姿の男と八神の間に一直線の道を作った。校庭から男は、落ち着き払った様子で、校舎へ入ってきて。亮は目をパチパチ。


(どうして、燈兄が来たのかな?)


 他の生徒たちは、黙ったまま、異様な服の男と、優雅な先生を眺めていた。燈輝は別に気にすることなく、瑠璃色の髪の策略家まで歩み寄り、


「約束通り、参った」


 真っ直ぐな言葉を聞いて、祐、誠矢、美鈴は一気にあきれ顔。


(あっちで、会ってたんだ)


 燈輝と八神が会ったのは、花火大会の時だけ。その時に約束などしていない。ということは、ラピスラズリで会ったということだ。ヒューが外出した先に、燈輝がいたのだ。


 ミラクル天使、春風をともなって降臨。


「燈さん、久しぶりさんです」

(本当さんなの)


「久しぶりだ」

(相変わらず、おかしなやつだ)


 あることに長けているので、燈輝から見れば、ルーは不思議な人物。こっちでは手伝っても問題ない誠矢は、八神に、意味あり気に、


「オレたちもか?」

(知ってんぞ、オレたちは)


「おや、なぜ、あなたたちもなんですか?」


 質問に質問で返した、優雅な八神は。


(やはり、以前から知っていたんですね。

 情報、感謝しますよ)


 可能性から、事実に変更し、冷静な頭脳は瞬時に稼働。


(スチュワート君の『燈さん、久しぶりさんです』の言葉。

 燈輝さんの『久しぶり』の言葉。

 燈輝さんも、嘘をつくという傾向はありません。

 こちらのふたつの情報から、考えられること……。

 スチュワート君は、私の行動を全て知っているーーという可能性が非常に高いです。

 筒抜けということみたいですね)


 ここは、人間関係が、非常に複雑。詳細は、シリーズ4にて。

 八神は、もうひとつの情報を手に入れようと、


「神月さん、あなたも来てください」

(あなたが必要なんです。

 時間がありません。

 出来る限り情報を、確定したいんです)


「え……?」

(お茶ですか?)


 突然のティータイムの招待に、亮はきょとんとした。解散し始めた生徒たちに混じって、純粋無垢なサファイアブルーの瞳が、策略家へと向けられ、


「Mr.Hikaru,good bye.(光先生、さようなら)」

(My role today is to this point.(ボクの今日の役目は、ここまでだよ))


「Take care and go home.(気をつけて)」


 八神は優雅に微笑み返しながら、情報を整理した。


(あなたは、私とは違う可能性の導き方をしているのかも知れません)


 八神には、ルーは強敵。考え方が複雑なうえ、怪奇なのだ。ルーの考え方の詳細は、シリーズ5にて。


 

 亮と燈輝は、八神の部屋へ案内された。八神の書斎机を見る形で、亮と燈輝は隣り合わせで座っていた。反対側には、八神は一人。紅茶の芳醇なバラの香りが、優雅な部屋に広がっている。ウィッタード オブ チェルシー。ティーカップを三つ用意すると、部屋の扉が不意にノックされた。


「光?」


「はい、どうぞ」

(いらっしゃいましたね)


 八神が返事を返すと、大きな男が部屋に入ってきた。策略家の考え方なら、同時にいくつも罠を張り巡らせることができる。情報を切り捨てずに、可能性を持ち続ければいいのだから。


 ガタイが良く、上質な背広を着た男に、八神は知らん顔で、紅茶を一口飲んだ。まさか、罠が仕掛けられているとも知らず、男は、


「騒動があったって、聞いたが……」


 亮はあとから入って来た男を見て、笑顔で挨拶。


「こんにちは、葛見さん」


 やってしまったボケ少女。情報を簡単に渡してしまった、何のために燈輝をあんな呼び出し方をして、策略家が亮を自分の部屋に招待したのか、全くわかっていない。


 普通、裏口で呼び出すなり、八神が燈輝の家に行けばいいのだ。あんな大騒動を起こすには、意味ーー罠が何重にも仕掛けられている。


 疑問形で投げ掛けるだけが、情報を引き出す手ではない。八神は色んな方法を使ってくる。守りたいものがある策略家。今までとは違って、本気で罠を仕掛け始めた。常人では決して勝てない。


 以前、八神の心の鍵の話をした亮をちらっと見て、葛見もうっかり、


「あぁ、君か」


 ふたりのやりとりを見て、八神は優雅にティーカップを置いた。


(わかりやすい人たちですね)


 次の罠が発動。葛見は亮の隣の背の高い男を見て、目を見開き、


「わっ、若先生⁉」

「お騒がせした」


 燈輝は艶やかにすっと立ち上がって、丁寧に頭を下げた。それに反応して、葛見は慌てて頭を下げ、八神に不思議そうな顔を向けて、


「光、知り合いだったのか?」

「えぇ」


 優雅に微笑んだ、八神の冷静な頭脳には、


(八平先生に習いに行っている私の知り合いは、葛見氏。

 彼が道場のことを話している時、若先生という名前がよく出て来ました。

 花火大会の時、燈輝さんに会って、若先生がどなたかわかりましたよ)


 不思議なくらい、人間関係はつながっている。葛見は意外そうな顔で、


「それは知らなかったな。騒動って若先生だったのか?」

「そうですよ。いけませんでしたか?」


 八神は平然と聞き返した。


(あなたは、燈輝さんに追求することが出来ないーーという可能性が高い。

 道場で習っていますからね)


 策略家の予測通り、葛見はしどろもどろで、


「いっ……いや、別に……」


 戸惑っている理事長の態度を見て、八神は心の中でくすくす笑った。


(ですから、燈輝さんが今日は必要だったんです。

 情報をひとつ、引き出すために。

 如月君の言葉を使うと、『前振り』ということでしょうか)


 情報が信じられないほど、手に入れられていた。


「それでは、ごゆっくりどうぞ」


 葛見はぎこちなく言って、部屋を出て行った。八神は事実確認をスタート。


「神月さん?」

「あぁ、はい」


 ティーカップを持つ手を止め、亮は瑠璃紺色の瞳をまっすぐ見つめ返した。八神はいつも通り、優雅に微笑みながら、この言葉を口にした。


「燈輝さんが、どなただか知っていますか?」

(あなたは、そちらを誰かに聞きましたか?)


「え……?」

(先生の言ってる意味がわかりません。

 燈兄は、燈兄なんじゃ……?)


 セレニティスの姫、その上、ボケ少女、聞かされてもいないし、知ることもなく、ここまで時を過ごしてしまった。固まった亮を見て、八神はくすくす笑い、


(やはり、聞かされていないんですね)


 一旦笑うのを止めて、得た情報を提示。


「燈輝さんは、ラピスラズリに住む、シトリン商国の第一王子、トムラム アラガンですよ」

(あちらの十一月八日、私はトムラムに会う予定があったんです。

 従者を連れて、シトリン商国へ私は行きました。

 トムラムは誰とも、ラピスラズリでは会っていないと言いました。

 トムラムが嘘をつくという傾向はありません。

 世界を移動している理由は、知らないと言いました。

 それらから判断出来ること……。

 私たちに知られては困るという何かが、あるのかも知れません)


 シリーズ3は、特に知られては展開が困難に。八神の特殊な考え方に実は問題がある。Legend of kissシリーズには、敵がいる。相手がどんな能力を持っているかがわかれば、納得できる。しかも、呪いの解き方は教わったら、解けないのだ。


 亮はびっくりして、倒れそうになって、


「えぇっ!」

(燈兄まで、行ってたとは知らなかったよ)


 幼馴染の左腕を、燈輝が素早くつかんだ。


「お前は、大げさだ」


 亮はあり得ないほど、遅れて、重要なことに気づいた。


「せっ、先生、知ってたんですか? 夢じゃないって」

(そういうことになるよね)


「えぇ」


 冷静な頭脳の持ち主は優雅に肯定。ボケ少女は不思議そうな顔で、


「いっ、いつから気づいてたんですか?」

(自分は、最近、気づいたんですけど……)


 日付が過ぎていて、夢ではないと気づかないなんて、さすが宇宙一の天然ボケである。つけいる隙ありありの亮を前にして、八神はあごに手を当て、


(そうですね……こうしましょうか)


 また、罠を仕掛けている、担任教師は。瑠璃紺色の冷静な瞳で、くりっとした瞳を見つめ返して、


「あちらで、あなたに初めて会った時からですよ」

(あなたが一緒に出てくるのは、おかしいんです)


 二十年前の出来事が関係しているから、情報を手に入れようと八神はしていた。亮は生まれていないし、会ってもいないのだから、ふたりは。理論で考えると、一緒に出てくるのはおかしい。


 八神は確信であるという可能性が高くなった時よりも、はるか前をわざと伝えた。もちろん、罠である。亮はしっかりはまって、後ろに倒れそうになり、 


「えぇっ!」

(最初から、知ってたんですか⁉)


 燈輝がボケ少女をまた、つかむ。


「倒れるな」


 八神は向かい側で大騒ぎしている亮を前にして、至福の時を迎えた。


(やはり、あなたはそうでないといけませんね)


 巧妙な手口になり始めた、策略家の罠は。一呼吸置いて、次の情報入手へ。


「如月君たちに、あちらでの出来事を話しましたか?」

(どのような情報を、彼らに与えましたか?)


「え……?」

(先生の様子、ちょっと違う気がする)


 亮は急に真剣な顔になった。違うに決まっている、策略家は殺される可能性がある世界へ飛ばされ、あの夢の答えと関係していると予測したのだから。


 八神はもう一度、


「あちらでの出来事を、聞かれませんでしたか?」

(彼らが、あなたにそちらを聞いてこないというのは、おかしいです)


 恋愛の話を美鈴が、八神に振ってきた時点で、ラピスラズリでの話を根掘り葉掘り聞いた可能性は高い。八神の記憶力を全部書いてしまうと、それだけで物語が終了してしまうので、端折って書いている。


 亮は素直に、


「はい、聞かれました」


 八神は少しため息をついた。


「では、よく思い出して、応えてください」

(あなたが覚えているーーという可能性は非常に低いです。

 しかし、仕方がありませんね、あなたしかいないのですから……)


 シリーズ3は、あることがあって、直接関係する人間が、三人しかいない。あまり期待されていない亮は、言われた通り情報を提供し始めようとして、


「あぁ、はい……」

(何を話したかな? んー……?

 そういえば……)


 亮はふと、美鈴の質問が脳裏をよぎって、


『で、何でキスしたの?』


 担任教師を前にして、思わず大声を上げた。


「えっ!」

(そ、それを言わなくちゃいけないんですか?)


 ちょいエロ会話に、亮はものすごく戸惑った。八神もこのあと展開されることに、くすくす笑うだけになるとは知らず、真面目な顔で、


「どうしたんですか?」

(私は、今は何もしていませんよ)


「あ、あの……」


 亮は顔を赤くして、手元に視線を落とした。おそらく、一番びっくりする燈輝は、低い声で注意。


「正直に言え」

(重要なことかも知れん)


「えっと……」

(ふたりそろってると、何だかすごいね)


 八神と燈輝が合わさったら、とてつもなく強者になる。お互いを補い合う関係なのだ、彼らは。


「…………」


 亮は手元を見たまま、もじもじし始めた。八神が少しあきれたため息をついて、


(仕方がありませんね。

 私から声をかけないと、応えられないみたいです)


 無理やり情報を引き出し始めた。


「最初に、誰があなたに聞きましたか?」


 亮はとりあえず、


「み、美鈴です」


「そうですか」

(全てを忘れるわけではないみたいです)


 亮の新たな一面を、策略家は手に入れた。八神は全てのゲームを放棄していない。『彼の者』が自分という可能性がある以上、切り捨てるわけにはいかない、人の命がかかっているのだから。策略家は基本の罠、疑問形を仕掛けた。


「春日さんは、あなたに何て聞きましたか?」


「えぇっ!」

(キっ……‼)


 ヒューを助けた時のことを思い出して、亮はびっくりして飛び上がった。落ち着き払った、燈輝が隣で短く注意。


「早く、言え」

「わ、わかった」


 ボケ少女は大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。


(ちゃんと言わなくちゃね)

「何で、キスしたのか? って、聞かれました」


 別の人が罠にはまった。燈輝は珍しくびっくりして、


「っ!」

(どいうことだ?)


 冷静な頭脳の持ち主、八神は驚くことなく、次の質問ーー情報引き出しへ。


「なぜ、そちらの話になったんですか?」

(少し言葉が、飛んでいるみたいです)


 少しどころの話じゃない。完全に誤解を生む会話が、受け持ちの生徒たちの間で展開されていた。


「溺れてたところを、助けた話をしたので……」

(その話をしたから、だったよね?)


 記憶力が崩壊している亮にしては、珍しく覚えていた。


「そうですか」


 策略家は相づちを打って、事実を歪めているボケ少女に注意。


「そちらは、キスをしたのではなく、人工呼吸をして、助けたということですよ」

(事実とは違うことになっています)


「あぁ、はい……」


 八神の事実の捉え方は、亮にはおそらく無理であろう。ただ、相づちを打つしかなかった。燈輝は八神の言葉を聞いて、平常心を取り戻した。


(なるほどな)


 しかし、このあと、燈輝にとって、とんでもない展開に。八神は次の質問へ、


「他には何か、言いましたか?」

(渡した情報はそちらだけですか?)


「はい、抱きかかえられたと言いました」

(間違ってませんよね?)


「そうですか」


 冷静な策略家は、平然と相づちを打った。


(あちらでの、七月十日と七月十五日の出来事ですね。

 そちらは事実と違っていません)


 砂浜に、ハイヒールのリエラを合理的な方法で、運んだ時のことが、八神と亮の脳裏には浮かび上がっていた。燈輝は少し息を詰まらせ、


「っ!」

(あっちで、お前たちは何をしてる?)


 ヒューの罠はやっぱり、ちょいエロだった。


「そちらの他には、何かありますか?」


 八神は先を促し、亮はまた場面をスキップして、


「後ろから抱きしめられて、キスされそうになったと言いました」

(そうだったと思います)


 全てヒューの罠だ。真面目に話している生徒の言葉を聞いて、八神はくすくす笑い出した。


(そちらの言葉を聞いた如月君たちは、勘違いしているかも知れませんね)


 勘違いどころの話ではない。思いっきり、エロモードに入っていた、生徒たちは。あることが原因で、恋愛に抵抗力のない燈輝は戸惑い気味に、


「お……おい」

「え……?」

「どうしたんですか?」


 主役のふたりーー亮と八神は武道家に同時に顔を向けた。燈輝は咳払いをして、


「なぜ、俺がここにいる?」

(邪魔なら、帰る)


 普通、誤解するだろう、恋愛していると。だが、残念ながら、ほとんど進んでいない、八神と亮は。


「えっ?」

(何だか、燈兄、様子がおかしいみたいだけど……)


 恋愛鈍感少女は、武術家の顔をまじまじと見つめ、八神は燈輝の言動を前にして、またくすくす笑った。


「誤解ですよ」

(燈輝さんも、勘違いしているみたいです)


「どういう誤解だ?」

(そのままの意味ではないのか?)


 真っ直ぐな燈輝は、低い声で慎重に聞き返した。八神は事実を優雅に説明。


「後ろから抱きしめたのではなく、彼女の後ろから両腕を回したんです」

(七月十五日。

 マリアの首飾りを着けるために、リエラさんの背中から腕を回した。

 七月十六日。

 リエラさんにピアノを教えるために、彼女の背中から腕を回した)


 事実はこれだけだ。誤解されるようなことは、八神は何もしていない。だが、罠を仕掛けていたので、亮が情報を歪めてつかんでいるだけ。武術家は策略家に、


「もう、ひとつは?」

(キスされそうになったと言ったが?)


「リエラさんの口元についたチョコレートを拭き取ろうと、左腕を彼女の背中に回して、近くに寄せただけです」

(後ろに倒れられては、困りますからね)


 これも事実。自分の気持ちの可能性を図りながらだったが、別にキスをしてはいない。リエラが勝手に勘違いしただけ。策略家と違って、真っ直ぐすぎる燈輝は、


「それは、言えばいいのではないのか?」

(わざわざ、そのようなことをしなくてもいいと思うが?)


 八神は優雅に微笑んで、ある中毒の話を素直に口にした。


「彼女を困らせるのが、私の趣味なんです」

(ただ、情報を手に入れるだけでは、つまりませんからね。

 神月さんが驚いて、気絶しそうになるのを見るのが好きなんです)


 姫をもてあそぶという快楽に溺れてしまった、優雅な王子。ある意味彼も、強い人間だ、多くの人の明暗がかかっている中で、余裕で事実と向き合っている。シリーズ2でいう、セリルの真面目にふざけてるだ。


 燈輝は自分の師匠を思い出して、


「そうか」

(趣味なら、文句は言えん)


「そうなんですか」

(いつの間にか、先生の趣味の話なったんだね)


 ボケ少女、自分の身に危険が迫っているのに、罠にはまって、うっかり納得。策に引っかかりやすいふたりを前にして、八神はくすくす笑った。


(納得するところでは、ありませんよ。

 それに、燈輝さんは恋愛に関して、戸惑う傾向があるみたいです。

 先ほどから、私が神月さんに話をさせていたのは、そちらの情報を手に入れるためだったかも知れませんね)


 いくつ罠を仕掛けているんだ、策略家は。情報がまだ足りない、八神は脱線していた話を元に戻して、


「他には何か言いましたか?」

「えっと、あの……」


 女子生徒は顔を真っ赤にして、上目遣いに担任教師を見た。ここまで色々出た上、冷静な頭脳の持ち主、八神は平常を持って、


「言わないとわかりませんよ」

「あ、はい……」


 亮は何度か深呼吸をしたが、場面を勝手に飛ばしたので、


「し、下着姿見られました……」

(間違ってないと思います)


 燈輝はまた息を詰まらせた。


「っ!」

(どいういう趣味だ?)


 八神はくすくす笑いながら、


「そちらも、事実と違っていますよ。あなたが髪飾りをとって、人魚になっただけで、私は見ていませんよ、あなたの姿は」

(そちらを聞いた、如月くんたちは、私が服を脱がせたと誤解しているーーという可能性が高いでしょうね)


 全くもって、その通り。八神の言っているように、ヒューはリエラの方は見ていない。庭を眺めて、視線をそらし、エチケットをきちんと守っていた。ただ、リエラの心を予測し驚かせる快楽と、マリアの疑問にも応えるため、声をかけただけ。ボケ姫が勝手に見られたと誤解。


「他には何か言いましたか?」

「言ってません」


 亮は首を横に振った。八神はさらに情報を確定させる。


「そちらは、いつ言いましたか?」

(覚えていますか?)


「えっと……?」


 亮は天井を見つめて、考え始めた。


(いつだったかな?

 こっちにいた時だから……!)


 重要なことは不思議とボケ倒さない亮。八神の質問に、


「先生と図書室で会った、次の月曜日です」


「そうですか」

(九月二十八日、月曜日)


 策略家は、質問を重ねた。


「今日はあちらでの出来事を話しましたか?」

(私がこちらの部屋を訪れる前は、何を話していましたか?)


「してません」

(今日は、ルーのなぞなぞだったからね)


「そうですか」


 八神は相づちを打って、あごに手を当てて、膨大なデータが冷静な頭脳に、流れ始めた。


(私が溺れた。

 リエラさんが私を助けた。

 私がリエラさんを抱きかかえた。

 私がリエラさんを背中から抱きしめた。

 私がリエラさんにキスをしようとした。

 私がリエラさんの下着姿を見た。

 以上が、彼らに渡った情報ということになります。

 そうなるとおかしいんです、今日の、スチュワート君の昼休みの言葉が。

 『What stands behind the falling blue? ( 降ってくる青の後ろに、立つものは何ですか?)』

 『What does not change, what changes? (変わらないで、変わるものは何ですか?)』

 そちらの答えは、あちらであるーーという可能性が高いんです。

 なぜ、彼はそちらを知っているのでしょう?

 なぜ、そのような言い方をしてきたのでしょう?)


 ルーが聞いてきたことは、あのターコイズブルーの湖ーー青き石版に行った日の話。八神は可能性から簡単に導き出した。なぜなら、ルーのなぞなぞは亮に出したのも含めて、八神に向けられたものだったからだ。ミラクル天使の優しさだ。


 オレンジ色が夕闇に染まり始めた部屋を、冷静な瞳に映して、手をほどいた。


(こちらの情報収集は、ここまでみたいですね。

 では、次に移りましょうか)


 八神は亮から、もうひとつ重要な情報を収集し始めた。


「葛見氏とは、いつどこで会ったんですか?」

(あなたが葛見氏を、あの方があなたを知っているのはおかしいですよ)


 亮は理事長に会うのは初めてだった。生徒が理事長を知っている可能性は限りなくゼロ。それを、ボケ少女ミスって、さっき挨拶していた。


「え……?」

(な、何て言ったんですか?)


 急な話題転換についていけなくて、亮はきょとんとした。八神は彼女の価値観に合わせて、


「あなたが図書室で、Little Mermaidの本を読んでいた日、私の部屋へ来ませんでしたか?」

(私が倒れたていたのを、あなたは見たのではないんですか?)


「えぇっ!」

(ど、どうして、わかったんですか⁉)


 亮はびっくりして飛び上がった。燈輝が再び注意。


「いちいち、驚くな」


 八神は少しだけ微笑で、亮の心の声を可能性から導き出し、


「翌週から、あなたの態度がずいぶん違って見えましたからね」

(また、気づいていなかったんですね、自分のことに)


「そうなんですか」

(バレバレだったんだね)


 亮は珍しくため息をついた。ボケ姫は驚きもしないし、ヒューを気遣っているし。おかしいことだらけだ、策略家から見れば。


 コランダム城の図書室で、リエラがうかがっていたのを、ヒューは知っていた、自分を気にかけているのだから。わざと、本から視線を上げなかったのだ。視線が合えば、夢でないと気づいてしまっていることを、リエラに知られてしまうからだ。

 策略家はそこまで、徹底している。


 ここで、八神の心の中に、喪失感という波紋が無限に広がり始める。


「…………」

(聞かなくてはいけません。

 大切なことですから……)


 優雅な策略家は自分を守るために、心を閉ざしたのではない。人を守りたくて、心を閉ざしたのだ。

 妙な間を開けた八神に、亮と燈輝はそれぞれの方法で、違和感を抱いた。


(先生が遠くなった気がする)

(なぜ、そういう気の流れに激変する?)


 燈輝は他の人とは、違ったものの見方をしている。八神は何とか激情の渦に飲み込まれないように、冷静さを保って、事実を手に入れ始めた。


「なぜ、私の部屋へ入ってきたんですか?」

(あなたの声を、私は聞いていません。


 あなたが私の返事も待たずに、入ってくるのはおかしいです)


「夢の声と同じ声で、『その扉を開けなさい』って聞こえたので、開けました」

(開けないといけないと思ったんです)


 八神の瑠璃紺色の瞳を、亮はまっすぐ見つめ返した。


「そうですか」


 『彼の者』が私であるーーという可能性が高くなった。


 憂い色の瞳に変わり、八神は紅茶を一口飲んだ。また、亮と燈輝は違和感を抱いて、


(先生、やっぱり様子が変だね)

(胸の気が異常に強くなった。感情に押し流されそうになっている)


 冷静という名の盾を持って、感情という魔物を防ぎながら、八神は先に話を進めた。


「葛見氏は、帰るようにあなたに言いませんでしたか?」

(あの方が、私のことを一生徒であるあなたに話すのは、おかしいです)


「はい。最初はそう言われました。でも、途中で先生の家についてきて欲しいと言われました」


「なぜですか?」

(葛見氏があなたに話そうとした理由は何ですか?)


「帰ろうとした私を、先生が引き止めたんです」


 亮の応えに、八神の心臓はばくりと波打った。冷静さを持っている策略家は、悲痛という感情に流されそうになりながら、必死で事実ーー情報を引き出そうとして、


「どのようにですか?」

(なぜ、私があなたを引き止めたのでしょう?)


 オレンジ色に染まりかけた亮の顔は、真剣そのもので、


「リエラさん、行かないでくださいって言いました」


「そちらを聞いて、葛見氏は何か言いましたか?」

(以前から知っていた名前なのでしょうか?)


 八神はもう一人の反応ーー情報を引き出そうとした。心の病だ。しかも、葛見は八神の父親から頼まれている、教えないで欲しいと。だから、八神も知らない、事実なのだ。


 いつもとは違う大人びた瞳で、亮は、


「『君がリエラ カリアントさんかい?』 って言ってました」

(先生は、ずっと前から自分の向こうの世界の名前を知ってるんだね、きっと。

 でも、どうしてなんだろう?)


 ボケ姫、またスルーしている。だから、呪いの解き方の声に、『五千年後』が入っているではないか。感覚で判断していると、残念ながら気づけない。


 八神は間を置く言葉ーー相づちを打った。


「そうですか」

(葛見氏がそちらの名前を知っているということから判断すると……。

 『今から五千年後に……うでしょう』は、『今から五千年後に出会うでしょう』で、あるーーという可能性が出てきた)


 ある重要な使命を背負わされて、みんな生まれ変わっている。だから、魂の奥底には、名前などの記憶の欠片が残っているのだ。


 特に、八神は二十年前の出来事によって、記憶が混濁しており、ある意味、非常に不安定。【 】があまり聞き取れないのもそのせい。だが、それさえも、神の戦術。わざと、八神を混乱させている。


 そうでないと、敵の攻撃が八神に集中してしまい、あっという間にゲームオーバーに。負けるわけにはいかないのだ、この勝負は。


 八神は暮れてゆく冬空を、憂い色の瞳に映して、膨大なデータから必要なものを弾き出そうとするが、


『五千年後に……うでしょう。彼の者ともう一度、真実の愛をはぐくみ……』


(『彼の者』が私ーーという可能性がさらに高くなった)


 人に心を打ち明けたくない八神。だか、誰かーー亮を、人として失いたくもない。冷静な頭脳に、強い喪失感と悲痛の記憶がなだれ込んで、支障を来した。


 亮と燈輝は、また違和感を持った。


(どうしたんだろう? 先生)

(全身を前から押す力が、強くなった。後ろ向きになっている)


 感情という濁流に流されそうになりながら、八神は質問を重ねた。


「他に何かありませんでしたか?」

(そちらだけで、私の部屋へ入ってきたのは少しおかしいです)


「その時、前に相談した声と同じものが聞こえたんです」


 亮は今いる部屋を見渡した。八神は真剣な顔で、


「内容は以前と同じでしたか?」


 あちらの内容で、あなたがそれだけの行動を起すーーという可能性は低い。


 呪いの解き方だけなら、亮はドアを開けたりしないと、八神は読んでいた。その通りの言葉が、亮からやって来て、 


「違います」


 八神の脳裏には去年の七月七日の言葉が、鮮明に浮かび上がっていた。


「どちらが、どのように違いましたか?」


『なんてことでしょう。……とは、私は許せません。……。自ら、この呪いを解く意思があるのなら、その機会と方法を与えましょう。今から五千年後に……うでしょう。彼の者ともう一度、真実の愛をはぐくみ、十八の誕生日までに……』


「最初は同じなんですけど、最後に言葉が増えてました」

(やっぱり、重要なことなんだね。よく覚えてるから)


 亮は大切なことは決して、ボケ倒さない。憂い色の瞳を、くりっとしたブラウンの瞳に向けて、


「そちらは、どのような言葉でしたか?」

(なぜ、言葉が増えたのでしょう?)


「『この者を救えるのは、あなたしかいません。そして……』です」


 ボケ少女の言葉を聞いて、策略家は情報がおかしいことに気づき、


「そちらで間違っていませんか?」

(『この者』と『あなた』の主語の位置が逆ではありませんか?

 それでは、私が神月さんに救われるという意味になってしまいます)


 亮はしっかり否定。


「間違ってません。どうしてだかわからないんですけど、ちゃんと覚えてます」


 冷静な策略家にしては、珍しく言葉が途切れた。


「……そう……ですか」

(倒れている私を見て、そちらの内容が聞こえてくる……。

 『彼の者』が私であるーーという可能性が非常に高くなりました)


 今が一番、八神は辛い時。誰も失いたくない、それならば心を打ち明けなくてはいけない。だが、過去の記憶から導き出したものは、心を閉ざすこと。優雅な策略家は感情という濁流に飲み込まれ始めた。


 亮と燈輝は黙ったまま、目の前に座る瑠璃色の髪の人を見て、


(先生、また淋しそうな目をしてる)

(それだけの気の乱れ、重要なことがあるということだ)


 今もコンタクトレンズをつけたままの左目。八神はその視力に心を持っていかれそうになって、


「そちらを聞いたのは、その時が初めてでしたか?」

(いつから、そちらの言葉は変わりましたか?)


「えっと……?」


 亮はティーカップに視線を落とし、セピア色の水面に映った自分を見つめて、


(うんん、前にも聞いたよ。

 どこでだろう? あっ!)


 カーバンクルの海岸で、溺れていたヒューを助けことを思い出して、亮はドキドキし始めた。


「あ、あの……」

(また、言うのは恥ずかしいです)


 八神は亮の言動を、冷静な頭脳で、ささっと整理。


(神月さんは、恥ずかしがっているように見える。

 そちらから判断して……あちらであるーーという可能性が高いでしょう)


 判断した内容を、八神は大人の余裕で、


「人工呼吸をした時ですか?」


「……あぁ、はい」

(先生、何でもわかっちゃうんだね)


 亮は顔を赤くしながら、モジモジした。八神は別に気にした様子もなく、


「そうですか」

(私をあなたが救うというのは、間違っていないのかも知れません。

 あなたに助けられなければ、私は死んでいましたからね。

 しかし、そちらだけでは……あなたが生き続けるーーという可能性が高いとは言えないんです)


 ルーは物語冒頭、『……混乱させる。偽の情報を与える』と言っていた。八神は混乱させられ、偽の情報を与えられている。だが、それだけではない。同時に別の人にも、同じことが起こっている。それでも、狙って来たのだ、別の人は。


 可能性と事実から、全然違うことが急に起きて、ヒューはさらに混乱してしまっている。リエラは勘で、おかしいことに気づいた。その感じ方は、ふた通りあった。

 ということは、ふたつの勢力がせめぎ合っている状態。


 あることが要因で倒れてしまい、自由の利かない体を持つことになって、八神は膝の上で組んでいた両手をぎゅっと握りしめながら、


「私の家で、葛見氏はあなたに何を言いましたか?」

(あの方の優しさの形なのかも知れませんね)


「先生を救ってくれないかと言いました」

(自分にしか出来ないんだと思います。

 どうしてだかわからないですけど……)


 聞いて欲しくないのだ、八神は自分の本当の心ーー過去の出来事を。もし、亮が知っていたらと思うと、八神は恐怖にかられ、


「…………」


 また、不自然なほど間を開けた。

 次々に襲いかかる喪失という記憶の嵐に、八神に見舞われながら、


「他にも、何か言われましたか?」

(聞いていなければ、あなたが生き続けるーーという可能性は高くなるかも知れません)


 亮は首を横に振った。


「言われてません」

「そうですか」


 八神の相づちをを最後に、全員が沈黙した。


 部屋の主、瑠璃色の髪の策略家は、今までのデータと照らし合わせ始めた。


(何も聞かされていないんですね。

 そちらの情報で、あなたが生き続けるーーという可能性は高くなったかも知れません。

 しかし、私が『彼の者』であるーーという可能性が非常に高くなった。

 あなたの呪いを解くためには、私はあなたに真実の心を伝えなくてはいけないということになります。

 そうなると、あなたが生き続けるーーという可能性は低くなるかも知れません。

 しかし、あなたが生き続けるーーという可能性を高くするためには、私は真実の心をあなたに伝えなくてはいけません)


 八神は少し長めなため息をつき、


(相反する可能性。

 私はどのようにすればいいのでしょう?

 どちらにすればいいのか決めることが出来ません)


 夕闇が広がり始めた空を、憂い色の瞳に珍しくぼんやり映していた。

 過去の出来事を繰り返したくない。だが、導き出したふたつの可能性は真逆。しかも、八神の感情を激しく揺さぶるための、神の罠。冷静な判断が下せなくなってしまった、策略家は。


 赤紫色に染まる、神経質な顔立ちーー八神の横顔を亮はじっと見つめて、


(先生、また何か迷ってるのかな?

 自分の呪いに関係することなのかな?

 倒れることの理由は聞かないことにしたけど……。

 なんか、別の大切なことを隠してるような気がするなぁ)


 八神と亮との間にあるものを、特殊な能力で感じ取って、燈輝は、


(亮には言えないことなのか。

 これだけの胸の意識の強化、並大抵のことが原因ではない。

 それが邪魔をして、光特有の頭の冷たい気の流れが、阻害されている。

 そうなると、この先、物事を慎重に運ぶことは不可能だ)


 武道家は彼なりの判断して、亮に低い声で、


「お前、遅くなるから、先に帰れ」

(光とふたりで話がしたい)


「あぁ、そうだね」


 亮は我に返って、八神の後ろにある時計を確認。


(あ、もう五時過ぎてる。

 冬だから、日が暮れるの早いもんね)


 八神は部屋に顔を戻して、冷静さを装って、


「そうですね」

(あなたから、聞けることは今はないみたいです)


 亮は荷物をまとめて、ぱっと立ち上がった。


「先生、さようなら」

(いつか、話してくれること待ってます)


「気をつけてください」

(私はあなたに何をすることが出来るのでしょう?)


 八神はいつも通り、優雅に声をかけた。亮は燈輝に親しみのこもった様子で、


「じゃあ、燈兄、またね」

(あっちで会えたら、楽しいね)


「気をつけて帰れ」


 燈輝は低い声で言い、ドアがパタンと閉まり、王子ふたりきりになると、武術家は策略家に、こんな言葉を口にした。


「なぜ、言わない?」

(俺には話せることなのか?)


「どういうことですか?」

(どちらから、そちらの質問をしてきたんですか?)


 八神は平然と、疑問形で返した。燈輝は策略家のある異変にすぐに気づいて、


「お前の感情が乱れることは何だ?」

(さらに胸の意識が強くなった。

 俺を拒絶している。

 俺にも言えないことか)


 八神と燈輝は黙ったまま、お互いの特徴を図り始めた。


「…………」

(あなたには、独自の判断能力があるみたいです)


「…………」

(いつものお前に戻った)


 燈輝には嘘が通じないという事実を前にして、八神はかぶりを横にゆっくりと振った。


「申し訳ありませんが、今はまだ言えないのです」

(燈輝さんまで、死ぬ可能性が高くなってしまうかも知れません)


 恋愛だから、亮だからという理由ではないのだ、八神の心の鍵は。全ての人に共通する。誰にも言えない、本当の気持ちーー過去の出来事は。


「重要なことではないのか?」


 燈輝の低く落ち着き払った声が、優雅な部屋に舞った。八神は静かに、珍しくぎこちなく、


「そう……かも知れません」

(ですが、全ての人をなくさないーーという可能性が高いと、今は言えないんです)


 たくさんの数の悲しみが、策略家の心の中に渦巻いていた。燈輝は八神とは全く別の性質を持っていため、情けなど微塵も持っていない。顔色ひとつ変えず、厳しく忠告。


「とにかく、その感情の乱れは邪魔だ。そこは自分で直せ」

(迷ってるやつを、助けるのは無理だ。

 誰かが死ぬかも知れないという時に、国ひとつを守らなくてはいけない時に、その感情は邪魔だ)


 八神は視線を外したまま、短く、


「えぇ」

(あなたまで、死ぬーーという可能性を高くするわけにはいきませんからね)


 ルーのなぞなぞの答えのひとつは、『The answer is water&sun people』、waterはコランダム、sunはシトリンのことを指している。ヒューはある可能性を導き出した、ふたつの国の関係性と、いくつかの事実から。だから、ヒューはトムラムに行動を共にしないかと申し出たのだ。


 無駄なことは一切しない燈輝は、艶やかにすっと立ち上がり、


「俺は帰る」

(早く、心の整理をつけろ)


「気をつけてください」


 八神が優雅に応えると、ひとり部屋に取り残された。


 静寂と孤独に押しつぶされそうになりながら、窓際へそっと立ち、遠いラピスラズリの空に想いを馳せ、


(同じ繰り返しになってしまうのでしょうか?

 次は会えるのでしょうか?

 私は彼女の呪いを解くことが出来るのでしょうか?)


 憂い色の瞳を持つ、策略家は暮れていくオレンジ色の空を、一人でしばらく眺めていた。

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