第6話 中二 十月 『熱』
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額を流れる汗が目に入り込んできて、菫は思わずパチパチと目を瞬かせながら、制服の袖口で汗をぬぐった。
(ちょっとずつ、思う通り絵の具が動くようになってきたな……。わ、もう一時間も経ってたの)
アクリル絵の具の粘度と色を調整しながら練習を進めていた菫は、壁にかかった時計にちらりと目を向けて驚く。
(はー、肩凝ったかも……ちょっと休憩)
軽く伸びをしながら、作業手袋を外して傍らのトートバッグからペットボトルを取り出す。
(あぁ、マスク)
集中のあまり、マスクをしていたことを忘れていた。菫は小さく苦笑してマスクを外した。
その時――菫の肘が、置いてあった絵筆を引っ掛けた。
(あ、筆、落ちる……)
転がり落ちそうになった絵筆をつかんだ菫の手のひらに、思いがけない熱さが伝わる。
「あっつ……!」
驚きに小さく声を上げた。
次の瞬間――菫の腕が、強い力でぐいっと引き上げられる。
「大丈夫か?!火傷?」
ガタンと椅子が音を立てて動いた。それをどこか他人事のように遠くに聞いたところで、気付けば菫の右手は冷たい水の流れにさらされていた。
(え?え?え?)
突然の事態についていけない本人をよそに、菫の腕を引いた蜂須賀先輩は、真剣な眼差しで菫の手のひらを見つめている。
「どこに触った?ノズル?」
「え、あの、筆の……持ち手の、金属のところです」
「なら、そこまでひどくはないか。火傷は、初動が大事だから。軽い火傷なら流水で10分以上冷やすこと」
ほっと息を吐いた先輩の横顔を見て、菫の思考が遅れて回りだす。
「あ、あの、そんなに熱くなかったんです。ちょっと驚いちゃっただけで……」
「でも、佐藤さん右利きだろう。利き手を怪我すると、あとあと響く」
「や、あのほんとに、たいしたことないんです。たぶん、全然なんともなってないですから……」
(それより、手、手が……)
流水にさらされた右手より、つかまれた腕のほうが熱い気がして、菫は小さく息を呑む。
「そうか。そう……か」
蛇口を閉めて、菫の手のひらをじっくりと見つめたあと、先輩はようやく手を離す。
「あー、まぁ、たいしたことないなら、よかったな」
取り戻した手をポケットのハンカチで拭きつつ、心なしか肩をすくめて小さくなっている菫の様子に、先輩も我に返ったように気まずげに視線をそらす。
「はい。あの、お騒がせしてごめんなさい。ありがとうございます」
「いや、ほんとに、よかったよ」
いつかのようにひらりと手を振って、先輩は男子の群れに戻っていく。
それを横目で見送りながら、菫は火傷とは違う熱を感じて、右腕をそっと抱きしめた。
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