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③ 桜を咲かす幽霊


 人通りのほとんどない、暗い夜道を歩いていたら、目の前に桜の木があった。


 なぜ、桜の木と分かったかというと、その木には、季節外れの桜が満開だったのだ。街灯の光も乏しく、目を凝らしてやっと辺りの様子がおぼろげにうかがえるほど薄暗いはずなのに、なぜか、その木だけ、ライトを照らしたかように、鮮明に見えた。


 異様な気配を覚えながら、桜の木に近づくと、その木の下に白い服を着た、若い女性の姿があった。女性は、俺に気がついたらしく、うつむいていた顔をあげ、こちらを見た。髪は少しみだれ、顔は青白い。だが、木の回りの異様な明るさのためか、女性にも、異様な美しさを感じた。ただ、なぜか足だけが暗くて見えない。純白のスカートから下が、闇の世界に牛耳られているようだ。


 そう思って、女性の近くまで歩いてきた。そして、再び足を見て驚いた。

 女性には、足が無かった。


「あの、今の時期に桜はおかしいでしょうか」


 女性はふいに、俺にそう訊いてきた。俺は、女性に足がないことの違和感についてはひとまず置いとくことにし、


「まぁ、今の季節には、滅多に見ないですね」

と答えた。今は夏だ。桜など、とうの昔に散っているはずだ。


「そうでしょうね…。みなさん、そう云いますもの」


 女性は、一呼吸おいて、再び喋りだした。


「実は、この桜、わたしが咲かせているのです」


「あなたが?」


「ええ。わたしは生前から、桜が大好きでした。あ、わたしは実は幽霊なんです。驚かれましたか?」


 なるほど、足が無いってのは、やはりそういうことだったのか、と思った。


「いいえ。そうだろうと思ってました。足がないですもの」


 俺がそう云うと、女性はさらに話を続ける。


「そうですか。ならいいんです。で、わたしはずっと、なぜ桜は春のしかもほんの一時期にしか咲かないのだろう。一年中散らなければいいのに。そんなことをずっと考えておりました。ずっと桜を見られる方法はないだろうかと思い、色々勉強し、あれこれ考えました。友だちと遊ぶことも忘れ、恋をする余裕もないほどに。ところが、どんなに頑張っても、桜を一年中咲かせることはできません。そのうち、周りはわたしを変人だと云って、誰も相手にしなくなりました。けれど、わたしはそれでも構いませんでした。わたしには、友人よりも、桜が良かったのです。桜とふれ合えれば幸せでしたし、桜について考えていれば、孤独を感じる余裕も生まれてこなかったのですから」


 女性は、ここまでさらっと話し終えた。本当に桜が好きなのだと感じた。しかし、それから、一瞬女性は言葉を止め、少し顔を曇らせてうつむいた。そして、また、話し始めた。


「ところが、わたしはある時、恋をしました。自分が誰かを好きになるなんて、初めてのことで、とても戸惑いました。何とか好きな人に想いを伝えようと思いましたが、何せ人とコミュニケーションなど、ほとんどとってこなかったもので、どうしていいのか分かりません。そこで、わたしは願かけをしました。今年中に、桜を一年中咲かせることができたら、彼にわたしの想いは伝わると。自信はあったんです。これまで、長い間勉強して、知識も経験もそれなりにあったワケですから。ところが、結果は失敗でした。わたしはひどく傷つきました。わたしの気持ちは、あの人には伝わらない、その思ったんです。そしたら、耐えられなくなって…」


 女性は、少し言葉に詰まった。そして、一言、一言を区切るように云った。


「それで、この木で、首を、つりました…」


「なるほど。しかし、なぜあなたは、いつまでもこの木の下にいるのですか?」


 俺は、あえてこう訊いた。人間は死ぬと、天に召されるものらしい。なのに、なぜ、女性は本来行くべきところに行かず、こんなところに身を置いているのだろう。


「それも、色んな方から云われるんです。あ、それはこの世の者じゃない方々からですけれど。彼らは、わたしはあの世に行くべきだと云うんです。そこには桜も満開に咲いていて、一年中散らないとも聞いています。けれど、わたしは生前に散らない桜をどうしても見たかったのです。だから、死んでしまった身であっても、せめてこの世で、散らない桜を実現させたいと思って、いつまでもこの木の下にいるんです」


 女性は、一呼吸おいて、続けた。


「あと、もうひとつ理由があるんです。わたし、幽霊になっても、好きな人を忘れられないんです。それで、この木の下で待っていれば、あの人が季節外れの満開の桜を見て、わたしのことに気づいてくれるんじゃないか、そんなふうに思うんです」


 ふいに木の周りの明るさが増したように感じた。女性を見ると、青白かった女性の顔は、生きていた時のように紅潮し、表情も生き生きとしているように感じた。どうやら、周りが明るくなったのは、女性の気の昂りのためのようだ。


「ねえ、人は死ねば、あの世に行かなきゃならない、みんなそう云います。けれど、本当にそうなんでしょうか。わたしはまだココにいたい。ココで、わたしの夢を叶え、あの人が現れるのを待ちたい。それがいけないことなんでしょうか。みんながたどる道が正しくて、そうではない道は誤り、わたしはそうは思いません。そんなわたしの考えは、間違っているのでしょうか…?」



 夜道を、俺はひとり歩いていた。


 あの女性と別れ、あの木からも離れた。今歩いている通りは、街灯で辺りも少しは明るく、人通りもある。にぎやかな通りに出て初めて、自分が霊体験をしたという実感が湧いてきた。それでも、恐怖感はなかった。それよりも、後ろめたい気掛かりが残り、心から拭えない。


 あの時の女性の問いかけに対して、俺は何も答えられなかった。


「さあ、分かりません」それだけ残して、あの場を後にしてしまった。背を向けても、女性が泣いているのを感じた。幽霊でも泣くんだ、その時はそのように感じた心だったが、今はもう少しちゃんと答えてあげればよかったという、後悔で満たされている。


 歩きながら、俺は頭の中で、自分の胸の中で、あの女性に語りかけていた。あの時あの女性に、云いたかったが云えなかった、俺なりの回答を思い返していた。


「俺には、あの世の事情はよく分かりません。だから、あなたが間違ってるかどうかは答えられない。けれど、あなたの気持ちは、尊重すべきものだと思います。あなたが望むなら、それが理に反していたとしても、あなたの思うようにやるのがいいでしょう」


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