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文化祭の君  作者: 獅童最
side 佐藤菫 『文化祭の君』
11/19

第10話 中三 八月 『象る』

 *****


(うん、いい感触)


 詰めていた息をふっと吐いて、菫はヒートガンのスイッチを切った。

 途端、遠のいていた蝉時雨が菫の耳に戻ってくる。


(あれ……先輩が、いない?)


 菫は軽く伸びをしながら立ち上がって周りを見回すが、工作室のどこにも蜂須賀先輩の大きな姿は見当たらない。


(いつの間にいなくなったんだろう……全然気が付かなかった)


 と、ちょうどその時。がらりと工作室の戸が開き、戻ってきた先輩と目が合う。


「お、一区切りついたか?ちょうどよかった」

「あ、はい。すみません、私集中してて……」

「いや……佐藤さん、レモンとコーラだとどっちが好き?」


 言いながら先輩は、両手に持ったペットボトルを掲げる。


「え!あ、えと……ありがとうございます。私、どっちでも……」

「どっちでも……好きじゃない?」

「いえ、あの……じゃあ、レモンのほうで」

「ん」


 退路を断つような先輩の言い回しに、菫はしどろもどろに答える。そんな様子を見た先輩は、どこか満足げに目元を和らげてレモンソーダを差し出す。


「あ、ああ、えっと、お金……!」

「いいよ。佐藤さんからお金取ったら、俺飲み物の押し売りみたいになっちゃうし」

「えええ……」


 慌ててカバンを探る菫を手で制して、先輩はあっという間にレモンイエローの冷えたペットボトルを菫に手渡す。そして、いたずらが成功した子供のような顔でちらりと笑った。


(えええ、そんな顔、ずるい……)


 なぜだか、ペットボトルを開ける前からレモンの甘酸っぱさが香った気がして、菫はこくりと喉を鳴らす。


「ほら。ぬるくなる前に、飲んで」

「いただきます……」

「おう」


 ぷしゅっと軽い音が響いて、菫の手元で今度こそ本物のレモンが弾ける。それを見届けてから、先輩もコーラのボトルを開けた。

 ひとくち飲むと、口いっぱいにしゅわりとした甘やかさが広がる。


「あ、おいし……」


 喉を落ちていく冷えた感触が、菫自身の喉の渇きを教えてくれた。そんな菫の様子を、先輩は眺めながら言う。


「佐藤さん、だいぶ世界に入っていたからな」

「すみません、私……夢中になりすぎちゃうことがあって」

「その集中力は佐藤さんの武器かもな。でも、休憩も水分補給も大事だよ」

「ですね。ありがとうございます」


(先輩って、こんなふうに柔らかく笑う人だったんだ……)


 集中が解けたとき特有のぼうっとした頭で、菫はそんなことを思う。


「調子、良さそうだな」

「そう……ですね。練習してたら、だんだんと去年の感触がよみがえってきました」

「うん。楽しそうだった」


 微笑ましげに言う先輩に、なんだか無性に照れくさくなって、菫はついっと視線を逸らす。

 見やった先には、先ほどまで先輩がなにやらカッターで作業をしていた作業台があった。そこには、さまざまな色と形のガラス瓶が、ずらりと並んでいる。

 さらによく見ると、それらの瓶にはどれも、小さなモチーフや模様が、うっすらと彫り込んであるようだ。


「あれ……全部先輩が作ったんですか?」

「ん?ああ、そう。佐藤さんと一緒。本番前の練習。試しにいろいろ作ってみた」

「ちょっと、見てもいいですか?」

「習作だから粗いけど、それでもよければ」


 菫は作業台に近寄り、並べられた瓶を覗き込む。瓶には、シンプルな星模様もあれば、直線を組み合わせた幾何学模様、そして葉脈が透ける繊細な木の葉まで、さまざまな模様が透かし彫りされている。


「きれい……」


 そこに、窓からの陽光が差し込み、作業台の上には幻想的な影絵が踊っている。


「あんまり近くで見ると、粗がバレるから」

「でも、すごくきれいです。サンドブラストって、こんなふうになるんだ……」

「ちょっと佐藤さんのレジンに似てるかもな。砂の当て方とか角度で全然出来が変わっちゃうところとか、実際に削ってみるまで完成がわからないところとか」

「そうですね。すごい。こんなに色々な表情が出せるんですね」


 ひとつひとつ瓶を手に取って眺めていると、小ぶりな瓶が菫の目に留まる。

 ジャムの空き瓶と思しき透明なその表面には、五枚花弁の小さな花が象られていた。


「先輩、この瓶って、このあとどうするんですか?」

「いや……ここにあるのはただのテストピースだから、リサイクルに出す予定だけど」

「捨てちゃうんですか?全部?」

「うん。ガンちゃんにも、作りすぎて邪魔だからどけろって言われてるし」

「じゃあ、捨てちゃうなら、これ……もらってもいいですか?」


 花が刻まれたその瓶を、菫はおずおずと差し出す。


「それ、スミレの花じゃないけど」

「わかってます。でも、かわいいから……筆立てに使いたいなって」

「まぁ、気に入ったんならいいよ」

「ありがとうございます!」


 勢い込んで身を乗り出す菫に先輩はちらりと笑った。


「また、落ちた筆掴んで火傷しても困るしな」

「……それは、忘れてください」


 一年前の小さな失敗を持ち出されて、小さくすねた様子の菫に、先輩はまたふっと笑みをこぼした。


 *****

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