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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第三章

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意固地の意地 6

 日が落ちてかなり経ってから本部に帰り着くと、アサギが応接間で本を読んでいた。テーブルにはランプが置かれ、暖炉にくべられた薪のはぜる音が響く。

「お疲れさま。残ってるなんて、何かあったの?」

 ジャケットとマフラーをコート掛けにかけながら彼に話しかける。晩ご飯も済んでしばらく経ったこの時間、アサギはいつもなら家に帰っているはずだった。

「なんというか、用心のため、です」

 そう言って彼は暖炉の向こう、キッチンのほうに目を向ける。キッチンの二階にはコーラルの部屋があり、早ければもう寝ていてもおかしくない。他種排斥論や脅迫状のこともあり、アサギは彼女のことを心配してくれているのだ。

「ありがとう。助かるよ」

 さて、この町の状況について彼女にどう注意をしたらいいものか、どうきっかけを作ったらいいものかと考えながらアサギの向かいのソファーに座ると、彼が無表情のままこちらを見た。

「アサギはさ、コーラルといつも何を話してるの?」

 素朴な疑問を投げかけると、無表情ながら彼が意外そうな様子を見せた。

「特に何を、というのはないです。思ったことを話してるだけです」

「例えば?」

「空を見ていたので飛んでいる鳥の話とか、〈メイト〉の話とか、リアの話もしました。リアの様子が気になっているようだったので、ノアさんがリアと手紙のやり取りをしているって言ったら、聞きたそうにしてました。それから、白の回廊の床板のことも言っておきました」

「あ、言っといてくれたんだ」

 伝えておいてくれたとは有り難い。あの様子ではすぐに抜けるようなことはないだろうが、注意しておくに越したことはない。

「苦手ですか。彼女のこと」

 アサギは不思議そうにこちらを見る。その素直さが羨ましい。

「うーん、そういうことになるのかなぁ。なんだろうね。私もどうしてここまで気を遣ってしまうのか、よくわからなくて。彼女のほうは気を遣われるの、慣れてないみたいだし」

 悩みが口を衝いて出てくる。コーラルのように内気な性格の人物とあまり接する機会がなかったので、彼女とどう接したらいいのかよくわからなかった。

「仕方ないです。彼女にとってはここ、赤の他人の家ですから」

 アサギの言葉にごもっともだと思った。

「いや、でもほら、それを言うなら君もそうだったじゃない?」

 アサギがこの家にいた時とも、ツカサがこの家にいた時ともそれほど状況は変わらないはずなのに、いったい何が違うのだろうか。それともふたりが特殊なのか、コーラルのほうが特殊なのか。

「僕は別にどこでもよかったですから。ツカサさんはどうだったかわかりませんが、そういうところは割り切っていたと思いますし、ノアさんとはふつうに話をしていたと思うんです。性格とか相性の問題かもしれません」

 アサギもツカサも確かにわがままはなく、好意的で協力的だった。対してコーラルは、どこか義務的に感じられた。何をするにしても、しなくてはいけないと思っているようなのだ。何か声をかけようにも声をかけられること自体が苦手らしく、私は完全に行き詰っていた。

「性格かぁ……」

 腕を組んで目を閉じる。コーラルは特定のひととしか会話をせず、そのほかは必要に迫られなければしない。彼女に認められなければ話もできず、結局は『信頼されること』にこたえが行きつく。

「ねぇ、アサギ。信頼ってどうしたらしてもらえるようになるのかな?」

「ノアさんがそれを言ってしまうと洒落になりません。僕からしたら、いろんなひとに信頼されていると思います。よくわからないですが、できることはやって、いつも通り接していくしかないと思います」

 模範的な回答にここまで落胆する自分はおかしいのだろうか。

「そうだね……そうするしかないか」

 私にできることなど端から決まっている。それでも何か別の方法があるのではないかと思ってしまう自分は、現状を受け止められていないのだ。

 カーテンを閉めた窓が音を立てて揺れた。そういえば帰り着く前から風が強く、空気は湿り、夜中に雨が降りそうだった。

 私はアサギを見送ったあと、オイルランプを持って白の回廊へと向かった。床板が緩くなっている場所は丁度キッチンの扉の前で、そこを踏んでみると、軋しんだ音と共に足がわずかに沈む。普段ならそこで足をどけるのだが、考え事をしていたせいで余計に体重をかけてしまった。

 床板が折れる嫌な音が足先から響いた。慌ててどけるも時すでに遅く、私は空しく床板を見下ろした。この家を借りる条件が、庭を含めて家を綺麗な状態で保つことだったので、これはもう言い訳の仕様がない。この家の持ち主の小憎たらしい顔が思い浮かび、いっそ盛大に穴を開けてやろうかと思ってしまう。確か納屋に木の板があったはずなので、しばらくはそれを上に置いておくしかない。注意書きを貼って気をつけてもらうことにしよう。

 私がそうして他愛のないことで悩んでいる最中、事件は起こっていた。翌朝リートが血相を変えて本部に駆け込んできて、こう言ったのだ。

 妹が誘拐された、と。

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