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オマハの怪鳥 MLB投手 ボブ・ギブソン(1935-2020)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2025/11/04

2025年のワールドシリーズでは、ブルージェイズのイェサベージがドジャースOBで日本でもプレーしたドン・ニューカムの持つWS新人奪三振記録11を更新する12をマークして大きな話題となったが、怪鳥ギブソンからすれば、イェサベージなどヒヨコのようなものである。ギブソンのWS史上1位の一試合17奪三振の記録保持者だが、WSで15三振以上を奪った唯一の投手でもあるのだ。

 一五〇キロを超えるスピードボールが顔面目がけてうなりを生じて向かってくる。

 軌道を見極めるため、あるいはカウントによって最初から打つ気がない場合なら、「危ねえなあ」くらいの気持ちかもしれない。しかし、打つ気満々の時に立て続けに顔面周辺に投げ込まれた場合、それも失投などではなく悪意を持って投げ込まれていると確信できる場合はどうだろうか。

 中には打って思い知らせてやろうと闘志を燃やす選手もいるだろうし、当たった瞬間にマウンドに駆け上がって報復のパンチを見舞ってやろうと手ぐすね引いている気性の激しい選手もいるだろう。

 しかし、後者の場合は打者が圧倒的に不利である。なぜなら、投手には報復に対する報復をする機会は無尽蔵にあり、怒り狂った打者の鉄拳以上の衝撃を与える武器を持っているからだ。メジャーの大男たちの中には相当な腕自慢もいるかもしれないが、彼らのベストパンチでさえ重量級チャンピオンボクサーのジャブ程度に過ぎない。

 一方、球速一五〇キロを超えるの硬式球が直撃した時の衝撃度たるや、ヘビー級チャンピオンから素手で殴られているようなもので、当たり所が悪ければ脳挫傷による死か廃人という可能性もあるのだ。

 もっともギブソンの場合は、ハンク・アーロンが「ボクシングもゴールドグラブだ」と恐れていたほどの腕っ節だったため、ビーンボールに激怒してマウンドに突進するような打者は皆無だった。

 

 ボブ・ギブソンは、来日したメジャーの投手の中で日本人打者に最も恐れられた男である。

 顔面付近にブラッシュボールを投げ込んでくる「ヘッドハンター」はメジャーリーグにも少なからずいるが、ギブソンほどえげつないボールを投げてくる投手も珍しい。ギブソンからホームランやヒットを打って得意気な仕草でも見せようものなら必ずといっていいほど次の打席で危険球のバーゲンセールに遭遇するのだ。

 それも脅しではない。怒髪天を突くような表情で明らかに狙って投げてくるのだ。

 マウンドで殺意をみなぎらせているような危険な男を怒らせては野球にならない。

 この危険な男、子供の頃は小児喘息で心臓が弱く、成人するまで生きられるかどうかという虚弱児だった。

 スポーツによって健康を回復したギブソンは、バスケットボールの特待生として高校に進学し、大学時代はバスケットと野球の二束のわらじで活躍した。

 大学卒業後はカージナルスとマイナー契約を結ぶ一方、バスケットボールの試合にも帯同していたせいか、野球に集中で

きず、マイナー生活が長引いたのは惜しまれる。メジャー引退後でさえ、グローブトロッターズの一員として地方巡業を経験しているギブソンのこと、バスケットボールは野球引退後の楽しみにとっておいた方が良かったのかもしれない。

 

 ギブソンのフォームは個性的である。スリークォーターから思い切り腕を振って投げ込んだ後、身体は大きく一塁方向に倒れこんでしまう。そこからバランスを立て直そうと両腕を広げる姿は、躍動感も相まって翼を大きく羽ばたかせている怪鳥のように見えるのだ。

 このように投球直後に極端にフォールダウンするような投げ方は日本ではアマチュア時代に矯正されるため、プロではまず見かけることがない。

 これは投手も九番目の野手であるという考え方によるもので、いかに球速があっても投球後にバランスを崩してしまうと平凡なピッチャーゴロですらセンターに抜け、バントにも対処しづらいからだ。

 ところが、ギブソンは一九六五年から九年連続ゴールドグラブ賞を受賞するほど投手守備も完璧だった。これほどの守備を見せられると、いかなるピッチングコーチからもケチのつけられようがない。

 一五〇キロ台のストレートと一四〇キロ台のハードスライダーがギブソンの武器である。

 全身を使った豪快なフォームから投げ込まれるボールは威圧感があり、体感速度も実速よりかなり速く感じる。スリークォーターで腕が横から出てくることを考えると、体感速度は実測より一〇キロは超えていたと思われる。

 ましてや本気で避ける気がなければ確実に顔面を直撃するであろう内角球で脅しをかけられた後に、外角低めに高速スライダーを放られた日には、とても踏み込んでは打てたものではない。しかもストレートと同じフォームで投げるスライダーは、打者の手元にきてから変化するため見極めが難しかった。


 ワールドシリーズには一九六四、一九六七、一九六八年と三回出場し、一九六四年の第五戦から七連続完投勝利という史上唯一の記録を残している。他にも一九六七年の三完投勝利、一九六八年第一戦の十七奪三振というシリーズ記録を保持しているように大舞台に強かった。強気で図太い性格のおかげで、ピンチでも攻めのピッチングが出来たからだ。

 ただし、勝負にこだわり打者を徹底的に敵視するがゆえにオールスター戦のベンチですら他チームの選手と言葉を交わすことを好まない孤高のエースだった。

 超一級品の実績を持ちながら、引退後に指導者として声をかけてくれるチームはほとんどなく、コーチ歴わずか数年で球界を去ったのも、集団に馴染まない性格だったからだろう。


  全盛時代は三年連続二〇勝を挙げた一九六八~一九七〇年頃で、年齢的には三十二~三十四歳と本格派投手にしては遅いくらいである。

 現役生活十七年で投手タイトルは一九六八年の最優秀防御率と一九七〇年の最多勝利だけだが、ナ・リーグMVPとサイ・ヤング賞をダブル受賞した一九六八年の活躍ぶりは伝説的ですらあった。

 伝説の第一歩は一九六七年九月十二日のフィリーズ戦から始まった。この日六回三分の一を無失点で抑えて勝ち投手なったギブソンは、翌年七月三十日まで実に二十六試合連続のクオリティスタートという抜群の安定感を示し、チームの二年連続Vは早くもこの時期にほぼ確実となった。

 この間の勝敗は十七勝六敗だが、一九六八年六月二日からは九完封を含む十二連続完投勝利とほぼ完璧で、記録が途切れた八月四日の試合にしても延長十一回まで投げており、その後も二完封を含む三試合連続完投勝利で連勝を十五にまで伸ばしている。

 七月二十五日の時点で〇・九六という信じられないほどの防御率はその後も大崩れすることなく、シーズン終了時にはリーグ新の一・一二という驚異的な記録を打ち立てた。これは一九二〇年以降の「飛ぶ球」の時代におけるメジャー記録であり、二位のドワイト・グッデン(一・五三)も遠く及ばない。

 同年はドン・ドライスデール(ドジャース)がウォルター・ジョンソンの記録を更新する五十八回三分の二連続無失点(現在は歴代二位)を達成しているが、あくまでも一過性のものであり、後半は調子を崩し十四勝十二敗、防御率二・一五に終わっている。

 対するギブソンは四十八回無失点で一旦記録が途切れた後も十七回三分の一、三十回と無失点を続け、九十五回投げて二失点という完璧なピッチングを見せている。

 一九六八年のギブソンは二十二勝九敗、防御率一・一二(十三完封)、奪三振二六八個で防御率と奪三振数こそトップだが、タイトルは最優秀防御率だけである。

 それでもこのシーズンの内容は非常に高く評価されており、二〇二〇年にツイッター社が行ったアンケート企画「ファンが選ぶ史上最高のシーズン」では、一九六八年のボブ・ギブソンは打者部門一位の一九二三年のベーブ・ルースを抑えて総合一位に輝いているのだ。

 中でもアウェイで十六試合に登板し、十五完投十二勝三敗、〇・八一という記録は特筆ものだ。なにしろアウェイで十試合以上先発した歴代MLB投手の中で防御率が一・〇〇を切るのはギブソンしかいないのだから。

 同時代の代表的長距離打者であるハンク・アーロンが十五打数一安打、ウィリー・メイズが八打数二安打、年度の最多安打を記録した安打製造機ピート・ローズが八打数〇安打に抑えられていることからも、いかにこの年のギブソンが手をつけられなかったかがわかるだろう。


 この余勢を駆って登板したワールドシリーズでも第一戦にシリーズ記録を更新する十七奪三振で完封勝利、第四戦も十奪三振一失点の完投勝利とタイガース打線を寄せ付けなかったが、第七戦は捕球態勢の外野手が足を滑らせて転倒するという不慮のアクシデントに見舞われ、連覇を逃してしまった。

 もし最終戦に勝利していればシリーズMVPは間違いなく、シリーズMVP3回という単独一位の記録

を樹立するところだった。(MVP2回はギブソンの他にはサンディ・コーファックスとレジー・ジャクソンしかいない)

 ワールドシリーズには三度出場し、先発九試合中八試合完投で七勝二敗防御率一・八九と大試合には強かった。


 来日したのはまだ絶頂期にある一九六八年のオフだった。交流戦といっても誇り高きギブソンに手加減はない。

 メジャーの強打者連中を震撼させた内角攻めを存分に披露されたとあっては、日本人打者は完全に腰が引けて縮みあがってしまったのも無理はないだろう。

 レギュラーシーズン、ポストシーズンともに大車輪の活躍で相当に疲労が溜まっているはずのギブソンに当時の日本球界最高の打者である王貞治が、高めのストレートを三球連続空振りして三振に仕留められたほどだから、他の打者は推して知るべしである。

 並み居る日本の強打者のギブソンに対する印象は「凄い」ではなく「怖い」だった。

 ギブソンは一九七〇年にも二十三勝七敗、自己新の二七四奪三振で最多勝とサイ・ヤング賞をダブル受賞しているが、三完封で防御率は三・一二と一九六八年ほどの威圧感はなく、内容的にはだいぶ見劣りするものだった。

 全盛期は過ぎてもエースとしての信頼度はピカ一で、一九七一年には自身初のノーヒットノーラン、一九七二年には三十六歳にして十一連勝を含む十九勝十一敗、防御率二・四六、二〇八奪三振とその役割を全うした。

 豪速球投手としての印象が強いため、あまり省みられることがないが、投手でありながら代打に起用されたこともあるほど打撃もパワフルだった。公式戦通算二割六厘、二四本塁打、ワールドシリーズでも二本塁打をかっ飛ばしている。

 カージナルス一筋十七年、背番号45はもちろん永久欠番である。

 MLB通算251勝174敗 防御率2・91 

ギブソンは孤高の人だったので、引退後に監督やコーチの依頼を受けることはなかったが、球団職員として裏方の仕事はしていたようだ。全盛期のペドロ・マルチネスをも超えるピッチングの継承者を育てて欲しかった。

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