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異邦人の動揺 2

 この時ばかりは、どんな行動も後悔がつきまとった。

 気がついた時には薄ら寒い路地にいて、荒くなった息を整えるために膝に手をついていた。視線の先には灰色の石畳があり、片手をついている路地の壁はどうやら二、三階建ての家の壁のようだった。家は何件も連なっていた。

 肩に焦茶の後ろ髪が流れ、いつの間に解いたのだろうと疑問に思う。服装はパーカーと柄シャツにジーンズでちょうどよかったはずなのに、外はすこし肌寒く、頭上には曇り空が広がっていた。いまが何時なのか、朝なのか昼なのかよくわからない。

 逃げてはきたものの、どこに行くのか、どこに行けばいいのかわかるはずもない。

 ふと路地の向こうが騒がしいことに気づき、あたしは迷いながらもその方向に向かった。路地の終わり、陰になっている狭い入口のところで立ち止まると、その騒ぎのもとに目を向けた。

 石造りの、二、三階建ての家が両側に並ぶ通りの、ある家の前にはひとだかりができていた。見れば屋根の上に四つの影がある。

「おいっ! いい加減にしろ。こっちはあんたらに構ってる暇はねぇんだよ。さっさと人質を解放しろっ!」

 ひとりの女が石畳の上を行ったり来たりしながら、屋根を見上げてイライラしたように言った。女は、先程サイラスが着ていたものと同じ黒い服を着ていたが、あたしはもっと別のところに驚き、目を見開いていた。

 振り向いた彼女は猫と人間を足して二で割ったような容姿だった。猫人間、猫の獣人と言ったらいいのだろうか。顔は猫で、すこし人間のようでもあり、表情もある。手の指は五本で、二本足で立っている。頭の上にある大きなふたつの耳が、まったく違うほうに向いていた。あたしは何も考えることができず、ただただ目の前の光景を見ることしかできない。

「さっさと降りてこねぇと、てめぇらのドタマかち割んぞ!」

 どすの効いた声色で獣人の女は叫ぶ。腰に吊った剣が、彼女が言っていることを実現してやろうと言うように揺れた。

 屋根の上の影のひとつは、白っぽい服を着た少女で、盗賊の人質になっていた。手首を縛られ、喋れないように猿轡までかまされていた。盗賊らしきひとたちは、周りをきょろきょろと見るだけで動かない。盗賊のいる民家は、ほかの家と間隔が空いて建っているために、別の民家の屋根に飛び越えて渡れないようだ。彼らが立っている屋根は勾配がやや急で立っているだけでも大変そうな気がした。四方を槍や剣を持った黒い服に囲まれ、彼らは身動きが取れない。

「ったく、てめーら本当にあの有名な盗賊団なのかよ。ぜんっぜん見えねえし」

 獣人女がうんざりしたように貶した。すると気に障ったのか、いままで黙っていた盗賊たちが声を荒げた。

「バッ、バカにすんじゃねぇ!」

「ったりめーだ! 俺たちは、あの名高い盗賊団『北の魔女の蛇』だ!」

「そんなこと言って、あとで後悔することになるぞっ!」

 剣を持つ手を振り回して言い返してくる。と、肥満体型の男が屋根から飛び降りてきた。家の周りを取り囲んでいたひとびとは、わっと離れた。男は地面に着地し、すぐさま手斧を獣人女に振りかぶった。すると獣人女は素早く抜き放った剣で受け止め、払った。野次馬から悲鳴が次々と上がる。そんなことを気に留めることもなく、獣人女はニッと口の端を高く上げて男に突っ込んだ。

「おっ、わあああっ!」

 屋根の上から再び声がしたかと思うと、そこには盗賊の男たち以外に大きな黒い犬がいた。狼かもしれない。人質を抱えている盗賊の男が怯え、手に持ったナイフを闇雲に振った。狼は唸りながら距離を詰めていく。遠くて見にくいが、朱色の瞳が燃えるように光って見えた。

 ナイフを振り回してバランスを崩した男の手から人質の少女が放され、少女は屋根から足を踏み外した。あたしは思わず目を閉じた。いくつもの悲鳴や息を呑む音がした。しかしそれらはぴたりとやんだ。

 屋根の下、石畳の上で、黒髪の青年が少女を抱きかかえていた。あの高さから落ちた少女を受け止めたのだ。青年は屋根を見上げると、下を見下ろしている狼を見たが、特に何も言わなかった。青年は少女を地面に立たせ、噛まされていた布を取り、手首を縛っていたロープを腰につっていた短剣で切った。少女は短い茶髪を揺らし、ほっと表情を崩した。何か青年に話しかけ、青年はかすかに頷いた。

 何かが倒れる音がしてそちらを見ると、獣人女が相手にしていた盗賊の男が地面に伸びていた。

「くそ、覚えてろっ!!」

 まだ屋根の上にいた男ふたりはその場から逃げようとした。しかし逃げようにもほかの屋根にそうそう飛び移れる距離でもなく、狼に睨まれたままだった。狼は一歩一歩と男たちに近づき、彼らが逃げられる空間を狭めていく。屋根の縁に追い込まれたふたりは、そのままバランスを崩して下に落ちた。なんとか着地して見せたものの、そのまま警備隊の面々に囲まれ即御用となった。野次馬はわっと歓声を上げると、次に屋根の上に目を向けたが、そこにはすでに何もいなかった。



「おいおい、いま来たのかよ。終わっちまったぞ」

 騒がしくしていたひとびとが解散しはじめた頃、腕を組んで盗賊の一味が連行されるのを見送っていた獣人が、非難がましく誰かに言った。ひとがいなくなったので、すこし離れた路地の入口にいたが叫び声でなくてもかろうじて声が聞こえた。

「無事に捕まったみたいですね」

 あ、と思わず声が出た。獣人に言葉を返したのが紅髪の青年だったからだ。腰のベルトに剣を吊り、獣人と同じ黒い服に身を包んでいる。黒い服はデザインが同じで、ロングジャケットの襟は赤で強調されていた。サイラスの言っていた警備隊の制服なのかもしれない。

「無事なもんかよ。人質が危うく怪我するとこだったんだ。おまえんとこの奴がなんとかしてくれたがな」

 獣人がうんざりしながら言った。

「そうですか。駆けつけるのが遅くなってすみません。やはり湖のほうに魔物がいまして、対処に手間取りました」

 対して紅髪の青年は、獣人の粗野な物言いに臆することなく、穏やかな調子でこたえた。

「それでか。てかおまえ、なんで湖のほうに行ったんだよ」

「こっちは人手が足りてるからって、オリヴァーに頼み込まれたんですよ」

「そりゃ確かに魔物を退けるのは大変だが、別の隊の奴を引っ張ってまでやることじゃねえだろ。まあ、おまえが、持ってるもんを使うって言うなら話は別だが」

「ニジェット、蒸し返すのはやめてください」

 青年が咎めるように言った。ニジェットというのは獣人女の名前のようだ。

「あーあー、悪かったよ。ったく、あの噂だってもう六年も前の話じゃないか。ここじゃ誰も気づかねーよ」

 ニジェットは猫目の片方をつぶって溜め息を吐いた。

「で、なんかわかったのか?」

 青年は首を横に振った。

「何も。なんとか魔物は退けられましたけど……。ただ、少年がひとり倒れていたくらいで」

「襲われたのか?」

「外傷はありませんでしたが、詳しくはわかりません」

「あ、あのっ」

 すると先程人質になっていた茶髪の少女が、慌てたようにその話に入った。

「その子、いまどこにいますか? その子の特徴かなんかわかりますか?」

 少女は必死に訊ねていた。

「えーっと、すこし離れていましたし、帽子を被っていたのでなんとも……」

 青年がこたえる。

「じゃあ、その子はいまどこに?」

「確か、第一地区の本部にいるはずですよ。私も一緒に行きましょうか?」

 心配そうな青年の提案に、少女は首を横に振った。やりとりから、このふたりは知り合いのような感じがした。

「いえ、わたしひとりでだいじょうぶです。ありがとうございます」

 少女は明るく笑うと、そのほかの黒い制服のひとたちにも礼を言って足早に去っていった。

「さて、あたしも帰るか。またな」

 ニジェットも、青年に手を振るとあっさり去っていった。紅髪の青年は彼女を見送ると、先程人質の少女を受け止めた背の低い黒髪の青年を呼んだ。二、三の会話をして、歩きはじめる。見ている間にあたしとの距離がどんどん離れていく。

 あたしはこれ以上ないほど迷っていた。

 あの家でサイラスが言っていた紅髪の青年がすぐ近くにいる。

 声をかけたほうがいいと思う自分と、わざわざあの家から逃げ出してきたのに何故そんなことをするのかと思う自分がいて、本当にどうしたらいいのかわからない。

「おい、貴様」

 背後から声をかけられ、驚きで胸に痛みが走った。咄嗟に振り向くと路地の入口とは反対側、陰る路地に黒い制服を着た、ひげを生やした男が立っていた。

「何者だ。そこで何をしている?」

 威圧的な男の態度に一歩後ずさる。

「見かけない顔だな。ますます怪しい。おい、なんとか言え!」

 男の右手が無遠慮にこちらに伸びてくる。体がすくんでしまい、その様子をぶれる目で見ることしかできない。男の手が、胸の前で重ねていた両の手に触れるかどうかという時、思わず目をつぶった。

 すると左肩を誰かの手が掴み、体をすこし後ろに引かれ、その場から二歩下がった。

「ソテロ。すみませんが、彼女は私の知り合いです」

 右耳のすぐそばで声が聞こえた。驚いて目を開けると、こちらに伸ばされていた男の右手、その手首を別の右手が掴み上げていた。俯いたまま目だけを動かすと、左肩を掴んでいるのは白手袋に覆われた左手だった。

「貴様の知り合いだと?」

 ソテロと呼ばれた男は訝しげな声で問う。

「ええ、そうです。ですから、このようなことはしないでください。彼女が怯えています」

 あたしの肩を抱いている男が穏やかに言葉を返すと、ソテロは舌打ちをしてから手を振り払い、わざと大きな足音を立てながら横を通り過ぎて行った。すぐそばで溜め息が聞こえると、隣にいた誰かの白っぽいブーツがあたしの正面に動いた。

「まさか町に来ているとは思いませんでした。だいじょうぶですか?」

 気遣う声に顔を上げると、紅髪の青年がそこにいた。臙脂色のような深い色の髪、その毛先がところどころ外側に弱くはねており、向かって左側の耳の前の長い髪には白と黒の髪飾りがついていた。

 青年の顔を見た瞬間、ある光景が脳裏に浮かんだ。

 夜、あたしは外にいた。

 外を、見たこともない場所を彷徨っていた。

 草も花もない、広くて寂しいところだった。

 場面は変わり、大きな家の、玄関の扉の敲き金を鳴らすと目の前の青年が出てきた。

 しかしそのあとの記憶はない。

「どうかしましたか?」

 目の前の青年がすこし首を傾げる。

 彼があたしを助けてくれる保証はどこにもない。

 けれど、あたしは安堵したのか、ふっと気が遠くなった。

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