婚約者は知らない人どころか不審者でした。
私はこの国の第二王子、アレクシス殿下の婚約者らしい。
そして、私たちは明日、結婚するそうだ。
そう唐突に父と母に言われたものの、脳が理解を拒んでいる。
なぜか。
「アレクシス殿下…だれ、それ…」
私は、人生の中で一度もアレクシス殿下に会ったことがない。
いや、本当に。
誰に言い訳するでもないが、私は頭を打って記憶喪失になったこともないし、幼い頃よく王宮に行って偶然殿下に会っていた、などということもない。
そもそも殿下自身、なぜか舞踏会に一回も出たことがないため、私含め顔を誰も知らないのだ。
完全に無罪である。
「良いじゃないメリア。あなた、ずっと好きな人もいなかったでしょ。いくらうちの家に多少財産があって、一人ぐらいなら養っていけるとしても。とっとと結婚してきなさいよ」
「お母様、自分は恋愛結婚しといて、それはないんじゃありません?」
「大丈夫よ。もし何かあったら、あなたのその自慢の脚技で蹴り飛ばしてきたら良いんだし。ほら、殿下が挨拶に来てくださったわよ」
自分の娘に王子を足蹴にすることを提案するなんて只者じゃない…、と我が母ながら恐れ慄く。自分の主人に対して大胆すぎやしないか。普通に不敬罪で捕まってもおかしくないくらいだ。
「まあ、そこまで言うなら…」
とりあえず脚技をかます許可はもらったので、しょうがなく顔だけは合わせることにした。こくり、と頷くと部屋のドアが開き、男の人が入ってくる。
サラサラのプラチナブロンドに、特徴的なルビーの瞳が煌めく。
整った鼻筋から成る見事な造形は、見ているとこちらが引け目を感じるほどだ。
「やあ、メリア嬢。どうしたんだい?困っていそうな顔をしているじゃないか」
「!?いや本当に誰ですか!?」
普通テンプレで言えば、ここは幼い頃に別れた幼馴染だとか、実は友人の正体が、だとかあるだろう。
この流れで本当に知らない人が出てくることって、ある!?
「誰って、僕だよ。アレクシス」
これは俗に言う、僕僕詐欺だろうか。知り合いを装って近づいてくるという噂の、あの…。
「ああごめん。そういえば、こうして会うのは初めましてかな」
「申し訳ございません、私の記憶力が悪いもので。どこかで会ったことありました?」
普通に怪しい。両親揃って、娘の結婚詐欺にでも引っかかってるんじゃなかろうか。
ここは毅然として私が対応しなければ!と思って殿下を語る不審者を睨むと、ヘラヘラ笑っているのが見える。
「決して怪しい者じゃないから。大丈夫だから」
「本当に怪しい人ほどそう言うものですよ」
誤解を解くばかりか深まっていく状況に痺れを切らして、不審者がゴソゴソと何か装甲を身につけ始めた。
目の色が見えなくなるメガネに、大きめのマスク。そして黒い帽子を被れば。
おめでとう!不審者レベル2の完成だ。
「あの、自分が余計に怪しまれる格好になったの、分かってます?」
「いや、これで良いんだ。まだ思い出せないかな?」
私のフォローをガン無視して不審者街道を突き進む、自称第二王子殿下。
黒く丈が長いコートを服の上に着てフードを被り、もはや圧倒的不審者になったその存在を、私は記憶の彼方で発掘した。
「ま、まさかあなた、あの時の不審者の!?」
ちょうど一年前の今頃だったか。今まで鍛錬ばかりでやれていなかった公女としての義務を果たすべく、私は社交パーティーに急に顔を出始めた。
無論、すでに出来てしまっている秩序の中に容易に入り込める訳もなく。
せっかくお話できても、あまり噛み合わない会話に辟易するばかりの日々。
そんな私の前に一筋の彗星のような光を放って現れたのが、一冊の本だった。
あの日はその本の作者のサイン会で、憧れの存在に実際に会えるだけでなく、握手までして貰うことができる、ファン垂涎必須のイベント。
私はあの日を、何日も心待ちにしていたと言うのに。
「許せない!あなたが会場に入り込んだせいで現場は混乱状態、サイン会も取りやめ。なぜか警備員も止められず侵入を許しちゃうし、まるで役に立たなかった。挙句、あなたは作者さんを人質に取ってサインをするよう脅したじゃない!」
私だけではない。あの時同じように涙を飲んだファン達がどれほどいた事か。
みんなの思いを無碍にして、許されるはずがない。
「そのことは本当に悪いと思っているよ。しかしあの時は他に選択肢が無かったんだ。僕はあの作品の大ファンでね。どうしてもサインが欲しかったんだ」
悲劇のヒロインのような顔をして、黒ずくめの格好をしたまま踊り出す男。
いや、ファンなのに作者さんを危ない目に遭わせるなんて、どういう神経をしているんだ。
「しかし、僕は実質囚われの身。事情があって外で顔を出すことは許されていない。しょうがないからあの格好をして騒ぎを起こし、どさくさに紛れて貰うしかなかった。
君に会うまでは、本当にそう思っていたんだよ」
まずい。何やら雲行きがおかしい。
「君のあの、素晴らしい足蹴りを受けた瞬間!僕の世界は変わったんだ!
あんな仕打ち、これまでの人生で初めてでね。僕、腐っても王子だったからさ」
謎のラブコールをして、私が昔蹴ったであろう膝の部分を撫で始める究極の不審者。言ってることは分かりそうなのだが、分からない。いや、分かりたくもないが本音だ。
「そんな格好をして王子なんて、何を言っているんですか?
大体じゃあ今は何で、普通の格好をして外に出れてーー」
その疑問を口に出しかけて、ハッとした。しまった、これは罠だ。
「気づいてくれたんだね!そう!僕は頑張った。死ぬほど頑張って、王宮の情勢を変えたんだ。正々堂々、愛しい君にもう一度会うために!あの足蹴りをもう一度貰うためにね!!」
それが出来るなら最初から普通に頑張ってサインを貰えば良かったんじゃないだろうか。
しかし、彼はそうしなかった。そしてそのせいで私は、彼の何かを目覚めさせてしまったようだ。
――終わった。
私の人生は変態に偶然出会ってしまったことで完全終了した。
…いや、諦めるにはまだ早い。私にはまだ奥の手が残っている。
「舞い上がってるとこ悪いんですが。私の人生、勝手に決めないで下さいます?」
手加減はもう必要ない。
そう。私が人生を賭けて鍛錬してきたのはまさに、こんな頭のおかしい奴を捻りつぶして、他の子女たちに危害を加えられないようにするためだ。
今まで鍛錬に注いだ熱量を、すべてこの足にかけるッ!!
「ハアアアアアっっっーーー!!!!!」
渾身の一撃は無事クリティカルヒット。
黒い男は向こう脛を抱えて、ただただ堪えるように床をのたうち回っている。当然、声も上げられないだろう。
さすがに、やりすぎてしまったか。
まったく。元の顔は良いんだから、普通に話しかけてくれれば友達になれたかもしれないのに。あの本が好きってことは、趣味も合いそうだし。
「ああ、幸せ…」
背を向けて立ち去ろうとすると、不意に恍惚とした声が聞こえてきた。
「!?!?!?」
まさか、師匠伝来のあの一撃を喰らって耐えられる人間がいるとは。衝撃で頭が回らない。どうしよう、こんな時の対処は…
「やっぱり、僕と結婚してください。お願いします。好きです。僕だけに足蹴りして下さい」
「何だよそのプロポーズは!もっとマシなの用意してこいや!」
勢い余って崩れた口調。流れるように出てしまった足技。
婚約マシーンと化した王子を撃退して、私はふうっと一息ついた。
婚約者は知らない人どころか不審者でした。
この世は本当に恐ろしい。やはり、鍛錬こそが正義だった。




