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「俺をお探しかい」
少ししゃがれて、王様より斜に構えた声だった。蛙が木の枝に腰掛けて、細い枝に糸をくくり、釣り針を水面下に垂らしていた。
目玉は黒々と濡れ、綺麗だが、膜でよく半眼になる。半眼仲間ーとアーサーがルトヴィヒと蛙を指さして笑い、ルトヴィヒに尻をつねりあげられた。
騒がしい男性陣を置いて、フェイルは蛙に問いかけた。
「あなたが、蛙の王子ですか? 魔法にお詳しいとあなたのお父様に聞きました、私に力を貸していただけませんか。魔法を解きたいんです」
「いっとくが、俺は魔法を使えるわけじゃねえ。学問したことがあるってぇだけのことだ。それでいいなら、俺ァ別段、かまわねえ」
ぞんざいに言い、蛙は黒塗りのキセルを口にくわえた。
「で、何かい、」
「私はテルテット・ラチタの王女フェイル。後ろの人たちは訳あってたまたま一緒に来てくれたの」
フェイルは息を整える。誕生日のこと、猫のこと、必要そうな情報を言葉にする。蛙はふんふんとやる気なく相づちを打ってから、
「俺らがやったとかァ考えないんだな」
「何でですか?」
「そりゃあ誰だって、何となく人の国の富益とっちまおうって思わないわけも、なかろうがよ」
「はぁ。回りくどいからよく分からないんですけど、でも、まぁ何とかなるかな、なんて思って」
「会話が対応してねぇよお前」
アーサーと蛙の声が重なる。だらしなくポケットに手を入れて斜めに立っていたアーサーを見て、蛙がにやりと笑った。
「何でぇ、ベルガラス。魔法血統書つきのくせに、てめえじゃ魔法の鑑定も解除もできねえのか」
「ベルガラスって、」
フェイルは振り返って、舌打ちしたアーサーを見つめる。黒髪の男は、頬をもぞつかせ、眉間にしわを寄せてから、ため息をついた。
「……一応、ベルガラスの村に生まれたんだけどよ。魔法なんて面倒で面倒で。勉強だけならともかくさ、実践が。方程式通りに動かねぇんだもん」
「ユーリと親戚ってこと? ユーリもベルガラスっていう一族の、村の出身だったの、」
「俺は会ったことない」
即答だった。フェイルはいぶかしげに眉根を寄せた。アーサーは思い出したように、慌てて付け足す。
「あー、まぁベルガラスっつっても、魔法の師匠とか習った相手がベルガラスだったら、元の名前の最後にベルガラスって付け足す奴も多いから。それに俺、ここしばらく村に戻ってないし。村を出て暮らしてた親戚なんて、多すぎて顔とか名前、覚えきってねえんだよなぁ、あははは」
蛙がぽんとキセルで膝を打った。
「思い出したぞ。アーシアル・ベルガラスか、村の魔法使いが作る生産物、魔法の力で出来た魔石を勝手に持ち出して、質屋に入れて遊び回ってた馬鹿。それで村を追い出された男」
「馬鹿っつうな」
「で、そっちの男が、人間じゃない」
「え」
キセルで示され、ルトヴィヒがびくりとした。白金の髪が、小さく揺れる。蛙は片目をつぶってみせた。
「俺ァこう見えても、鑑定士の資格もってんだよ。魔法についての、どういうものかとか、紐の絡まりみたいにはっきり、この目に見えるのさ。だから嘘じゃねえ」
「ルトヴィヒ、そうなの?」
「竜です。黒の宰相と同じ」
「だから魔法について微妙に知ってんだなあ、竜って魔法、使うもんな」
納得したように、アーサーが腕組みして首を縦に振った。
「でも、パン職人さんは両方人間なんだと思ってた……」
「人間でも、そうそう言いたくないと思っていることは、あるものですから」
ルトヴィヒは肩をすくめてみせる。
「竜と言って、あまりいい印象がない土地もありますし」
「そう?」
「黒の宰相なんてぼろっぼろに言われてンもんなぁ、黒ずくめで黒髭で冷酷そのものな感じが、いけねえんだろうけど」
アーサーはさも訳知り顔に言う。蛙は適当に聞き流してから、キセルの先を別の者に向けた。
「ふうむ? 猫ァ、元々人間だな。でもジルカじゃないようだ。最初はジルカとして動いてた猫なんだったっけな?」
「はい、私が、昨日、この猫と喋ってて。そのときはジルカでした」
「だったのなら、元々魔法がこんがらがったっていうときに、ジルカは魔石にあらかじめ半分封印され、石の中から、猫になった奴の体を乗っ取ったんだな。猫は操られてた別の誰かだ」
「そんなの、分かるんですか」
「いや。適当」
「適当って」
「だってなァ、ジルカは、今内側からこっち側に話しかけられないけど、確かにその宝石の中にいるぞ。いることだけァ確かだ」
フェイルは、ポケットを服の上から押さえる。それから掌に乗せて外に出した。赤紫の宝石、金色の台座が、今は消えている。全体が魔法で作られている指輪。ジルカのものだ。
蛙は体を前のめりにさせ、片目をうんと細めてから、唇をすぼめた。
「間違いねェな、ジルカはこの中だ」
「じゃあ、あの猫は」
「誰だろうなァ、ちょっとわからねえけど。ジルカが本当に肉体ごと封じられてンなら他人だけど、そうじゃなきゃ、やっぱりジルカの肉体で、動かしてるものは何かの霊とかな」
「何かの」
正体不明の中身だと思うと、急に銀灰猫が恐ろしい生き物のように見えてくる。雰囲気が悪くなったことに気づいて、銀灰猫はゆっくりと首を巡らせた。声は立てない。きらりと目が光る。
「でもまァ悪いもんじゃないな」
蛙はそれきり、猫の方は見ない。自分の釣り糸の先が、沼の黒い表面につぷりとささっているのを確認している。
「宝石ン中にジルカがいることは分かったけどよ、どうしたら魔法が解けるんだ?」
「アーシアル、ソルドの息子よ! そんなのァ決まってる、そこの、意外に賢いお姫様の言った通りだ。ジルカの魔法が解けたら、あとはジルカが何とかする。魔法使いの領分は魔法使いに任せるもんだ」
「でも、肝心のジルカの魔法が、」
「今は、猫操ることも出来ないくらいに完璧に、宝石の中に閉じこめられてる。でも力が強いからな、ジルカ・ジアンは。有名じゃないか、白いイカヅチのような、戦場を貫く魔道砲!」
だんだん劇がかってきた。蛙は口調とは別に、のんびりと釣り竿をたれる。
「内側から、ジルカ・ジアンが魔法を解いてる。自分にかかってる分だけみたいだが。まぁ遅くても、初日から三日くらいのうちには全部解けるだろ。鑑定士お墨付きだ。これで聞きたい話ァ終わったな」
しっしっとキセルを持った方の手で追われ、フェイルは灰を避けながら「でも、」と反論する。
「ジルカが間に合わなくて、何か困ったことになるとかだったら、困るんです。もっと早めに、手を打ちたくて」
「早めったって、明日か明後日にゃどうにかする人材がそろうよ。ジルカが信じられないのか」
呆れた口調に、フェイルはむっとする。
「そんなわけありません。ジルカ、今まで城で特別役に立ってる感じがないけど、色々なことに詳しいし。外交がうまい、し」
「ありゃ上手なのか? 好き勝手言ってるだけだが」
「会ったことが、あるの?」
「どうしてもってんなら、北限の魔女アララクに頼んでみるかい」
話があちこちに逸れかけて、アーサーとルトヴィヒは緊張し、頭がふらふらしそうになる。フェイルが脱線するのが心配だし、蛙も下手をするとそのまま無関係な話しかしなさそうだ。どこかでうまく言葉を挟んで、誘導しなければ、と構えて気疲れする。
フェイルが蛙の言葉に乗った。
「遠いところですか?」
「あぁかなり。山河三つは越えて、厳しい大雪山を越えていかなきゃならない」
「そんなところまで行かなくても、他の魔法使いに頼めば、」
「隣国とかァだめだね、すぐに踏み入られちまわァな。そもそも、他の魔法使いじゃ出来ないかもしれない。
今あんな小さい国にジアン派の五本指に入るようなのがいるのがおかしいくらいだ。ジアン派上位は学校と研究所にしか、今いない。昔は遠い大国に仕えてたってのにジルカ・ジアンは、まったく。ともあれ、だ。そのぐれえ偉い魔法使いが凡ミスかましてるんだ、敵はそれなりに強い相手なんだろ。普通の魔法使い頼んだって、使いものになるかどうか」
「じゃあ、ジルカを待つのが最善だと」
「俺が思うだけだがね。そこの、ベルガラスのは魔法は無理だろ?」
とんでもない、とアーサーは首を振る。ルトヴィヒは先んじて、
「指輪がないので魔法が使えない」
「なくしたのか、最初からないのか? あってもどうにかできるのか分からないしな、まぁ力があるなら、己の魔法の指輪を探すか、作り直すか。作り直すには三月はかかるだろうが。宝石店にでも行けば、他人の魔力で出来た魔石はいくらでもあるが……扱いにくいし、力のロスが出て大がかりなことが出来ないな」
嫌そうな顔をしながら、ルトヴィヒが頷く。「他人の魔石は、他人の唾を掴むようなものだ」
「は! 言い得て妙だな」
「俺はそれを散々売っぱらってんだけどな。熱くない火とか一年中燃やしてる神殿なんかだと、結構ほしがられるしさ。他人の魔石だって使いようだろ。唾はないよな」
「同意を求められても、私魔法はよく分からないし」
フェイルは肩をすくめる。金色の髪が、肩口から背に滑った。色味の少ない、黒と灰色と茶と深い緑の森で、その金色は本物の太陽のようだ。明るい気がする。ルトヴィヒの色は月のようで、銀灰猫が地面をうろうろ出来なくて困っているのを抱え上げると、兄弟のようにも見える(猫と人なのだが雰囲気が似ていた)。
まぶしげに目を細め、蛙が竿をひく感触で我に返った。我に返ったはいいが、竿をひいていた気配はすぐに消えてしまった。逃げられたらしい。蛙は気を取り直した。
「さあさあ、話が終わったなら行ってくれ」
「蛙の王子様っていやぁ、元は人間だったらしいけど?」
アーサーの声に、若い蛙は釣り竿を振ってため息をついた。
「ご先祖の話だ。魔法で蛙にされた王子様。結局子も孫も蛙で、こーんなあの世みたいな場所でだらだらだらだら暮らしている。俺は若い頃、外と交流があって勉学も資格もしっかりやらかしたが」
「分かったわ……話してくれてありがとう。お礼出来るものが今手元にないんだけれど、あなたのお父様に鳥とウサギをさしあげたから、よかったら」
「生憎俺は菜食主義だ」
菜食主義ならなぜ釣りをしているのか。疑問符を浮かべた三人に、背を向けて蛙は悠然と釣りを続けた。
「ジルカを待つ、それから、ルトヴィヒ、あなたの指輪を探すことも考えましょ。城はそろそろ、ジルカの防御魔法がきいている筈だから、心配はないと思う。……そういえばリスは?」
「俺のポケット。宝石、枕にしてにたにた寝てるところ」
「逃げられたりしないのか」
ルトヴィヒが猫を肩に乗せて、自分と猫の毛についた汚れを払い落としながら言った。フェイルも手伝って、既に乾いている泥を落としてやる。
「もう逃げないとは思うんだけど。さっきだって、怯えてたじゃないの」
「殊勝な気持ちによって逃げない、っつう保証はしないけどな、まぁ多分逃げない。蓋してるし、スリにあいかけても気づいてかわせるぐらいだから動けば分かる」
「アーサーって、すごいのね」
「それ誉めてンのか」
「そういやァお姫様、聞き忘れてた!」
男のしゃがれ声がして、フェイルはアーサーをまじまじと見た。アーサーは顔の前で手を振ってみせる。
「俺じゃねえって」
「あ、蛙の王子様?」
振り返ると、蛙が枝の上で、頭を曲げてこちらを見ていた。
「ちょいと聞きたい。お姫様は、自分で犯人を見つけて倒そうとかいうことは、考えてないのかい」
「ジルカは、別々の魔法が絡まったから、こうなったと見ていたから。だからこういうふうにしようとねらっていた敵は、いないと思うわ」
「敵は元々攪乱をねらってたけど、ラッキーなことにたまたま絡まって、城の中で今好き放題やってるかもしれない」
「……それは、ジルカ・ジアンの考えが間違っているっていうこと?」
「かもしれないし、そうじゃないかもしれない。あんた、お姫様だろう。可能性に心を開け。誰か「強い」奴にいわれたからって他の可能性を無視するようじゃアー、長生きできない」
かん、と枝にキセルを打つ。蛙の指がそのまま、くるりと回した。
「ま、あんたが信じた道を行け。それで国が滅んでも、そんときゃアーそんとき」
「そんなの困るわ」
「困っても、しょうがない。選ばなけりゃ、始まらない。あとなァ、裏切り者に気をつけろ。世の中にゃうじゃうじゃしてる」
肩をすくめて首を振り、蛙は釣りに戻ってしまった。もう話しかけてくる様子はない。煙がぷかぷかと宙に浮かぶ。
フェイルは考え込んだが、湿気で髪がぼさぼさになりつつあったアーサーが、町かどっかに引き返して飯でも食おうぜ、と呟いたので、考えながら歩き出した。
水場を抜けて、べちゃっとした足下に気をつけながら森の出口に向かう。コケが濡れて滑りやすい。だが、行きはふらついていたルトヴィヒも、帰りは慣れたらしく、バランスよく進んでいた。猫はルトヴィヒの肩に乗り、それなりにバランスを取って尾を揺らしている。ジルカの指輪の宝石はフェイルが持っていて、リスのアシェンカはアーサーのポケットから出てこない(時折アーサーが手を突っ込んで、生きているか確認している)。
やがて地面のゆるみが減ってきた。固い地面に柔らかなコケの生えた場所が増えてくる。
木立が、逆光で黒い縦の棒のようだ。光が隙間を切り取って白く輝く。時折目が眩惑され、フェイルはアーサーやルトヴィヒに肩を押されて我に返る羽目になった。
(ジルカが、間違えていたら、)
読みが絶対にはずれないことなど、ないだろう。もしユーリが、フェイルに馬鹿馬鹿しいあの魔法ではなくもっと別の、呪いをかけようとしていたとしたら。もしあの場にいた他の魔法使いたちの中に、本当は隣国から逃げたという変身にたけた悪い魔法使いがいたとしたら。もし、
(疑い始めたら、きりがない)
フェイルはぎゅっと唇を噛む。
木立はまるで永遠に続くように、縦長い黒々とした影を並べている。ストライプが目の前をちらちらする。めまいがしそうだ。
その間に、ちらりと影が走った。
銀色の影。あ、ジルカだ。ジルカというか、ジルカだった銀灰猫。長い尾に、黒銀の模様がある。気高い感じのする肩と背。
「それにしては、大きいような」
大きさは、馬ほどある。
「むしろ馬……」
呟いたフェイルの肩を、突然誰かがぎゅっと掴んだ。