道化師の歓待 3
「どうしてあの時、盗賊に捕まってたの?」
「ちょっと間の抜けた話なんだけど、実は知り合いのネコが屋根にいて、下りられなくなっちゃったみたいだから、屋根裏部屋の窓から助けようと思ったのよ。でも窓から顔を出してみたらあいつらがいて、そのまま捕まっちゃって。災難だったわ」
そんな前話があったのか。
「猫はどうなったの?」
「あとで見に行ったら、ちゃんと飼い主のところにいたわ。わたしの努力はなんだったのか」
リアはおどけるように肩をすくめた。
町を出てノアたちの本部へと続く土がむき出しの道に差しかかった時、あたしはパーカーのポケットに鍵が入っていないことに気づいた。たまたま上からポケットに触れたら、あるはずの膨らみがなかったのだ。
「やだ、どうしよう」
あたしは必死に考えた。あの鍵には楕円型の鉄のキーホルダーがついていた。石畳に落ちたのなら必ず音がしたはずだ。こんなことになるなら、ポケットにいつまでも入れておくべきではなかった。ショルダーバッグに鍵を移そうと思っていたのだが、実際にやるのを忘れていた。
「ごめん、リア。あたしちょっと、鍵捜してくる」
「え、でもひとりは危ないわ。さっきみたいなこともあるし」
その言葉に一瞬躊躇いが出たが、鍵を失くすことのほうがあたしにとっては大事だった。
「道ならなんとなく覚えたから、きっとだいじょうぶだと思う。リアは帰っていいから、ね」
リアにひとつ手を振って、あたしは来た道を戻った。
どこで落としたのだろう。あれを失くしてしまったら、とても居た堪れない。折角預けてくれた鍵なのに、居候の身で失くしたとはとても言えない。迷子になることよりも、〈メイト〉であることを非難されるよりも、その善意を踏みにじることのほうが怖く感じられた。鍵を失くすことで、信頼も失うような気がしたのかもしれない。
小走りで路地を行き、あたしは記憶を辿りながら鍵が地面に落ちていないか捜した。先程サイラスと通った道を順々に辿りながら、人間、道を覚えようと思えば結構覚えられるものだなと思った。しかし鍵は一向に見つからない。とうとうリアの家の前にまで来た。その横の路地に入る。が、案の定見つからない。時間ばかりが過ぎていく。もうどのくらい捜しただろう。肌寒いのに汗ばんでいる。
路地の壁に手をついて長く溜め息をついた時、あることを思い出した。そういえばあの家に着く前、犬が急に走り出したことがあった。その時あたしも慌てて追い駆けたので、その時に落としたかもしれない。
あたしは祈るように例の通りに向かった。犬の帰った家を向こうに見据えて、その手前の石畳の上を丹念に捜した。が、見つからない。急激に気分が落ちていく。冷静に考えたらたいしたことではないのに、あたしは泣きそうになっていた。
「ねえ、キミさ、何か捜してるの?」
声をかけられて、あたしは顔を上げた。見ると背の高い青年が数歩先に立っていた。ベージュのコートを羽織り、眼鏡をかけている。
「え、あの……鍵を失くしてしまって」
あたしは身構え、金髪の青年を上目で見ながら一歩下がったが、とりあえず質問にこたえてみる。二十代半ばくらいだろうか。
「もしかして、こう、楕円の、鉄でできたキーホルダーついたやつ?」
青年は指を使ってくるりと円を描いた。
「! そう、それ!」
あたしは思わず青年を指さしてしまうが、慌てて下げる。
「なるほどね。やっぱりキミがそうなのか」
「? 何か知ってるの?」
真剣に訊いたが、返ってきたこたえに驚いた。
「いや、鍵の場所は知らないけど、キミが〈メイト〉だってことなら知ってるよ」
あたしは何度も瞬きをした。
「さっき会ってきたんだよ。キミが厄介になってる家の家主にさ」
相手の反応は軽い。
「え、あの、家主って?」
「キミも知ってる、お節介な、紅い髪の警備隊のひと」
「それ、ノアってひとだよね?」
「もちろん。そう言ったつもりだけど」
「なんでその鍵のことを知ってるの? どうしてあたしが〈メイト〉だって知ってるの?」
「まあ、うん、鍵に関しては見たことがあるからね。キミが〈メイト〉なのは、ノアから聞いてたし」
「……」
訳知り顔で話す青年の様子がどこか信じられず、眉間にしわが寄る。なんとなくだが、関わると面倒なことになりそうな気がした。
あたしは何も言わずに帰ろうとして踵を返すと、先程会った犬の飼い主の女とばったり会い、ぶつかりそうになった。
「わっ」
あたしは一歩下がった。
「あら、ごめんなさいね。……あなた、さっき会ったひとよね? どうしてここにいるの?」
女はあたしと同じように驚いたが、すぐに怪訝そうにこちらを見た。
「あ、いえ、捜し物をしていて……」
それじゃあ、とあたしは女の横を通り過ぎた。
「……ねぇ、あなたって、アレなんでしょ?」
すると背中に、軽蔑のこもった、面白がるような声がかかる。その声色が耳に引っかかり、あたしは思わず立ち止まってしまった。
「あなた、ほかの領地から来たって言ってたけど、嘘よねぇ? ついこの間だって魔物が現れて、おまけに盗賊まで出る始末。それってあなたのせいじゃないの? 一、二年前には湖に人魚が出たっていうし、六年前だって魔族が出たって噂が立って、やっぱり〈メイト〉は――」
「違います!」
あたしは堪らず振り返った。怒りと不安で眉間と拳に力が入る。
「あら、本当にそうだと言えるのかしら」
女はこちらを見下しながら、ハッと鼻で笑った。
「この町はほとんどが人間だというから越してきたっていうのに、どうしてあなたのようなわけのわからないのが来るのかしら。ほかの種族の顔を見なくていいかと思えば、その分、わけのわからないところから来た者がいる。おまけに悪い噂しか聞かないじゃない。あなた、いつまでこの町にいるつもり? さっさともとのところへ帰りなさいな。あなたがいるから、この町はよくならないのよ」
ここまで言われて我慢できるほうがすごい。帰れるならとっくの昔に帰っている。
「すみません、おばさん」
あたしが口を開きかけた時、明るい声が、そのあとに出るはずの言葉を喉の奥へ押し返した。おばさんと言われた女は振り返り、にっこり笑っている青年の顔を見た。先程の青年は女の横を過ぎ、こっちに近づいて来る。あたしの目の前まで来ると、二、三秒あたしを見て、それから女に首だけを向けた。青年はさも当然のように、冷めた声で言った。
「俺のほうが先客なんだ。彼女に話したいことがあるなら、また今度にしてもらえる?」
「え?」
女は見るからに疑わしそうに青年を見た。
「それじゃあ、行こうか。ツカサ」
青年は満面の笑みであたしを見る。
「え、あの……」
女がいるほうとは反対の方向に青年が歩きはじめ、いつのまにか手を握られていたあたしもそちらに引きずられていく。青年と女を交互に見ながら、あたしは成す術も思いつかず、成り行きに身を任せていた。
何故いまこんなことになっているのだろう。
目の前の青年はこちらに振り向かない。彼の金髪が揺れているだけだ。どんどん犬の飼い主の女から離れていく。女は腕を組み、見るからに不機嫌そうに目を細めてこちらを見ていたが、とうとう家の中に入ってしまった。
あたしはハッとして、掴まれていた手を振りほどいた。振り返った青年は驚いたようにあたしを見下ろしている。
あたしは何かを言おうとした。しかし、何を言ったらいいかわからなかった。そのまま急いでその場から逃げた。




