⑤ 亀の歩む道
カメは、このきつい坂道を、今まさに上ろうとしていた。
カメは、坂道への第一歩を踏み出した。そして、二歩目。一歩一歩を確認するかのように歩き出したが、当然ながらその歩みは、あまりにも遅い。
何をしているのか尋ねると、カメは仲間のところへ向かう途中だと答えた。
「この長い長い坂を上ったさらにまた向こうに、仲間たちがいるんだ」
「坂のまた向こう?」
「ああ。そこには、とてつもなくでっかいけど、動かないタコがいるらしい。そこでみんなと落ち合うんだよ」
カメは息を切らしつつ、遅い歩を進めながら、そう云った。
「仲間は先に行って、待ってるのか?」
俺がそう訊くと、カメは次のように答えた。
「仲間たちは先に行っちゃったんだ。ボクはとてもノロくて、みんなと同じ速さで歩くことができないから。それで、ボクはいつもみんなから『ノロい、ノロい』とバカにされてるんだ。けど、ずっとそう思われてるのも癪だから、遅れてでも何とかひとりでたどり着こうと思ってるんだ。みんなは助け合って、目的地へ向かってるけど、ボクが自分ひとりの力でたどり着いたら、みんなボクをすごいと思ってくれるんじゃないか、と思って」
「キミは、今でもみんなからバカにされてるのか。キミは、ウサギにも勝てたんだし、もうみんなから認められてると思ったんだが」
「あんなのマグレだよ。たまたまウサギがかけっこの途中で居眠りしちゃっただけなんだから」
「けれど、それはキミの勝負強さだったんじゃないのかい」
「いや、それは買いかぶりだよ。実はあれからしばらくして、ウサギが再戦を申し入れてきたんだ。けれど、次やったら負けるに決まってるから、ボクはそれを断ったんだ。みんなも、ボクが負けると思ったから再戦を断ったって分かって、逃げたって云ってる。実際そうなんだから、云い訳のしようもないよね」
カメは、喋ってる間も、休むことなく歩き続けている。だが、その歩みは確かにあまりに遅い。あれから、まだ50センチも進んでいないのだ。にも関わらず、カメの目は常に前を向いていた。これから、途方もなく続くであろう道のりを、少しも苦と感じていないみたいに。
「けれど、いくらノロくても、ボクにだって根性はある。粘り強いんだってことをみんなに見せてやりたいんだ。ボクをバカにしてるみんなをさ」
「…そうか。頑張れよ」
俺はそう云い残して、その場を去った。と見せかけて、回り道をして、カメの目的地に向かった。大きな回り道になるが、カメの歩く速さからすれば、回り道でも俺のほうがはるかに早く目的地に着くだろう。
俺はカメが向かっているはずの、とある公園に来た。この公園にはタコの形をした大きなすべり台が置いてある。カメの云う『でっかいけど、動かないタコ』とは、おそらくこれのことだろう。
見れば、タコのすべり台のそばに、さまざまな動物が集まっていた。彼らは、カメについて話していた。
「カメのやつ、大丈夫かな」
そう云ったのは、イタチだった。イタチの一言を皮切りに、動物たちが口々に話し始めた。
「ノロマのくせに、ひとりで歩いてくるなんてさ」
「まぁ、ノロマのカメがいなかったから、オレたちは足を引っ張られずに、楽にココまで来ることができたんだけどな」
「けど、できもしないのに、ひとりで来るなんて云いだすなんて、バカだよな。ココまでたどり着けずに、どこかで諦めるんじゃないか」
やはり、カメの云う通り、彼はみんなから見下されてるのかもな、と思った。ところが、
「いや、アイツは必ずやると思う」
そう云ったのは、ウサギだった。
「カメには、誰にも負けない根性がある。自分の決めた道を諦めずに進もうとする信念がある。だから、アイツはひとりででもきっとここにたどり着く。アイツに負けたオレだから、分かるんだ」
すると、他の動物たちも、「確かにそうだな。カメならやるかもな」と口々に云い始めた。
カメが云うように、大多数から自分が見下されているというのはどうやら事実らしい。しかし一方で、カメを認めている者がいるのも、また事実らしい。また、現段階でカメをバカにしている連中も、「アイツならいつか何かを成し遂げるかも」と心のどこかで思っているようだ。だが、おそらくカメ自身は、仲間たちのそんな複雑な思惑は知らないだろう。ただ、自らの信念と執念をもって、ひとつの目的を成し遂げようと、必死になっているのに違いない。
ただ、それを成し遂げた時、彼をとりまく境遇というのは、著しく変化するだろう。遅れをとったものは、そうやってひとつひとつ石垣を積み上げるように、純粋な気持ちで自分自身を積み上げてゆけばいいのだ。