鷹は静観しない 2
それからギダは応接間である程度調べものをしたあと、帰ってきたノアと話してから帰っていった。昼食の時間が過ぎ、わたしは庭に出て落ち葉を掃きはじめた。今日も空気が冷たく乾燥している。ぐるぐるに巻いたマフラーで首と口元は暖かい。日差しは随分と寂しくなった。空気が冷たくなるにつれて、悲しい気持ちになるのはわたしだけだろうか。
「おーい」
声がして、わたしは庭を見渡した。家のほうには誰もいない。反対側の門扉のほうを見ると、ヘイルがその向こうで手を振っていた。わたしは箒を近くの木に立てかけてから、門扉のほうへと小走りで向かった。ヘイルは黒くて大きな門扉をすこし開けて、二、三歩敷地内に入った。
「やあ、コーラル。庭掃除するなんてえらいね」
「どうしたの?」
いつもと様子の変わらないヘイルだが、何故彼がここに来たのか理由がわからない。
「町中じゃ偶然でもない限り会えないだろうから、来てみたんだ。しっかし広いねー、ここ」
額に手を当てて家を眺めるヘイルは、ひとしきり見たあと溜め息をついた。
「中、入っちゃだめだよね?」
「さすがにそれは……」
ヘイルの興味津々といった様子に、わたしは気圧される。ヘイルは何かに気づいた。
「あれってもしかして、例の隊長さん?」
ヘイルが向いているほうに顔を向けると、玄関の扉が開いていて、そこに紅い髪の男が立っていた。こちらの様子を窺っているようだ。わたしが頷くとヘイルはすぐに彼のもとへと向かっていった。仕方がないのでわたしものっそりとあとを追う。
「こんにちは。第七地区警備隊の隊長さんですよね? ぼくはヘイエルダールって言います」
ヘイルが挨拶がてら握手をすると、ノアはわかっているとばかりに頷いた。
「彼女の友だちだね。こんにちは」
「アサギさんはいるんですか?」
「いまはいないかな」
「そうですか。それは残念」
「今日は彼女に用かな? それともうちの隊に何か相談事でも?」
ノアが穏やかに訊くとヘイルは明るく返した。
「今日はコーラルに用事があったんですけど、ついでに家の中見せてもらえないかな~って思って」
「別に構わないよ。どうぞ」
ノアはあっさりと許可した。
「だってさ。ほら、コーラル、案内してよ」
面倒なことになった。嫌そうな顔をしてもヘイルは構わず、わたしの背中をぐいぐいと押す。わたしはてっきり家の中には入らせないと思っていたので、肩透かしを食らった気分だった。
玄関から中に入って一階を順々に案内し、二階は使われていない部屋だけを見せた。二階から降りると、応接間に紅茶と菓子が用意されていた。ヘイルは礼を言ってソファーに座ると紅茶に口をつけ、それからノアと話をしだした。わたしはしばらくヘイルの隣に座っていたが、だんだんと居た堪れなくなってきた。そんな時ヘイルが言った。
「あ、そうだ。コーラル、これから図書館に行こうよ。調べたいことがあるんだ」
ここから離れられるなら理由などなんでもよかったわたしは、その提案を二つ返事で了承し、すぐに準備をして家を出た。
ミネルバにある建物で一等立派なもののひとつは、恐らく図書館だと思う。第六地区にある図書館の利用は住人であれば可能だが、貸し出しは一部のひとにしか許可されていなかった。本は貴重なものなので当然だろう。
石造りの外観は大きく長く、そして高く、民家と違って窓がこれでもかと並んでいる。内観は、入ってすこししたところに一本とても長い廊下があり、それが左右に同じだけ続いている。廊下の左右に本棚があり、廊下から見て直角に、そしていくつも並んでいた。
館内に入ったヘイルは図書の分類配置を知っているようで、迷いなく歩いていく。わたしは二階まで吹き抜けで作られているアーチ状の天井と、廊下側の本棚の壁面についている明かりを見ながらついていった。向かい合った本棚の向こうに明かり取りの大きな窓があるので、どの区画も明るい。二階も同じような作りだった。わたしの背丈の二倍くらいある本棚は見上げるだけで圧倒された。上のほうの本は備えつけの梯子で取ることができる。
ヘイルはある区画の、明かり取りの窓の下にある閲覧席を指定席に決めたようで、その近くの本棚から一冊取ってその席に置くと小声で言った。
「今日は人魚について調べようと思うんだ」
「ヘイルならもうとっくに調べてると思ってた」
「いやだなぁ。まるでぼくが年中図書館に入り浸ってるみたいじゃないか」
「違うの?」
「そりゃあね。常連ではあるけど」
ヘイルはたまたま近くを通った女の司書に手を挙げ、親しげに挨拶をした。相手も手を挙げて返し、余程顔なじみらしい。
ヘイルが選んだ区画は人魚に関する本が置かれた場所だった。わたしは背表紙の題名から適当に選んだ四冊を席に置いた。選ばなかった本には、人魚本人が書いた随筆や、童話のような内容の絵本、論文形式のものもあった。わたしが選んだ本は、文章からして人間が書いたもののようだった。ヘイルも何冊か持ってきた。わたしたちは横並びに座ると本を開いた。さまざまな本を読んでは気になったところを、ヘイルが用意周到に持ってきた筆記具を使って書き出してみる。
人魚というのは、人間のような上半身に、魚のような下半身を持つ種族である。
主に海中に住んでおり、地上には姿を見せないが、海の近くの岩場などにたむろしていることがある。
人魚は、下半身を足に変え、人間に変身することができる。
鱗が乾燥すると死んでしまうので、長時間地上で活動することができない。
人魚の歌声は聞く者の精神を狂わせてしまう。
人魚には本当の名前と、仮の名前がある。
本当の名前は、例え家族であったとしても教えることはない。
人魚に男は生まれない。
人魚は、人魚の女と人間の男が交わることにより生まれる。
百年から三百年ほど生きる。
「なんとなく知ってる気になってたけど、人魚って女のひとしかいないんだね」
おおまかなことがわかり、ヘイルが感心したように言った。もちろん館内なので声を抑えている。わたしはそれ以上のことをすでに知っていたが、その情報の出どころを言うのはさすがにだめだと思い、相槌だけを打った。人魚といえば、ゲルメジ岩礁の事件のことを思い出す。わたしが生まれた年に、人魚の歌のせいで大きな船が沈んだ事件だった。
「実はさ、ぼくが前に言った『雨さん』って、人魚なんじゃないかなって思ってるんだ。覚えてる?」
「雨の日に現れるんだよね。ヘイルの友だちが二日間寝れなかったとか」
「そうそう。『雨さん』は雨の日だけしか出てこない。つまりそれは、雨の日だから出てこられるってことで、活動条件ってことだよね。それで閃いたんだ。雨で皮膚が、鱗が乾くのを防いでるんじゃないかって。人魚は足を生やせるから有り得ない話じゃない。噂では二年前に湖で人魚が出たらしいんだ」
熱弁をふるう彼は、自分の仮説が事実と合うことに自信を持っているようだ。断片的な情報からよくそこまで考えつくものだと感心する。
「だから今度、雨の日に張り込んでみようかなって思ってて。さすがに夜は難しいけど、鉢合わせしてみたいんだ」
そのことを考えるだけで楽しいのだろう。ヘイルは握り拳を興奮気味に縦に振った。わたしは正直、何が面白いのかわからない。
「はは、やっぱり興味ないよねー」
ヘイルが眉を困ったように下げたので、わたしの表情にそれが出ていたのだと気づいた。
「あ、ごめん」
「いいよ。誰に言ってもわかってもらえないのは知ってたし。じゃあさ、今度は魔族のこと調べようよ」
「もう調べたんじゃないの?」
「うん。調べた。でも何回調べてもいいじゃない? ぼくが気づかなかったことを、コーラルが気づくかもしれないじゃん」
わたしたちは魔族に関する本が置かれている区画へ行き、何冊かを席に持って帰った。魔族に関する本は人魚のそれよりも遥かに多く、たったひとりの魔族のことだけを書いた本もたくさんあった。この種族に関してはたくさん研究されているのだろう。
容姿は基本的に黒髪赤眼。見た目は人間と変わらない。
体内に魔力を持っており、その力をもとに魔術を使う。
魔術は大気中の元素を操ることにより、その場に炎や水を生み出すことができる。
魔術はほかに、傷ついた体を癒す回復術がある。
体内の魔力が尽きると死んでしまう。
魔族の血は、他種族にとって猛毒である。
五百年ほど生き、体の成長速度は人間と比べると約八倍の時間がかかる。
「ねえ、これってどういうこと?」
わたしは顔を上げ、体の成長速度のことが書かれているところを指差してヘイルに見せた。
「ちょっと見せて」
ヘイルはその文章を二回ほど読み、納得してからわたしを見た。
「つまり人間が二十歳の時の体格になるのに、魔族はその八倍、百六十年くらいかかるってことだよ」
「あ、そういうことか」
説明をされてようやく理解できた。
「寿命が長いからこそって感じだよね。人間なんか六十年くらいしか生きないし。じゃあ今度は……どうしよう」
ヘイルは特に考えていなかったようだが、気になるものを各々調べようということになった。わたしは持ってきた本を棚に戻した。改めて周りを見渡し、目に留まった本を持って席に戻った。持ってきた本に書かれていたのはサテュロスのことだった。
サテュロスは山羊の足と尾を持ち、頭に角を生やしている。
悪戯好きな性格で森や山に住んでおり、同じように森に住んでいるエルフからは毛嫌いされている。
魔族と唯一接点のある種族で、好色、酒好き、音楽と踊りに秀でている。
唯一バジリスクを捕まえ飼うことができ、その卵は非常に貴重なものである。
寿命は人間と同じとも獣人と同じとも言われいるが、詳細は不明。
昔調べてみたことがあったが、角が生えていること以外に共通点はなさそうだった。ふと隣の席を見ると、ヘイルが前髪で隠れている左目を押さえて前のめりになっていた。
「だいじょうぶ? 痛いの?」
慌てて彼の顔を覗き込むと手で制止された。
「……だいじょうぶ。一瞬だけ痛みがきただけだから」
ヘイルは大きく息を吐いた。
「後遺症がこれだけだったらよかったのになぁ。ちょっと見てもらっていい?」
すこしだけ弱々しい声になんと声をかけていいのかわからず、わたしは頷くしかない。ヘイルが前髪を上げると、そこにはわたしが初めてそれを見た時と変わらずに、赤い瞳があった。
「何も、変わってないよ」
その言葉を聞くと、ヘイルは澄ましたように前髪をもとに戻した。
「そ。残念。黒に戻ってくれればいいのに」
彼は昔、目の病気にかかった時、黒から赤へと眼の色が変わってしまった。正確には眼の色素がはがれてしまったらしいのだが、黒髪だったことも相まって容姿が魔族と同じになってしまった。そのことを気にした母親が左目を隠すように言ってきたのだという。ヘイルは仕方なく前髪で目を隠し、一応はそれに従っていた。
そのことを考えると、わたしは気持ちが落ちていくのを感じた。
「なんでコーラルがそんな顔してるの? だいじょうぶだよ。気にすることじゃない。それに前、こんなの問題じゃないって言ってくれたのは君だよ」
弱々しさはすでになく、ヘイルは励ますようにわたしを見た。わたしは何を言われているのかさっぱりだった。
「あれ、覚えてないの? 君がまだ男の子の格好をしてた時だよ。ぼくの左目を見た時に言ったんだ。『片目が赤いことなんて、おれの問題に比べたら全然マシだし』って」
「えっ……そんなこと言ったっけ!?」
言ってから声が大きかったことに気づき、慌てて口を押さえる。ヘイルはにこにこしながら頷いた。
「言ったよ。いやーその時はさ、コーラルの言う問題が、実は女の子だった、ってことなのかと思ってたんだ。あとから、あ、角の力のほうかって納得したんだけど」
いま聞き捨てならないことを言われた。わたしはまさかと思い、恐る恐る彼を見た。
「もしかして……気づいてたの? わたしが女だってこと」
「うん。なんとなく気づいてた」
両手で口を塞ぎ、まさかと信じられない気持ちが体中を駆け巡った。その様子を見ているヘイルは肘枕をして、声も出さずに笑っている。
「ほかのみんなは気づいてなかったよ。ゼギオンは考えもしなかっただろうね」
わたしが言葉を見つけられずにいると、誰かがわたしたちのいる区画に来た。先程の女の司書だ。
「おふたりとも、私語は厳禁ですよ。これ以上話されるようでしたら外に追い出します」
と言って眼鏡を指で上下に動かした。
「すこしくらいいいじゃん」
「だめです。規則ですから」
ヘイルは肩をすくめてわたしを見た。わたしたちは本をもとの場所に戻し、持ち物をまとめて仕方なく図書館の外に出た。
「やっぱり怒られちゃったね。いまさ、ちょっと前に本を燃やされちゃったみたいで、司書さんたちピリピリしてるんだよ」
図書館の入口を見るヘイルは、こうなることがわかっていたような口ぶりだ。
「わかってたなら、調べに行こうなんて誘わないでよ」
「あはは。でも楽しかったよ」
それは主にわたしの反応に対してだろう。
「で、これからどうしようか?」
ヘイルの言葉にわたしは視線を下げて考える。
「買い物行こうかな。まだ時間あるし」
「そっか。じゃあぼくは湖にでも行くよ」
「飽きないね」
「もちろん。ぼくの好奇心は無尽蔵さ」
「じゃあ、またね」
得意げに腰に手を当てたヘイルと別れ、わたしはすこし遠い第四地区の市場へと向かった。この時間だと売れ残りしかないだろうし、特に頼まれたものもない。だがこのまま帰るのも惜しく思えた。この前よりも足取りが軽いのは、ヘイルと話してすこし気が楽になったのかもしれない。




