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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第六章

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傍観者の詫び言 5

 鎮魂祭というのは、文字通り死者の魂を鎮めるための祭りらしい。

 いまの時期、ミネルバで二日間にわたってその祭りが行われることになっている。似たような行事がほかの領地でも見受けられるらしいが、隣町であるアレリアでは行われないそうだ。

 鎮魂祭、という名前を聞く分にはかなり厳かな雰囲気があるのだが、古くから行われている行事の例に漏れることなく、鎮魂祭の本来の意義は薄れ、いまではただのお祭りになっているようだった。

 あたしが楽団のひとたちと会った日から一週間が経ち、祭りの当日を迎えた。

 鎮魂祭一日目。

 この日は生憎の天気で、朝から雨が降り続き、石畳を打ちつけていた。その影響で空気もさらに冷え、外は雨のにおいで満たされていた。

 雨がこれほど降っているのなら、野外での演奏はさすがにやめざるを得なかった。夕方の例の喫茶店には、演奏会が中止になったために楽団員であふれていた。本来ならばとっくの昔に演奏をはじめていたであろう時間帯だ。皆が楽しそうに談笑している。残念がっている様子もない。折角鬼のように練習をしてきたので、残念に思わないわけでもないが、まさか〈メイト〉が来たから雨が降った、とは思いたくなかった。

 なんとなく居心地の悪さを感じていたあたしは、扉が開きっぱなしの入口付近にあるベンチに腰かけた。上を見ながら溜め息。建物の、内側にくぼんだところに扉があるので、濡れる心配はない。あたしの頭の上は屋根ではなく、二階の床部分だろう。壁の縁から雨水がぽたぽたと落ちている。

 聞こえてくる音に意識を向ける。

 水溜りに落ちる水滴はぽっぽっという音がしているのに、全体の音を聞けばサーッという音しか聞こえない。いくつもの音が重なっているのに、たったひとつの、連続した音にしか聞こえなかった。この土地ではこれほどの本降りの雨は少なく、ほとんどは降ってもすぐに止むか、霧雨なのだという。気候も湿気の少ない地域なので、濡れてもすぐに乾く。

 雨の音は、普段だったら心地よく聞こえただろう。しかしいまは、ぞわぞわと何かが這い上がってくるような気にさせた。足に、何かがまとわりついてくるような、振り払えない気持ち悪さだ。耳を塞いでも、耳の奥でこだましそうな雨音に、やはり店内にいたほうがよかったかもしれないと後悔した。

 そういえばいまさら判明したことなのだが、あたしはいつの間にか周りにある文字の意味を理解できるようになっていた。それに気づいたのはつい先日のことで、読めなかったはずの本の背表紙の題名の意味がいまではわかる。何故そうなったのかはよくわからない。いままで読めないからと本を無視してきたので、いつからそうなったのかもわからない。意味がわかるだけで、字が書けるようになったわけではない。理解できるようになったからといって、読みたいとは思わなかった。

 ふとした時に、あたしは姉のことを思い出していた。

 ようやく姉のことを受け止めることができた。

 あたしを庇って落ちた、姉のことを。

 気がつけば湯気の立ったマグカップが差し出されていた。

「飲みませんか」

 あまり感情の含まれない声を聞いて、あたしは反射的に左を向いた。店内の橙色の明かりを受けたアサギが立っていた。

「あ、ありがと。気づいてたの?」

 アサギの意外な行動に面食らってはいたが、礼を言ってマグカップを受け取る。中にはらくだ色の液体、カフェオレが入っていた。マグカップを両手で包むと、その熱が指先からじんわりと体に伝わっていった。ひとくち飲むと、熱さと苦み、すこしの甘さがちょうどよく舌に広がる。

「帰ったのかと思いました。何かありましたか」

「ううん、そうじゃないんだけど、なんだかいづらくて」

 この一週間で、彼とはちょくちょく話をするようになっていた。あたしはすっかり警戒心を解いて、知り合いの少年に接するような態度になっていた。どんな形であれ、気にかけられるのは嬉しいものだ。昨日のギダのように、気にかけてもらえることがこれほど気持ちを楽にするとは思わなかった。今朝あたしが起きた時、ギダはすでに帰ったあとで、あの家に来た理由は結局わからずじまいだった。

 アサギは立ったまま、先程のあたしと同じように雨に打たれる町に目を向けた。

「アサギはさ、帰りたいって、思わないの?」

 彼は無表情であたしを見た。

「思いません。そんなふうに思ったことがありません」

「そうなんだ」

「あなたは、帰りたいのですか」

 逆に質問された。心なしか声色が優しかった。あたしは頷く。

「すごくね、帰りたいの。帰りたいはずなんだけど、なんにも思い出せないし、わからなくて。あるひとがね、不安を取り除けば帰り方を思い出せるかもしれないって言ったの。でも、よくわからなくて」

 アサギは黙って聞いていた。

「ノアさんもサイラスも倒れちゃうし……寂しいのかな、あたし。自分によくしてくれたひとがいなくなるのって、こんなにつらいのね。向こうだったら、そんなこと思うこともなかった」

 あの広い家に一日中ひとりでいて、当たり前はないのだと思った。家族というのは、そこにいてくれるだけで有り難いのだと。

「サイラスはもう家に帰っています。会いに行けます」

「そうね。でも、サイラスは……一時的だから」

「はい。彼の呪いは、解けません。それは仕方のないことです。さっきあるひとって言ってましたけど、どんなひとですか」

「えっと、綺麗な女のひとで、黒髪に赤い眼だったの。アレリアに行った時に会ったはずなんだけど、あれ、夢だったのかな」

「そのひと、僕も会ったことがあります。随分前ですけど」

 アサギは考え込むように下を向く。

「そんなに話はしませんでしたし、会ったのも一回だけだったのですっかり忘れてましたけど、そのひと、魔族かもしれません」

「え、そうなの?」

 しかし言われてみれば、前にノアが言っていた魔族の容姿と合致する。

「すこし曖昧ですが、〈メイト〉のことも色々と知っていそうでしたし、帰りたいのであれば、やはりそのひとと話をしたほうがいいと思います」

 話したほうがいいと言われても、相手がどこに住んでいるのかわからない。知っていることといえばシャノンという名前だけ。

「あなたが羨ましいです。僕は、向こうでの思い出にいいものがありません」

「ひとつもないの? 家族は?」

「いますけど、僕は腹違いの子供で、父に引き取られたあとは、そっちの家族から色々と嫌がらせを受けました」

 やや重たい内容なだけに、なんと返答したらいいのかわからない。

「だから、あなたの名前を聞いた時、同じところから来たのではないかと思って、嫌だったんです。僕は向こうでのことを思い出したくなかったので、あなたにあの時ああ言われて、色々なことを思い出してしまって……。本当にごめんなさい」

 態度から本当に反省しているのがわかる。

「いいよ。もうだいじょうぶだから」

「でも……」

「あたしもイライラしてたから、あなたに当たっちゃったの。こちらこそ、ごめんなさい」

 言って、ベンチから立ち上がりはしなかったが、彼に頭を下げた。

「あ、ついでに思い出したことがあったんだけど」

「なんですか」

「いつだったかな。六年くらい前だったと思うんだけど、サユラっていう資産家の家が火事になって、みんな亡くなったって聞いたの。あなたに関係あるのかなって思って」

 アサギは動きを止めた。前髪の隙間から見える目がはっきりと開いていた。

「え、あ、ごめんね。また気に障るようなことを……」

 また相手の触れてほしくないことを言ってしまったのではと慌てていると、アサギは小刻みに首を横に振った。

「いえ、いえ、だいじょうぶです。ちょっと……思い出したことがあって。すみません」

 そう言ってアサギは店内に戻ってしまった。追おうと思ったがすぐにやめた。この場を離れたということは、あたしから離れてひとりになりたいということだ。

 しばらく座っていたが寒くなり、あたしはとうとう店内に戻った。

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