5-2
宿に行くと、狭いカウンター前のイスに、見るからに貴族然とした服の派手派手しい男がいた。一人で、ともの者がいない。フェイルは隣に立ち、あっさりと声をかけた。
「あなたも城には行ったの?」
「あぁそうだねえ」
ふんぞりかえっていた王子に、アーサーは納得する。確かに、森で追い回してみたい。面白そう。
気軽に応じる王子に、フェイルは城の様子を聞いてみることにした。
(私のこと覚えてないみたいだし。名乗らなければ、怯えられたりしないわよね)
「城の人たちは無事?」
「隙間を切り開いて見たところ、皆眠り込んでるだけのようだったがね」
「そういえば、あなた、従者の人たちは?」
「置いてきた。というのも残念ながら、城に乗り込んだときに眠り込み、そのまま戻ってこなかったからだ。まぁ寝てるだけのようだし命に別状はないだろうからなあ」
「……寝ているだけ、ということは、新陳代謝があるなら衰弱死する可能性が」
ぼそりとルトヴィヒが怖いことを言う。
王子は鈍色の肩当ての上に緋色のマントを引きずりあげ、黒髪を揺らした。
「まぁそんなことになる前に何とかする」
「何とかって、策はあるんですか」
「今! 考えている」
「だめっぽいな」
アーサーの声に、綺麗な真っ黒の目がじろりと睨む素振りを見せる。アーサーは首をすくめてさりげなくルトヴィヒの影になる位置に逃げた。
「あなたは魔法使いをつれていたと聞きました、エレインのこと?」
「エルレイン・ソフィエルのことか。もっと東の方では有名な家柄のようだが、西ではベルガラスやジアン派のほうがいい、あれは役に立たない」
「友達なんだけど」
ユーリが城を去ってから、歳の近い遊び相手がいなかったフェイルにとって、二十代とはいえ穏やかで知的な女性だったエレインは、やっとできた友達みたいなものだ。白金の髪、怒ると赤に染まる、普段は緑色の目。本当は背に翼があるという種族で、だけれどもうそれはずっと昔の話なのだとエレインは微笑んでいた。やさしい人。
「魔法が得意とはいいがたかったのは、認めるけど。でも、やさしいし賢い人よ。以前三ヶ月だけ、滞在していたことがあって、今でも毎月手紙が来るの。雇い主が見つかったって言ってたけど、アルタイルだったのね」
「知り合いを悪く言うようで申し訳ないね、お嬢さん。しかしあの魔法使いは、動作と反応がゆっくりすぎていけない。穏やかと亀は別だ」
「亀に失礼な意味で使ったわね」
一旦は少しむっとした顔をしたが、フェイルはすぐに笑顔に戻った。社交辞令の笑顔もちゃんと出来るんだなとアーサーは感心し、ルトヴィヒはその調子ですと頷いた。
「それで、王子。エレインは今どこに?」
「城の中さ! 隙間から潜り込んで倒れた部下たちを助けに向かった。外からの魔法はまったくきかなかったからね。我々は原始的にもシャベルや鍬で、茨を払って進んでいっていたくらいだ」
「茨は、払っても払ってもすぐに巻き付いてきませんでした?」
「いや、のびてくるのに時間はかかっていた。一時間もすれば元通りになりそうだが」
「じゃあもう戻ってるのね……アーサー、後で民家で鍬とか借りて」
「そりゃいーけどよ、しんどくねぇか」
「それより、今夜の宿を。城に戻れるとしても、無事にたどり着けるかは分からない。せめて寝場所は確保せねば」
「うーん、支払い全部足りるかしら。……名乗って、後で支払いに来るのはだめかな」
「人に意見求めるのはいいけど、決断は頼るなよ? お前姫だろ、俺はおまえんちに仕える約定のあるベルガラスんちの人間だけど、家出中だからな。裏切るかもしれないぜ」
「泥棒だし、分かってるわよ。でも泥棒的な意見も聞いておきたくて」
「いいのか泥棒的意見って」
「……姫だと知られて、今後情報収集に問題を来すかどうかが焦点になります」
ルトヴィヒが真面目に言い出す。
「いっそ姫だと分かった方が、早く情報と助力が集まるかもしれない。しかし敵がいる場合、話は別」
「敵、って」
「あなたはジルカ・ジアンと約束した筈。ジルカを信じるからこそ、別の手段を持って待機すると」
「……ユーリが、どこにいるか分かれば、少しはわかりやすくなるかもしれない。彼が悪意を持ってなかったら、彼が敵であるという選択肢を脇に置ける」
話をずらしたフェイルに、ルトヴィヒがついでに釘をさした。
「言っておきますが。私もアーサーも、そこの猫も、ポケットのネズミも」
「リスだろ。リスのアシェンカ」
「それらすべてが、敵ではないという保証はない」
「多分大丈夫よ。ジルカがね、あんたを騙しても何も面白くない、それよりあんたが幸せな顔してるほうが何倍もいいものよ、って」
「何の話」
「私も、ジルカや他の人が、嬉しいことがあって嬉しそうな顔をしているのが、嬉しい」
「話逸れてないか」
「それでね、バカにはされるんだけど、子供っぽい喧嘩とかの攻撃は受けても、命を落とすようなことにはならないでしょうって。生まれたときの予言。私が悪意を持たなければ、相手はこちらの命を奪うことはない」
「バカにされるの確定かよ」
「占ってくれたのってユーリのお母さんなの。綺麗な人だったなー」
「人の話聞けよ」
「それで、宿の代金はどうしますか」
「お前も話ころころ変えるなよ落ちつかねえな」
「王子殿下のつけにしてもらうとか?」
「構わないよ! 別にさ」
後ろで、王子が自分の名前が出てきたところだけに反応し、すぐに読書に戻った。
「……話、聞かれてないよね?」
「多分」
「そういや、あの王子も本物かどうかわかんねえんだよなぁ。あと、城から帰ってきたっていう奴」
「そうだ、その子に会いに来たんじゃないの、私たち」
結局宿代はアルタイルの王子に払ってもらうことにして、部屋をとった。
二階へ階段であがりながら、フェイルはふと振り返った。「ね、買い物していい?」
「何買うわけ?」
後続だったアーサーは、のんきだなと思いながら先を促す。
「砂糖と水とミルク。あたためてキャラメルが出来るから」
「何作るつもりだよお前ホントに。なぁこの姫何」
アーサーに振り向かれ、ルトヴィヒは反応を求められても、と眉をひそめる。フェイルは宿の鍵を開けながら肩をすくめた。
「城でおやつ食べ損ねたときなんか、自分で甘いもの作れた方がいいじゃない。夜とか。だから、お菓子は作れるの」
「夜食べるから太る」
「ルトヴィヒひどっ」
言いながらも笑っていて、フェイルは続ける。
「あのね、緊急時用に。いつどこに閉じこめられたり拉致されたりっていうのが、あるかも分からないでしょ。糖分があれば、あとは水を探していけば三週間以上生き延びられる」
「……お前、やっぱ姫のふりした影武者だろ」
「失礼ね、アーサーは。……そろそろジルカも宝石から抜け出せると思うの、他の手を打つにしろ、城に一度近づいて様子を見た方がいいと思って、だから万が一のために持っておきたくてね」
言って笑った横顔が、りりしいような、はかないような、妙な気分でアーサーは言葉に詰まった。そういえば相手は、本当は姫君なのだ。森で弓矢を作り鳥やウサギを射止めるような子だが、本当は、
「剣も勉強も全然なのに、勇んで城に向かうおつもりか」
「ルトヴィヒ、剣は使える?」
「多少」
「魔法の方がいい? 多分アーサーが盗んだものの中に、魔石があると思うの。さっき質屋のおじいさんに聞いたんだけど、最近この辺りでは買ってまで魔石を使う人がいないから、仕入れもないし、そもそも売りに来ないんだって。だからアーサーの盗んだものだけが手持ちの駒になる。計画立てて使って頂戴」
「姫、私が敵であるという可能性については」
「考えてない。だって敵は、自分から怪しいですよって言わないわ」
そうでもないと思うが、アーサーは部屋に入ってから、黙ってポケットからリスと宝石を引きずり出した。リスはぐっすり眠っていて、鼻がぴすぴすと音を立てている。胸に大事そうに大粒の宝石を抱いているが、フェイルはぽつりと、「……合成宝石なのに、いちばん大きいから選んだんだ」と呟いた。
「姫、魔石と偽物と普通の宝石の区別がつくんですか?」
感心したように言われ、
「うん。小さい頃からどれも見たことがあるから」
「案外、まったく無能ってわけじゃないんだなお前」
「でもどうしても厳密には区分出来ないのよ、アクアマリンとブルートパーズの、色の薄いものって全部同じに見えるの。眼鏡使っても全然分からなくて。宝石職人には向いてないわ」
フェイルは肩をすくめてベッドに腰掛けた。
「別に宝石職人にならなくたっていいだろ」
アーサーはもっともなことを言う。その隣で、ルトヴィヒがあるかなしかのため息をついた。
「やっぱり、ない」
ベッドの上に広げた宝石類の中に、彼の魔法の指輪はなかったらしい。
「じゃ、とりあえずは宿の娘さんに会いに行きましょう。今隣のカフェテラスにいるっていうから」
異論はないが、こんなんで大丈夫かなとアーサーは思った。




