序章 高一 十一月
全23篇、完結まで毎夜20時更新予定。
日常と非日常の間で煌めく灯を、お楽しみください。
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「え、くま先輩もう帰っちゃったの?」
親友である駒野凜の聞き慣れた声が聞こえて、佐藤菫は、ピタリと動きを止めた。
「午前中にちょっと顔出して、もう帰ったみたいだよ。先輩、いま受験前で忙しいから」
凜の声に答えているのは、同じ一年生の佐々木くんだ。
「えー、ざんねーん」
「駒野さん、くま先輩にあいたかったの?」
心底残念そうな凜に対し、佐々木くんの少し慌てたような声が続く。
「まぁ、ちょっとねー」
「そ、そっかぁ」
あっけらかんと答える凜に、佐々木くんは少し消沈しているようだ。
小柄で明るく、どこか小動物のように可愛らしい凜に、密かに憧れる男子は多い。きっと佐々木くんもその類だったのだろう。
ただ、その会話を聞いている菫の心中も、まったく穏やかではない。
(そうか、もう先輩、帰っちゃったのか……。話、したかったなぁ……)
マンガであれば、頭に大きな岩が落ちてきているシーンだ。まさに、『ガーン』というやつだ。
「ねぇねぇ、おねえさん、色のやつ全部貼れたよー?」
目の前に座って一生懸命作業をしていた女の子の声に、菫の思考が引き戻される。
「あ、うん。みせてー。いいね、きれいに貼れてる。上手だねぇ」
慌てて女の子に向き直り、愛想笑いを貼り付ける。
(いけない、お客さん対応中だった)
今は文化祭真っ最中。しかも土曜日のお昼前だ。
初日の書き入れ時に、余計なことを考えている暇はない。手芸部なんていう、地味だけど材料費ばかりかかる部活は、文化祭での稼ぎが一年間の活動費を左右するのだ。
「わぁ、ちゃんと光った!きれい!ママー、スマホ!スマホ!撮って撮ってー」
「あら、綺麗にできたね。はいはい、撮るよー」
「本当に、色選びがすごくおしゃれ。良いのができたね」
女の子がカラーセロファンを貼り付けた段ボールランプシェードを手際よく組み立て、小さなLEDランプにかぶせれば、ステンドグラス風ランタンの出来上がり。中学から数えて四年目ともなれば、組み立ても客さばきも慣れたものだ。
「おねえさん、ありがとう!さよーなら!」
「うん、来てくれて、ありがとうね。これからお昼ごはんかな?グラウンドの方に、出店が色々出てるからね」
嬉しそうな女の子とその母親を見送ったところで、午前中のクラフト体験客は全員さばけた。
「菫!おーつかれっ!」
体験に来てくれた親子を工作室の出口まで見送ったとたん、それを見計らってうしろから、とん、とやわらかいものに飛びつかれる。
「凜。お疲れさま。お客さんいっぱい来てくれてよかったね」
小柄で、スキンシップ好きな凜に、こんなふうに抱きつかれるのはいつものことだ。女子にしてはすらっと背が高い菫と二人で並ぶと、ちょうどカップルがじゃれ合っているようにも見える。
「お客さんいっぱい来るのはホントうれしいけど、ちょっと忙しすぎたよー。あたし、おなかすいたぁ」
「そうだね。お昼、食べに行こうか。私、女バレのたこ焼き食べたいな。今の時間ならクラスの子たちもいるはずだし」
「たこやきー!あと、バド部!今年も恒例のクレープ!甘いもの!売り切れる前に行こ!」
「うん。とりあえず、女子部に戻ってグラウンド行こう」
凜が後ろから菫の腰に巻き付いたままで昼ごはんの算段をつけていると、周囲にいた男子がちらちらと気まずげに見てくる。
(あー、しまった、ここ女子部じゃなかった)
「はいはい、凜。暑いから離れて。お財布持って。いくよー」
「はぁい、菫ママ」
くすくすと笑いながら、いつも通り甘えるように腕に巻きついてくる凜を連れて、工作室を出る。
菫たちが通う青葉学園は、全国でも珍しい男女並学制の中高一貫校だ。女子部と男子部の校舎は道路を挟んで反対側にあり、二階部分に架けられた渡り廊下でのみつながっている。
その渡り廊下は、必要時以外の行き来が基本的に禁じられている。そのため、菫たちを含めて大部分の生徒は、日頃互いの校舎を行き来することはない。
菫も凜も、普段は女子同士の関わりしかなく、いわゆる女子校気質が染み付いている。
一方男子たちも、日常は男子校なので、女子に対する免疫はまったくない。凜のような、当然のように『女子校ムーブ』をする女子など、彼らには目の毒だろう。
さらに、県下有数の進学校でもあり、お固い校風で有名な青葉学園では、学業の妨げになるとして公式には男女交際が禁じられている。身も蓋もない言い方をすると、みんな男女の交流に飢えているのである。
そんな青葉学園も、文化祭シーズンだけは特別だ。一般にも校舎が開かれるこの時ばかりは二階渡り廊下、通称『鵲橋』も大手を振って行き来ができる。
さらに、各文化系部活動の出し物のために、男子校舎の傍にある共用エリアも開放される。ここぞとばかりに、何とか理由をつけて男女共同の出し物をする部活は多い。
菫たち女子手芸部も、共用エリアの工作室を使うという名目を立て、毎年男子工芸部と共同でクラフト体験ワークショップを開いている。
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「お、いるいるー。牽牛織女があちこちに」
出店が立ち並ぶグラウンドへ向かう道すがら、そこかしこで話し込む男女を見かけた。今日ばかりは、教員たちも堅いことは言わないのを、みんなわかっているのだ。
菫の腕に巻き付いたままの凜がそれを見て、くすくすと笑う。
「菫の『牽牛』、会えなくてホント残念だったね。たぶん一番忙しい時間帯に来たんだろうね」
「仕方ないよ。先輩自身も今が一番忙しいときだもん」
「あー、先輩大学じゃなくて高専受験だっけ?珍しいよね。試験近いのかな」
「そうだと思う」
手芸部の菫が織女だとすると、菫にとっての牽牛は件のくま先輩、本名 蜂須賀誠也先輩である。名前にくまはつかないが、菫から見ても見上げるくらい体格がいいので、みんなからは親しみを込めてくま先輩と呼ばれている。そんな先輩こそが、中学の頃からずっと菫にとって憧れの人だ。
「ていうか、『牽牛』じゃないよ……」
元々は夫婦である七夕伝説とは異なり、菫と蜂須賀先輩には、菫が密かに抱いている想い以外の繋がりはない。
そこに輪をかけて大問題なことに、高一の菫から見てふた学年上である蜂須賀先輩は、受験準備のためにすでに工芸部を引退した、いわゆるOBである。本来高三生は準備期間はおろか、文化祭当日も不参加なのだ。
そんな先輩に会える貴重なチャンスを、知らぬ間に逃した菫は、実際かなりわかりやすく落ち込んでいた。
「菫ぇ、そんなに落ち込むなよー。また明日も来るかもじゃん。おいしいものでも食べて、元気出そ?凜ちゃんがクレープおごっちゃる」
小柄な割にボリュームのある胸を叩いて、努めて明るく凜が言う。
「うん……そだね……」
「ほらほら、そんな暗い顔しないしない!
――レディ、ヴァイオレット。貴女の笑顔はこの私めが取り戻してみせますよ」
「ふふふ。よろしくてよ」
芝居がかった口調で左手のひらを差し出す凜のおかげで、やっと菫の顔にも笑みが戻る。親友の気遣いをありがたく思いながら、菫は小柄な騎士に自身の右手を預ける。
突然始まった寸劇めいたやりとりに、通りかかった人が何事かとちらちらと見てくるが、気にしない。
だって今日は、文化祭だ。鵲橋の真ん中で、小動物系騎士とちょっと根暗な姫の寸劇が始まったっていいのだ。
そのまま手をつないで、すこしだけ軽くなった足取りで、二人は女子部グラウンドを目指してまた歩きはじめた。
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本作は、私が人生で初めて書き上げた中編小説です。
非王道非テンプレの静かな恋の物語ですが、心地よい読み味を目指して執筆しました。
どうぞ、完結の灯が灯るまで、ごゆるりとお楽しみくださいませ。
※本作は他サイト(カクヨム)で先行して結末まで公開していますので、続きが気になる方はぜひ。




