デジャ・ヴ
再び、リエラとヒューがラピスラズリから戻ってくると、また一日しか過ぎていなかった。
今日は九月六日の日曜日。
休みの日なのに、亮、祐、誠矢、美鈴は学校の正門前で集まっていた。
しばらくすると、黒塗りのリムジンが彼らの前に止まった。ドアが開き、中から可愛らしい少年が顔を見せて、
「待ったさん?」
ルーがふんわり微笑んだ。亮は笑顔で、首を横に振って、
「ううん、大丈夫だよ」
(ルーは可愛いね)
両腕を頭に回している誠矢は、感嘆して、
「すげぇな。さすが御曹司は違ぇな」
「どうぞさん♪」
ルーは可愛く言って、みんなを車の中へ案内した。
「サンキュ」
「ありがとう」
祐と美鈴はそう言って、乗り込んだ。ルーは運転手に合図を出すと、煌彩高校から、リムジンはゆっくり走り出した。
座り心地の良いシートに身を預けた誠矢は、ルーに、
「八神ん家って、遠いのか?」
(まともに返してこいよ)
「少し遠い?」
(そうだと思う)
疑問形になっていたが、ルーは何とかまともに応えた。流れてゆく景色を背景にしながら、亮が身を乗り出して、
「どんな感じの家?」
(先生って、優雅な感じだから、そんな感じなのかな?)
「素敵さんなの、ふふふっ♪」
ルーは春風のように微笑んだ。
今、五人は、八神の家へ向かっている。なぜかというと、花火大会で亮が光と呼べなかったので、お菓子をみんなにおごるため、どこで食べるか相談してると、たまたま通りかかった、八神が自宅に招待すると言ってきたのだ。さすがに、先生の家はと、みんな遠慮したが、花火大会に誘ってもらったお礼だと言われたので、甘えることにした。
しばらく走って、郊外の山の方へ、リムジンは向かい始めた。山肌を、ぼんやり眼に映しながら、祐はぼそっと、
「すごい遠いんだな」
(移動するだけで、時間かかる。非合理的だ)
勘の鋭い誠矢はあることに気がついて、金髪天使に顔を向けた。
「そういや、何で、ルー、八神ん家、知ってんだよ?」
(学校じゃ、謎だらけで、誰も家、知らねぇって、有名なのにな)
ルーはのんびりと、とんでもないことを口にし、
「光先生は、お店の………人狩る主……?」
ミラクル変化球をキャッチした、誠矢がゲラゲラ笑い出した。
「恐ろしい言い間違いすんなよ!」
(想像すると、あり得そうじゃねぇか)
策略を駆使して、人々を恐怖へと陥れる、八神の違った一面が想像できて、祐は急に怖くなった。
「っ……!」
(せ、先生、どういう生活してるんだ?)
「そうなんだ、先生もやってるんだね」
(音楽)
ここで、亮の大暴投。すかさず、誠矢がきっちりキャッチ。
「ヒット曲じゃねぇって」
(ダブるで、飛ばしてくんなって。
『人』の間に、ちっちゃい『っ』入れて、勝手に『曲』つけんなって)
「え……?」
亮はきょとんとした。めちゃくちゃになってしまった話を、美鈴がささっと修正。
「それは、筆頭株主ね」
(本人が聞いたら、どんな反応するだろうね?)
確かにそうだ。優雅な策略家は、どんな言動を取るのだろう。ルーにしては珍しく、真面目な顔で、
「そうそう、それ。なかなか難しい。覚えないといけない」
祐はほっと胸をなで下ろした。
(そ、それなら、普通。
明日から、学校行けなくなるかと思った)
そんなことをみんなで話していると、車は山道を登り始めた。道の両側には、森がうっそうと生い茂り、昼間なのにかなり薄暗かった。さっきのルーの言い間違いもあり、誠矢と祐は少し恐くなっていた。
「八神、恐ろしいとこ、住んでんな」
(オレもちっと恐ぇんだよ。
見えねぇもの、よく感じるかんな)
直感の鋭い誠矢は、霊とかを感じ取る能力に長けていた。一方、心霊現象が苦手な祐は、
「おっ、俺はパス」
(す、住むところじゃない。
こ、恐くて、生きていけない)
薄暗い森の中を、リムジンは走り続けた。
しばらくすると、深い森を抜け、視界がぱっと明るくなった。それと同時に、車の右手方向に永遠に続く立派な塀が見え始めた。誠矢は心の中でツッコミ。
(いやいや、長すぎだって)
そうしているうちに、車は立派な門の前でいったん止まった。それが開き、またリムジンはゆっくり走り出す。敷地内にも森が広がっていて、ずいぶん自然の多いところだった。
門を入ったのに、まだ建物につかない距離を感じて、祐と誠矢は同じことを思った。
(これは城だな)
亮は目をキラキラ輝かせながら、キョロキョロ。
(すごい、綺麗なところだね)
みんながそれぞれ考えていると、車がやっと止まった。運転手がドアの前に回り込み、それが外から開けられた。
五人がリムジンから降りると、本当に城と同じほどの大きさの建物が目の前にあった。立派な木の扉の前に、八神が待っていて、
「みなさん、来ましたね」
「はい、お邪魔します」
ルーと美鈴は気にすることなく応えた。祐と誠矢は建物を見上げて、
(すごいな)
(マジで城だ)
亮が見上げたそこには、白い壁と、コバルトブルーの三角帽をかぶった屋根が見えた。彼女は首を傾げ、
(あれ?)
「さぁ、どうぞ」
優雅な声に、亮は我に返えって、視線を落とすと、使用人が押さえている扉に、半分中へ身を入れた八神が優雅に微笑んでいた。亮を置いて、他の四人は入っていく。
「お邪魔します」
何か引っ掛かりを覚えた亮は、慌ててあとに続いた。重厚な扉を一歩中に入ると、大きな玄関ホールが待ち構えていた。
「すげぇな!」
誠矢が叫んだ声が、豪華な空間に響いた。
大理石で出来た床。
天井には素晴らしい絵画。
中央には、招き入れているような真っ赤な絨毯。
その奥は二階へと続く、立派な階段。
亮はそれらを見て、目をぱちぱちさせた。
(えっ……?)
玄関ホールをあちらこちら見ながら、ぼんやりしていると、八神の優雅な声が美しい空間に舞った。
「さぁ、こちらへどうぞ」
右手に歩き出した策略家のあとを、みんなはついていった。亮は我に返り、ワンテンポ遅れて、歩き出した。
廊下にも、綺麗な赤の絨毯が敷いてあり、壁には絵画、台の上には壺や立派なオブジェなどが飾られていた。亮は落ち着きなく、キョロキョロして、
(な、何で……?)
しばらく歩いていくと、曇りひとつないガラス張りの廊下へ差しかかった。そこで、亮の目に飛び込んできたのは、色鮮やかな緑と、たくさんの花や木々ーー手入れの行き届いた庭園だった。彼女はあることを思い出して、
(あの時、変だった……)
そのまま、一番前を歩く、瑠璃色の髪にピントを合わせた。立ち並ぶガラスの廊下の一部分に、使用人が控えていた。そこだけ、窓が明け放れていて、八神は一度立ち止まり、
「どうぞ、こちらですよ」
芝生へ足を踏み入れた八神のあとに、両腕を頭の後ろに回しながら、気ままについてきていた誠矢は、見渡して、
「優雅だな」
(八神って感じすんな)
「ありがとうございます」
八神は少しだけ振り返り、優雅になぜかお礼を言った。誠矢が素早くツッコミ。
「いやいや、褒めてねって」
(ルーと同じこと、すんなって)
そのやり取りを、さっきからぼんやりしている亮は遠くで聞きながら、中庭へと出た。その前に広がった光景に、亮は胸騒ぎを覚えた。
(ここも……?)
真っ白なテーブル。
美しい細工の施された椅子。
銀のティーセット。
夏の陽射しを防ぐ、水色のパラソル。
それらがセッティングされていた。そのまわりには、給仕係と使用人が数人いて、丁寧にこちらに向かって頭を下げていた。亮の心の内に、困惑が広がってゆく。
(どうして……?)
みんなそれぞれ、使用人に引かれた椅子に腰掛けた。給仕係が紅茶をそれぞれのカップに注いだ。それが終わると、八神が彼らに、慣れた感じで、
「みなさん、下がってくださって、結構です」
「かしこまりました」
給仕係と使用人は丁寧に頭を下げて、テーブルから離れて行った。ルーは持ってきた箱から、みんなにお菓子を配り始める。そして、最後に亮のところへ、白いクリームの上に、赤い丸いものが載ったものをお皿の上に置いた。
「はい、亮ちゃん」
「……あぁ、ありがとう」
亮は差し出されたイチゴのショートケーキを、ぼんやり見つめた。全員分が配られたのを見て、おごってくれた亮に、みんなが一斉に顔を向けた。
「いただきます」
「……あ、はい。どうぞ」
亮は我に返って、彼女にしては珍しく、力なく微笑んだ。
しばらく、みんなで色々話したりして、優雅で、のんびりとしたティータイムが過ぎていった。亮は大好きなケーキのはずなのに、それにほとんど手をつけなかった。庭のあちらこちらに視線を配りながら、なぜか疑問が次々と浮かんでくる。
(んー……どうしてだろう? どういうこと? えっと……?)
ぼんやり手元を見つめていると、優雅な声がかかった。
「神月さん、どうしたんですか?」
亮は声の主ーー八神に焦点を合わせた。彼女の真正面に、優雅な策略家は立っていた。だが、亮は驚くこともなく、
「え……?」
(ヒューさん……)
彼女はなぜかそう思った。返事を返してこないので、八神は亮が答えを返してくる可能性の高い言葉を選んで、
「神月さん、返事をしてください」
「……は、はい」
策略家の読み通り、亮は返事を返したが、ぼんやりしたまま。八神は彼女のブラウンの瞳を覗き込んで、
「何を考えているんですか?」
「……あぁ、はい」
亮は八神の瑠璃紺色の瞳をじっと見つめ返した。八神は優雅に微笑んで、
「はい、いいえの質問ではありませんよ」
(返事だけ返してきてはいけませんよ)
『何を考えているんですか?』に、イエス、ノーで応えるのは、あまりに不自然。教師らしく、八神に注意された亮は、ぼんやりしたまま、
「あぁ……綺麗だなと思って」
この言い方では、不十分。そのため、八神はあごに手を当て、亮をじっと見つめた。
「何がですか?」
(主語が抜けていますよ)
「庭の木や花が……」
亮は八神の罠に引っかからずに、彼から視線を外した。
「そうですか」
瑠璃色の髪の策略家も、特に追求することなく、彼女の側から離れて行った。祐、誠矢、美鈴はさっきから、亮と八神をちらちらうかがっていた。明らかに様子がおかしい。亮が八神を前にして、全く驚かないのだから。
(何してるんだろう? このふたり)
亮は疑問をとりあえず、心の片隅に置いて、残りのケーキを食べ始めた。
(とにかく、食べよう。
作ってもらったんだから、残しちゃいけないよね)
最後に、お皿についていたクリームを、フォークで綺麗にすくい取った、彼女はふと席から立ち上がった。そして、何かに導かれるように、庭を歩き出した。
(もしかして……。行ってもいいのかな?
でも、行かなきゃいけない気がする。だけど……)
知ってはいけないような、でも、知らなくてはいけないような気持ちを携えたまま、亮は綺麗に整えられた垣根の角までやってきた。一旦立ち止まり、緑の匂いを感じながら、
(そう……なのかな?)
見上げると、まあるい緑の帽子をかぶった大きな木があった。立ち入り禁止区域内へ、足を一歩踏み入れる気持ちで、垣根の角を曲がった。そして、彼女の体中に衝撃が走った。
(やっぱり、同じだ……)
亮の目の前には、太い木の枝にくくりつけられたブランコがあった。ずいぶん使っていないらしく汚れていて、煤ちゃけたロープが片方だけ解けていた。
(コランダム城と同じ。
何で、夢の中と同じなんだろう?
現実で見たものが、夢に出てくるのはよくあるけど、逆ってあるのかな?
八神先生は、ヒューさん?
……ヒューさんは、八神先生?
……夢じゃないのかな?)
亮を呼ぶために、あとを追いかけてきたルーは、しっかりとしたサファイアブルーの瞳に、彼女の後ろ姿を映していた。
(そう、この家は、コランダム城と、全く同じ造りなんだ。
庭の木の配置も、花壇の花の種類まで、一緒なんだ。
なぜ、同じなのか、キミにはわかるかい?)
だから、八神はヒューになっても、城の中で迷わなかったのだ。ルーの瞳はいつもの純粋無垢なものに瞬時に変わって、
「亮ちゃん?」
「はい?」
亮が振り向くと、ミラクル天使は可愛く首を傾げ、
「どうしたの?」
「あぁ、気になることがあって」
彼女は素直に応えた。その言葉の意味を知っているルーは、春風のように微笑んで、
「そうなんだ」
(キミはこれで気づくかい? 夢じゃないって。
ボクたちには敵がいる。
だから、状況は常に変わってゆく。
しかも、世界はとても複雑になってる。
時が一気に過ぎることも起きるかも知れない。
だから、時間がないんだ)
だが、ふんわり天使の心の内は、とても深刻なものだった。亮は純粋無垢なサファイアブルーの瞳の近くまで歩いてきて、
「ルーはどうしたの?」
「みんなでゲームやるから、呼びに来たさん♪」
ルーは亮の手を握って、ふたりでティーテーブルへと戻り始めた。芝生を踏む音を聞きながら、ルーは亮のブラウンヘアーを瞳の端に映して、
(キミは今日、ここに来た、本当の理由を知らない)
ふたりの影が、芝生の上にくねくねと伸びていた。