夢だった?
探し求めていたものを、逆らうことの出来ない大きな力ーー運命によって、失ってしまったような悲しみ。それに胸を締めつけられ、リエラはウトウトしては、目を覚ましを、何度も繰り返しているうちに……。目頭に差し込む眩しい光に、眠りの奥底から引き戻された。うっすら目を開け、彼女は見慣れた天井を見つける。
「……夢?」
ぽつりつぶやき、急速に戻り始めた意識の中で、部屋を見渡す。
机に……カバン。
制服。
携帯電話。
ーーピピピピッ!
目覚まし時計代わりにしている、携帯が不意に鳴り始め、片手でぱっと引き寄せ、画面をタッチ。
「学校に行く時間だ」
ベッドからゆっくり起き上がり、
「夢……だったんだ」
カーテンの隙間から差し込む、夏の陽射しに目を細め、鳥のさえずりに耳を傾ける。
「あの人……大丈夫だったかな?」
急に胸に切なさが広がり、
「夢なのに、どうして、こんなに気になるんだろう? 何だか変だね。それに……」
まるで別世界にいたような、妙にリアルな夢。そこで感じた、潮風の匂いや濡れた髪の感触。砂浜に横たわる人。全てが鮮明に思い出され、ついで亮の脳裏に、優しく凛とした声が蘇った。
『この者を救えるのは、あなたしかいません』
小首を傾げ、ぼんやりする。
「どうして、夢の中で、別の夢の声を聞いたんだろう? つながってるのかな? ふたつの夢って」
何気なく机へ向けた亮の視界に、教科書が映る。数学の教科書が。
「誰かに似てるんだよね。誰だったかなぁ? んー……??」
さらに考えを巡らせようとすると、階下から愛理の声が。
「亮、起きる時間よ」
「はーい!」
元気に返し、亮はベッドからぱっと飛び降りた。
「ちょっと、わからないね。遅刻すると、大変だから。とりあえず、考えるのはあとにしよう」
制服に袖を通そうとして、ふと手を止めた。
「でも、気になるなぁ」
机に視線を落とし、再び数学の教科書を捉える。
「先生に相談したら、わかるかな? どうしようかな?」
いつまでも起きてこない妹に、姉がもう一度、
「遅刻するわよ」
「……あ、はい!」
亮は急いで制服に着替え始めた。
「おはよう、お姉ちゃん」
亮がリビングへ入ると、いつも以上にハイテンションな愛理が出迎えた。
「おはようっ!」
(きゃあ♡ 今日は素敵な朝よ!)
足元にカバンを置き、亮は椅子に腰掛けて、
「何かいいことあったの?」
愛理はナイフとフォークを胸の前でしっかり握りしめ、目はハートマークで、
「えぇ、あったわよ〜♡ もう、最高だったのよ」
亮は並べられた料理に目を奪われ、姉の目の輝きに気づかなかった。
「何?」
ウッキウキで、愛理は体を左右に揺らしながら、
「今日ね、夢に不機嫌な王子様が出て来たのよ♡」
(夢から覚めちゃったのが、残念だわね)
「え……?」
亮は真顔になり、姉へ顔を上げた。
(不機嫌……? 王子様……?)
銀髪美少年の、幼なじみの顔が浮かび、亮は姉に、
「それって、祐のこと?」
「えぇ、そうよ」
「それで、お姉ちゃん、嬉しそうなんだね」
いつも通りの美少年好きを見せた姉の態度に安心して、亮は再びテーブルへ視線を落とした。
(何から食べようかな?)
朝食に気を取られている妹の正面で、愛理は頬杖をつき、
「でね……」
ぐいっと身を乗り出した。
「私の義理の弟になってたのよ、素敵でしょ?」
亮はコップにミルクを注ぎつつ、
「そうなんだ」
(お姉ちゃん、祐のCD、寝る前に聞いたんだね。だから、そんな夢ーー)
寝る前のことを思い出した亮の手元で、コポっとミルクがコポッと鳴り、コップ半分で止まった。
(あれ?
昨日は一緒にドライフラワー作りして、そのまますぐに寝たよね?
おかしいな?
それとも、よく聞いてるから、夢見たのかな?)
ぼんやりしている妹を差し置いて、愛理はウッキウキでおしゃべり中。
「ーーでね。正貴さんと結婚してるお姫さまになってたのよ。そして、祐君と正貴さんが兄弟で、ふたりとも王子様だったの」
何の脈略もない話に、亮の目は丸くなり、
「え……?」
(櫻井さんと祐が兄弟?)
頭の中でふたりを隣り合わせで並べ、亮は妙に納得。
(あぁ〜、でも似てるね、あのふたり。だから、兄弟の夢をお姉ちゃん、見たんだーー)
「さぁ、食べましょう」
愛理の声に我に返ると、さっきからずっと姉が握りしめていたナイフとフォークが亮に差し出されていた。
「あぁ……いただきます」
話し声のなくなったリビングに、テレビの音声が響き渡る。
『ガスタガ王国、レイト王子の行方不明事件をお送りしました。次は気象情報です。今日は全国的に大気の状態も安定していて、過ごしやすい一日になるでしょう』
亮がちらっとテレビ画面を見ると、七月八日の天気。
『それでは、明日からの週間天気です』
画面がぱっと切り替わり、七月八日から十四日までの天気が。それらをざっと見て、亮は姉へ、
「しばらく天気いいんだね」
その言葉につられ、愛理もテレビの方へ顔を向け、
「あら、そうね。洗濯物もよく乾いていいわね」
再び会話が途切れ、亮は不意に、今朝見た夢を思い出した。
(そういえば……。あれって、『人魚姫』の話に似てるね? あっ、もしかしたら、わかるかも知れない!)
何か思いついた妹は、トーストにジャムを乗せている愛理に、
「ねえ、お姉ちゃん?」
「何?」
不機嫌な王子の夢からまだ目覚めない愛理は、ご満悦な笑みで聞き返した。
「『人魚姫』の本って、持ってたよね?」
妹の言葉に、愛理は胸騒ぎを覚える。
「えぇ……あるわよ」
(人魚……。どうして、あなたがその言葉を言うのかしら?)
亮に悟られないよう、愛理は顔色ひとつ変えず、
「どうして?」
「ちょっと気になることがあるから」
(夢のことがわかるかも知れないよね、それを読んだら)
愛理は亮の瞳の奥をうかがいつつ、
「そう。食べ終わったら、持ってくるわね」
「ありがとう」
モグモグ食べ始めた妹を前にして、愛理は冷たいミルクの入ったグラスを両手で握りしめた。
「…………」
(今朝、見た夢の中で、私も人魚になってたのよね。
姉妹だから、同じ夢を見ることもあるのかも知れないけど。
偶然なのかしら?
何だか、変だわね)
あごに人差し指を当て、愛理は小首を傾げる。
(微妙に、何かがズレてきてるような気がするの。昨日の朝から……)
滴のついたグラスから、愛理はそっと手を離し、
「最近、何かあった?」
「えっ?」
姉の真剣な声色に、亮は驚き顔を上げた。じっと妹を見つめ、愛理は、
「昨日から、考えごとしてるみたいだけど」
(あなただけ、様子がおかしいのよ。他のことは、いつも通りなのに)
亮は一瞬ドキッとした。
「え……」
(やっぱり、お姉ちゃんにはわかってたのかな?)
ナイフとフォークをテーブルの上に置き、
(どうしようかな? 言った方がいいのかな?)
あちこちに視線を飛ばし、亮は迷い続ける。
「…………」
(でも、心配かけたくないんだよね。誠矢には話したけど。自分のことは自分で、解決したいんだよね)
姉は妹の真意をキャッチし、
「…………」
(大人になとうとしてる。だったら、このまま黙って見守っておくのがいいのよね)
食べかけの目玉焼きに視線を落とし、亮は、
「…………」
(相談する人は、お姉ちゃんじゃない気がする。別の人のような気がする。どうしてだかわからないけど……)
視線をすっと上げると、愛理の優しい目線とぶつかった。
「何か困ったことがあったら、いつでも言いなさいよ」
亮はぎこちなく微笑んだ。
「あぁ……ありがとう」
(その気持ちだけで、すごく嬉しいよ)
学校までの道のりは、いつも全力疾走の亮。だが、今日は珍しく、ぼんやり考えごとをしながら歩いていた。
(夢と夢。同じ声を違う夢でも聞いて……。んー……?)
そこで、いつも通りの声が。
「おう、おはよう」
「え……?」
(……誠矢だ)
ヘルメット越しの見慣れた瞳から、亮は辺りの景色にようやく気づいた。
(もうすぐ校門だ。もう……ここまで歩いてきたんだね)
従姉妹の異変に目を細め、
(お前、少し様子変だな)
誠矢は何気なく、バイクを押し始めた。
「今日も、朝から暑ぃな」
「そうだね」
亮はうなずいて、綺麗に晴れ渡る青空を見上げた。
(ずっと、天気いいって言ってーー!?)
そこで、はっとし、
「あっ、そうだ! 昨日、プレゼントありがとう! すごく嬉しかったよ」
口の端をニヤリと歪め、誠矢は、
「おう、櫻井来たのか?」
(ボケ組三人で、楽しかったか?)
「うん、来たよ」
(すごく楽しかったよ)
まともに返された誠矢は、物足りなさを感じ、従姉妹が大暴投しやすいように、次なる言葉を投げる。
「スルーしまくっただろ?」
(遠くへ投げろよ、取ってやっかんな)
亮は真面目な顔で、首を横に振り、
「カレーはなかったよ」
(イチゴのショートケーキとフライドポテト。それから、ローストチキン………)
待ってましたと言わんばかり、誠矢は素早く突っ込み。
「いやいや、『ス』が抜けてるって」
(また遠くへ投げろよ)
亮は目をぱちぱちさせ、
「え、お寿司?」
(それもなかったよ)
誠矢は軽快に、さらなる突っ込み。
「両側、固めんなって」
(『お』と『し』どっから持ってきたんだよ)
「え、中華?」
(固い麺……??)
亮が三度目の大暴投をしたところで、誠矢たちは学校敷地内へと足を踏み入れた。
(おっと、ここで終わりにしとかねぇとな)
赤髪少年はそう判断し、
「じゃあな」
(続きはあとでな。遅刻しちまうかんな)
「……あぁ、うん」
バイク置き場へと向かい始めた誠矢の背中に、亮は手を振った。昇降口へ歩き出して、ふと小首を傾げる。
(あれ? 何、考えてたかな? 何だか、よくわからなくなっちゃったね。まぁ、いいか)
夢の謎のことなどすっかり忘れ、亮は昇降口へ到着。そこで、
「亮、おはよう」
聞き慣れた声に、彼女は振り返り、
「おはよう、美鈴」
風で乱れた、黒に限りなく赤い髪を、美鈴は掻き上げ、
「どう? 十七歳になった気分は」
亮は靴を脱ぎ始め、
「あぁ」
飛びっきりの笑顔で言った。
「しおり、ありがとう。さっそく、今日から使うね!」
微妙な顔で、美鈴は、
「あぁ、そう」
(気分はどうって聞いたんだけど、プレゼントの話になったね。まぁ、まともに返ってきた方か)
ふたりが脱いだ靴を下駄箱に入れようとした時、さわやかな朝に似つかわしくない、気だるい声が背後からかかった。
「よう……亮、春日」
美鈴はちらっと、銀髪少年を見て、
「おはよう」
(白石、今日、かなり不機嫌だね)
さすがの亮も、幼なじみの異変に気づき、
「おはよう。……祐、どうしたの?」
祐は盛大なため息だけ返した。
「…………」
(答えたくない)
ロック界の王子様が下駄箱を開けると、大量の手紙とプレゼントが床に散らばった。それを横目で見ながら、亮と美鈴は廊下へ。小さな違和感は数あれど、いつもとそれほど変わらない朝だった。
だが、教室へ入ると、また違和感が。先に席へ着いていたルーが、ふんわり笑顔で、
「おはようさん」
机にカバンをどさっと下ろし、亮は元気よく、
「おはようっ!」
金髪天使の笑みに、美鈴は違和感を覚えた。
「おはよう……」
(ルーが先に来てるなんて、ちょっと変だね。いつも、ギリギリで学校に来るのに)
そこで、本鈴が鳴り、生徒たちは全員席に着いた。静まり返った空間で、亮はカバンを下ろそうとして、
(あ、そうだ。お姉ちゃんに借りた本、少し読んでみようかな?)
美鈴にもらった押し花のしおりとともに、カバンから本を取り出し、そのタイトルを見て、固まった。
「え……!?」
(『The Little Mermaid』 ……英語だ)
パラパラとページをめくり、読み慣れない文字を眺める。
(そうだよね……。お姉ちゃん、英文科だもんね)
パタンと本を閉じて、亮は軽くため息ついた。
「…………」
(辞書使ってじゃないと、読めないね。とりあえず、がんばって読んでみよう! おぉっっ!!)
やる気満々で、カバンへ本をしまうと同時に、ガラガラと教室のドアが開いた。いつも通りの、八神の優雅な出立ちを見つけ、亮は、
(そうだ、先生にもお礼言わないと。カーネーションもらったからね。あとで言いに行こう)
出席を取り始めた八神の、瑠璃紺色の瞳に、亮はドキッとし、
(で、でも……。ふたりきりはドキドキするから、誰かと一緒の方がーー)
そこで、亮は他の誰もが気づかない、小さな違和感を持った。
(あれ? 先生、雰囲気変わった……? 昨日、先生の部屋で見た時と、違う気がする)
八神の瞳の奥に揺れる何かが、すっと亮の胸に舞い込む。
(前よりもっと……影が増した気がする)
そこで、八神が、
「神月さん?」
「はい」
難なく返事をクリアーし、亮は首を傾げた。
(先生、昨日、何かあったのかな?)
亮が八神にお礼を言えないまま、数時間が経過。
瑠璃色の髪の策略家は、自室で期末テストの採点をしていた。窓からの湿った風にふと手を止め、時計へ視線をちらっとやり、
(十二時十七分四十三秒。
四時間目終了まで、あと二分十七秒。
七月八日、水曜日。
天気は……)
天気予報が外れたのか、うす雲が青空の下を流れてゆく。窓枠に切り取られた、四角い空から、机の上にある赤いものに視線を移し、
(カーネーション。おかしなこと。そうですね……?)
八神はあごに手を当て、遠くの空を眺めた。そこには、真っ黒な雲が、自分へ迫ってくる様が。
(……その方がいいかも知れない)
策略家が手をほどくと同時に、四時間目終了のチャイムが鳴った。
ーー昼休み。
中庭の少し奥まった場所。
人気のない木陰で、亮、祐、誠矢、美鈴、ルーの五人で昼食中。
湿気を帯びた風が時折吹き、それに乗って、灰色の雲が次々と流れてゆく。
彼らは、ラピスラズリへと飛ばされたが、日付が飛んでいなかったため、みんな夢だと信じて疑わなかった。
どんどん色濃くなっていく雲を気にかけることもなく、祐はさっきからずっとため息をついていた。大好物のチョコレートを食べているにも関わらず、
「…………」
(あぁ〜、もう!)
突っ込み隊長ーー誠矢がそれを見逃すわけもなく、ニヤニヤしながら、
「何があったんだよ?」
(お前、朝からため息ばっかじゃねぇか。チョコ食ってまでそれっつうのは、相当だぞ)
ちらっと親友を見て、祐は、
「…………」
(俺、仕事のし過ぎかも知れない……)
おかかおにぎりを手に持った、美鈴が、
「どうした?」
(チョコ食べてて、それだなんて。あんた、おかしいね、本当に)
ふたりの視線を受けて、祐はようやく重たい口を開いた。
「夢の中までーー」
途中で遮り、誠矢はふざけた感じで、
「王子だったか?」
(正解だろ?)
盛大なため息だけで、祐は肯定。
「…………」
(当てなくていい)
誠矢は親友の肩をバンバンと叩き、
「そりゃ、確かに仕事のし過ぎかも知んねぇな」
「その上……ものすごく寒いところで」
祐はそう言って、チョコレートケーキをボソボソと食べた。
(一日中、雪降ってるんだ。廊下に出ると、凍えそうに寒くて)
勘の鋭い誠矢は違和感を抱き、すっと真顔に戻った。
「…………」
(……妙だな?)
おいしそうにメロンを食べていたルーが、ふんわり微笑み、
「たくさんさん、だった?」
祐はちらっと視線だけ送り、
「…………」
(降ってた、思いっきり降ってた)
まだ不機嫌が直らない親友に、誠矢はニヤニヤする。
「まだ、何かあんのか?」
(ひとつぐれぇじゃ、そんなんならねぇだろ。言っとけって)
「…………」
(言いたくない)
祐はなぜか、亮に視線を向けた。それを受けて、亮は、
「何?」
祐の焦点は、急にぼんやりし始め、
「妙にテンションの高い人が出て来て。それが、どっかで会ったことがあるような感じがして」
(亮に……似てる感じがする)
その視線の意味を、誠矢はしっかりキャッチ。
「………?」
(愛姉か?
愛姉、テンション高ぇかんな。
愛姉が出て来た、王子になってる冬の夢。
ーーっつうことは、オレのも夢じゃねぇかも知んねぇな)
焼きそばパンを一口かじり、赤髪少年はふざけた感じで、
「オレも、王子になってたぞ」
(マジだぞ、嘘は言ってねぇ)
亮は目をぱちぱち。
「え……?」
(誠矢が王子様? あれ?)
トーストにジャムを塗る、美少年ハンター愛理が、亮の脳裏に浮かび上がった。
(確か、お姉ちゃん、朝……櫻井さんも王子様ってーー)
そこで、美鈴のいぶかしげな声が響いた。
「ふーん」
(あたし、大騒ぎしてる如月に会ったんだよね、夢の中で)
祐がぼそりと突っ込み。
「合わせなくていい」
(前振りになってない)
誠矢は慌てて、
「いやいや、前振りじゃねぇって。マジで、プリンツとか呼ばれて、すげぇ広ぇ城で遊んだんだって」
(仕掛けだらけで、おかしな両親が出て来てな。春日まで出て来たんだよ)
天使の笑みルーは、可愛く小首を傾げ、
「曲がり者さ〜ん!」
誠矢はすかさず、突っ込み、
「いやいや、それは曲者だって」
(読み方、間違ってーー!?)
何かに気づき、目を大きく見開いた!
(ーーっつうか、何でお前、言い当ててんだって!
何で、オレが『曲者ごっこ』してたって、知ってんだっつうの!)
純粋無垢な瞳で、ルーは誠矢に微笑みかけた。
「ふふふっ」
「私も見たよ。人魚の国のお姫さまになってる夢」
亮の発言に、幼なじみふたりーー誠矢と祐が同時に突っ込む。
「あぁ、お前、夢までぼけてんだな」
(お前に、姫は無理だって)
亮はなぜか、制服のポケットに視線を落とし、
「え……?」
ルーは気にせず、春風のように微笑む。
「亮ちゃんは、素敵さ〜ん!」
「あぁ、おいしそうだね」
(ポケットに、ステーキが入ってるんだね)
めちゃくちゃになってしまった会話を、美鈴が素早く軌道修正。
「あんたたち、幼なじみはおかしな夢見るね」
(本当に……おかしいね。眠ってる間に、移動したってこと?)
心の内を隠しながら、誠矢はふざけた感じで、
「春日はどうなんだよ?」
(移動してんぞ。それしか考えられねぇだろ)
美鈴はちょっと悪戯っぽく、
「あたし?」
(いくよ、如月、前振りだよ)
焼きそばパンをパクつきながら、誠矢は大いに期待。
「おう」
(突っ込んでやんぜ!)
「姫さま、あたしもなってたね」
そのまんまの答えに、誠矢はしっかり突っ込み!
「いやいや、落ちになってねぇだろ!」
(いい前振りするじゃねぇか)
フライドポテトをのんきに食べていた亮は、ふと手を止めた。
(あれ? みんな、王子様と姫さま? もしかして……)
サファイアブルーの瞳を持つ、金髪天使に、亮は顔を向け、
「ルーは、何か夢見た?」
「うん、見たよ」
ふんわり微笑みながら、彼は視界の端で中庭へと続く校舎の入り口を捉えた。
(あと……五秒)
純粋無垢なサファイアブルーの瞳に、学校の中庭のはずなのに、まるでイギリス庭園を優雅に歩いてくる、貴族のような人影が映った。その気配に気づかず、亮は、
「どんな夢?」
「魔法使いさんになって、空を飛ぶ夢。ふふふっ」
(……二、一。来た)
みんなとは少し違う、ルーの答えが湿った夏の空気に舞った時、
「神月さん?」
優雅な声が、亮の背後から響いた。彼女はびっくりして飛び上がる。
「えぇっっ!?」
(や、八神先生!?)
いつも通り大げさに驚いた生徒をのぞき込み、優雅な策略家はわざとらしく、
「どうしたんですか?」
私が後ろから声をかけると、あなたは驚くーーという可能性が非常に高い。
そう思っていましたよ。
とりあえず、誠矢が突っ込み。
「お前、何しに来たんだよ?」
(わざわざ、亮、驚かせるために後ろから近づいてきて。
『どうしたんですか?』って聞くなよ。
お前が、どうかさせてんじゃねぇか)
ポーカーフェイスで、八神はスマートにかわした。
「たまたま通りかかっただけですよ」
誠矢は疑いの眼差しで、
「おう、そうか」
(お前が、たまたま通りがかったぐれぇで、オレたちの側に来るかよ。
どういう理由で来たんだよ?)
その視線さえも軽く交わして、八神は自分の受け持ち生徒を見渡した。
「何の話ですか?」
ルーが小首を傾げ、真っ先に答える。
「夢の話です」
勘の一番鋭い誠矢は、違和感を覚えた。
「……?」
(妙だな?)
「そうですか」
優雅な笑みを浮かべた八神に、ルーは純粋な瞳を向ける。
「光先生は、昨日、夢を見ましたか?」
ゆっくりと首を横に振り、策略家・八神は、
「いいえ……見ていませんよ」
(昨日の夢……)
珍しくぎこちない言い方をした担任教師を、亮はじっと見つめた。
「……?」
(やっぱり、先生、元気がないね。どうしたんだろう? すごく淋しそうな目してる……)
誠矢は素知らぬ振りで、焼きそばパンを頬張る。
(八神、どうして、そこで、そんな顔すんだよ?)
緑茶を飲みながら、美鈴は今にも雨が降りそうな空を見上げた。
(これが原因?
優雅な彼が、感情を表すなんて、珍しいね。
でも……それだけだと、ちょっとおかしいね)
我関せずというように、祐はチョコレートケーキを堪能していた。
(そうだな……あれがこうで……それがああだから……? 俺は放置だな)
何も気づいていないのか、ルーはふんわり笑顔のまま、
「光先生は、王子サマになりましたか?」
八神の冷静な頭脳に、ある言葉が浮かぶが、
(『ヒュー様』『王子、本日は……』)
瑠璃色の髪の策略家は、首を横に振るーー平然と嘘をついた。
「いいえ、なっていませんよ」
そして、ルーと八神の視線は絡み合い、がっちりと動かなくなった。一瞬にして、純粋無垢な色の消えたサファイアブルーの瞳を、ルーは八神に向け、
「…………」
(キミは嘘をついている)
憂いを秘めた瑠璃紺色の瞳で、八神は冷静という名の盾ーー優雅な笑みで、威圧感のある視線を送りつけてきた生徒を、余裕で見つめ返した。
「…………」
(あなたは、時々、怖いくらい鋭い時がありますね)
さすがのボケボケ少女・亮も、この違和感に気づかないわけはなかった。
「……??」
(どうしたのかな? ふたりとも)
そこで、昼休み終了のチャイムが鳴り、八神はルーから視線をそらした。
「おや? もうこんな時間ですか」
優雅な声が湿った空気に響き渡ると同時に、ぽつりと雨が落ちてきた。
「あぁ、降ってきちゃったね」
美鈴の言葉を合図に、全員、急いで片づけ始めた。
五時間目開始のチャイムが鳴る寸前、とうとう雷が鳴り出し、ひどい土砂降りとなった。
雨で煙る車道を、一台のリムジンが走り去ってゆく。
頬杖をついていた亮は、それを横目で見ながら、
(今日は天気がいいって言ってたから、傘持ってこなかったんだよね。困ったなぁ)
ガラガラと教室のドアが開き。そこには時々ーーこんな土砂降りの日に決まって、亮たちのクラスーー2ーCを受け持つこととなる教頭が立っていた。
「八神先生は、急用のため本日は帰りましたので、ここからは私が代わりに担当します」
教室がざわめき、亮は妙な胸騒ぎを覚えた。
(また、先生、早退したんだ。
どうしたのかな?
さっきも夢の話した時、淋しそうな目してたし。
何かあったのかな?)
亮の脳裏に、不意に赤いカーネーションが浮かび上がった。
(そうだ。お礼、ちゃんと言えなかったなぁ)
雨の勢いが一段と増し、それに呼応するよう、亮の内側に優しく凛とした声が響いた。
『この者を救えるのは、あなたしかいません』
目をぱちぱちさせながら、亮はキョロキョロする。
(え……? 何で、今なんだろう?)
そう思った瞬間、稲光とともに雷鳴がとどろいた!
「わっ!」
「きゃあっ!」
何人かの生徒が大声を上げ、しばらくの後、八神の代理の教頭が、
「それでは、授業を始めます」
こうして、嵐のような激しい雷雨の中、午後の授業がスタートした。