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「ジルカ!」
広間の隣にある控え室で、金の盆に盛った果物や薄いパンとハムを食べながら、フェイルはドアに飛びついた。
「物が口から出てンぞ姫君ィ」
面白そうに表情を笑みにゆがめ、ジルカ・ジアンは胸を誇張する白のドレスの裾をさばいて、部屋の入り口にあったイスにすわった。
「ジルカ、たくさん聞きたいことがあるんだけど、あの、」
むせた。ユーリがフェイルの右肩を指先でとんとんとたたき、グラスに注いだ水を渡す。一気に半分飲んで、
「一角獣、会ったとき、ホントにユーリでイルギリスならジルカ以外なんで、元に戻らなかっ、げほげほげほ」
「あーもう、フェイルそうがっつかなくてもさァ、あたしはあんたが大好きなんだから。何でもしてあげるわよっつうの」
「さりげなく腰に手を回しながらほくそ笑むな変態」
ぼそりとユーリとアーサーの声が重なる。
「あんたら仲がいいわねェ、仲間外れにされてるルトヴィヒ君はいったいどこに行ったのよォ?」
くねりながら言われ、嫌悪を露わに、ユーリが答える。「宰相務に戻られた」
「後でちゃんと、遊んであげなさいよねェ、あれ後で妬くわよひとりぼっち仲間外れ」
「イルギリスが?」
抱き寄せられて鎖骨に額をぶつけながら、フェイルは口を開いた。そ、と間近でジルカが笑う。
「あんたに会うとねェ、いろんな馬鹿馬鹿しいことが、気づいたら自分事になっちゃって、それが案外面白いのよねェ。それはさておき」
意味がまったく分からなくて変な顔をしたフェイルに、ジルカは先ほどのの答えを告げた。
「一角獣ンとこでさァ。自然物で出来た結界札を持ってただろ、ルトヴィヒ。ひひひ、あァ違ったかイルギリス」
「服の内側に一枚。巻紙のようなものを持っていたが」
「いたの!?」
戸口にジルカがイスを引っ張って、置いて座っているので、イルギリスは中に入れないでいる。別に立ち聞きしたくてしていたわけではない。廊下に立ったまま、イルギリスはじろりと魔女を睨んだ。
「あれがどうして、一角獣の聖なる領域でも有効だと」
「だって、お前が持ってたのは、一角獣と同じように太古清く尊かった知恵ある竜の涙がしみこんだものだろうが。最近の竜のものじゃだめだが、何千年も前のものなら、話は別。一角獣の領域を、てめェの結界を保持したまま抜けられる。イルギリス当人は竜の血を引いてるから領域に左右されなかった、そもそもあの姿は、お前の竜種としての本来の姿だろ。今の黒の宰相の格好は、竜種の力を沈めてるから色が変わったり外見が変わったりしてるだけで。一角獣の空間で魔法が解除されてたとしても、イルギリスの格好は、あのまんまで変わらない。猫は、左右される前にイルギリスの懐に逃れて結界札に潜り込み、元の姿になるのをまぬがれた。ジルカ様の考察は以上。終わり」
「リスは?」
「アーサー、お前らリスに名前をつけたんだろ? リスのほうか、それとも悪い魔女が乗り移っていたときのリスのほうか。どっちかは分からないが、とりあえずリスに名前をつけた。だったら、ちゃんと呼んでやれよ。敵だったけど。あはは」
「アシェンカは、魔女に体を乗っ取られていたの?」
「ユーリが猫にされたように、あたしが自分の魔石に封じられたように、他の連中が森の小鳥になってのんきに歌ってたように、あの魔女が単にリスになってたっていう線もあるけど。まぁ多分、石に封じられたもののまだ魔法が使えたからリスに乗り移ったってとこじゃない? あたしがユーリの体乗っ取ってたとき、あいつ普通に魔女の格好のまま来て、猫操ってるあたしと魔法戦になったんだよねェ。おかげでまた魔法が絡んで、ほどきにくいったらない。結局は自然消滅が一番早かったわァ」
「……何かややこしいことになってたのね。それって誕生日に私が寝て、翌朝のことでしょ? ジルカは戦っていて、そして猫の悲鳴が聞こえて私が飛び起きた」
「あー、それ多分あたしじゃなくて、ユリアノクじゃなーい? あたしが自分の魔石にさらにしっかり封じられた後。しょうがなさそうにユリアノク、フェイルの部屋に戻ったんだけど、リスに襲撃されて。リスっていうか、あのときは真っ黒いゆらゆらするものが襲ってきたんだけど。ユリアノクが追い返したけど。あたし中から見てたし。で、深追いしてったのよねェあのバカ。それで悲鳴。魔法があんまり使えなくなったんじゃない? 封じられて。途中から大分元に戻ってて、だからあんたのことも何度か、守ってるけど」
「……ユーリ、ずっと側にいたんだね、本当に」
ふふ、と笑いがこぼれる。
何だかくすぐったいような、暖かい気持ちになる。
「姫様、お客様ですが、」
「どなたなの?」
廊下にたたずむイルギリスを見てびくりとしつつ、女官がフェイルを手招きした。ジルカに離してもらい、フェイルはいったん廊下に出る。
「なァユーリ坊ちゃんや」
変な呼び方をしたジルカは、無視されていたが言葉を続けた。
「ホント何でフェイルが好きなわけ? ガキの頃からの片思いって、ある意味変態的じゃん?」
「……フェイルが、こうだからだ」
「こう?」
「僕を、好きじゃないとは言わない。恋人ではない方向では好きだと言う、その上、僕に助けを求める、そういう心理に、まだチャンスは残されている。フェイルは、恋を知らないだけだ。だったら自分からそう思えるように、僕がなればいい」
「付け入る隙があるってことかァ、あんた案外賢いよね。バカだけど。一生可愛いユーリちゃんって思われる可能性もあるのにねェ」
「な、」
鼻白んだユーリが反撃しようとしたそのとき。
「あぁ、アーシアル・ベルガラスね。私の短い旅を助けてくれた泥棒よ、そこにいるけど」
「だっからお前さあ! それ普通に城で言うか普通!?」
アーサーは戸口に張り付いて叫ぼうとしたが、ジルカに「邪魔」と室内に押し戻された。
フェイルが「いる」と答えてすぐだというのに、女の甲高い声が、何事か叫びながら廊下を歩いてきた。靴音が、絨毯ごしでも高く響く。ばん、と広間側の通用路のドアを開けて入ってきたのは、頬骨と目玉の浮き出た女だった。枯れ木のような感じでぽきりと折れそうなのだが、それでいて声が大きい。
「ベルガラス! アーシアル・ベルガラス!」
名前を呼ばれ、アーサーはびくりとした。
「アーサー! あれほどその日のうちに行けと! ベルガラスの人間が出払っているから、お前につかいを頼んだというのに! この!」
「いてっ、いてえなばーちゃんはっ」
「ばーちゃんではありません! 人前ではちゃんと威厳を持て、この!」
しなやかで細い、鞭のようなもので女がアーサーをぶつ。痛いとは言うがこりていないふうにアーサーは文句をたれる。
「だって俺別に、あと継ぐって言ってないし! 放浪家出してたじゃん十六のとき! あのときすうげえ怒られたし、跡継ぎはニルカルんちの子っつってたじゃん! 俺そもそも研究サイドだし実践魔法学やってねえよ! さりげなくおつかいしてこいっつっといて、俺が何となくやな感じして城の手前でうろうろしてたら、ベルガラスの魔法使いが久々に城に常駐するっていう噂で、俺ははめられたね! すげえはめられたと思ったね! 翌日ンなって城が静かになってるときはびびったけど」
「盗んでたくせに、普通に賓客だったわけ!?」
驚いたフェイルに、失礼にあたりますが同感です、とルトヴィヒもといイルギリスが言う。
盗み、と聞いて、女はさらに目をつり上げた。
「何ですかはしたない!」
「うるせえなあもう」
「ん? じゃあ今回の事件って、ある意味アーサーのせいなんじゃないの? もしアーサーが来ていたら、偽物のベルガラスが入り込む隙がなかった筈でしょ?」
辺りが静かになった。突き刺さるような視線を受けながら、フェイルはアーサーをちらりと見た。「ごめん」
「いや、ある意味そうかもしれねぇんだけど」
決まり悪そうに、アーサーが沈黙を破る。
「でもまぁ、皆無事でよかったよな?」
こうしてフェイルは無事に家に戻った。友達をなくすことなく、新たに出会った者とともに、夕刻、しきりなおして誕生日を祝ってもらうこととなった。
「こういう誕生日も、終わってみたら、悪くはないんじゃないかしら?」
懐かしい感じのする自分のベッドにもぐりこんで、フェイルは静かに目を閉じた。明日になっても、茨の城に逆戻りしていないことを祈って。
フェイル姫と七人の魔女たち・了




