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Legend of kiss3 〜水の王子編〜  作者: 明智 倫礼
18/41

逃れられない運命

 亮は目が覚めると海の底にいた。


「えぇぇぇっっっ!!」


 びっくりして飛び起き、自分のまわりの水がコポコポと泡を吹いた。


「また、夢見てるんだ!」


 そこで、瑠璃色の髪の優雅な笑みを思い浮かべ、


「ど、どうしよう? これじゃ、いつまでたっても先生の顔、ちゃんと見れないよ。困ったなぁ。また、見ないようにって思ってたんだけど……」


 リエラにしては、珍しくため息をついた。


「どうやっても、この夢って起きられないんだよね。仕方がないね。とりあえず、先生が出てこないようにがんばろう!」


 超難題というか、不可能なことに、思いっきりやる気を出した。そこで、リエラのお腹がぐーっと鳴り、


「お腹空いた。とりあえず、ご飯食べに行こう」


 彼女は元気にベッドからぴゅっと飛び降り、食堂へすいす〜いと泳いでいった。


「ふふ〜ん♪ 何かな?」



 再び部屋に戻ってきたリエラは、珍しくじっとしたままで、ドレッサーの前で頬杖をついていた。


「そういえば、先生の心境の変化ってなんだろう? どうして、急に眼鏡かけてこなくなったのかな? んー……?」


 策略家の心など、ボケ少女に探れるわけもなく。考え続けていると、扉をノックする音がふと聞こえた 


「はい?」


 リエラは扉にぴゅっと近づき、それを開けた。召使いが姫に用件を告げる。


「外出のお時間でございます」

「……あぁ、はい」


 リエラは戸惑い気味に答え、天井を見上げた。


(外出? また、命令なのかな?)


 姫には構わず、召使いは小さな箱を差し出し、


「マリア様へのプレゼントでございます」

「え……?」


 リエラは再び顔を戻して、召使いからそれを受け取った。 


「あぁ、ありがとう……?」


 首を傾げ考え始めたが、不思議なことにすぐに答えにたどり着いた。


(この間、街で買ったものだね。

 また、行くかも知れないと思って、用意しておいたんだね。

 すごいね。

 本当にちゃんとしてるんだ、この夢って)


 リエラは両手でプレゼントを包みながら、瑠璃色のくるっとした髪の小さな姫ーーマリアの顔を思い浮かべ、


(そうか、また続きなんだね。

 ということうは、マリアちゃんと会う約束をしてるんだね。

 楽しみだね)


 そこで、リエラは思いついてはいけないことに手をかけ、大声を上げた。


「えぇぇっっっ!!」

(マ、マリアちゃんに会うってことは……!!)


 姫はそのまま右往左往し始めた。召使いは心配そうな顔で、


「どうされたんですか?」

(プレゼントで驚かないでください)


 リエラはそれに応えず、ピタッと止まり、海を見上げた。揺れ動くマリンブルーの光。横へと流れてゆく魚の群れ。それらをぼんやり瞳に映しながら、


(それって、先生も出てくる……ううん、ヒューさんに会うってこと?

 だ、大丈夫かな?

 また、ドキドキして、よくわからなくなるんじゃないかな?)


 彼女はそこで、ぱっと勝手な解釈ーー夢だと思っている人間がたどり着くところへ、簡単に流されてしまった。


(あ、でも、夢だから、また出てくるとは限らないよね?

 大丈夫だね。

 マリアちゃんと約束してるわけだから、ヒューさんと約束してるわけじゃないもんね)

 いつまでも考えているボケ姫の横顔に、召使いは小首を傾げ、


「姫さま? 急がれた方がよろしのではないんですか?」

(恋煩いでございますか? ずいぶん、息が合っていらっしゃったと聞きましたが)


 ふたりの事情を知らない人は、思いっきり勘違いしていた。無事、島ーー安易な考えへたどり着いた、リエラは我に返って、


「あぁ……はい」

(約束の時間に遅れちゃいけないよね)


 準備をするため、部屋の中に戻った。



 リエラが海から上がり、岩場に腰掛けると、黄緑色のドレスを着たマリアがぴゅーっと走り寄ってきた。


「リエラおねえちゃん!」


「マリアちゃん、来たよ」

(やっぱり、可愛いね)


 リエラは走ってきた小さな姫を、両腕で抱きとめた。マリアは顔を見上げて、


「きょうは、おみせみにいこう!」


「楽しそうだね」

(ショッピングか。

 どんなものが出てくるのかな?

 夢だから、不思議なものが出てくるかも知れないね)


 リエラがウッキウキで考えていると、優雅な声と波音が混ざり合った。


「こんにちは、リエラさん」

「はい?」


 彼女が振り向くと、そこには白いブラウスと、細身のパンツをはいたヒューが、海風に煽られ、乱れた髪を掻き上げつつ、優雅に近寄ってくるところだった。リエラは彼を見て、ドキッとする。学校の、渡り廊下や中庭を歩いてくる八神の姿と重なって。


「…………!!」

(せ、先生⁉ 学校にいる時と、あんまり服装が変わらないです。

 ド、ドキドキします!)


 自分をぼうっと見つめ返している姫。ヒューはいつまでも返事を返してこないので、もう一度彼女に声をかけた。


「リエラさん?」

(何を考えているんですか?)


 リエラが我に返えると、いつの間にか、近くに瑠璃紺色の冷静な瞳があり、ちょっとびっくりしながら、


「あっ……えっと、こっ、こんにちは、ヒューさん……」

(やっぱり、先生は出て来るんですね)


 ヒューは優雅に微笑んだ、今回は意味ありげにーー人魚姫にわざとわかるように。


「…………」

(そのままでよろしいんですか?)


 ボケ姫は目をパチパチさせた。


「…………」

(どしたのかな? 先生、また微笑んでるみたいだけど……)


 再び、砂浜で、ミステリアスに視線を絡ませ始めた王子と王女。彼らの下から、幼い声が、ヒューの微笑みの意味を指摘した。


「かいがらがきれい」

「え……?」


 ふたりきりの世界に入っていた、リエラははっとし、小さな姫がいることを思い出した。抱きかかえているマリアを見ようと、視線を下ろした。そして、自分の姿が目に入り、


(うわっ! また、下着姿だ。は、恥ずかしいよ)


 リエラは体中が火照っていくのを感じ、ドキマギしながら、


「あ、あの……マリアちゃん。ちょっと下に降ろすね」

(は、早くつけないと……)


「あっ、うん……?」


 小さなマリアはうなづきながら、不思議そうな顔をした。リエラは彼女を砂浜に降ろし、慌てて髪飾りをつけた。すると、まぶしい光に包まれ、真っ白なワンピースと、二本の足には宝石をちりばめたハイヒールが現れた。


(こ、これで大丈夫。ちゃんと洋服は着たから。

 も、もう、恥ずかしくないよ)


 リエラは恥ずかしさを紛らわすために、慌てて立ち上がったーーまた、やってしまった。もちろん、バランスを崩して、


「わっ!」


 ヒューはスマートに言葉を告げ、彼女を優雅に受け止めた。


「失礼」

(また、気づいていなかったんですか?)


 神の言う、ヒューの特殊な考え方ではたどり着かない、言動をするリエラを前にして、優雅な策略家はくすくす笑い出した。リエラは彼の腕の中で、顔を真っ赤にしてうつむき、


「……す、すみません」

(また、ご迷惑をおかけして)


 ヒューは彼女のすぐそばで、優雅に微笑んだ。


「いいえ、構いませんよ」

(不便なんですね、そちらの髪飾りは)


 確かにそうだ。砂浜なのだから、せめてパンプスにしてくれればいいものを、髪飾りは絶対、ハイヒールにするのだ。不便どころの話じゃない。リエラはヒューに支えられながら、自分の足下を見つめた。


「あぁ……はい」

(あ、また、ヒールの靴なんだ。どうしてこうなるのかな?)


 王子は姫のブラウンの髪を視界に映し、


(今頃、気づいたんですね)


 次いで、なぜか自分のまわりにいる従者との距離を測った、王子の冷静な頭脳が瞬時に稼働。


 私が近くに寄ると、あなたは驚くーーという可能性が高い。

 私があなたに声をかけると、あなたは驚くーーという可能性が高い。

 あなたは、私の質問に答えらないーーという可能性が高い。


(それでは、こうしましょうか)


 こうして、優雅な瞳の側で、姫への罠が張られ始めた。さっそく、リエラが応えられないことを知っていて、ヒューはわざと疑問形を投げかけ、


「今日はどうしますか?」

「えっっ!?」


 リエラはびっくりして、飛び上がろうとしたが、ヒューに身を預けている状態なので、大声だけ上げた。しかも、しっかり罠にはまって、顔を上げてしまい、すぐそばにあった瑠璃紺色の瞳を見つけてしまった。彼女は彼の思惑通り、手が震え始める。


(す、すごく近くて、ドキドキします!)


 ヒューは冷静な瞳で、ボケ姫を捉え、


 あなたは自分で決めることが出来ないーーという可能性が高い。


「どうしたいですか?」


 ヒューはまた、質問をスマートに変えた。それに、先走りのリエラが気づくはずもなく、彼女の思考回路が、ヒューという罠によって、制御され始めた。


「あ、あの……」

(ど、どうしたいんでしょう? それに、どうして、こんなにドキドキするんでしょうか?)


 自分の腕の中で、口をバカみたいにパカパカし始めたリエラをじっと見つめ、ヒューはさらに言葉を重ねるーー罠を張ってゆく。


「先ほどの私の質問に答えていませんよ」


 私の二つ前の言葉を、あなたは忘れているーーという可能性がある。


 さて、この可能性、ヒューはどこから持ってきたのだろうか。前のページをよく読めば、答えが書いてある。


「え……? どんな質問ですか?」


 リエラはドキドキするのも忘れ、ぽかんとした。彼は優雅に微笑みながら、彼女の瞳をじっと見つめ、


「もう一度、言いましょうか?」

(同じことを言うとは限りませんよ)


 このままいくと、また大変なことになる予感が思いっきりする。だが、すでに、策略家の手中に落ちてしまっているリエラは、うっかりうなずいてしまったーー情報提供してしまった。


「……あぁ、はい。すみません。お願いします」

(ちゃんと先生の話は聞かないとね)


 情報を簡単に引き出した、ヒューは至福の時というというように、優雅に微笑んだ。


 あなたは、私の三つ前の質問を覚えていないーーという可能性が非常に高くなった。


(そうですね……。あなたがさらに驚くこと……。

 それでは、こうしましょうか)


 姫をもてあそぶという快楽に溺れてしまった、策略家の冷静な頭脳は的確に判断し、とんでもないことを口にした。


「キスをしてくれませんか? と聞きましたよ」

(きちんと覚えていないといけませんよ)


「えぇぇっっっ!!」

(な、何で、それなんですか⁉)


 リエラはびっくりして、気絶しそうになった。ヒューはしっかり支えて、くすくす笑う。


(本当に、覚えていなかったんですね。

 困った人ですね、あなたは。

 夢の中でも、変わらないみたいです)

「それでは、失礼」


 王子は姫が驚いている隙に、軽々とお姫様抱っこをした。そして、ヒューはもう一人の姫に、


「マリアさん、行きましょうか?」

「はいっ!」


 マリアは右手を挙げた。そう、さっきから、子供がそばにいたのだ。ヒューがリエラにキスをするなどありえないのだ。それなのに、ボケ姫は、情報をすっかり忘れて、ヒューの罠に思いっきり引っかかっていた。また、密着している王子と姫の後ろを、マリアはスキップするような気持ちで、くっついて行った。



 とりえず、馬車に乗り込んだリエラは、目の前に座っているヒューにドキドキしながら、マリアに包み紙を差し出した。


「マ、マリアちゃん、これ、プレゼント」

(ちゃ、ちゃんと渡さないとね。用意してたわけだから)


 マリアはそれを見て、目をキラキラ輝かせ、


「わっ、ありがとう!」


 ヒューはふたりのやり取りを見て、優しい顔になった。


(素敵ですね、友達というのは)


 マリアはリエラを見上げ、


「あけていい?」

「うん、いいよ」


 リエラがうなずくと、マリアは小さな手で、箱を開け出した。そして、中身を取り出して、はしゃいだ。


「うわ、きれい!」


 ヒューは妹の小さな手に握られた、それを見て、微笑む。


(貝殻のネックレスですか。似合うでしょうね、マリアに)


 先走りの人魚姫は、マリアにさっそく、


「つけてみる?」

(きっと、似合うと思うよ。今のドレスに)


「うんっ、つける!」


 マリアは、嬉しそうに足をパタパタさせた。リエラは彼女からネックレスを受け取り、


「じゃあ、後ろ向いてくれるかな?」

「わかった」


 マリアはリエラに背を向けて、じっと待ち始めた。リエラは留め金に手をかけて、自分自身の認識の甘さに悪戦苦闘することになる。


(えっと、まず外さないとね。馬車の中だから、難しいね。

 揺れてるから。右手の爪で引っかけて……)


 ガタゴトと振動している馬車の中、その上、先走りの彼女が留め金を外せるわけもなく。なかなか、マリアに付けてあげることが出来ずにいた。心配になって、マリアはリエラに顔を向け、


「おねえちゃん、だいじょうぶ?」


 リエラは、マリアに心配させないように微笑んだ。


「だ、大丈夫だよ」

(ちゃんと、つけてあげないとね。

 マリアちゃんはすごく喜んでるから。

 えっと……)


 彼女はまた、一生懸命、ネックレスと格闘し始めた。それを見ていないはずもなく、ヒューは少しため息をつき、


「リエラさん、代わりましょうか?」

(あなたという人は、困っている時には素直に言ってください)


 リエラはネックレスから、彼へ顔を上げた。


「あ、いえ、大丈夫です」

(先生に迷惑をかけちゃいけないから、自分でやらないとね)


 宇宙一の天然ボケ少女は、自分が困っているとは、全然気づいていなかった。ヒューはあごに手を当て、今の彼女から新たな情報をそっと手に入れた。


(あなたは集中すると、まわりが見えなくなるのかも知れません。

 一人の時はそちらで構わないのですが……)


 彼はそこまで考えて、さっきからずっと待っている、小さな姫ーーマリアをうかがった。


(きちんと考えて行動しなければいけませんよ。

 待っている人がいるのですから。 

 リエラさんを少し叱らなくてはいけませんね。

 そうですね……こうしましょうか)


 こうして、彼の独特な叱り方、教師と生徒という立場ではない状態で、スタート。リエラはそれに気づかず、相変わらず金具と悪戦苦闘中。


(んー、早く外そうとすると、慌てちゃって、なかなか外しづらいね。

 落ち着かないとね。深呼吸をして……)


「貸して下さい」


 彼女の近くで、男の声が急に響いた。リエラはびっくりして、ぴたっと動きと止めた。


「え……?」

(な、何をですか?)


 固まっている彼女の背中から、大きな手がすっと伸びてきた。そして、リエラの手からネックレスを流れるように、さっと取って、金具を簡単に外し、マリアの首に付けた。それに反応して、マリアがリエラに振り返り、


「ありがとう」

「どういたしまして」


 リエラの頭の後ろで優雅な声が響いた。金具に没頭していた彼女は、きょとんとする。


「え?」

(誰がつけたんだろう?)


 彼女の頭上で、含みのある声が響く、しっかり吐息を伴って。


「リエラさん、どうしたんですか?」

「あ、あの……誰がつけてくれたんですか?」


 自分の髪を揺らすほどそばにいる誰かに、リエラが質問すると、くすくす笑う声が聞こえてきた。


(まだ、気づいてないんですか? 困った人ですね)


 優雅な声の持ち主は、心の中で降参のポーズを取り、


「誰だと思いますか?」

「え……?」


 リエラはきょろきょろし、向かいの席に瑠璃色の髪を持つ人がいないことに気づいた。


(あれ、ヒューさんがいない。どこに行ったのかな?

 馬車から下りたのかな?)


 優雅な策略家の冷静な頭脳が稼働開始。


 あなたは自分の置かれている状況を理解していないように見える。

 あなたは今、驚くーーという可能性が非常に高い。


(それでは、あなたが驚くというーー可能性を低くしましょう。

 今の状況で、あなたが驚くと危険であるというーー可能性が高いですからね)


 その人は危険を回避するための、言葉をきちんと選び、


「騒がないと約束してくれたら、教えますよ」


 『驚く』ではなく、ここは『騒がない』なのだ。後々のことも考慮して。ヒューの言葉には無駄はひとつもない。


「わかりました」

(騒がないですね)


 素直にうなずいた、リエラの頭の上で、その人は彼女に次の行動を指示する。


「振り返って、確かめてください」

(自分で確かめる術を、あなたは持っているのではないんですか?

 おかしな人ですね、あなたは)


 優雅なその人の言う通り、自分で確かめればいいのに。ボケ姫は何もしないまま、ぼんやりしてて、見事なまでにボケ倒し続けていた。


「あぁ、そうですね」

(自分で確かめればいいんだ)


 また、しっかり罠にはまって、後ろを振り返り、目を大きく見開いた。


「……‼」

(ヒュ、ヒューさん⁉)


 瑠璃色の髪を馬車の窓から入ってくる風に揺らしている策略家を、もろドアップで見たリエラ。彼女の口に、ヒューの細く神経質な手がすっと伸びてきて、リエラの口をしっかり塞いだ。そして、王子はわざと姫の髪に頬を寄せて、


「先ほど、約束しましたよ。騒がないと」


 さらに、あなたが騒ぐーーという可能性が非常に高い。


 近くどころの騒ぎではなく、自分の口をヒューに触られている、リエラは体中の力が抜けて、崩れ落ちそうになった。


「ん……!」

(あ、あの……約束は覚えてます。

 だけど、騒がないわけにはいかないんです!)


 ヒューは彼女が落ちないように、背中からしっかり抱きしめて、耳元で優雅に囁いた。


「馬車の中です。危ないですよ」

(みなさんと同じことを、私も一度してみたかったんですよ。

 こうして、騒ぎそうになるあなたの口を塞いでみたかったんです)


 そう、罠は何重にも張れていたのだ、最初から。ヒューはリエラをわざと驚かせるようにして、しかも、馬車の中だということもきちんと考慮し、抜群のタイミングで、リエラを再び驚かせ、彼女の口を塞いだ。


 どうしたら、ここまで巧妙に罠を仕掛けられるのだろうか。などという考えに、罠の嵐に見舞われている、リエラはたどり着くはずもなく。未だ、ヒューの手に触れられたまま、ボケ姫はどうにか呼吸を整え、大きく首を縦に振った。


「ん、んんんんんんん。んんんん、んんんんんん!」

(そ、そうですよね。確かに、危ないです!)


 ヒューはリエラからそっと手を離して、次なる手を打ち始めた。リエラは声を震わせながら、


「どう……して……後ろにいるんですか?」


 策略家の瞳は、小さい人の襟元へ一瞬向き、さっと情報をつかんだ。王子は人魚姫を背中から抱き締めるようにして、また近づき、


「あなたとマリアの願いを叶えるあげるためにですよ」

(こちらは、嘘ではありません。

 私は今は何もしていませんよ)


 確かに何もしていないのだが、王子に十分もてあそばれた姫は、顔を真っ赤にして、


「あ、あの……」

(そ、それはわかってるんですけど……。どうして、後ろからなんですか?)


 言い淀んだ彼女の様子を見て、ヒューは瑠璃紺色の瞳をすうっと細くした。


 あなたは私に何かを聞きたがっているように見える。

 あなたは今、落ち着いていないように見える。


 策略家はあごに手を当て、


 私があなたに近づいたことに、あなたは戸惑っているーーという可能性が非常に高い。

 これらから判断して、私があなたに近づいた理由を、あなたは私に聞きたがっているーーという可能性がある。


(そうですね……?)


 またもや、罠を仕掛けるのだろうか。王子は少し後ろへ顔を向け、


(馬車の速度。

 従者。

 店の並び)


 あなたは今、冷静に判断を下せないーーという可能性が非常に高い。


(こちらで、終わりにしましょうか)


 策略家は一瞬にして、すべての情報から画策し、的確な言動を始めた。妹の襟元に手を伸ばし、


「マリアのネックレスが少し曲がっているみたいですから、直しているんですよ」


 リエラが前を向くと、本当に彼がマリアのネックレスを直しているのが見えた。彼女はヒューの腕の中で、戸惑い気味に頭を下げる。突然、話題が変えられたことに気づかずに、


「あ……ありがとうございます」

(変わっていただいて、助かりました)


「どういたしまして」

(十分、楽しませていただきましたよ)


 姫をさりげなく解放し、ヒューが元の席にすっと戻ると、馬車の速度が落ち始めた。


 

 ある店の前で馬車が止まり、三人は店内へ案内された。優しいぬくもりの広がる空間を見渡し、リエラは目を輝かせ、


(うわっ、ぬいぐるみがたくさんだ)


 マリアが嬉しそうに店の奥へ走り出した。従者たちがそばにいるのも気にせず、リエラも同じようについていく。ふたりの後ろ姿を見つめて、ヒューは優しく微笑んだ。


(似ていますね、あなたたちは)


「おねえちゃん、これかわいいよ」


 マリアが見せたぬいぐるみを見て、リエラは固まる。


「え……」

(青いテディベア。

 自分の誕生日にもらったのと一緒だ。どうして一緒なんだろう?)


「おねえちゃん?」


 マリアは不思議そうな顔をした。リエラはぼんやり返事をして、


「あぁ……うん」

(夢だから、同じものも出てくるのかな?)


 子供を置き去りにして、考え始めたりエラに、ヒューの声がかかる。


「どうかされたんですか?」


「えっ? あぁ、ちょっと考えごとです」

(そうだね。夢でも同じもの出て来たりするよね。

 別におかしなことじゃないよね)


 リエラの言動から証明されたように、策略家は今は罠を仕掛けてはいなかった。だが、明らかに言葉遣いがおかしい。さっきとは違う。いつもなら、『どうしたんですか?』と聞くのに、『どうかされたんですか?』と聞いてきた。策略家はその言葉をわざと選んで使っていた。そんな様子を微塵も見せず、ヒューは少し微笑んで、


「そうですか」


 リエラはかがみこんで、マリアに


「可愛いね」

「うん」


 マリアは目をキラキラさせた。リエラは他の色を選びながら、


「マリアちゃんはどれにする?」

「これにする」


 マリアは青いテディベアをぎゅっと抱きしめた。そのまま、まだ決められないリエラに、


「お姉ちゃんは?」


 リエラはピンクとブルーを左右それぞれ手にひとつずつ持って、考え始める。


「そうだね……?」

(んー、どっちも可愛いね。迷うね)


 ヒューは瑠璃紺色の瞳にリエラを映しながら、記憶を辿った。


(以前、見た夢のことを思い出しますね。

 マリアがふたつのリボンを持って、迷っていた時のことを)


 冷静という名の仮面から、感情という名の獣が顔を出しそうになるが、彼は優雅な笑みで食い止め、


(リエラさんに出会わなければ、この夢の続きは見ることが出来なかったのかも知れません。

 考えても見つけられない答えを、あなたとなら見つけられるのでしょうか?)


「ヒューさん?」

(相談があるんです)


 ヒューが気がつくと、両手にぬいぐるみを持ったリエラが立っていた。彼は考えていたことを悟られないよう、自然を装い、


「どうかされたんですか?」

(あなたもですか? どちらにするか決められないんですか?

 困った人ですね)


 ヒューは心の中で優雅に降参のポーズを取った。リエラは彼が予測した通りのことを聞く。


「どっちがいいと思いますか?」

(難しいんです。どっちも可愛いんです)


 ヒューはその質問を聞いて、くすくす笑い出した。


(あなたは本当にわかりやすい人ですね)


 まったくもって、その通り。これなら、リエラがヒューの罠に簡単に捕まるのも納得である。リエラは不思議そうな顔で、


「え……?」

(あれ? 先生、また笑ってる。

 おかしなこと言ったのかな?)


 ヒューはあごに手を当て、考え始めた。


「そうですね……?」

(仕方がありませんね。あなたに似合う色を私に選べということですね)


 彼はふとリエラの瞳をのぞき込み、


「ブルーの方がよろしいのではないんですか?」

(夢の中では、あなたの瞳はブルーなんですね。

 現実では、何色なんでしょう? 気になりますね。

 今度、確かめてみましょうか)


 リエラは素直にうなずした。


「あぁ、はい」

(先生の髪と瞳の色と同じですね)


 マリアの声が下から響いてきて、


「おなじだね」

「そうだね」


 リエラはピンクのぬいぐるみを戻して、ブルーのを小さな姫のそばに近づけた。そこで、リエラは姫さまらしからぬ心配をする。


(あ、そうだ。お金って払うよね?

 いくら、夢の中でも、払わないのはいけないよね?

 お金持ってないから、買えないね)


 ヒューが他の棚を見ている隣で、リエラはぼんやりし始めた。彼は視界の端に、ボケ姫を映し、


(今度は何を考えているんですか?)


 マリアがヒューの服の裾を引っ張った。それに気づき、ヒューは妹に視線を合わせ、顔を再び上げた。


(マリアがまた、待っていますよ。仕方がありませんね)


 彼はそう判断して、スマートにことを進ませた。


「そちらは、私がプレゼントいたしますよ」

(これでは、マリアが待ちくたびれてしまいますよ。困った人ですね)


「えっ、でも……」

(いくら夢でも、先生に迷惑をかけるのは……)


 きっちり生徒の位置に定まっているリエラは、戸惑った。


「いいえ、構いませんよ」

(今度はどうしたんですか? 飽きませんね、あなたといると)


 ヒューは彼女の手から、ぬいぐるみを流れるような動作で、抜き取って、従者に渡した。



 それから三人は色々な店を回り、コランダム城でティータイムを楽しんだ。そして、夕暮れ時、リエラは波打ち際まで、ヒューにまた運ばれてきた。海へ帰ろうとする彼女に、マリアが笑顔で、


「おねえちゃん、またあしたもあそぼうね」

「うん、そうしようね」


 リエラは笑顔で手を振ろうとして、あることに気がついた。


(あれ? そういえば、今日の夢はこの間の続きじゃないね。

 今日の約束って、いつしたんだろう?

 明日の約束だったね、今。んー……?)


 ヒューはまわりに控えている従者たちを見渡して、ぼんやりしているボケ姫に、


「どうかされたんですか?」

「あぁ……はい」


 リエラはとりあえず返事をして、また考え始めた。


(夢だから、知らないうちに約束してたのかな? でも……何だか……)


 ヒューは自分たちのまわりにいる従者をさっとうかがい、


「リエラさん、もう日が暮れますよ」

(みなさんがお待ちですよ)


 リエラは我に返って、


「あぁ、はい」

(暗くなる前に帰らないとね。先生の言う通りだね)


 人魚姫は小さな姫ーーマリアに手を振った。


「じゃあ、またね」

「バイバイ」


 マリアは小さな手を元気一杯振った。リエラはヒューに学校でいつも言っているように、


「ヒューさん、さよなら」

「お気をつけて」


 彼はなぜか、ここでも、いつもと違う言葉を使った。オレンジ色に染まる海へ帰っていくリエラを、ヒューは見つめ、


(おかしな夢ですね。明日の約束をしているなんて) 


 そして、心の中で優雅に降参のポーズを取った。

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