第13話 中三 八月 『墨入れ』
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すーっ……。すーっ……。ぴた。
蝉たちの大合唱が少し遠くに響く工作室。連日の作業は四日目を迎えた。
騒がしい蝉時雨とは裏腹に、作業台では菫と蜂須賀先輩が、黙々と段ボールに線を引いていた。
「できました。どうですか?」
「お、いいね。きれいに引けてる。これでA案は10枚目か。やっぱり二人作業だと早いな。もともとは男子の作業なのに、悪いな」
「いえ、私も今日の分の作業はもう終わってるし、明日までは硬化待ちなので、これくらい全然。むしろ工具使わせてもらってるお礼として、手伝わせてもらえて良かったです」
「そう言ってもらえると助かる。……ちょっと休憩いれるか」
「ですね。水分補給も大事、ですもんね」
「おう。覚えたな」
チラッと先輩の顔を伺いながらそう言うと、案の定小さな笑みが返ってきた。
(先輩のこういう顔、増えた気がする)
なんとなくくすぐったいような面映ゆさを感じながら、菫はペットボトルの蓋をきゅっと握りしめる。
「しかしこのデザイン案、よく考えられてる。下絵とか切り出し作業がしやすいように、工夫してあるのがよくわかる」
A4のコピー用紙を手に取りながら、先輩が感心したようにつぶやく。
(あ、それ……)
「佐藤さんだろ。このA案」
「え……っ」
「当たり?」
どこか確信めいた聞き方に、菫は驚きを隠せない。
「はい、あの……普段布もの班で型紙とか描いてる友達と一緒に、考えました。でも、なんで……?」
なぞなぞの答えを当てた子どものような顔で、先輩が種明かしをしてくれる。
「字がさ、幹部会のメモと一緒。走り書きっぽいのに、綺麗」
「よく……わかりましたね。あの、私小学校六年間お習字を習ってて。だから……」
「ああ、だからか。作業姿勢も綺麗だよね。いつも」
「え……その、ええぇ?」
『綺麗』なんて改めて言われると慣れない言葉を繰り返されて、菫の頭と顔は沸騰寸前だ。
「言われない?普段」
「え、いえ、言われない……こともない、ような……?」
「ふ……どっちだよ」
実際、よく言われる。先生にも友達にも親にも。
(けど……なんか、違う)
先輩の口からこぼれたその言葉は、何かが違う。聞き知った言葉とは違う意味が乗った、外国語のように聞こえた。
ふと、先輩はさっきまで線を描いていた段ボールを手に取る。
「墨入れ」
「え……なんて?」
「大工用語なんだけどさ、この作業のこと墨入れっていうんだよね。墨は、習字の墨と一緒」
「知らないです」
「一説には、昔の道具の墨入れがスミレの花に似ていて、花の名前の語源になったって言う人もいる。まぁ、諸説あるらしいけど」
(待って、待って。違うのに、名前……!)
聞き慣れているはずの自分の名前が、先輩によって不思議な感覚で連呼されている気がして、菫はより一層落ち着かない気持ちになる。
「さて、じゃあ、菫サンと墨入れ作業に戻りますか」
どこか楽しげに笑いながら、先輩は作業に戻っていった。けれどその顔を、忙しく跳ね回る心臓をなだめすかしていた菫は、残念ながら見逃すことになった。
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