夏休みの計画
午前中の授業も終わり、今は昼休み。
いつもの五人は、中庭でランチを楽しんでいた。亮は朝のことはすっかり忘れ、お弁当に夢中になっている。
(ふふ〜ん♪ 何だか、今日はお腹空いたから、おいしいね)
ルーは彼女を見て、ふんわり微笑む。
「もう少しで、夏のお休みさん♪」
誠矢がその言葉を聞いて、ぱっとひらめいた。
「おう、そうだ。今年もやらねぇか?」
(珍しく、お前から振ってきたじゃねぇかよ)
確かに、ルーから何かを話し出すのは珍しい。美鈴はツッコミ少年が何を言わんとしているのか理解して、
「あぁ、いいね」
おかかおにぎりを、少しだけかじった。チョコレートケーキを堪能している親友に、誠矢は話を振る。
「お前は?」
(今年は無理かも知れねぇな。ファンに見つかんだろ)
「行く」
(夏の大イベント、逃がすわけにはいかない)
彼は焦点の合わない瞳で、短く応えた。誠矢はふんわり天使、ルーに顔を向け、
「ルーは?」
(楽しみにしてんだろ? お前から、話振ってきたかんな)
「ボクもやりたいさん♪」
ルーは嬉しそうにメロンを口に入れた。美鈴はランチに夢中なボケ少女に、
「亮、あんたも行くでしょう?」
(何だか、危険な香りがするね。今年は)
そこで、話は止まった。
「え……?」
(何の値段?)
大暴投している亮は、フライドポテトをフォークに刺したまま、きょとんとした。誠矢がニヤニヤしながら、わざと言葉を抜かして、
「病院に」
(おら、飛ばせよ!)
「えぇっっっ!」
(ど、どこも悪くないと思うよ。
た、確かに、先生に声かけられると、すごくドキドキして、倒れそうになるけど)
彼女はあさっての方向に言葉をいうボールを投げた。誠矢が軽々とキャッチ。
「いやいや、そっちの話じゃねぇって」
(それは病気じゃねぇって、八神の罠だって)
「え……?」
(ドッチボール?)
何をどう解釈したのか、亮は再びきょとんとした。そこへ、ミラクル天使が降臨する。
「野菜さん、何があるかな?」
(もうすぐだから、楽しみなの)
それを聞いて、誠矢はゲラゲラ笑い出した。
「いやいや、大暴投してる間に、変化球、投げてくんなって」
美鈴は額に手を当て、頭痛いみたいな顔で、少しだけため息。
「あんたたち、話めちゃくちゃになってるよ」
祐はぼんやり眼で、チョコレートケーキにパクつく。
(どっちも、放置)
亮はさっきまでのことは忘れて、ルーにキラキラした目を向けた。
(ルーは野菜も好きなんだね。フルーツだけじゃないんだ。知らなかったね)
ここで、従姉妹の大暴投を取ってしまうと、話が永遠に進まないので、誠矢が天使にツッコミという形で終了。
「それは屋台な」
(微妙なやつ、返してくんなって)
「そう、それ。ふふふっ。誠矢クンは優しいさん♪」
ルーは気にせずに、ふんわり笑った。ランチに夢中だった亮は、すでに話についていけなくなっていて、首を傾げた。
「……?」
(屋台? 何で、そんな話が出て来たのかな?)
誠矢は正解を言おうとして、ふと彼女の真後ろに目をやった。そこには、学校の中庭のはずなのに、まるでイギリス庭園を歩いているような、優雅なステップで近づいてくる人がいた。誠矢は口の端を少し歪め、
(正解言う前に、ちょっと前振りしといた方がいいかも知れねぇな)
そして、彼は急に話題を変えた。
「お前、今日、思いっきりはまってたな」
(ちゃんと驚けよ)
「え……?」
(浜辺?)
何をどう取ればそうなるのか、理解不能な亮の思考回路は、すでに崩壊の危機を迎えていた。祐は迷惑顔で文句を言う。
「驚きすぎだ」
(朝から、うるさい)
「えぇっっ!」
(どうやって、砂が驚くんだろう?)
飛び上がった亮は、別次元にワープした。ルーのサファイアブルーの瞳が幸せそうに揺れる。
「仲良しさん」
(来るの)
「え……?」
(砂が仲良しになったんだね。んー……?)
バカみたいに口をぱかっと開けた亮は、別次元で暮らし始めた。美鈴が瑠璃色の髪を視界の端に捉えながら、悪戯っぽく言って、親友をこの世に呼び戻した。
「八神 光」
(あんた、そのまま倒れるでしょ)
彼女の発言を聞いて、誠矢と祐は心の中で同じことを思う。
(春日、ナイスタイミング!)
「えぇっっっっ‼」
(な、何で、先生の名前が出て来たの⁉)
亮はびっくりして、後ろに倒れ始めたが、ふと彼女の体は途中で止まった。
(あれ、何で?)
誠矢は従姉妹のこの先を思うと、ニヤニヤせずにはいられなかった。
「また、世話になってんぞ」
(面白ぇぐらい、はまんな、マジで)
「誰に?」
亮はフォークを手に持ったまま、目をパチパチさせた。すると、少含み笑いの優雅な声が、彼女の頭上から降ってきた。
「私にみたいですよ」
亮が上目遣いに見ると、真っ青な空と八神が映った。
「えぇぇぇっっっっ!!」
(また、抱きかかえてるんですか⁉)
ヒューと青空を思い出して、中庭中に響く大声を上げた。彼女と八神はそのまま、お互いの瞳を見つめて、心の中で会話を始めた。
(どうして、後ろにいるんですか?)
(私が話しかけようとしたら、あなたが倒れてきたんですよ)
(あ、あの……ものすごくドキドキします)
(あなたがドキドキしているのが、私に伝わってきますよ)
ブラウンのくりっとした瞳と、瑠璃紺色の冷静な瞳が、なぜかミステリアスに絡まってゆく。
(夢と同じになってます)
(夢に似ていますね)
(どうして、先生が夢に出て来たんですか?)
(なぜ、あなたの夢を見たのでしょう?)
学校だということを忘れて、見つめ合っている教師と生徒に、誠矢があきれた顔をする。
(いやいや、そこで見つめ合ってると、オレたちどうしたらいいか、わからねぇんだって)
祐は面倒臭そうに、
(どういう場面なんだ?)
美鈴は大人の瞳で、意味あり気な笑みを浮かべ、
(やっぱり、あんたたちあっちで何かあったでしょ?)
ルーは夏の日差しに目を細めながら、ふんわり微笑んだ。
(仲良しさん)
そして、そこで、さっきから心の会話を楽しんでいた、亮と八神は同じ言葉にたどり着いた。
(その答えは、見つかりますか?)
一通り終わったのを直感した誠矢は、ひとつ息を吐いて、
「八神、何しに来たんだよ?」
(お前が何の用もねぇのに、来るわけねぇだろ)
八神はすかさず、教育的指導。
「如月君、先生をつけてください、先生を」
(あなたは生徒で、私は教師なんですから)
誠矢は生徒らしくない返事をして、ツッコミを開始。
「おう、っていうか、オレらいつまで待ってなきゃならねぇんだよ」
(お前が来んの待ってて、話途中なんだって)
八神は亮をきちんと芝生へ座らせて、
「これは失礼」
軽く目を伏せ、優雅に降参のポーズを取った。そして、受け持ち生徒を見渡し、
「今日は何の話ですか?」
その問いに、ふんわり天使が応えた。
「花火大会の話です」
(大切さんなの)
「え……?」
(花火大会? そんな話してたかな?)
亮はさっきまでの会話に全然乗れていなかったので、ぴたっと固まった。八神は優雅に相づちーー間を置く言葉を使った。
「そうですか」
優雅な貴公子に、美鈴が恐ろしい提案をする。
「先生も一緒に行きませんか?」
「みなさんで行くんですか?」
八神は特に驚くでもなく、冷静という名の盾を持って、余裕で受け止め、五人を軽く見渡した。亮以外の全員が笑顔で、
「はいっ!」
(亮も行きます)
勝手に参加になっていた亮は、びっくりして、大声を上げようとすると、
「えーー!!」
(先生と、一緒⁉ そ、それはすごく困るよ、どんなことでも)
美鈴が素早く、八神のおもちゃーーボケ少女の口にハンカチを当てた。
(面白いことになりそうだから、あんた、黙っときなよ)
誠矢と祐がそれを見て、心の中でパチンと指を鳴らした。
(さすが、親友。そいつの行動パターン、よくわかってる)
亮は口を塞がれたまま、美鈴を見つめる。
「……ん、んん!」
(な、何⁉ びっくりできないよ)
八神は口を塞がれている亮をちらっと見て、
(神月さんは驚いているように見える。
神月さんは話を理解していないように見える。
そうですね……?)
返事をもたつかせている策略家に、ツッコミ少年が、
「で、行くのかよ?」
(何やってんだよ、八神。亮、罠にはめんには、絶好のチャンスだぞ)
彼は優雅にあごに手を当て、考えるふりを始めた。
「そうですね……?」
(悪い人たちですね、あなたたちも。
行った方がいいーーという可能性が非常に高いですね。
そちらの可能性がありますからね……)
策略家は何かを心の中で計っているようだ。それを誰にも悟られないように、彼はくすくす笑って、
「いいんですか? 私が行っても」
(神月さんは、困るんじゃないんですか?)
明らかに何か画策している担任教師を前にして、誠矢は軽く返す。
「おう」
(来る気なのに、何してんだよ? 八神。
さらに罠にはめるいい方法でも思いついたか?)
さっきから口を塞がれたままの亮は、みんなを眺めた。
「ん、んん……!」
(ど、どうして、先生と一緒に花火大会に行くことになったのかな?
前から、決まってたのかな?)
また、なかったことをあったことに、亮はしようとしていた。瑠璃色の髪の策略家は、くるくると何かを指でもてあそぶように、もたつかせながら、冷静な瞳をなぜか金髪天使へちらっとやった。
「そうですね……?」
(そうしましょうか……)
今度は、生徒全員を見渡し、
(そんなに、彼女が私の罠にはまるのを見たいんですか?
仕方がありませんね。
しかし、私もそちらを見るのが嫌いではありませんからね。
教師、失格ですが)
やっぱり、ふたりの距離感は崩壊していた。八神もいけない教師である。誠矢がさらに亮が驚くようなこと告げる。
「浴衣、着用な」
(やっぱり、罠にしかける気じゃねぇか)
「んっ!」
(ええっっ、先生の浴衣姿⁉ そ、想像つかないです!)
亮はびっくりして、八神の顔をまじまじと見た。
「そうですか」
彼は優雅に間を置く言葉を使って、くりっとした瞳を自分へ向けている生徒をうかがった。
(なぜ、神月さんは驚いているんでしょう?)
誠矢は祐の肩に手を置き、
「お前も着てこいよ」
(八神が条件に乗ったから、お前も便乗しろよ)
策略家は『わかった』と一言も言っていないのに、彼は若さ全開で突っ走った。
「わかった」
(今回は、前振りに付き合う)
祐は面倒くさそうに応え、誠矢はもうひとつ注文をつける。
「一人で来いよ」
(ファン連れてくんなよ)
「わかった」
(あの技使う)
何かを学んでいる祐は、うんざり顔をした。乗りに乗ってきた誠矢は、さらなる条件を提示。
「その日は無礼講な」
(さらに、亮のやつ、罠にはまりそうだかんな、その方が)
「お城さん、ふふふっ」
ふんわり話をずらしたルーを前にして、誠矢がゲラゲラ笑い出した。
「いやいや、そこで別のボール投げてくんなって」
(お前、油断も隙もねぇな。昼休み終わっちまうって)
八神が脱線しかけた話を元に戻すーー誤解を生まない言い回しで。
「そちらは、私があなたたちから、光と呼ばれて、私が……そうですね、如月君を誠矢君と呼ぶということですか?」
(私は構いませんけど、神月さんが驚くーーという可能性が高いですよ)
「おう」
(驚くどころの話じゃねぇって。気絶するって、それは間違いねぇ)
誠矢は軽快にうなずき返した。口を塞がれている亮は、目を大きく見開いて、芝生の上で座ったまま、十センチほど飛び上がった。
(えぇっ! せ、先生を名前で呼ぶの⁉
ど、どうしてだかわからないけど、ドキドキするよ)
ルーが小首を傾げて、八神の瞳をのぞき込んだ。
「光先生、どうですか?」
(キミは来るだろう)
ふんわり天使の予言通り、策略家はこの言葉を口にした。
「それでは、参加させてもらいますよ」
何だか不自然な会話で、教師の八神が生徒の提案に、便乗するなど普通ならない。それなのに、策略家は自ら手を伸ばした、まるで、喉の渇きに水を得るかのように。そんなことには気づかず、誠矢はみんなを見渡して、
「よし、じゃあ、七月二十五日、夕方五時に、オレん家の病院の屋上に集合な」
(あそこっからが、混雑に巻き込まれねぇで、一番よく見えるからな)
「わかった」
(去年と同じ場所)
祐、ルー、美鈴は大きくうなずいた。八神は優雅に微笑み、
「えぇ、構いませんよ」
決して『わかった』とは言わない彼、そこには策略家らしい思惑が隠されていた。だが、それに気づく者はいず、花火大会の話は決まってゆく。美鈴は亮からハンカチを離して、強行突破。
「亮、遅れないようにね」
(全会一致だから、不参加は却下ね)
「え……?」
(あれ? 行くって言ったかな? 言ってない気がするんだけど……)
亮は不思議そうに首を傾げた。誠矢がにやにやしながら、
「行くって、言ったって」
(気がすんじゃなくて、言ってねぇって)
従兄弟は八神という罠のお膳立てをした。
「あぁ……うん、わかった」
(言ったのかも知れないね、覚えてないけど)
亮の言動を見て、八神はくすくす笑い出した。
(神月さん、行くとは一言も言っていないみたいですよ。
自分で言ったことを覚えていないんですね。
おかしな人ですね、あなたという人は)
そこで、午後の予鈴が鳴った。すっと立ち上がった八神の頭上には、黒い雲が帯を引き始めていた。
それは、午後の授業が終わる頃には、全体に広がり、また夕立となった。