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 夜明けが近い。紺色の空の端が、燃えるように緋色に染まりはじめる。そのうちほのかに白く染まりだし、明るくなるだろう。

 フェイルは何となくほっとした気分で、冷たい空気を吸い込んだ。

「イルギリスが悪役じゃなくて、よかった」

 もちろん、ユーリもだ。


「姫、このまま城へ行きましょう。私一人ではなくユリアノク・ベルガラスとアーシアル・ベルガラスがいる。あなたを守ることは出来る」

 歩き出したルトヴィヒに、フェイルは首を傾げた。

「真正面から歩いていって大丈夫なの?」

「魔法で行くよりも、歩いて行く方が早い」

 ユーリとアーサーは黙って従う。フェイルは、ユーリの背を見ながら後に続いた。

 城まではあっと言う間だった。皆足が速い。走りはしないが、ほとんどそれに近い早さで、滑るように進んでいく。フェイルは息が切れたけれど、狩りなどで鍛えてあった分、どうにかついていけた。

(絶対に、助かる)

 信じたい。だから動こう。

 フェイルは、目の前にそびえたつ巨大な茨の茂みを見上げた。茨の層が一番少ないところ、昨日アルタイルの王子がのぼったのだろう、茨があちこち傷ついて、石壁に覆われた城の窓の中が見えた。

 ルトヴィヒが、軽く握っていた掌を開きながら顔の位置までかかげる。ふわ、とオレンジ色の光がこぼれて、けれどそれは目を射るような鋭さがない。柔らかであたたかい光。

 茨が蛇のように、首をもたげ、威嚇するようにしゃ、と鳴いた。が、ルトヴィヒの手が触れると見る間にしおれていく。左右に避けさせて、ルトヴィヒは窓を開け、城内に侵入した。光が見えなくなって、一瞬沈み込むように辺りが暗くなる。足音も聞こえない。ルトヴィヒがすぐ前にいた筈なのに、声もしない。

「しまった……!」

 叫んで手を伸ばしかけたユーリは、上体を窓から城内に入れ、遅れて我に返る。舌打ちするが、闇に引き寄せられるようにして、中に落ちた。

「ユーリ!」

「待てフェイルっ」

 フェイルが飛び込むのを、アーサーが腕を掴んで止めようとする。フェイルは強く引っ張られ、自分が前にのめった勢いもあって、右腕の関節がきしんで鋭く痛んだ。

「――っ、」

 でも声は立てない。静かに、すぐ下にある石床に受け身を取って転がり、起きあがって体勢を整える。フェイルの上に落ちそうになって体をひねり、アーサーは壁にぶつかって「痛っ」と声をあげた。

「……ユーリ?」

 藍色のグラデーションで染まる城内の風景に、普段との違いは特別見あたらない。

「イルギリス?」

「いないみたいだな、何かやな気配するんだけど」

「嫌な気配?」

「魔法の、空間分割に使う粉の匂いみたいな。こう、木の粉砕粉みたいな、粉っぽいやつで、燃えさしの灰にも似てるんだけどさぁ……」

「もしそれだとしたら、どういうことなの?」

「ユーリもルトヴィヒ……イルギリスも、城の中じゃなくて別空間に落ちた気がする」

 真剣な顔で言うと、壁に背をつけながらアーサーは立ち上がった。

「それにまだ、ここも空間がゆが、」

「アーサー! 後ろ!」

 アーサーは、石壁の、色がわずかに青みの灰色であるところを肘で押していた。それで、人一人分ほどの縦長い空間がぽっかりと壁にあいて、アーサーは何かを言う暇もなく飲み込まれた。ばたーん、と壁が閉じる。

「……そこは、城の隠し通路……」

 言ったが、もうアーサーはいない。

「確か、ここと通じてる通路は、三階の、七番目の大鏡と、」

 必死で、幼い頃に遊んだ裏道を思い出す。

 大丈夫だ、今の通路は、隠し通路とはいえ、さほど重要なものでもない、ただのダミーなのだから。

「一階の、調理場の隣にあるドアにつながってて、出る直前に、」

 フェイルはそこで青ざめた。「ジルカ特製の、呪いつき……!」

 フェイルが二年くらい前に、婚約だの見合いだのをお断りするために強行して逃亡する際、あの道を使っていた。フェイルが頻繁に使うので、人目について、泥棒が入り込んだから、以降それを防ぐため、怒った王がジルカに魔法をかけさせたのだ。フェイルにはかからないが、王族以外は例外なく、かかる。

「助けなくちゃ、」

 フェイルはすぐ側にあった燭台の下を探る。そこにあった鍵を引くと、もう一つ壁に穴が現れた。小さくて狭い、通気穴だ。足下にあるし、入りにくい。

 フェイルは頭をつっこんで、声をあげた。

「アーサー! 三階!」

「了解」

 遠いような声が響いた。多分、出る方法くらい、分かってくれるだろう。一応魔法使いだし。

「あとは、」

 しんとした城内は、まるで別の建物のようだ。フェイルのことなど見知らぬように、つんとして、素っ気ない。

 少し身震いする。けれどフェイルは空気を吸い込み、気合いを入れた。軽く準備運動をしてから、武器庫に向かった。鍵は数字の列を並べて、数を合わせるもの。フェイルはたまに森で狩りをするので、そのとき鏃を借りるため、覚えている。鏃は自分で作るのが結構難しい。

「よし」

 魔法使いに対抗できるとは思えないが、ないよりましだ。接近戦になったときのために、弓矢以外にも剣を借りて、武器庫を閉ざす。

 フェイルは、一階から見回りを開始した。

   *

 特別生き物にも魔法にも出くわさないまま、二階にたどり着いた。薄暗いが、茨のわずかな隙間をぬって、細く光が射し込んでいる。だからあえて燭台を探して火を灯さなくても、どうにか歩いていくことが出来た。

(それにしても、本当に誰もいない)

「フェイル、やっと見つけた」

 不意に手をつかまれ、フェイルは驚いて反射的に振り払った。

「ユーリ、何でここに」

「何でって。一緒にここに来たじゃないか」

「そうだけど――はぐれたわ。どうして見つけられたの」

「好きだから」

 さらりと答えられ、フェイルは首を左右に振った。

「でも、私はユーリのこと、友達って」

「……じゃあ、もういいから。僕はフェイルにそれ以上何も望まないから。ただの友達だ。他に好きな人も作る。それで安心だろう?」

 なぜだろう。

 かすかな違和感。

(……ユーリ、そんなにあきらめよかったかな)

 どうだろう。

 どうかな。

「違う」

 ぼそりと、フェイルは呟いていた。

 距離を置かれ、ユーリは怪訝げに眉をひそめた。

「フェイル?」

「だって、ユーリは、絶対にあきらめないって、言ったもの!」

 幼い頃に告白されて、以降、誕生日にカードと花と、本が届いて。フェイルが振り向くような、人間になるからと。

「ユーリは、私がひどくても、最低でも、それでも、一緒にいたいって」

「フェイル、」

 相手が手を伸ばす。フェイルは首を左右に振って後退した。

「私、」

(いつでも、助けてほしいって叫ぶとき、誰を呼んでた?)

 ジルカがいても、とっさに、真っ先に思い描く名前。

(ユーリ)

 私の友達。

 絶対に、フェイルが泣いていたら、駆けつけてくれる人。

(友達じゃないものになるって、嫌なんだもの、)

 友達はずっと続いても、そうじゃない関係は、いつかぶつかりあって壊れたままになってしまうような気がして。

(でも……)

 困っているとき、名前を呼びたいのはユーリだ。困っていたら助けてあげたい。傷ついていたら抱きしめてあげたい。

(魔石をもらったときは、何か、)

 戸惑うばかりで、むしろ怖かったけれど。

(おいしいもの食べさせたいし、大事にしたいし。そういう好き)

 何かを望まれてしまうのは、怖い。

 知らないユーリみたいで、すくんでしまう。

(でも)

 信じるというのは、疑うことだと。相手のことを信じているからこそ、自分が思いこんでいる「相手の偶像」をたえず更新していかなければならなくて。

 知らないユーリだって、居て。

(ユーリは、初めて会ったとき、すごくかわいい女の子だと思って)

 今は、少し大人になってきてはいるけれど、まだ可愛くて。

(魔法を学び続けていて、私のこと、呆れてても、まだ、好きだって言う)

「ユーリ」

 久しぶりに会えた人。大事な人。会いたかった人。

 偽物、だと思うユーリが、近づいてくる。手を、のばしてくる。フェイルは首を振った。

「ユーリ」

 ユーリ、助けて。

    *

 一人きりで見る闇は、孤独な色をしている。

 自分のまとう白色の服も、墨染めにそまり、あまりよく見えない。

 魔法を使おうとすると、鈍く左手が痛んだ。城の中に落ちるとき、異空間に飛ばされると気づいてとっさに、別の空間につないだのだが――向こうの方が、上手だったらしい。互いの魔法が食い違って火花が散り、うっかり、軽いやけどをした。

(このぐらいならすぐに治る)

 だけれど心配なのはフェイルだ。あの子は、ユーリを待てるだろうか。一人きりで、戦おうだなんてしないだろうか。

(最初の頃は、ただつきまとってくる、うっとうしい子供だったのにな)

 何となく、心配している自分がおかしくて笑えてきた。何かを本当に失いたくないと、側にいたいと、大切だと思ったのは、フェイルが初めてだった――次が魔法。

 心の冷たい人間だと言われることに慣れていた自分が、それに傷ついてもいたとか、本当は誰かを助けようと思うとか、思っていたのに表に出ないで「自分でも知らないでいた」わずかな心の動きを、フェイルは見つけだして、「ほら、ユーリだってやさしいわ」と教えてくれた。

 思い出す記憶は、フェイルに出会ったときから、優しい。それまでは、ただ生きていただけ。知識を持って、歩いていただけ。

 物心ついたときにはもう、母と二人でさすらっていた。穏やかな笑みをした魔女である母は、一カ所にとどまらずに薬草の知識で人を治しては、数ヶ月で去る生活をしていた。だから三歳の時に驚いたのだ、お城に定住すると聞いて。

「正気?」

「えぇ。いいお友達もきっと出来るわ」

 どうだか。ユーリは冷たくなりつつあったスープを口に運びながら、心の中で毒づいた。

 魔法以外の知識をもたたき込まれ、早熟だったユーリは、他の子よりもつんけんして偉そうだし知識をひけらかすので、あちこちで老若男女を問わず疎まれやすかった。

 「きっといいお友達が出来るわ」――場を移るときの母の決まり文句に、このときも特に何も思わなかった。

 けれど、テルテット王治世下のラチタに来て。

 フェイルは、バカで、いちいち勉強の邪魔をして、うっとうしくて仕方がなくて。罵倒もした。さげすみもした。なのにフェイルは、何を言っても離れてはいかなかった。それどころか「ユーリは何でも知ってるね」ときらきらした目で言われた。決まり悪く思って、何でもじゃないよと言ったら、じゃあたくさんだね、と微笑まれた。

 誰かに生意気だと小突かれると、フェイルはすぐに割って入った。「ユーリはすごいんだから! 悪く言うなんて、ひどい!」

 決して姫の身分を使って言うのではなく、友達を守る女の子として叫んでいた。

 だから、フェイルを愛している。

 誰もがうとましがるような、つっけんどんで尖っていた自分を、愛してくれた。かたくなになりがちな心を持っていたユーリは、だから段々気持ちのすさみがとれて、周りと自分をかえりみる余裕が出た。つんけんしすぎないような、生き方。

 今はましになったほうだ(これでも。自覚はある)。

「フェイル」

 ユーリは闇の中に立ちつくし、心の中に、小さな灯がともるようなイメージを抱く。

 目を閉じて、耳を澄ませる。

 おそれはない。恐怖はない。

 指先と足先が、闇に溶けて消えていくようだ、それでも目を閉じる。心はここにあり、そこに気持ちがあれば、魔法はいつでも展開できる。

 あとは、待っているだけだ。

「フェイル、僕の名前を呼んで」

 そうしたら、駆けつけるから。声が届けば、そこまでの道を開けるから。

「僕はまだ、何も諦めはしない」

 きっと君は僕を呼ぶ。君は気づいていないけれど、父王と乳母以外では、僕の前でしか泣かないから。だから僕は、君を信じる。

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