6-2
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「怖いし、何とかしたいけど、打てる手は思いつかない。隣国に助けを求めようにも、……多分、来ないと思うのよね、仲は悪くないけど、今の王があんまりいい感じがしないの。これ幸いに何か要求されると思う。ジルカをあと一日待てればいいんだけれど」
歩きながら、フェイルは呟く。
「アーサーは魔法を使わない。魔法使いの家系だから魔法には詳しい。ルトヴィヒは、魔石があるならどうにか戦える。私、さっきは城に近づきすぎたみたいで、魔法で出来たなにものかに襲撃されかけた」
自分で整理しているところだと分かったのか、ルトヴィヒは何も言い足さない。
「本当に敵がいるの? 敵意を感じたのって、さっきが多分、最初なのに」
「……やはり、ジルカを待ちましょう」
ルトヴィヒが、かなりの距離を歩いてからそう言った。「でなければ、あなた一人には酷だ」
「どうして? 私はテルテット王が位を譲ることになれば、今すぐにでも、王にならなければならないのよ……どうにかしないと」
「今のあなたは、王ではない。そして何より、信じるに足る手ゴマもない」
「私一人きりだから何も出来ないと? だとしても動かなければ、」
「即座に城中に悪影響があるとは限らない」
「一人だからって何もしないのは、嫌なのよ……誰だって、やるべきことをして、ありがとうって言われたいじゃないの。ふざけるなこの野郎って石を投げられるよりは」
「では魔法使いとして警告を。ジルカを待つように。ジルカと、あなたのご友人たちを」
「たち?」
きょとんとしたフェイルに、ルトヴィヒはさらりと告げた。
「エルレイン・ソフィエルと、ユリアノク・ベルガラス」
銀灰猫が勇ましくにゃあと鳴いた。視線の先で、アーサーがベンチに座り、涙をこぼしている少女をなぐさめているところだった。
「ごめん、邪魔した?」
「いや別に全然」
動揺したようにさっと席を空けて、アーサーは少女を指さした。
「城から戻ってきた子なんだけどさぁ、これからどうも、結婚相手がいて、一緒にならなきゃならないんだと。でも他に」
「好きな人が、うっ、いるんです」
盛大に鼻水をすすりあげた少女に、ルトヴィヒが懐から出したハンカチを渡した。
「返さなくていいです」
「どっ、どうも、あっりが、」
しゃくりあげていてうまく話せない。子鹿のような大きい黒い目が、こちらを順に見上げた。
「すみませ、あた、あたしに御用ふぁあるんですひょね」
「確かに用があるんだけど、その前に、泣いている女の子をそのままにするなんて紳士のする事じゃないわ」
「お前王女だろ」
後ろからアーサーがつっこみを入れる。だらしなく重心をずらして立つので、ルトヴィヒが背を小突いた。「真っ直ぐ立て」
「うるせえなあもう」
「何か後ろのやじもややこしそうだから、先に城について話してくれる?」
フェイルは、隣に座ってもいいか聞いてから腰掛けた。
詰まりながら、少女はどうにか教えてくれた。
普段彼女は、城で下働きをしていた。料理の下準備を手伝ったり、さほど時間はかからないことばかりだ。お駄賃もそう多くないが、気楽でいい。昨日は、家で特別いいお酒が手に入ったので城に届けに行ったのだが、行ったときには茨で覆われていて近づけなかった。夕方だったし、日が暮れて困って、森を抜けて慌てて帰ることにした。そのとき、城から王子が出てきたのだ。正確には、城の茨に登山していた王子が、仲間に詫びながらおりてくるところに出くわした。
「それで、一緒に帰ってきたんです。森で狼も出たけれど、王子が助けてくださって」
頬が赤く染まっている。可愛らしいなぁと思いながら、フェイルは肝心なことを聞いてみた。
「そのとき、城で、茨や皆が眠り込んでいる以外の異変はなかった?」
「いいえ、ありませんでした」
ぐすぐすと鼻を鳴らしていた少女は、ハンカチで思い切って鼻をかんだ。
「ごめんなさい、ハンカチ、洗ってお返しするよりも、新しいものを……」
「お構いなく。女性の涙をお止めする手伝いができるのでしたら、一枚でも二枚でも、さしあげますよ」
「あら……じゃあ、すみません」
真顔で言われたのでどう取って良いのか分からないが、少女はとりあえずもう一度鼻をかんだ。
「誰かが中で何かをしている様子はないみたいね……でも、私が近づくのはだめみたい」
「だめって何がだ?」
「ルトヴィヒ、アーサーに説明しておいてもらえる? 私別のこと考えてるから」
「はぁ……別に構いませんが」
フェイルは頷いて、しばらく考え込む。
「犯人が城にいるとして、中に引きこもっているのか、それとも外に出られないのか。出られないなら、それはジルカの魔法のせいなのか、それとも、皆と同じように眠り込んでいるのか。引きこもっているなら、その目的は何?」
「アーサーに説明する前に、返答しましょうか」
「考えてるだけなんだけど、……何か思いつく?」
「私の顔見て考え事を口に出すのやめてくれませんか。引きこもっているのは、もしかしたら、地脈の関係かも」
「地脈?」
「テルテット・ラチタは、生命の息吹が多い場所にあるのです。城がちょうど、吹き溜まりの上にあって、力が拡散しやすいような装置になっている。よどむと歪みが出て、異質な者が多く生まれたり弊害が出る」
「初耳」
「あーそっか、魔法が絡まったのっていうのは、そのせいもあるのかもなぁ。思いの外魔法が使えちゃったわっていう感じのやつがいそう。場所の特性を判定できない奴なら、場所に慣れてないと困るだろうし。ジルカ・ジアンがラチタに住み着いたのも、場所がよくて体調がよくなるからっていう見方もあるよな」
黙って膝をそろえて皆に見つめられ、居心地悪そうにアーサーがルトヴィヒを見やった。
「わりぃ、話続けろよ」
「いえ。皆、あなたが詳しいことに驚いているだけだと思う」
「そーれーがー、嫌なの。はい俺の話終わりぃ」
「で、アーサー、どの見方が可能性高いと思う?」
わくわくした期待のまなざしで見上げられ、アーサーはうっと詰まった。きらきらした、真っ青な宝石のような目。もしかしてすごい人かしらと緊張しながら見上げてくる黒い目。知識を求める者の、冷静ながら期待に満ちた感のある、薄氷みたいな色の目。足下からは猫が前足をそろえて座り、じっとこちらを見上げている。
プレッシャーに負けて、アーサーは一瞬真っ青になった。
「あーもー! やめだ! 俺は帰る!」
「だめよアーサー。忘れてるみたいだけど、一応アーサーはどろぼ、」
「言うなっつの」
アーサーは反射的にフェイルの口を掌で覆う。された方はきょとんとしている。
「しょうがねぇな。俺が魔法は使えないっつうのは忘れてないよな? だから、ただの知識でしかねぇからな。実践で適用されると思うなよ」
咳払いし、アーサーは口を開き直す。
「怪しい奴がいるとしたら、城に初めて来てる、見慣れない奴。それが一番怪しい。次が、入れ替わってるかもしれない「知ってる奴」。知ってる奴そのものが裏切り者になってる可能性は、今回は低い。何故ならー、フェイルの十六の誕生日、特別パレードとかもしてやがらねえ、警備の甘さもいつも通り、大した異変もなし、そんなときにわざわざ行動起こすなんて、他にいいタイミングがあるだろバカって感じがするから」
「……それって、論理的な考えとか裏付けがあって言ってるんじゃなくて、ただの、勘?」
「ほら! だから俺のはただの知識と、俺の勘で出来てるだけなんだっつの!」
「でも、アーサーが自分の考えを言ってくれたから、私も考えるのに、いい材料が増えたっていうか、」
「固定観念が増えた」
「ルトヴィヒ!」
きっとフェイルが睨む。初めて睨まれた気がして、ルトヴィヒはやけに傷つく。「失礼しました」
にらみ合ってから、フェイルは自分から先に「ごめん」と言った。
「どの考えにしろ、今打てる手はないわ、下手に騒いで狙われるのは賢くないもの」
「まぁ正論だな。状態が鑑定できないんだからさぁ」
「それで、あなたよ」
「え」
ベンチに座って鼻をかんでいた少女は、きょとんとしてフェイルを見た。「なぁに?」
「どうして泣いているの?」
「それは……私、結婚することになってて」
「あら、それは、」
「おめでたくないの。全然。酒屋の大旦那の、後妻にって」
たちまち涙が盛り上がる。
「あたし、他に好きな人が、」
「今時珍しいくらい、変な話ね。好きな人と結ばれないで、思いもしない相手と一緒にならなきゃならないなんて」
「お前も変だ」
アーサーが、同情気味のフェイルにぼそりと呟く。フェイルはそのまま、少女の話を聞いている。
フェイルを置いてルトヴィヒはアーサーに、先ほど城の前で起きた内容を手短かに説明した。
「ソルフィアン・バルドスは実在する。その姿と気配を完璧に写し取っていた」
「ソルフィアン・バルドスっつうと魔法学校の教官で、ベルガラス派とスフォルツァン・マジカ派の魔法が分かる奴だろ?」
「魔法の派について私はあまり知らない。外部特待生で一年で履修卒業したもので」
「あー、それってかなり優秀じゃねぇの? 師弟関係で魔法の勉強してた奴が受ける認定試験みたいなもんだからなぁ。学校、俺も二年くらいしか行かなかったぜ、本読み放題なだけだあんなの。実技嫌い」
「好き嫌いはさておき。どうにかできはしないだろうか」
「何を」
「人の姿を写し取るのにたけている、というのがキーになりはしないか。魔法関連の研究をしていたんだろう」
「している、の間違い。これでも毎朝毎夕、世界の微粒子観察はかかさないんだぜ?」
「どろぼ、」
「お前も大概しつっこいなぁもう」
「大丈夫よ!」
フェイルが急に明るい声をあげた。
何だかやる気に満ちあふれている。先ほどまでの元気のなさが嘘のようだ。
反射的に、二人組は「やばい」と思った。
「大丈夫よ、私が助けてあげる」
にっこりと笑ったフェイルに、嫌な予感を通り越して確信したアーサーとルトヴィヒは、二人でそろって顔を見合わせた。「こんなことしてる場合じゃねぇんじゃねえの」
「私に聞くな」
「だってあんた、城の者だろ。パン職人の息子とはいえ、竜で魔法使い、指輪がないけど」
「なくしたんだ。あれがあれば、城の魔法くらい、二日もあれば何とかしてみせた」
「へぇ、結構な自信家じゃねぇの。あのジルカ・ジアンがミスって指輪に閉じこめられたくらいだっていうのに」
「その言い方は、まるで意図的な敵がいるかのようだ」
「いないとは言えないよな」
さっきの会話の内容も考えれば、お互い、その話に異論はないことは確かだ。敵がいるかもしれない。
アーサーは言って、視線を受けて肩をすくめる。
隣ではフェイルが、こそこそと少女に耳打ちし、作戦を立てているところである。
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「でー、あっさり、時間はもらえたわけよ」
ふふ、と笑って、フェイルは先に宿に戻っていたルトヴィヒとアーサーに向かって報告した。
「相手には告白もしてないんだけど、初恋のときと同じ気持ちでもういてもたってもいられないんだって。それに結婚相手は五十八の男で、何だか愛のない結婚って嫌でしょ? いい相手を連れてきますって、あの子が自分で言い切ったの。私一緒に行ったけど、あの子が本気で叫んだら、父親も納得とまではいかないけれど、どうにかなっちゃった」
「なっちゃったのか」
「そう」
のんびりした空気の中、フェイルは幸せそうに「ご飯食べに行こっか」と再び扉を開ける。
十六の誕生日の次の日。
日が暮れる。




