意固地の意地 3
バッグが置かれた棚の下に屈んでいたゼギオンは、小声で必死に訴えた。わたしはますますわけがわからず、どうしようと思いながら何度も瞬きをした。
「いま、何か音がしませんでした?」
店の奥で男の声がした。聞き覚えのある穏やかな声にわたしは耳を疑った。
「そうかい? わしには何も聞こえなかったが……」
別の男の声がこたえる。すこししわがれている。わたしとゼギオンがしばらく黙っていると、彼らの会話がはじまった。いや、再開したのだろう。向こうからは棚が壁になってわたしたちは見えないようだ。ゼギオンはわたしの口から手を取ると小声で言った。
「見張ってんだよ。あいつを。おまえ、何しにここに来たんだよ」
「……買い物」
震えそうになる手を握りしめながらなんとかこたえる。
「あっそ」
ゼギオンはそれきり口を不機嫌に曲げて横を向いた。
「無駄話をしちまって悪かったねぇ。で、今日は何を買いに来たんだい?」
しわがれた声の主はこの店のひとのようだ。カウンターで寝ているひとの夫だろうか。
「手袋です。防寒用じゃなくて普段使いのやつを。前にもここで買わせてもらいましたから」
間違いない。この穏やかな声の主はノアだ。
「ああ、そうかい。前のは破れちまったのかい?」
「はい。乱暴に扱って痛んでしまったので。三つほどオーダーしたいんですけど、いいですか?」
「お安い御用だ。おまえさんの手の型も取ってあるし問題はない。ほかの仕事は入ってないから、三日で仕上げておくよ。何か注文はあるかい?」
「いえ、同じでだいじょうぶです」
「わかった。……おや、そっちの髪留めは?」
「あ、いえ、これは……」
ノアが言いよどんでいる。
「ははぁ。とうとう女ができたのかい」
「なっ、違いますよ」
「違うというなら、ほかに何か理由でもあるのかい?」
「いえ、ですから本当に違うんですって」
「そうかい。言えないのかい。こんなことになるなら、いまからでも近所の娘さんを紹介しておくかな。気立てもいいし、飯もうまいぞ。おまえさんなら、そういった話のひとつやふたつあるだろうが」
「……ありませんよ」
「謙遜しちゃいかん。あんな噂が流れていようとも、気にしない奴はたくさんおる。わしだって選べるもんなら美人な嫁さんを選びたかったがな。まあ、これはもうどうにもならん。ただ、身を固めるのも悪い話じゃないってことだ」
「……心に留めておきます」
わたしは彼らの会話に強烈な違和感を覚えていた。何か、ある種の不快感のようなもので、彼とギダが話していた時のような独特の雰囲気があった。入り込めないというか、除け者にされたような、そんな感じがした。
「あいつ、さっき女と会ってたから、その女にあげるんだろ」
ゼギオンが吐き捨てた。
「こんなの聞いて、なんになるの?」
わたしは不愉快な気持ちをそのまま小声に出した。
「おれが言ったこと忘れたのかよ。あいつが魔族だって証拠を押さえるんだよ」
「それで、町から追い出すの?」
「当たり前だろ」
彼の言葉に傷ついたわたしは、出て行くならいましかないと勇気を奮い起こし、立ち上がって先程入ってきた扉から足早に外に出た。ある程度行ったところで通りから道を逸れて路地に入る。足音でわかってはいたが、追ってきてほしくなかったのに何故かゼギオンが追ってきていた。
「待てよ! 止まれって!」
何度かそう言われ、わたしは仕方なく立ち止まった。真正面から見たくなくて、体を横向きにして向こうを見る。ゼギオンは不機嫌な表情のままだった。
「なんで怒ってんだよ。別におれがあいつを追い出そうと、おまえには関係ないだろ」
『君の話が、ぼくと、コーラルには関係ないって、本気で思ってるのか?』
ゼギオンの無自覚な言葉に、あの時のヘイルの真剣な表情が思い起こされる。ゼギオンは本当にわかっていなかった。無責任なほどに自分のことしか考えていなかった。
「関係、あるよ。わたし、いま、あのひとのところにお世話になってるから。だから、そんなことされるとすごい迷惑なんだけど」
手に力が入る。先程までは震えていたのに、いまはゼギオンをぶん殴ってやりたいほど腸が煮えくり返っていた。
「おま、何言ってんだよ……」
五、六歩先で立ち止まっているゼギオンは、わたしの言葉に動揺しはじめた。怒りではなく不安からくる表情をしていた。
「本当に気づいてなかったんだね。一部じゃもう噂になってるのに。あの事件が起きた次の日からわたしの面倒を見てくれたリア姉は、もうこの町にはいない。わたしはどうしても家に帰りたくなかった。だからいま、あのひとの本部に居候してる」
わたしには選んでいる余裕などなかった。リアが勧めてくれたといっても、所詮は他人の家だ。そこに住むことで噂されるであろうことも考えた。それでも、自分の家よりは何倍もマシだった。それをまた、どうして心ない友人の手によって追い出されなければならないのか。そんなことをされてもちっとも嬉しくないし、正義でもなんでもない。
「あんたにわたしの居場所を奪う権利なんてない! もう邪魔しないで!」
ありったけの思いを叫び、わたしは彼に背を向けて歩きだす。今度は足音がしない。追ってはきていない。道の先の、見上げた先にある曇り空を見ながら、急に空しくなった。
先程の店での話を真に受けるなら、ノアにはいずれいいひとができるはずで、そうなれば邪魔なわたしはあの家を出て行くことになる。ゼギオンに邪魔されなくても、いずれわたしの居場所はなくなる。居場所というものは、どうしたら見つけられるのだろうか。どうしたら作れるのだろうか。
「できたら、こんなふうにならなくて済むのに……」
あまりにも怖くて胸がズキズキと痛んだ。ひとが通らなさそうな路地に入り、壁に肩を押しつける。足の力を抜いてしゃがみ込むと、あの時路地で泣いていた〈メイト〉の女のひとのことを思い出した。彼女はどんな気持ちで泣いていたのだろう。町のひとたちの視線が怖くなったのだろうか。独りぼっちなのだと、急に悲しくなってしまったのだろうか。
あの事件を引き起こしてしまった日の夜、クローゼットに隠れていたところを彼女に見つけられ、抱き締められた。何故彼女はわたしを抱き締めてくれたのだろう。いま、そうしてほしいのに、彼女もリアもこの町にはいない。
「ほらそこ、立ちなさい」
突然の命令口調にわたしは顔を上げる。
「まったく、可愛くない顔してるわね。はっきり言ってブスよ、ブス」
わたしは目をぎゅっとつぶり、また開いてみる。やはり目の前にはスリプがいた。のろのろと立ち上がると両手で顔を挟まれ、ぐりぐりと頬を動かされる。
「しけた面して、いかにも何かありましたって顔じゃない。いいわ。嫌と言うまで聴いてあげようじゃないの。覚悟しなさい」
まるで毒薬を完成させて喜ぶ絵本の中の悪者よろしく、スリプは怪しげに笑いかけてきた。本当なら場違いなのだろうが、わたしはその時すこしだけほっとした。




