4 その名前を出しただけで
「ここの部屋を使っていいぞ。もともと物置だったから、埃っぽいかもしれないが、勘弁してくれ」
バンクに通された部屋は、確かに物が乱雑に置かれた部屋であったが、睡眠をとるには十分な広さの部屋だった。
「ありがとうございます。バンクさん」
「おう。明日からビシバシ働いてもらうから、しっかり寝て、明日への活力をつけてくれ」
「はい」
バンクは累の返事を聞いて満足そうに笑った後、大きな欠伸をした。
「ふう~俺も明日に備えて、さっさと寝るとするか。それじゃあお休み」
「はい。お休みなさい」
バンクが部屋から出ていくと同時に、累は再び部屋を見渡した。
「確かに、綺麗な部屋とは言えないけど……文句は言えないな。幸い、布団はあるし」
窓から外をのぞいても何も見えない。灯りが何もないから、月明かりがやけにきれいに見える。
「部屋の照明が蝋燭の炎だもんな」
部屋を一通り見た累は、畳まれていた布団を床にひいて、その上に寝転がった。
「薄い……いや、文句は言わないけど……」
累はそのままぼうっと天井の木目を眺めていた。
「あ、明日って何時に起きれば……それに時計とかって」
累は、三度部屋の中を見渡すが、時計はなかった。
「うーん、時計ってこの世界にあるのかな……」
累がそんなことを考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「ルイ、フェリアだけど、入っていい?」
「いいよ」
累がそう言うと、フェリアが、ドアを開けて入ってきた。
フェリアは、パジャマのような、柔らかそうな生地の服を着ていた。
「ねぇ、ルイ。お話ししましょう?」
「お話? でもさっき夕飯の時にも散々……」
「あれだけじゃ足りないの! もっと! もっと異世界の事を教えて!」
フェリアは駄々をこねる子供のように累にせがんだ。
フェリアは、門からバンクの家に着くまで、そして、夕飯の時間の間、ずっと累に質問攻めを繰り広げていたのだった。
「ねぇ、ルイ、私はね。すっと妄想していたの。自分が今いる世界とは、別の世界がどこかにあって、いつか私は、そこに行けるんじゃないかって」
「……なろう作家みたいだねフェリア」
「でも、心の中では分かっていたの。そんなことあり得ないって。でもあり得たのよ!」
「僕からしてみたら、ここが異世界なんだけどね……」
「こんな千載一遇のチャンス、逃すわけもないわ。ルイには、ルイがいた世界のこと、ぜーんぶ話してもらわないと」
「聞いて、どうするの?」
「それを妄想に活かすに決まってるじゃない」
「……自分が行くとかじゃないの?」
「……実際ちょっと怖いじゃない」
「……」
フェリアは、ちょっぴとリアリストだった。
「それにルイって、一回死んでいるんでしょ? 私、死にたくないわ」
「そりゃそうだ」
「そういえば、ルイってなんで死んじゃったの? 病気?」
「あぁ、その話?」
「うん。ルイってまだ25歳なんでしょ? 病気? それとも崖から落ちたの?」
「……トラックに轢かれたの」
「トラック? なにそれ」
「高速で動く鉄の塊」
「えぇ? なにそれ怖いわ。どうしてルイはそれに轢かれちゃったの?」
「寝ている時に轢かれたみたい」
フェリアは首を傾げる。
「訳が分からないわ……」
「うん、分からなくてもいいよ……僕も正直、あんまり実感ないし」
「……ルイがいた世界って、もしかして恐ろしいところなの?」
「どうだろう……人によっては楽園だし、人によっては地獄かもしれない」
累は死んだ魚のような目で、そうボヤいた。
「ご、ごめん、ルイ、この話やめよう。だから、そんな悲しい顔をしないで」
「……」
「え、えっと……あ、そうだ、今日の夕食って美味しかった? あれ、私が作ったんだけど」
「え? あれってフェリアちゃんが作ったの?」
「まぁね。うちって、お母さんが早くに亡くなっちゃったから、料理とかは、結構任されてるの。今日の鶏肉のスープは美味しかった?」
「とっても美味しかったよ」
「ほんと? そうだ、ルイの好き嫌い教えてよ。献立、気を付けるからさ」
「それは助かるなぁ。でも僕は嫌いな食べ物は特にないから、フェリアちゃんにお任せするよ」
「そう? なら好きな料理は?」
「あぁ、それはもちろん、ファミチキ」
一瞬の静寂が訪れた。
「ふぁみ……ちき? なにそれ?」
「ファミチキって言うのはね、美味しいんだ。至高の料理なんだ」
累は急に早口でしゃべり出す。
「えっと……どういう料理なの?」
「チキンの油、そして食感がたまらない」
「あ、鶏肉を使ってるんだね」
「ファミチキ……すきだ……」
累の口から、よだれが垂れそうになっている。
「ルイ?」
「ファミチキ……食べたい」
「おーい、ルイ? 聞こえてる? 私の声聞こえてる?」
「ファミチキ……ほしい……ほし……ほっ……」
「ルイ! 落ち着いて! 白目向いてる!」
「ファミチキ……ほっほい……ほほほい……」
「ダメだ、絶対正気じゃない……こうなったら……」
フェリアは、腕を大きく振りかぶり、そのまま累の頬にビンタをした。
「ホゲッ」
パチーンという破裂音とともに、累は床に倒れる。
「しまった……手ごたえがありすぎる……」
フェリアは、倒れた累を揺さぶる。
「ルイー、大丈夫?」
「う、うーん……」
「私の声、聞こえてる?」
「ふぇ、フェリアちゃん? あれ、なんか凄く頬が痛い……」
「あ、それは気のせいだから大丈夫。でもよかった、正気に戻ったんだね」
「えっと、さっきまで何の話を……確か、料理の……」
「あー、その話はもういいの! 違う話! 違う話しましょ!」
フェリアは慌てた様子でそう言った。
「違う話? そうだなぁ。そう言えば、この部屋って時計ってあるの?」
「時計? 時計はこの家にはないわ。高くて買えないのよ」
「なるほど……高いのか」
「町には日時計があるから、時間が知りたくなったら、そこに行くのよね」
「日時計かぁ。なるほどなぁ」
「ルイのいた世界でも時計って高いの?」
「高いのから安いのまであるよ」
「ふーん、話を聞いた感じ、累のいた世界の方が、私の世界よりもずっとすごい気がするわ。でもどうして時計が欲しいの?」
「ほら、明日何時に起きればいいのか分からないし」
「ニワトリが鳴いたら、起きれば良いんじゃない?」
「う~ん、僕って結構眠りが深くて……大丈夫かな?」
「あぁ、それなら心配ないわ」
フェリアはニヤッと笑う。
「どんなにお寝坊さんでも、絶対起きれるから」
「え?」
「っていうかルイ、お父さんからなんの仕事を手伝うか聞いてないの?」
「そういえば何も聞いてないな」
「あー……まぁ、明日になってのお楽しみね」
フェリアは悪戯を企む子供のような笑みを浮かべている。
「さて、そろそろ寝ましょ? 明日もまた、いろんな話を聞かせてね」
「うん、お休み。フェリアちゃん」
「おやすみ、ルイ」
フェリアはそう言って部屋から出ていく。
「僕も寝るか」
累は蝋燭の炎を消して、布団の上に寝転がった。
続くかは不明です