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Legend of kiss3 〜水の王子編〜  作者: 明智 倫礼
13/41

近くて遠い

 そして、翌日。

 自室のソファーで、ヒューは外出の準備を終えて、新聞を読んでいた。


(七月十日。日付まで決まってるんですね。そして……)


 ふと書斎机に目を移した時、マリアが部屋へやってきた。


「おにいさま」


「マリアさん」

(また、あなたに会うことが出来て、とても嬉しいですよ)


 彼は優しい顔を向けた。彼女は兄の足下に駆け寄る。


「もう、だいじょうぶですか?」

「えぇ」


 マリアを心配させないように、ヒューは彼女の隣にかがんだ。マリアは少ししょんぼりする。


「ごめんなさい」


 ヒューは首を横にゆっくり振る。


「いいえ、あなたが無事ならそれでいいんですよ」

(あなたを助けることが一番だったのですから)


「あ……はい」


 マリアは戸惑い気味に答えた。ヒューは彼女の小さな手を優しく包む。


「あなたが困る必要はありませんよ」

「はい」


 マリアは元気に返事をした。ヒューは少しだけ微笑む。


(あなたは、強い人ですね)


 そして、彼は流れるような仕草で、髪飾りを手に取った。それを見て、マリアが目をキラキラ輝かせる。


「にんぎょさんに、あいにいくんですか?」

「なぜ、そう思うんですか?」


 ついいつもの癖が出て、可愛い姫を前にしても、ヒューは情報を引き出すため、優しく聞き返した。マリアは素直に答える。


「それは、にんぎょさんのかみかざりだからです」


「そうですか」

(陸へ上がるとは、そういう意味なのかも知れません。リエラさんは、人魚という可能性があるみたいです)


 彼はここまで、簡単にたどり着いてしまった。


「あいにいくんですか?」


 マリアは興味津々で身を乗り出した。ヒューは優雅にうなずく。


「えぇ」

(命令ですからね)


「わたしもいきたいです」


 マリアは右手をぱっと上げ、元気に答えた。ヒューはそれを聞いて、戸惑う。


(あなたが危険な目に遭う可能性がある場所には、つれていけない。

 あなたが悲しむーーという可能性が高い。

 しかし、あなたの望みを叶えてあげたい。

 そうですね……こうしましょうか)


 彼は瞬時に判断して、まずはゆっくりと首を横に振った。


「今日は残念ですが、連れて行くことは出来ません」

「……あ、はい」


 兄の予測通り、マリアはしょんぼりした。ヒューは妹が元気を取り戻すため、次の言葉を告げた。


「今夜も私の部屋で、絵本を読んで差し上げますから、そちらで、許してもらえますか?」

「はいっ!」


 マリアはさっきまでのことは忘れて、元気にうなずいた。ヒューは彼女の頭を優しくなで、


(素直で、正直な人ですね、あなたは。とても素敵です)


 兄妹が仲良くやっていると、不意にドアがノックされた。


「はい?」


 ヒューが返事を返すと、召使いが一人入ってきた。


「馬車の準備が整いました」

「そうですか」


 彼は髪飾りを持って、マリアと一緒に部屋を出た。



 そして、海の底では。

 リエラが何をしようか考えようとした時、扉がノックされた。


「姫さま?」

「はい?」


 彼女がドアを開けると、召使いが一人立っていた。手短に伝言を告げる。


「王様が、コランダムへ行くようにとおっしゃってます」

「えっっ!」


 リエラはびっくりして飛び上がった。


(コランダムって、陸の国だよね? 髪飾りないから、行けないよ)


 またおかしな行動をしている姫を前にして、召使いは不思議そうな顔をする。


「どうされました?」

「髪飾りがないんです」


 リエラは正直に答えた。召使いは意味あり気に微笑んで、


「大丈夫でございます」

(そちらを取りにいくのですから)


「え……?」

(昨日はダメだったけど、今日はよくなったのかな?

 髪飾りがなくても、陸に行けるってこと?)


 リエラは未だに、髪飾りを砂浜に、落としたことに気づいていなかった。


「二時に、海岸へ到着するようにとのご命令ですから、すぐにご準備を」


 召使いはテキパキと言って、姫の着替えを手伝うため、リエラの部屋へ入った。


「あぁ、はい。わかりました」

(よくわからないけど……大丈夫だね、きっと。とりあえず、準備しよう)


 リエラは簡単に納得し、召使いのあとに続いた。



 今日は天気もよく、波も穏やかで、コランダムの海岸へ、リエラたち一行は無事にたどり着いた。 波打際近くの岩肌に、リエラは腰掛け、従者が、


「こちらでお待ちを」

「あぁ、はい」


 潮騒を聞きながら、リエラは頬杖をついて、ぼんやりする。


(んー……?

 陸に上がって、待ってたら足が生えて、歩けるようになるのかな?

 そういうことかも知れないね。

 じゃあ、待ってるしかないね。

 でも、どれくらい待つのかな?

 代わりの髪飾りって、ないのかな?

 そういえば、どこにいったんだろう?

 それとも、最初からなかった?

 ううん、あったよ。

 この間……)


 そこで、彼女は背中から声をかけられた。それは、とても冷静さを持ったもので、


「お探しの物はこちらですか?」


 自分の背後から突然、探し物ーー髪飾りが出てきたので、リエラはびっくり。


「えぇっ!」

(どうして、ここで出てくるんだろう? 別に、お城の中で出て来てもいいんじゃないかな? んー……?)


 ボケボケ少女は似合わずに、考え出した。何も返してこないので、背後にいた人は含み笑いをしながら、もう一度尋ねた。


「あなたのものですよね?」

「……あぁ、はい」


 リエラは我に返って、返事をし、後ろに振り向くと、そこには瑠璃色の髪をした男がいた。ふたりとも、相手の顔をじっと見つめて、


(誰かに似ていますね)

(誰かに似てる気がする)


 まわりいた従者たちが何かを期待して、目の色を変えた。


(これは、もしかすると、もしかするかも知れません!)


 男はあごに手を当て、優雅に微笑む。


(神月さんですね。まさか、あなたが夢に出てくるとは思いませんでしたよ)


 リエラはその人の仕草を見て、引っ掛かりを覚える。


(あれ? どっかで見たことあるなぁ。んー……?)


 何の遠慮もなしに自分を凝視ーー明らかに不自然なことをしている、彼女を前にして、男はくすくす笑う。


(また、考えてもわからないことですか? 夢の中まで、あなたらしいんですね)


 リエラは首を傾げて、さらにその人を見つめる。


(八神先生に似てるけど……どっか違うような気がするんだよね。何が違うんだろう?)


 考え続けている人魚姫を前にして、男は優雅に微笑でいた。


(どうしたんですか?)


 そこで、リエラはやっと、違和感に気づいた。


(あぁ、眼鏡かけてないんだ。あと、すごく幸せそうな目をしてる。初めて見たな、先生のこんな目)


 彼女は自然と笑顔になった。キラキラとしたブルーの瞳に、男は微笑み続ける。


(何を考えているんですか? 気になりますね)


 黙ったまま、王子と王女が見つめ合っているので、まわりの従者たちはさらに期待した。


(一目惚れでございますか⁉)


 男の知りたいという気持ちが、口を開かせた。


「失礼いたしました。私は、ヒュー ウィンクラーと申します」

(夢には、夢のルールがありますから、そちらに従いましょう)


 リエラはヒューの幸せそうな瞳を見つめたまま、


「リエラ カリアントです」

(そうだよね。自分にも違う名前があるんだから、先生だって名前違うよね)


【月と水 時は満ちた】


 リエラとヒューの魂の奥底に、誰かの声が響いた。見つめ合ったまま、また沈黙する。


(懐しい名前だね)

(懐しい名ですね)


 心地よい海風がふたりの髪を優しく揺らす。寄せては返す波の音が静かにリフレイン。リエラはヒューを見つめて、またぼんやりする。


(前にも、こんなことがあったような気がする)


 彼は特に思うこともなく、彼女の姿を見て、


「人魚なんですね?」

(おとぎ話みたいです)


「……あぁ、はい」

(いつ、こんなことがあったんだろう?)


 リエラは考え事の途中だったため、ぼんやりしたまま返事を返した。ヒューは人として当然のことをしようとして、彼女に髪飾りを差し出した。


「一昨日は、助けていただいてありがとうございました」

「え………?」


 リエラはその言葉で、我に返った。そして、そのままヒューを凝視する、また遠慮もなしに。


(一昨日、助けた? ………。一昨日ってことは、昨日の前の日だよね? この夢って、つながってるんだ。何だか、面白いね)


 彼女はとても楽しそうに微笑んだ。ヒューはあごに手を当てて、そんな素直な彼女を見つめ、


(夢の中でも同じなんですね、あなたは)


 リエラはそれに気づかず、考え始めた。


(助けたって……今、先生言ったよね?

 てことは、大丈夫だったんだね。

 よかった。

 ずっと、気になってたから。

 溺れてた人って、先生だったんだ。

 え………八神先生⁉)


 その言葉ーー名前にたどり着いて、リエラはまじまじと、ヒューの顔を見つめた。


(あぁ、あの時、気づかなかったけど。本当だ、八神先生だ)


 また、首を傾げて、気づいてはいけないことに手をかけた。


(えっと……どうやって助けたんだっけ?)


 リエラはそこでびっくりして大声を上げる。


「えぇっっっ‼」

(た、大変だ‼)


 いつも通り驚き始めた彼女に、ヒューはくすくす笑いながら、


「どうかされたんですか?」

(あなたの大騒ぎの原因は何ですか?)


「あ……あの……」


 リエラは言いよどんで、顔を真っ赤にした。さすがのボケボケ少女も、キスは知っていたようだ。心臓がバクバクいい始める。


(うわっ! 先生とキスしたんだ。ど、ど、どうしよう。恥ずかしくて、顔見れないよ。え……でも、夢の中だから平気?)


 唇の感触を思い出して、彼女はドキッとした。そして、砂浜中に響くような、大声をまた上げる。


「えぇぇっっっ!!!!」


 さっきから、一人で大騒ぎしているリエラに、ヒューはくすくす笑いながら、優雅に何かを堪能し始めた。


(おかしな人ですね、あなたは。そうですね……こうしましょうか)


 リエラはそれに気づかなかった。恥ずかしすぎて、うつむいたまま考えていたから。


(でも、夢とか関係ないんじゃないかな? え、関係ある? あれ?)


 彼女は何だかわけがわからなくなった。ヒューの優雅な声が、彼女の名前を呼ぶ。


「リエラさん?」

 

 私が話しかけないと、あなたから話してくるーーという可能性は非常に低い。

 

「あ、あの……気づいてませんよね?」

(気を失ってたわけだから、知らないですよね?)


 彼女は戸惑い気味に聞いたーーいや、バレバレな態度をしている姫を、優雅な策略家はもてあそぶーー不思議そうな顔をする。


「何をですか?」


「えっと……この間のこと……です」

(言葉にすると、すごく恥ずかしいので……)


 リエラはドッキドキで、声が上ずりそうになった。彼は珍しく真剣な顔ーー罠を張っていく。


「助けていただいた時のことですか?」

「あぁ、はい」


 リエラは自分の足下を見つめたまま、小さな声でうなずいた。ヒューは彼女の顔を覗き込み、優しく声をかけるーー罠をさらに張る。


「何か問題でもありましたか?」


 耳元で優雅な声が響いたので、リエラはびっくりして顔を上げた。


「も、問題ですか⁉ ……あっ、あるような……ないような……」

(気づいてないみたいだから、大丈夫だよね。そ、そうだよね。き、気にしないことにすれば……何とか大丈夫……?)


 と思ったのもつかの間、罠が作動し始めた。


「キスですか?」

(驚きますか?)


 十分姫をもてあそんだ、王子は今頃その言葉を口にした。リエラはしっかり罠にはまり、後ろに倒れ始めて、


「えぇっ! 知ってたんですか⁉」


 ヒューはくすくす笑いながら、彼女の手を捕まえた。


「危ないですよ。溺れたいたところを助けていただいたのですよ。少し考えれば、わかることだと思いますが、違いますか?」


 大人の余裕で、何の下心もなく、説明されたが、


「あ、あの……」

(すごいドキドキして、恥ずかしいです)


 ファーストキスを捧げたリエラは、顔を真っ赤にして、モジモジした。ヒューはポーカフェイスで、


「気にしていませんよ、助けていただいたのですから」

(こちらは、本当のことですよ)


「えぇっ‼」

(き、気にします。

 先生が気にしてなくても、気になります。

 明日から、学校行けません。

 明日から、どんな顔をして、先生に会えばいいんですか?)


 リエラはまた倒れそうになった。彼女の手をひっぱりながら、ヒューはいつも通りなのがおかしくて、くすくす笑い出す。


(おかしな人ですね)


 いつもと違って、よく笑う彼を目の前にして、リエラの恥ずかしさは吹っ飛んだ。


(先生って、こんなふうに笑うんだね。知らなかった。でも、どこかで見たことがある。どこでだろう?)


 彼女の中で何かとイメージが重なりかけて、そのままぼんやりした。ヒューはさっきからずっと持たされていたものを、姫に差し出して、


「髪飾りをつけていただけませんか?」

(きっと、似合うでしょうね)


「え……?」

(今、何て言いました?)


 リエラはいつも通り、ちゃんと聞き取れなかった。しかし、教師ではないので、王子のヒューは注意することもなく、もう一度告げる。


(また、聞き取れなかったみたいです)

「髪飾りをつけていただけませんか?」


「あ、はい」


 リエラは彼の手から、王族の証である紋章の入った、髪飾りを受け取り、素直に髪へ挿した。すると、まぶしい光に包まれて、彼女の尾ひれは二本足になり、人と同じように歩ける状態に。それを見て、ヒューは本当に嬉しそうに微笑んだ。


(魔法みたいですね。素敵な夢です)


 リエラは自分の姿が急に変わったので、目をぱちくりさせた。


「えぇぇっっっ!」

(ほ、本当に二本足になるんだ。すごいね。夢だから、こういうこともあるんだね)


 彼女は妙に納得しながら、ブルーのドレスを手で触った。陸を自由に動くことができるようになった姫に、ヒューは優雅にいざなう。


「リエラさん、お茶はいかがですか?」


 助けてもらったのだ、礼をするのは当然。


「お茶ですか?」


 リエラはきょとんとした。ヒューは優雅に相づちを打つーー相手の出方を待った。


「えぇ」


「……あ、はい、いただきます」

(学校みたいですね)


 罠が次々に張られているとは知る由もなく、リエラは笑顔でうなずいた。


「それでは、お手を」


 まるで、舞踏会でも行ったことがあるような、慣れた素振りで、ヒューは彼女へ手を差し出した。ボケ少女・リエラ、いや姫に慣れていない女子高生は、なぜか自分の手を見つめ、グーパーグーパーする。


「手ですか?」

(もう、お茶の用意が出来るてるのかな? 先生、いつの間にしたんだろう?)


 ヒューは片膝を砂浜についた状態で、くすくす笑い出した。


「えぇ」

(伝わっていないみたいです、私の言葉が)


 笑っている王子を放り出して、リエラは首を傾げる。


「手……?」

(先生の言っている意味がわからないなぁ。夢だから、どこからかぱっと出てくるのかな?)


 また、ボケて勝手な解釈をし始めた彼女を、ヒューはあごに当てて、画策し始めた。


(そうですね……夢なのですから、少し楽しみましょうか)


 この瞬間、策略家の罠が教師という立場失い、一気に解き放たれた! リエラにトラップの嵐が襲いかかる。


「こちらの方がよろしいですか?」


 優雅な声が響いた時、リエラの視界が真っ青になった。王子のしたことを目の当たりにして、まわりにいた両国の従者がざわついた。


(ヒュ、ヒュー様⁉)


 リエラは自分の身に起こったとんでもないことに気づかず、ぼんやりする。


(あれ? 何で、景色が急に変わったんだろう? 青くなったね)


 ヒューは当てが外れて、心の内に面白味が増してゆく。


(おや? 驚きませんね。どうしたんですか? 急に黙り込んで。驚かない時もあるみたいです)


 そして、彼は彼女が驚くための言葉をかけ始める。


「気分はいかがですか?」

(気づいていないのかも知れませんね)


「気分……ですか?」


 リエラは戸惑い気味にただ繰り返した。そして、目の前の景色を眺める。そこには柔らかそうな白いものと、真っ青な絵の具が。ヒューは軽く促して、一つの可能性を導き出す。


「えぇ」

(気づいていないーーという可能性が高くなりましたね)


 策が張られているとは知らず、リエラは思ったままを正直に伝えーー策略家にいとも簡単に情報を渡してしまった。


「空が綺麗です」


 全然、聞かれたことと違うことを、リエラは返してきて、ヒューはその言葉に反応して、空を見上げた。


「そうですか」


 そして、彼はくすくす笑い出した。


(なぜ、気分の質問から、空の話になったのでしょう? おかしな受け答えをする人ですね、あなたは)


 リエラはそこで、違和感を持った。


(あれ? 急に自分が揺れてる気がするけど。どうしたのかな?)


 なぜか、彼女は小刻みに揺れ始めたのだ、不思議なことが起こるもので。


「このままでよろしいですか?」


 ヒューの声が不意に聞こえた時、リエラの視界に彼の顔が入ってきた。あり得ない光景に、彼女はびっくりする。


「このままですか⁉」

(ど、どうして、先生と空だけが見えるんだろう? それに、ずいぶん距離が近い気がするんだけど……)


 彼は含み笑いをしながら、さらなる罠ーー言葉をかける。


「このまま運びますよ、よろしいですか?」

(まだ、気づかないんですか?)


「運ぶ……?」


 なぜか、運ばれるという状況に置かれていたリエラは、目をぱちぱちした。そして、彼女は自分の身に起きていることを、やっと確認し始める。


(あれ? そういえば、足が地面についてないような……。浮いてるってことかな? でも、どうしてだろう?)


 次に、ひざの後ろと背中に何かを感じた。


(何だろう?)


 探ろうとして、自分の右側を見ると、


(あれ、誰かがすぐ近くに立ってる。誰?)


 彼女の視界いっぱいに広がったのは青と白のふたつの滑らかな線。そのまま、彼女はヒューを見るため、真正面を向いた。


(あぁ、先生だ。何だか、おかしいね。自分と先生はまっすぐ立ってない気がする。んー……?)


「リエラさん、返事をしてください」

(まだ、先ほどの私の質問に答えていませんよ)


 いつも通りに、八神ーーヒューは教師らしく注意をした。リエラは空のあちこちを見ながら、戸惑い気味に、


「はい。あの……私、今、どうなってますか?」


「あなたは今、私に抱きかかえられていますよ」

(理解しましたか?)


 なんと、ヒューはとんでもないことーーリエラをお姫様抱っこしていた。彼女はその意味にまだ気づかず、のんきにうなずく。


「あぁ、そうなんですね……」

(だから、空が見えて……自分が浮いてるんーー‼)


 学校では保たれていた距離が、一気に縮まったーー密着したので、


「え、え………えぇっっっっ‼ な、何でそんなことになってるんですか⁉」


 リエラは大きく目を見開いて、足をバタバタさせた。ヒューはくすくす笑いながら、


「暴れないでください。落ちると危ないですよ」

「あ、あの……あの……で、でも……」


 リエラは壊れた人形みたいに口をパカパカさせたまま、体を硬直ーー素直にヒューの言葉に従った。


(た、確かに落ちると危ないです。先生が正解です)


 ヒューは姫をさらに罠に陥れようとして、わざと彼女の瞳をのぞき込み、


「どうしたんですか?」

(言わないと、わかりませんよ。

 いつも言いたいことの半分も言えずに、去っていくのですから。

 せめて夢の中では言ってください)


 リエラは息を吸っては、吐くを何度か繰り返して伝えして、やっとの想いで、


「……お、降ります」

(ドキドキするので、降ろして欲しいです)


「そうですか?」

(大変なことになりますよ)


 優雅な策略家はすでに、リエラをもうひとつの罠にはめていた。彼女はそれに気づかず、はっきり意見する。


「はい、降ります」

(先生に迷惑かけるわけにはいかないです)


「そうですか。さぁ、どうぞ」


 リエラがどうなるのか知っていて、ヒューはとりあえず、彼女の体を軽々と操り、岩場の上に立たせた。


「あ、ありがとうございーー!!」


 リエラがお礼を言おうとすると、なぜかバランスを崩した。


「わ、わわわっ!」


 足元がおぼつかなく、その場でヨロヨロし始めた人魚姫、二本足なのに、なぜかそうなっていて。フラフラしているリエラを、ヒューがさっと抱きとめる。


「私が抱えた方がよろしのではないんですか?」

(気づいてないんですか?)


 何かの情報を、リエラは逃しているようだ。彼女はドッキドキで拒否をする。


「……い、いえ、だ、大丈夫です」

(また、先生と近づいちゃったよ。まっすぐ立たないとね)


 リエラが彼の体から離れようとする、その手をヒューは取りながら、くすくす笑っていた。


(大丈夫ではないみたいですよ。きちんと考えて行動しないと、いけませんよ)


 彼女は彼の手を軸にして、バランスを取ろうとし、


(ドキドキしてるから、出来ないのかな? やっぱり夢の中でも、先生の前は、落ち着かないね)


 罠という迷路を歩かされているリエラは、ヒューから手を離そうとして、また倒れそうになった。


「わっ!」


 ヒューが両手で姫をしっかり受け止めて、どうして立てないのか指摘ーー罠を披露する。


「ハイヒールでは立てませんよ」


 リエラは彼の胸に、寄りかかったまま自分の足下を見つめた。そこには、淡いピンクの綺麗なものに包まれた自分の足が。しかも、ガタガタな岩場の上。


「え……? わっ、本当だ⁉」


 さっきからずっと密着している王子と王女に、従者たちは見ていていいものか、見てはいけないのか迷っていた。


 彼らのことは気にせず、策略を楽しむヒューは、彼女を両手で支えながら、リエラの耳元に口を寄せて、


「どうしますか?」

(あなたをこんなに近くに感じたのは初めてです)


「え?」


 そばにいることはわかっているのに、リエラは思わず顔を上げてしまった。


「あ、あの……!!」

(ものすごく近くて、ドキドキします!)


 息がかかるくらいの至近距離で、リエラの心臓は最高潮に早鐘を打ち始めた。そんなことは到底お見通しなヒューは、瑠璃紺色の瞳で、わざとらしく彼女の顔をのぞき込み、そして、スマートに質問をすり替え、


「どうしたいですか?」

(ドキドキしていますね、今。伝わってきますよ、私にも)


「えっと……」

(ど、どうしたいのかな? あれ、なんか違ってる気がするけど……気のせい?)


 いつの間にか、『どうしますか?』が『どうしたいですか?』に変わっていた。ヒューに思考回路を制御されているリエラは、それに気づかず、一生懸命考えて、


「まっすぐ立ちたいです」

(自分で立ちたいです)


 空を見上げ、考えをまとめて、再び自分を見たリエラに、ヒューは優雅に微笑み返しながら、


 あなたは自分で考えることができないーーという可能性が高い。


「それでは、どうしたらいいですか?」


 王子は姫が答えられないことを知っていて、わざと聞いた。じわりじわりと逃げられない行き止まりへと、リエラは追いつめられてゆく。そんな彼女は王子の思惑通り戸惑い、


「ど、どうしたらいいんでしょう?」

(ほ、方法はわからないです。だけど、このままは、もっと困るんです!)


(それでは……こうしましょうか)


 ヒューはこんな言い方をし、どんどん罠にはめていく。


「私が決めてしまっていいんですか?」

(何を要求するかわかりませんよ)


「は、はい、お願いします」

(もう、ドキドキしすぎて、よくわかりません)


 リエラは心臓バックバクで、思考が完全にストップーー罠にはまって、うっかりうなずいてしまった。ヒューはさらに顔を近づけて、優雅な笑みーーという策略で姫をがんじがらめにする。


「そうですか。取り消しは出来ませんよ、よろしいですか?」


 リエラは気絶しそうになりながら、何の考えもなしに、


「は、はい……」

(取り消しはしません。先生、お願いします)


 こうして、リエラはいとも簡単に、ヒューの手中に落ちてしまった。


「それでは、失礼」


 策略家は至福の時というように、また彼女を軽々と抱きかかえた。リエラは訴えかけるような目を王子に送る。


「あ、あのっ! ……やっ、やっぱり、それなんですか?」


 ヒューはさっそく張った罠で、優雅にその訴えを却下。


「おや? 取り消しは出来ませんよと言いましたよ」

(こちらが、一番合理的な方法であるーーという可能性が高いです。砂浜にハイヒール。他にどのような方法があるのでしょう?)


「あ……はい」


 反論できなくされたリエラは、ただうなずくしか選択肢がなかった。初めて会った姫を抱きかかえるという、まわりまで驚かせた王子。彼らが砂浜を動き出すと、側に控えていたふたつの国の従者たちははっと我に返り、それぞれの仕事ーー護衛を始めた。



「ーーさぁ、どうぞ」


 ヒューはリエラを地面へそっと下ろし、従者が開けたまま待機している馬車のドアを手で示した。


「あぁ、ありがとうございます」


 履き慣れないヒールで、リエラはふらついたが、また倒れると、お姫様抱っこ攻撃に遭ってしまうので、そろりそろりと慎重に乗った。そのあとに、ヒューが慣れた感じで続く。


 生徒と教師、その距離感が、ふたりをそれぞれの席ーー居場所へと導いた。向かい合わせだが、少しズレた位置にふたりは座る。ヒューが外で控えている従者に視線をやると、ゆっくりと馬車は石畳を走り出した。しばらく、ふたりは黙ったまま、それに揺られていた。


 リエラは手元を見つめて、バクバクしている心臓をなんとか鎮めようと必死にもがいていた。


(せ、先生に抱きかかえられて、運ばれちゃったよ。そ、それに、馬車の中って狭いんだね)


 高校生の彼女は、今頃それに気づいた。


(ど、どしよう?

 夢の中なのに、ずいぶんドキドキするんだね。

 や、やっぱり、慣れないといけないのかな?

 慣れるために、夢を見てるのかな?)


 ヒューの罠に慣れるという意味不明な思考回路に、リエラはたどり着きそうになっていた。向かいの席にいる彼は、珍しく幸福感に何のためらいもなく浸りながら、窓から入り込む潮風を感じている。


(マリアは喜ぶかも知れません。素敵な夢ですね)


 そんな彼は流れてゆく街の風景を堪能していた。カフェテラスや洋服屋、その他、ありとあらゆる店が立ち並ぶ、メインストリート。綺麗に整備された石畳の上を歩いている人々。面白いことに、中世ヨーロッパ風の服装の人ばかりではなく、近未来的な服装をした人もいれば、ターバンを巻いている人もいた。


 ふと、花屋の軒先で、カーネーションがヒューの目を引きつけた。


(綺麗……です……ね)


 彼が過ぎゆく花を目で追うと、ふと視界の端にリエラが映った。ヒューは冷静な頭脳で、様子をうかがう。顔を真っ赤にし、手を震わせている彼女。さっきの一件が相当効いていることが、容易に想像できて、彼は心の中でくすくす笑った。


(私は今は何もしていませんよ。

 おかしな人ですね、あなたは。

 教師失格かも知れませんが、あなたを困らせることが嫌いではないんですよ。

 なぜ、でしょうね?)


 リエラがふと視線を上げると、自分を見つめて優雅に微笑んでいるヒューと視線がぶつかった。


「えっ?」

(せ、先生、今、何考えてるんだろう?)


 彼は不思議なほど、姫には罠を仕掛けずに、ただじっと見つめ返して、


「どうしたんですか?」

「あ、あの……」


 リエラはそこまで言って、ヒューの服装に初めて気づいた。深い青を基調にした貴族服に身を包み、細身の黒いブーツと、白いズボン。襟元と袖口にフリフリのついた白のブラウスが、彼の物腰とマッチしていて、さらに優雅さをかもし出していた。


 ようやく落ち着いて来た、リエラは素直に気持ちを伝える。


「その服、よく似合いますね。素敵です」

(先生のイメージにぴったりです)


「ありがとうございます」


 ヒューは戸惑うことなく、優雅にお礼を言って、


(素直に自分の気持ちを伝えられることは、素敵なことです)


 普段、自分がしなことをしてくる彼女に、愛おしさに似た感情を持った。リエラはふとそこで、あることを思い出して、


(本当の王子様みたいだね。

 そういえば……祐も誠矢も王子様に夢の中でなってたって言ってたよね?

 もしかして……)

「あの、ヒューさんも王子様ですか?」


 彼は優雅に微笑んで、まっすぐ肯定。


「えぇ」

(あなたが王女で、私が王子ですか。おかしな夢ですね)


「わかる気がします」

(王子様、似合ってます)


 リエラはなぜがそう応えた。何だかチグハグになっている会話。それを聞いたヒューは、本当におかしくて、くすくす笑い出した。


(どのような判断をして、そちらの言葉になったのでしょう? おかしな人ですね)



 左へ右へと軽く蛇行している石畳を、しばらく行くと、立派な門を馬車が通りすぎた。リエラは目の前に広がった、美しい景色ーー緑の絨毯に、真っ青な空、ところどころに顔を見せる色とりどりの花々。それらに目をキラキラ輝かせ、彼女は窓へ思わず身を乗り出した。


(わぁ、お城だ!)


 その先に見える建物にリエラは目を向ける。そこには、真っ白な壁と、コバルトブルーの三角帽をかぶった建物が待ち構えていた。


(本当に先生にぴったりだね)


 子供のようにはしゃいでいる彼女を見て、ヒューはいつもとは違い、優しく微笑んでいた。


(あなたとマリアはよく似ていますね)

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