道化師の歓待 4
助けてくれたのは、わかった。ただ、やり場のない怒りがわいて、それをぶつけてしまいそうだった。
適当な路地に入って壁に背をもたれる。荒くなった息が胸を上下させる。
リアが言っていたのは、〈メイト〉が嫌われているというのは、こういうことだったのだ。あの女に敵意を向けられて初めて理解できた。偶然なのかはわからないが、あたしがあのソファーで目覚めた日に盗賊団や魔物が現れている。悪いことが現に起きてしまっており、それは〈メイト〉のせいだ、と誰かが言えばあの女は恐らく信じてしまうだろう。
理不尽に思う。
しかしそれ以上に、唐突に怖くなった。怖くなった途端、手が震えだし、足の力が抜けた。そのままずるずるとしゃがみ込む。
「あたしが、何したっていうのよ……」
怒りと悲しみがないまぜになって、ぼやかずにはいられない。じわじわと目頭が熱くなり、喉の奥も痛くなり、もうすぐ涙がこぼれそうだと思った時、すぐそばに誰かがいることに気づいた。体が飛び跳ねそうになる。
相手は三、四歩先で膝に手を置いてこちらの様子を見ていた。キャスケットのような帽子をかぶった、水色の髪の少年だった。
「お姉さん、だいじょうぶ?」
声変わりはまだのようで声は高く、心配というよりは物珍しそうにしている。
「だっ、だいじょうぶ、……じゃないかも」
途端に涙がぼろぼろと出てきてしまった。慌てて拭っていると、少年は無言でハンカチを差し出した。あたしは素直にそれを受け取る。
「お姉さんて、リア姉と知り合い?」
「え、うん。たぶん、今日知り合ったから、知り合いだと思う」
リアのほうは友だちと言ってくれたが。
「なんか、面白い言い方するね。お姉さんて、〈メイト〉なの? さっき話、聞いちゃったんだ。別におれは驚かないし、この町から出て行けなんて思ってないから」
少年はしゃがみ込むと、あたしと視線を同じにした。
「むしろ、出て行くべきなのはあいつらだよ。あいつも、うちの親も、最低な奴ばっかりだ。〈メイト〉っていうだけで、すべての悪いことの原因みたいに言って、ただなすりつけてるだけさ。ただすこし違うってだけで、みんなが仲間外れにする……」
少年は独り言のように不満を漏らした。何か思い当たることがあるのだろう。
「君はリアと知り合いなの?」
少年は頷く。
「お姉さん、〈メイト〉なのに勇気あるね。さっき、あのおばさんに言い返してたじゃん。『違う!』って。おれだったら、言い返す勇気、ないな」
「ゆ、勇気なんかじゃないよ。ただの勢い」
「そんなことない」
少年は首を大きく横に振って、精一杯否定した。年下の少年に庇われ、あたしは不思議な気持ちだった。少年はしゃがんだまま、地面を見ている。寂しそうに口元が結ばれ、考え事をしているのか眉間にしわが寄っていた。
「あ、いたいた」
別の声がして、あたしと少年が同じ方向に向いた。
「捜したよー。って、そのひと、どうしたの?」
今度は黒い前髪で左目を隠した、落ち着いた感じの少年が不思議そうに、しゃがんでいる少年に話しかけた。
「〈メイト〉の女のひと」
水色の髪の少年が簡潔にあたしを紹介する。あたしは合いの手を入れるように鼻をすすった。
「ああ、噂の。これまたすごいひとと会ったね」
黒髪の少年は興味津々といった様子でこちらを見ている。しかしその視線に嫌なものは感じられなかった。
「ぼくはヘイエルダール。ヘイルでいいです。こっちはコーラル」
水色の髪の少年の横に立ち、その彼を指さしながら愛想よく「こんにちは」と付け加えた。
「あ、えっと、あたしは、司」
礼儀正しいヘイルに倣って、あたしも名乗る。
「へぇ、やっぱり〈メイト〉のひとは名前が珍しい感じがするなぁ。アサギさんも珍しい名前だし、同じところから来てるのかな」
聞きなれない名前に興味を持ったヘイルから、まさかアサギの名を聞くとは思わなかった。
「あの、その言い方だと、アサギも〈メイト〉みたいな言い方だけど……」
まさかと思い、訊いてみる。
「え、あれ、知らないんですか? ツカサさんの前に来た〈メイト〉がそのひとですよ? 確か六年くらい前らしいですけど」
唖然とした。アサギが〈メイト〉だとは微塵も思っていなかった。だとしたら彼も、あたしと同じところから来たのだろうか。そんなことを考えていたら、涙がいつのまにか止まっていた。
「っと、そうだ。ゼギオンが呼んでたよ、コーラル」
「行かない」
ヘイルがそう言った途端、コーラルは即答した。
「そう言うとは思ってたけどね」
ヘイルは肩をすくめて苦笑している。
「どーせまたしょーもないことに付き合わされるだけだし、全然面白くないし。呼ぶくらいなら、向こうから来ればいいんだ」
コーラルはばっさりと切り捨てる。
「まぁ……確かに単純なのは認めるけどね」
「おれはいま忙しいんだ。あいつを見張ってないといけないんだ。あいつがリア姉に近づかないようにしないと」
「見張ってるだけで、阻止も邪魔もできてないのに?」
「うるさいな!」
「無理だって、諦めなよ。幼馴染みだっていうじゃん。ふたりが話している時に、真ん中に割って入って邪魔する勇気、ないんでしょ?」
ヘイルに畳みかけられるとコーラルは反論をやめ、代わりにものすごく不機嫌な顔になった。同じ視線の高さのあたしには、それがはっきりと見えた。ヘイルも雰囲気で察したらしく、溜め息をついてからコーラルの肩を叩いた。
「ごめんごめん。言い過ぎた。コーラルくんは一途なんだよねー」
コーラルはぶすくれたまま動かない。へそを曲げると面倒な子なのだろう。
「あれ、ツカサか?」
またしても別の声がして、今度はいったい誰なんだと声のほうに振り向くと、先程町の様子を見て回りたいと別れたサイラスだった。
「おまえ、なんでここにいるんだ? リアは一緒じゃないのか?」
サイラスは不思議そうな顔で近づいてくる。地面にしゃがみ込んでハンカチを握っているいまのあたしは、彼の目には変に映ったのだろう。
ここに至るまでの経緯を説明しようとした時、コーラルが勢いよく立ち上がった。ものすごい剣幕でサイラスを睨み上げている。
「なんで担当地区でもないのにここにいるんだ!」
彼の叫びにサイラスは立ち止まり、苛ついた視線を彼に返した。
「またおまえか。いい加減にしろよな」
コーラルの隣にいるヘイルは、やってしまったとばかりに口を開けていた。どうやら鉢合わせてはいけないふたりのようだ。
「今度はどんな嫌がらせをするつもりだ? それとも、そいつを利用するつもりか?」
サイラスがちらりとあたしを見る。
「そんなことしないっ!」
コーラルの声色は怒りを突き抜けて、もはや憎しみが滲み出ていた。この少年のどこにそんな重たいものがあるのかと驚いた。
「俺に嫌がらせをするのは構わない。痛くも痒くもないからな。だけど、関係ない奴を巻き込んだらただじゃおかないからな」
サイラスのほうは腕を組み、威圧的にコーラルを見下ろしながら釘を刺した。
「おまえがいるから、何もかもうまくいかないんだ。おまえなんていなければ……くそったれっ!」
コーラルは捨て台詞を吐き、サイラスが来た道とは反対のほうに全速力で走り去っていった。ヘイルは慌てて彼のあとを追い、サイラスは仕方なさそうに溜め息をついた。
「だいじょうぶか? あいつらになんかされなかったか?」
「なんにもされてない。知り合い?」
「最近よくつっかかられてるんだ。水色の髪のほうにな。リアと知り合いらしいんだけど、どうにも恨まれてて。リアからは事情がある奴だから怒らないでほしいとか言われたけど、毎度嫌がらせをされてるとそうもいかなくてさ」
サイラスにとってコーラルは目の上のたんこぶのようだ。
唐突に悲鳴が聞こえたのは、あたしが力の入るようになった足で立ち上がった時だった。
妙な音が聞こえてくる。軽くて硬いものが石畳に当たっているような音だ。それが規則的に鳴っていて、どんどん近づいている。サイラスが身構えた。
「ツカサ、走るぞ!」
むんずと手首を掴まれ、勢いよく引っ張られる。
「足を止めるな! 追いつかれる!」
何に、と訊く間もなく、足を動かすのに精一杯で声が出ない。
「くそっ!」
一瞬後ろに振り向いたサイラスが苦い顔をした。つられてあたしも見てしまった。黒くて大きな獣が、路地の向こうからこっちに来ている。血の気が引いた。
狼、にしてはそれよりも体が大きい感じがして、黒くて、毛が長かった。先程から規則的に鳴っている音は、その獣の長い爪と石畳が擦れて鳴っていた足音だったのだ。
あたしの腕を放るように勢いよく離したサイラスは、立ち止まって腰に吊っていた剣を構えた。
「止まるな! 走れ!」
よろけて地面に手をつきながら、あたしは返事もせずに走った。
サイラスはあの獣の相手をするつもりなのだ。きっと彼ひとりだったら相手をせずに逃げられただろうに、あたしがいたからだ。大変なことになってしまった。サイラスひとりでだいじょうぶなはずがない。誰か、誰かを呼ばないと、彼が危ない。
すこし大きな通りに出た。何も知らないひとたちが道を行き交っている。あたしは叫ぼうとしたが、声が出せなかった。行き交っているひとが、あの女のように敵意を向けてくるのかと思うと、何か得体の知れないもののように見え、体が震えた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
このままだとサイラスが。
あたしの、あたしのせいで、怪我をしてしまうかもしれない。
死んでしまうかもしれない。
――のように。
脳裏に一瞬だけ、誰かの影が映る。
とても、とても親しい影が。
「落ち着いて」
肩を強く掴まれ、後ろに振り向かされた。つい先程会った金髪の青年がそこにいた。
「どうした? 何があった?」
「へ、変な、大きな獣が、追ってきて、サイラスが……っ」
「いまキミが出てきた道から彼のところに行ける?」
拙い説明で察してくれた青年の問いに何度も頷く。青年は上着のポケットからバッジのようなものを出してあたしに渡した。
「そこの店に入って、これを見せて、事情を話して隠れてて。いい? 絶対に出てきちゃだめだ」
彼は眼鏡越しの金の瞳で真っ直ぐにあたしの目を見る。視線が合うか合わないか、彼はすぐさまあたしが通ってきた道に走っていった。あたしは青年に言われた通り、急いで近くの店に入って事情を話し、店のひとと戸締りをしてから店内で息を潜めた。店のひとがフライパンやらナイフやらを引っ張り出して、万が一のために備えていた。
体がまだ震えている。じわじわと目頭が熱くなってきた。
サイラスのことが心配で。
あたしの言葉を聞いて、彼を助けに行ってくれた金髪の青年も心配で。
あたしは、本当に何もできない、ちっぽけな存在だった。