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文化祭の君  作者: 獅童最
side 佐藤菫 『文化祭の君』
4/12

第3話 中二 十月 『弾む』

 *****


 ――二年前、中学二年の十月。


「あ、売り切れ……」


 日曜日のホームセンター。電動工具売り場という、およそ女子中学生には縁のなさそうな棚の前に、菫はいた。


 慣れないホームセンター内を彷徨い続けること、15分。なんとかたどり着いたこの場所で、菫はしゃがみ込んでいる。ちょうど今朝、爪先に描いたばかりの菫渾身のスミレの花が、サンダルから覗くその足元。最下段の棚は、まさかの空だった。


(そんなぁ……)


 菫本人としては悩みに悩んだ末、割と決死の覚悟でここまでやってきただけに、しばし失望感に打ちひしがれる。

 空色に塗った地に、よく見ると結構ゆがんで不格好な紫色のスミレが描かれた爪の先。その棚は、何度見直してもやっぱり空っぽだ。


(初心者にも使いやすくて人気だって話だもんね…残念だけど仕方ないか。材料だけ買って帰ろう)


 なんとか気持ちを立て直した菫は、ホームセンターと同じ建物内にある100円ショップに向かおうと、勢いをつけて立ち上がる。踵を返したその瞬間、菫の視界は黒一面に覆われた。


(え、黒……?なんかこないだもこんなことがあったような……)


「うわ、あぶな。スンマセン……って、佐藤さん?」

「わわわ、ごめんなさい!私、ちゃんと見てなくて……!え、はい、佐藤です……?」


 危うくぶつかりそうになったその黒いTシャツの壁から発された声は、数週間前の再現ともいうべきものだった。


(は、蜂須賀先輩……!)


 予想外の事態に、菫は心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。実際、身体は驚きのあまり小さく後ろに飛び退いたかもしれない。


「ああ、ごめん。俺、工芸部の蜂須賀だけど……」

「し、知ってます!あの、こないだはありがとうございました!海で!」


 ばくばくする心臓をなだめすかしながら、とっさに口からお礼を絞り出した自分を、菫は心の底から褒めたかった。


「ああ、うん。なに、ヒートガン?」


 なんとなくほっとした様子の先輩が、目線で空っぽの棚を示す。


「あ、そうなんです……!あの、レジンで、海が、てゆーか波が」


(ああもう、何言ってるんだろう私)


 動揺のあまりに我ながら意味不明な言葉の羅列が口から飛び出し、菫をより慌てさせる。それに対し、先輩は少し考え込むような素振りで聞き返した。


「レジン……てことは、樹脂のやつ?」

「……!はい、そのレジンです!私、手芸部でそれ使ってこんな感じの……アクセサリーとか色々作ってるんです」


 そう言いながら、菫は手持ちのボディバッグに付けた自作のチャームを指し示す。五百円玉大の透明な樹脂の中には、菫と同じ名前の花をかたどったフレークシールが、金色のキラキラしたラメの粒とともに封入されている。


「もともとはこういう、UVレジンって簡単なやつばっかりやってたんですけど、最近エポキシレジンにも挑戦して、色々やってみていて……!」

「エポキシってことは、二液型の接着剤と同じ?俺らもたまに使うけど、あれって混ぜれば固まるんじゃないの?」


 菫の拙い説明にも、先輩は考えながらちゃんと話を聞いてくれる。それが嬉しくして、菫はついつい身を乗り出すようにして言葉を続けた。


「えっと、固めるだけなら混ぜればいいんですけど、エポキシ使うならやっぱりオーシャンアートが憧れで……!こないだの海で綺麗な貝とかたくさん拾えたから、どうしてもやってみたくて」

「オーシャンアート」


 菫の、仔ウサギみたいにぴょんぴょんと跳ね回る話にも、先輩はオウム返しながらついてきてくれる。


「そうです!オーシャンアートパネルって、こう……板の上に海というか、砂浜を作るんです。それで、波模様を再現するのに風を当てて液を飛ばすんですけど、家のドライヤーじゃうまくいかなくて、ヒートガン使ってみたいなって……。でも、今手芸部でレジンやってるの私だけで、みんな布ものばっかりだから……」


 興奮して喋りすぎた自分が恥ずかしくて、菫の声は途中からだんだんとしぼんでいく。けれど先輩は、それを気にした様子もなく落ち着いた口調で尋ねる。


「自分で買うん?」

「買おうかなって思ったんですけど、どれがいいのかわからなくて……動画とかも色々調べてこれかなって思ったやつは売り切れで。でも下手に買っちゃって使いこなせなかったらそれも困るし。材料だけでも十分高いのに……あの、すみませんこんな話。その、先輩は……?」

「あー、俺は電ドリの新しいのが出たから見に来ただけだけど」

「電ドリ」


 今度は菫がオウム返しで聞き返す。


「そう。電動ドリル。まぁ、高くて買えねぇけど」


 深い焦げ茶の目が指し示したのは、立ち上がった菫の肩くらいの高さだ。目に痛い蛍光黄色のポップには『新製品!』の文字とともに、中高生には分不相応とも思える金額がでかでかとプリントされていた。


「え、高……」

「だから買えねぇって」


 思わずといったふうに菫の口からこぼれ出たつぶやきに、先輩はふはっと息を吐いた。


(え、いま、笑った?)


 男の子らしい薄い唇から、少し尖った犬歯がちらりと覗いた気がして、菫は目を丸く見開いた。


「ちなみにヒートガン、工作室にもあるけど、それじゃダメなん?」

「え、あるんですか?!」

「ある。しかも、温度とか風量とか変えられる高機能なやつが。俺ら配線処理とかにしか使わないから完全に宝の持ち腐れなんだけど。たぶん、ガンちゃん……岩本先生の趣味」

「え、それ、使っていいんですか?」


 思いがけない幸運に、さっきまで空っぽの棚を前に萎んでいた菫の心は、今はとくとくと元気よく弾んでいる。


「いんじゃないの?普段あんまり誰も使ってないし。ガンちゃんに頼んで安全講習してもらえば?」

「岩本先生……って、男子の職員室ですよね……」


 男子校舎の職員室などは、女子にとってはある意味このホームセンターよりも敷居が高い。わずかにひるんだ菫を見て、先輩はしばし考え込む。


「……明日の放課後は俺ら工作室で作業だから、ちょっと早めに来れば説明受けられるように、ガンちゃんに言っとくけど」

「わ!お、お願いします……!」

「わかった、伝えとく。えーと、佐藤さん、二年?」

「はい、二のAです。佐藤、佐藤菫です。」


(嬉しい……!明日が、楽しみすぎる……!)


「じゃあ、明日な」

「はい!よろしくお願いします!」


 *****

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