記憶の外の声 1
気がつくと、後頭部に激痛が走った。それからズキズキとした痛みが続く。
「あ、目が覚めたよ、ゼギオン」
すこし高めの、あどけなさの残る男の子の声だ。ふと顔を上げると、金髪の少年がランプの明かりに照らされて、木箱の上に生意気そうに座っていた。ここは屋内のようだが、どうにも寒々しく、ほこりっぽい。
「別に目が覚めようがどうでもいい。おれは祭りの邪魔をしたいだけだし」
金髪の少年は吐き捨てるように言った。
「でもゼギオン、本当にこんなことしてだいじょうぶなのか? やばいんじゃないの?」
「うっせーな。おまえらもこの女をここに運んで来たんだから、同罪だ。いまさら逃げんなよ」
ゼギオンと呼ばれた少年は、苛ついたように口を結んだ。
「ねぇ、これはいったい、なんのつもり?」
あたしは極めて冷静に、ゼギオン少年を見上げる。現状の理不尽さに、驚きや焦りよりも怒りが勝っていたせいかもしれない。後ろ手に縛られ、足首も縛られていたので起き上がれない。身動きが取れないが、話せるのはまだ救いか。ゼギオン以外にあとふたり少年がいた。
「おれは演奏会をぶち壊したいだけだ。楽団の奴ら、何考えてんだ。〈メイト〉が踊るなんて、考えらんねぇ」
晴れとなった鎮魂祭二日目、あたしは演奏会の準備のため、例の喫茶店の二階でリアと共に踊り子の衣装に着替えた。衣装はスカートの部分に何枚も薄い布が重なっており、腰には幅広の布が帯のように巻かれていた。袖はあるが肩は出ていた。着替え終わったあと、つけていた耳飾りを窓の外に落としてしまったので拾いに向かった。そこで目の前の少年に会ったのだが、そのあとの記憶がない。後ろを向いた時に殴られたようだが血が出ていないだけマシか。かなりの痛みだ。
「あたしが〈メイト〉だから、こんなことしたっていうの?」
「それ以外に理由なんかねえよ。当たり前だろ」
さも当然だというような態度に、腸が煮えくり返った。
物音が近づいていた。駆け足のようで、酷く急いでいるようなそれは止まったかと思うと、荒い息がすぐ近くで聞こえた。
「やっぱり君の仕業だったんだね」
怒りの滲んだ声のほうに目を向けると、前に会った黒髪のヘイルが明かりを持ってこの空間の出入口らしきところに立っていた。彼の後ろには、踊り子の衣装に着替える前に喫茶店で会っていたコーラルもいた。
「このひとを攫ったってなんにも変わらないじゃないか。楽団のひとたちは大混乱だよ。演奏会どころじゃない。いま必死になってこのひとを捜してる」
「いい気味だ。おれはあのぼさぼさ頭の奴も嫌いなんだ。ざまあみろ」
「ゼギオン! あんな脅迫文まで出して、いったい何がしたいんだ!」
ヘイルは咎めるように叫んだ。
「おれはこんな奴らと一緒に過ごすなんてごめんだね! こんな得体の知れない奴らと仲良くなんか、絶対にできるもんか。こんな奴を踊り子にした楽団の奴らも、同じように罰を受ければいいんだ。〈メイト〉はいるだけで悪だ! こいつらがいるからこの町はよくならない。ほかの種族の奴らも、〈メイト〉も、いなくなればいいんだ!!」
ゼギオンが言い終わったあと、黙っていたコーラルが彼の前に立った。かと思うとゼギオンを思いっ切り殴った。木箱から落ちたゼギオンはいったい何が起こったのかわからないという顔をして、コーラルを見上げたが、すぐさま立ち上がってコーラルを殴り返した。そのふたりをヘイルが必死に止めに入る。乱闘に罵声で、物が割れたり壊れたりする音が薄暗い空間に響いた。
ふいに、焦げ臭いにおいが鼻先をかすめた。
「燃えてる!」
あたしの叫び声に、三人の動きはぴたりと止まった。先程ゼギオンの近くに置いてあったランプが割れて、周りに燃え広がっていた。ゼギオンが慌てて火を消そうとしたが、舌打ちをして隅のほうで縮こまっていたふたりの少年を叱咤した。
「すみません。いま解きます」
ヘイルはあたしの背後に回り、腕を縛っていた紐を解いた。足首のものは自力で解き、急いで立ち上がる。早くひとを呼ばなければ大変なことになる。
「早くこっちに来るんだ!」
火柱があがる向こう側に向かってヘイルが叫ぶ。コーラルは何かを必死で堪えているかのように手を固く握りしめ、その場から動き出す気配がなかった。あたしはスカートの裾に気をつけながら炎を迂回して彼の手を掴むと、そのまま部屋を駆け出た。ヘイルが先を走り、必死についていく。暗くて見づらいが廃屋のようだ。何度もこけそうになりながら、なんとか外に出た。
夜空は雲に覆われていて、湿った風が吹いていた。廃屋は一軒家で、ほかの家とはすこし離れたところにあった。窓の向こうに橙色の炎が見える。中が全焼するのも時間の問題だ。ゼギオンたちの姿は見当たらない。
呆然としていたコーラルが、とうとうその場に座り込んでしまった。混乱しているのか、口でしている息遣いは早く、目は視線が定まっていない。それから口元を押さえて地面にえずいた。彼のずれていた帽子が地面に落ちる。彼の耳の後ろには、白い角が上に向かって生えていた。あたしは息を呑んだ。
「ツカサっ!」
首だけを向けると、アレリアで別れたっきりのサイラスが走ってきていた。本当に元気になったようだ。
「無事だったんだな。攫われたらしいって、アサギから聞いたんだ」
「ここはどこなの? どうしてここがわかったの? 演奏会は?」
「第六地区だ。ここはヘイルから聞いてて知ってたんだ。演奏会は当然中止だ」
「ランプが割れて火事になったの。このままだと家が」
頭がまだ痛いが、それどころではない。一刻も早く火事をどうにかしなければ、いくら石造りの家が多いとはいえ、風に乗って火の粉がほかの家に飛び火するとも限らない。いや、屋内の火災は、頑丈な石の壁に守られて消火作業が困難になるかもしれない。
低く重い唸り声と共に、物陰から何かが飛び出し、サイラスを襲った。彼は持っていた剣でそれの牙を受け止め、払った。街灯に照らされたそれは、トカゲのような体に鱗がびっしりと生え、四肢の足先のかぎ爪は鋭く、顔は醜い猫のようだった。体の大きさは、立ち上がれば大人くらいはあるだろう。尻尾は長く、先がふたつに分かれていた。その後ろには、巨大な蛇のような影や大きな羽音を立てて飛んでいる鳥のような影も見えた。
座り込んでしまったあたしは恐怖でその場から動けず、サイラスはそれらの魔物を相手にひとりで戦うしかなかった。魔物がそばを横切り、あまりの怖さに奥歯が鳴った。サイラスはどうにか魔物の攻撃を避けてはいたが、背後には別の影が近づいていた。
「だめぇえええっ!!」
リアが叫びながらサイラスと魔物の間に割って入った。蛇のような魔物に肩を噛みつかれ、リアはくぐもった声を上げた。あたしは口を手で押さえた。
「リアッ! リアッ!!」
倒れ込んだリアを受け止め、サイラスが青い顔で必死に叫ぶ。
「そ、んな……っ」
同じようにその様子を見ていたコーラルは、がたがたと震えながら頭を押さえた。
「死んじゃやだ! リア姉っ!!」
コーラルの絶叫に気を取られていたせいで、たぷん、とあまりにも近くで水の動く音がするまで気がつかなかった。振り向いたあたしは体が凍りついた。
すぐそこに、水の柱、があった。
水の柱はあたしの背丈くらいあり、寸胴で、表面が絶えず上から下に流れていた。ゆっくりとコーラルに近づき、彼の足が水の柱に入った。
「ひっ」
悲鳴を上げてコーラルは必死に抵抗するが、水の柱はゆっくりと進んで、水の中に彼を閉じ込めてしまった。水の中に入ってしまったコーラルは、しばらくすると眠るように動かなくなった。水の柱はゆっくりと移動し、その場から離れていく。何故かはわからないが彼を連れ去ろうとしていた。
周りを見渡すが、怪我を負ったリアと、彼女を庇いながら魔物と戦っているサイラスしかいない。ヘイルは、ゼギオンは、少年たちはいったいどこへ行ってしまったのか。このままではコーラルがどこかに連れ去られてしまう。
もう自分しかいないと腹を決め、あたしは動く水に触れようと右手を伸ばした。冷たい感触があると思いきや、水に触れる前に手首を掴まれた。あまりの驚きと恐怖に体が跳ねた。右に顔を向けると、フードを目深に被った黒いローブ姿の誰かが同じように屈み込んで、あたしの手首を掴んでいた。
「触ってはいけない。取り込まれます」
緊迫した状況に似合わず、落ち着いた男の声に、呆然とした。
フードの男はあたしの手を下ろさせ、立ち上がると、迷いなくその水の柱に右手を突っ込んだ。かと思うとすぐに手を引き出した。光る何かを握っていて、それを勢いよく地面に叩きつけて粉々にした。直後、水の柱の動きが止まり、数秒して表面がぶるぶると震えだすと水が周囲に勢いよく散った。あたしは男の陰になっていたおかげで水を被らなかった。コーラルはその場に倒れると勢いよく咳き込んだ。どうやら生きているようだ。
男は次にサイラスたちのほうに体を向けると左手にはめた手袋を投げ捨て、ひとつ間を置き、それから左手を横に振った。直後、魔物が炎に包まれた。離れているのに、すさまじい勢いで燃える炎の熱さを肌で感じた。サイラスは今し方男の存在に気づいたようにこちらに振り向き、蒼白な顔は信じられないものを見るような様子だった。魔物は不気味な声を響かせ、それでも抵抗しようとのた打ち回っていたが、とうとう動かなくなった。燃えた時間は一分も経っていなかったが、魔物の体は灰になっていた。
男は長く息を吐いたあと、倒れているコーラルのそばに屈み込んだ。ひとしきり様子を見て、意識のない彼を抱え上げる。
「サイラス。あと、よろしくね」
男はそう言うと、あたしが声をかける間もなく、あっという間に去っていった。
それからすぐに、警備隊が駆けつけてきた。どうやらヘイルが呼びに行ったらしかった。廃屋の消火作業や魔物の後処理でがやがやと騒がしくなる中、サイラスとリアは運ばれて行き、あたしも警備隊に付き添われてその場をあとにした。




