魔界で食事トレーニング1
遠い遠い地の果て。そこに魔界はある。
「――なんて、馬鹿げた話ネ!」
魔界への出立式のさなか、ピィが聖職者のありがたいお話を馬鹿にするように言った。
司祭の一人が顔を真っ赤にしてピィを怒鳴りつける。
「ベアトリーチェ、伝承に対して無礼であるぞ!」
「でも魔界、すぐ行けるネ。ほら!」
ピィは人差し指を立て、高らかに手を挙げると、それを大きくぐるりと回した。
「&$+’#<~! 魔界の扉、ひらくネ!」
ピィの呪文と共に、ピィの指先が黒いモヤに包まれていく。
「なっ……」
司祭が腰を抜かして尻もちをついた。
それにしてもこのモヤ。ハルナフトプが出していたモヤにソックリじゃねえか。
たしかに奴もモヤに包まれて姿を消した。
つまりこのモヤが魔界へ通じるキーなのだ。
期待に胸が高鳴る。
司祭は声も出せず、ただ口をパクパクさせていた。聖枢機院の知識もしょせんこの程度。やはり聖枢機院より、直接魔界へ殴りこむほうが沢山の知識を得られそうだ。
ピィが指を回せば回すほどモヤが広がり、人間が何人か入れそうな大きさになった。
「ここが魔界ネ! レノ、入るネ」
「よし」
俺はたいした武装もせず、そのモヤへとズンズン進む。
モヤは臭いも感触も何もなく、もはや概念の塊みたいだ。
「教皇、カレンをよろしくお願いします」
「ああ、わかった。国王陛下のこと、頼んだぞ」
「はい」
教皇に睨みを利かせ、俺はモヤに身体をゆだねた。
ゆらり、ゆらりと足場が不安定になり、不思議な浮遊感が身体を支配する。
暗闇が視界をさえぎり、ザザザと耳障りな音に包まれる。
モヤに背中から押されるような感覚を受け、一歩、二歩と進む。三歩目で、急にしっかりとした大地に足が触れた。
――歩ける。
トトッと駆け出すと、視界に光が戻ってきた。
まぶしい。
ピピピ、と小鳥のさえずりのようなものまで聞こえている。
「ここが……魔界?」
俺が降り立った場所は、どう見ても普通の草原だった。
足元には膝丈程度の草が生い茂り、小さな虫がピョンピョン飛んでいる。
草木の香りも、俺の知っている草原となんら変わらない。
遠くへ視線を向けると、森のようなものも、川のようなものも見える。
清々しい。
俺は、ただただ気持ちのいい大自然のど真ん中に突っ立っていた。
「おいピィ、ここは本当に――」
ピィの方へ振り向こうとした俺の目の前を、バシュッと音を立てて何かが通り過ぎる。
なんだ?
飛んで行った先へ顔を振る。
――グリムクロウ!
両手で抱えられるくらいの、鳥型の魔物がいた。
「――紛れもなく魔界だな」
「レノ。殺るネ?」
ピィが俺の背後から、グリムクロウを指さして問う。
「ああ。焼き鳥にしてやる」
手を開き、爪を立てる。
「来いよ」
グリムクロウは翼を広げ、大きくUターンして加速する。
翼を広げたグリムクロウは、ゆうに1メートル以上ある。グングン加速し、俺の顔面を狙っていた。
――馬鹿が。そんな簡単にヤれると思うなよ。
俺は両手の指先まで、一本一本に力をこめた。
鋭い10本の杭を持つように、その指で飛んできたグリムクロウをキャッチする。
「遅えんだよ! クソ鳥が!」
そのままグリムクロウの羽を折り、俺は指をヤツの肉体にブシュリ、ブシュリと鋭い指を突き刺した。
グリムクロウは口を大きく開け、グゲゲェと変な声を出し絶命する。
バラバラッと真っ黒の羽が地面に落ちた。
「フンッ、雑魚が」
「すごいネ! レノ、速かたネ! ウチ、見えなかたネ!」
ピィが興奮気味に、その場で俺の手刀を真似している。
「これくらい楽勝だ」
絶命したグリムクロウは、首から血を流しうな垂れている。
が、なぜだろう。
ジッと見ていたら、よだれが出てくる。
おいおいおい、ガチか。
なんでこんな鳥の死体に、食欲を感じてんだよ。
生肉どころか、未解体の鳥だぞ。
これを美味そうだと思うなんて、さすがに人間の感性じゃねえだろ。
――チッ。これが魔界に適応するってことか。
「あ、レノ!」
俺は我慢できず、そのままグリムクロウの首筋にかぶりついた。
――プッ。
表面の羽を口から吹き飛ばし、生肉を噛みちぎる。
新鮮な肉はぷりっとして、歯を立てるとパッと熱い血液が弾けた。
――う、美味い。
ほどよい塩味が口に広がり、ぷりぷりの生肉をかじる口が止まらない。
「レノ、それ、生ネ」
「問題ねえよ。ピィも食うか?」
ピィは「ピ」と小さく鳴いて顔をぐしゃっと歪めた。
おぞましいものを見るような目を俺に向けている。
ジャックラビットだったくせに人間ぶりやがって。
クソが。
――ぶるり。
肉を何度か飲み込んでいたら、急に、身体に電流が流れ始めた。
身体のあちこちが、グリムクロウの能力を吸収していく感覚。
ああ、きたきた。
これ。これだよ。
キーーーーン。
俺の耳が聞きなれない音を拾う。
今の俺から見て、右側。森の近く。
「100メートルくらい先に、グリムクロウの群れがいるな」
「ピ? レノも聞こえるネ?」
「ピィも聞こえんのか」
「当然ネ! でも、人間、聞こえない思たネ」
なるほど。
これは聴覚が上がっている、ということか。
紛れもなく、グリムクロウを食った影響だろう。
俺は奴の聴覚を手に入れたらしい。
「フ、フフッ」
駄目だ、笑いが止まらない。
このままいけば俺、無限に強くなれるんじゃねえか?
魔物を食えば、食っただけ強くなる。
いろんな力を手に入れられる。
そしたら、どんな貴重な品だって探しにいける。
カレンだってすぐ、生き返る!
「おいピィ。しばらくこの辺で魔物を狩るぞ」
「ピ? なんでネ」
俺は草むらに向けて手刀を振り下ろした。
発生した衝撃波に当たったイノシシ型の魔物グリムボアが、吹っ飛んで背中から落下する。
「俺は魔物を食うと魔物の能力を吸収できる」
「ピ? だからさっきの、聞こえたネ?」
「そうだ。俺はもう、グリムクロウの聴覚、マウントウルフの脚力と腕力を手に入れた。でも、こんなんじゃ足りねえ」
俺はグリムボアを拾い上げ、首に手刀を突き刺して血を抜いた。
これまでだったら捨てていた魔物の血も、俺にとっては栄養剤みたいなもんだ。
ゴク、ゴクと喉を鳴らし、血液を摂取する。
ああ。
口の中に広がる肉々しい旨味。
血液が喉を通る独特な爽快感。
腹の中から全身に行きわたる命の源泉。
やめられない。
癖になる。
「だからもっと狩る。もっと食う」
グリムボアの首を掴んだまま、ブチブチブチッと腕を引きちぎる。
ボアレッグの皮を歯ではぎ取り、プッと草むらに捨てた。
まだピクピクと動いている上腕三頭筋をガブリと食らいつき、口いっぱいに頬張る。
血生臭い、生命の息吹が口の中に充満する。
「……美味い」
最高だ。
「しばらくは魔物を食いながら、死者を生き返す方法を探す。協力してくれるか?」
「もちろんネ! うち、魔王も探すネ! 国王、探すネ!」
「まあ、それは別に適当で良いんだけどよ」
とりあえず、当面は付近の調査だ。
「まずは川辺に拠点を作――」
――ズドドドォォン。
「な、なんだ?」
地割れのような巨大な音がする。
俺とピィは耳をふさぎ、あたりを見渡した。
草原の奥の方から、ぬぬぬと黒い影が大きくなって出てくる。
どんどん、どんどん大きくなったそれは、見上げるのが難しいほど高くまで大きくなり、太陽を隠すほどになった。
「まさか、これ、――ドラゴン?」




