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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第四章

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魔女の挨拶 1

「それにしても、アレリアに行くことになるとはな」

 向かいの席に座るサイラスがうんざりしながら腕を組んだ。

 今回馬車に乗って向かっているところは、ミネルバと湖を挟んだ反対側にあるアレリアという町だった。

 ミネルバとアレリアの間には大きな楕円湖があり、とても長かった。ミネルバには湖に沿って公園が造られているので、随分と横長の公園がある。その湖の真ん中に渡された石造りの橋を現在馬車で軽快に走っており、舗装されているだけあってあまり揺れない。馬車は前に乗ったものよりも仕様がよくなっているらしく、使われている布の手触りは滑らかで、刺繍もあらゆるところに施されていた。車内の色使いもさり気なく整っていて、座席のクッションも厚くなっている気がした。これなら当分おしりが痛くなることもないだろう。

 車窓から見る景色は、高さの変わらない橋の欄干と、星空と、暗い水面だけだった。

「まさかこんなことになるとは思わなかったよ」

 隣に座っているノアは弱々しく嘆いた。

 隣の領地から帰ってきた時、本部に一通の手紙が届いていた。手紙はこの前ノアが持っていた封筒と同じもので、送り主は例の地方司令官からだった。

 手紙を要約すると、アレリアで領主が主催する晩餐会があり、警備隊が警備に就くのでその数合わせのために来てほしい。というものだった。その手紙を読んだノアが、珍しく、至極悔しそうにしていたのを覚えている。どうやら手紙には『慰安旅行にただで行かせてやったのだからこちらにも顔を出せ』という意味が含まれていたようだ。アレリアにも当然ながら警備隊はあるのだが、ミネルバの警備隊をわざわざ呼ぶということは、余程人数が足りないのだろうか。

 地方司令官の不可解な要請には、何故かあたしも行くことになっていた。体調がよくなかったこともありノアは行かなくてもいいと言ってくれたが、あたしは迷った末についていくことにした。いまもまだ喉元や胸らへんが気持ち悪く、食欲がない。

「あの、質問いいですか?」

 そう言うと、ふたりが反応した。

「その地方司令官って、前にも言ってましたけど、どんなひとなんですか? サイラスは知ってるの?」

「私たち、ふたりとも知ってますよ」

 ノアが頷く。

「知ってるも何も、俺に言わせれば、掴みどころがないのに意志は強い、変なひとだな」

 サイラスは困惑顔で説明する。あたしは意味がわからず眉をひそめた。

「ちょっと説明が難しいんだよなぁ、あのひと」

 あたしは悩みだしたサイラスからノアに視線を移すと、ノアも困ったようにあたしを見た。

「私も、彼のことはうまく伝えられないですね。前に話したこと以外になんと表現したらいいのか……。『掴みどころがない』というのは同意です。会えばわかると思いますが、できれば会わせたくありませんね」

「そう、ですか……」

 地方司令官のイメージが固まらないまま、あたしはもうひとつ疑問を口にした。

「あの、あたしが言うのもなんですけど、こんなにしょっちゅうミネルバを空けてもだいじょうぶなんですか?」

 この前の慰安旅行や今回の要請と、立て続けに町を離れてだいじょうぶなのだろうかと思っていた。隊員ではないあたしは掃除やら洗濯やら家事全般の手伝いをしており、警備隊の仕事は何ひとつ手伝っていない。ただの一般人として居候をしているため、関係ないといえば関係ないのだが、なんだか心配だった。

「それならだいじょうぶだ。俺たちの隊は、いわゆる補欠なんだよ」

 サイラスが手を振りながらこたえる。どういう意味だろうかと思っていると、彼は言葉を続けた。

「俺たちの隊って人数がすごく少ないだろ? ふつうだったら一隊に十人から十五人くらいはいるんだ。できてまだ六年しか経ってないし、見回りの担当地区も狭い。だからってわけじゃないけど、ほかの隊ではやらないようなこともやってるんだ。この前みたいに迷子の犬を預かったり、町民の相談にのったり。相談は本来、その地区を担当する隊の役目だけど、こっちに回ってくることが多い。あとはまあ、〈メイト〉の面倒を見るってやつかな。〈メイト〉っていつ来るかわからないんだ。いまはおまえがいるから、暗黙の了解で警備隊の仕事が結構免除されてるっていうか」

「免除?」

「〈メイト〉って百年以上も前から来てるらしいんだけど、嫌な噂が立ってて、そのせいで誰も〈メイト〉の面倒を見ようとしなかったらしいんだ。まあ、〈メイト〉の面倒を見るっていう決まりがあるわけじゃないから、それがふつうなんだけど。でもノアさんが六年前にアサの面倒を見てから、うちの隊が〈メイト〉の面倒を見るって勝手に決められたというか、そういうことになって。誰もやりたがらなかったことをやってるから、周りも割と助けてくれるし、咎めないのさ」

「サイラス」

 ノアがたしなめるようにサイラスを見た。サイラスは、しまった、と書いてある顔であたしを見る。

「あ、悪い。そういうつもりで言ったわけじゃ……」

 あたしは首を横に振った。

「だいじょうぶ。……でもやっぱり〈メイト〉って嫌われてるのね」

 言っておいて、やはり気分が落ち込んだ。

「ツカサさん」

 ノアが何気なく呼んだので、あたしは彼を見た。

「誤解しないでくださいね。私は、好きであなたの面倒を見させてもらってるだけですから。ツカサさんに勝手に親近感を持っているのもありますけど、私自身が世話好きなもので」

「親近感?」

 意外な言葉が出てきた。あたしのいったいどこに親近感を持ったのだろうか。

「なんていうか、説明するのが難しくて。アサギもそうなんですけど、どうしてそう思うのかわからないんです」

 ただ単に波長が合うとか、そういった類の話なのだろうか。

「ノアさん、ほんと世話好きですよね。昔から」

 サイラスが溜め息をつく。

「その世話好きの世話になったのは誰かな? サイラス」

 ノアが笑顔で突っ込む。サイラスは途端に、墓穴を掘ったと苦い顔をした。

「そうでした……。俺は二年くらいでしたっけ?」

「そのくらいだね、確か」

 ノアは懐かしむようにこたえた。

「何年前でしたっけ? 俺が八つの時だから……」

「もう十三年も前か。懐かしいね。サイラス、小さかったもんねぇ。いまからは想像もつかないけど」

「それはそうですよ」

 楽しそうに笑い合うふたりにつられ、自然と口元が綻び、それから外へと目を向けた。

 この馬車には、ひとりだけ乗っていない人物がいた。

 あの日、口論し、仲違いをした黒髪の青年。

 彼はあのあとその場から走り去り、その後、ひとりでミネルバに帰ったようだった。仮定形の言葉なのは、ショックのあまり『あのあとのこと』をほとんど覚えていないせいだった。気がついた時には、あたしは宿泊施設の自分の部屋で椅子に座り、休んでいた。次の日になって帰る時、宿泊施設からの馬車はこの三人で乗り合わせをしたので、あたしはアサギが先に帰ったことを察した。

 あたしがアレリアについてきたのも、アサギとの仲違いが理由だった。あのまま本部にいては、いつ彼が来るとも限らない。現在アサギは自宅謹慎になっているが、どうしても安心できなかった。あの家の玄関が開くたびに体が反応し、それほどに彼に対して恐怖を覚えていた。そんなふうにびくびくするよりも、いっそ彼がいないアレリアについていったほうが、気持ちが楽だと思った。

 謝りたいと思いつつも、顔を合わせるのが怖かった。

 景色が暗くなる。

 馬車が橋の真ん中、湖としても真ん中にある塔の下に入り、すぐに通り抜けた。

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