国王のところへ3
血生臭さが鼻を刺す。
10人ほどの人間が腹や頭から血を流し、部屋の片隅に積み重なっている。服装から察するに、コイツらは貴族か使用人の類だ。露出した肌には、なにか鋭利なもので切り裂かれたような傷跡がある。少なくとも、ウルフの攻撃とは考えられない。
――ハルナフトプ。
奴が近くに居るのかもしれない。
ぶるり、と肩が震える。
「……う……」
なかに、まだ息のある奴がいた。
俺はそいつの隣に膝をつき、顔を寄せた。
死にきれず呼吸を続ける荒い息づかいが、俺の脳内で警告音に変わる。
「おい、お前らを攻撃した奴は?」
俺の問いに、そいつの手がピクピク動いて、左奥の方向を指さした。
あっちか。
この怪我人には悪いが、俺はそのまま部屋を飛び出した。
どうせアイツは助からないし、助ける時間もない。恨むなら、あの悪魔みたいな魔物を恨め。
通路にも、点々と人間の死体が落ちていた。
使用人だったり、軍人だったり。いろいろな人たちが、成すすべなく殺されている。
「胸糞悪ぃ。皆殺しにする気かよ」
血の臭いが鼻にこびりつく。
ハルナフトプ。
全部アイツの仕業かと思うと、腹の中が熱くなる。
通路を進むにつれ、死体やうずくまった怪我人の数が増えていった。
元気な人間はどこにもいねえのか、クソ!
「……おい、おまえ……」
鎧姿の男に声を掛けられ、俺は足を止める。
鎧の男は頭から血を流し、壁にもたれかかって座っていた。
「なんだ」
ぶっきらぼうに問うと、そいつは俺に向かって言葉を絞り出した。
「……逃げろ」
消え入りそうな声だ。
「軍は……ほぼ、全滅……逃げ、なさい」
「逃げてどうすんだよ。王も危ねえんだろ?」
男は首を横に振った。
どういう意味だよ。
意味わかんねえ。
こんな男の話を聞く理由はない。
俺は男の静止を無視して奥の扉を蹴破った。
ズドンッ!
という音と共に扉が開き、俺は大広間のような場所に飛び出した。
モワッ、と強烈な死臭が広がる。
この感じ、間違いない。
ハルナフトプは絶対ここに居る。
強い臭気に目を細め、俺は広間の中央に視線を向けた。
「――カレン!」
カレンがこちらに背を向けて立っている。
その前方に、ハルナフトプ。
二人はゆっくりと歩きながら、その向かいに居る何かを追い詰めている。
『――から、キミは魔界へ行かなきゃいけない』
キンキンと超音波みたいな声がする。
話しながら歩くハルナフトプの少し後方を、カレンも歩いていった。
「カレン! カレン!」
俺はカレンの元までダッシュして、カレンの肩を掴んだ。
振り向くカレンと同時に、ハルナフトプの手刀が俺に向かって飛んでくる。
俺は瞬間的に左腕でそれを受け止めた。
「グッ……」
ハルナフトプの手刀は恐ろしいほどの重さを持ち、俺の身体はうしろに5メートルほど吹っ飛んだ。
腕の内部にピキピキと痛みが走る。
骨をやられたかもしれない。
『邪魔が入るから急ぐよ、人間の王』
俺が尻もちをついた場所から、ハルナフトプが話しかけている相手が見えた。
ハルナフトプの視線の先に居るのは、白に近い金髪の、端正な顔立ちをした若い男。
男は真っ白な軍服に身を包んでいるが、剣のひとつも持っていない。軍服にはド派手な勲章や装飾がギラギラとたくさん付いていて、どう見てもお飾りの軍服だった。
この悪趣味で実用性のない軍服姿。
まさしく国王だ。
国王はうろたえながら、ジリジリとあとずさりしている。
――今のうちにカレンを!
そう思って駆けだした俺の脳裏に、ロケッティア団長から託された「国王を任せた」という言葉がちらついた。瞬間的に「国王を助けなくて良いのか?」と疑問が湧く。足の加速がわずかに弱まる。
そんな一瞬の迷いの間に、ハルナフトプは国王の後頭部をガシッと掴んだ。
捕獲された虫みたいに、国王は手足を無様にバタつかせている。
クッソ! 迷ってる場合じゃねえ。
ハルナフトプを殺って、どっちも助けりゃ良い!
俺は背中の剣を抜き、ハルナフトプへ突っ込んだ。
「死ねや、クソがぁ!」
『邪魔』
飛びかかる俺に向かって、ハルナフトプは国王をつかんでいない方の手をかざした。
ゴォォッ! と、うなるような音と共に、俺の腹に強烈な痛みが走る。
「グアァッ」
火球だった。
ハルナフトプの手から飛び出た火球が、俺の腹にぶち当たる。
ゴゴゴゴォォォッ!
火球の勢いで、俺の身体は一気に壁へと押し付けられた。
壁に背中がめり込み、ミシミシと音を立てる。
「グッ……オエッ、ハア、ウェッ……」
潰された胃から内容物がこみ上げ、吐しゃ物をぶちまける。
数秒後、火球は腹の上でバシンッと音をたてて弾け、四方八方に飛び散って消えた。
圧がなくなり、床に崩れ落ちる。
俺は息を切らしながら、カレンたちの方へ意識を向けた。
『人間が魔界で生活するには、これが必要なんだよねェ』
ハルナフトプは王の頭部に顔を目いっぱい近づけて、キンキンささやいている。
『カレン』
急に、ハルナフトプがニタニタ笑いながらカレンを呼びつけた。
気持ちわりぃ。
まるで甘ったるい菓子を食べているみたいな、ハルナフトプのねっとりした口調に悪寒が走る。
――何をする気だ?
俺はプルプル震える足に無理やり力を入れ、立ち上がる。
ハルナフトプはヒヒッと笑って言った。
『心臓ちょうだい、カレン』
「ハイ」
カレンは躊躇せずハルナフトプに身体を向ける。
「ドウゾ」という言葉を待たずして、ハルナフトプはカレンの心臓めがけて手刀を繰り出した。
「や、やめろおおぉぉぉぉ!」
俺の声が部屋中にこだまする。
その声の裏で、カレンの身体がブシュッと悲鳴をあげた。
グリ、グリリとハルナフトプが手をひねる。
ズルリ、と心臓が姿を現し、カレンの身体はドサッと床に崩れた。
「カレン!」
俺はカレンの元へ走る。
『口を開けなさい、人間の王』
ハルナフトプは国王の口の上で、カレンの心臓を絞った。
プシュウゥゥと心臓から垂れる血を見て、俺はたまらず立ち止まる。
「ゲホッ、ゲエェ、ゲエェェ、ゲホッ、ゲェッ」
吐くもののなくなった胃から、俺は胃液を数回吐き出した。
数メートル先から、ゴクリ、と喉の鳴る音が聞こえる。
『よし、良い子だ。ちゃんと飲み込みなさい。ケケケ』
チラリと盗み見た国王の口の端から血が垂れている。
カレンの血を飲んだ?
国王が?
クソッ!
なんでそんなこと……!
俺は国王から目をそむけ、カレンの元へ急ぐ。
『ねぇ、キミ。魔物は魔物を襲わない。なぜだと思う?』
ハルナフトプが国王に向かってキンキン問いかける。
『それはねェ、同族を襲わない習性があるからだ』
ニタニタ笑うような口調で、ハルナフトプが言った。
国王が「だからなんだ」と反応すると、ハルナフトプはケケケと笑う。
――そんな話、どうでもいい。
俺は、ハルナフトプの足元で倒れているカレンを抱き上げた。
心臓を失ったカレンはぐったりしたまま動かない。
『だからねェ。キミにも、魔族になってもらわなきゃいけないんだよ、人間の王』
キーーーンと響く声。そのせいで、頭が痛くなってくる。
でも腕の中のカレンは、目の焦点も合わさず、なんの苦痛も感じていないように無表情だ。
揺さぶったって、起きやしない。
『人間が魔族になる方法はふたつ。魔法で合成させるか、合成した人間の血を摂取するか』
ハルナフトプはそう言って、カレンの心臓を地面にポイと捨てた。
俺の目の前に、ドチャッとカレンの心臓が落ちる。
――カレン!
俺は急いでそれを拾い、ぽっかり穴のあいてしまったカレンの胸元に押し込んだ。
動いてくれ。
動いてくれ。
動いてくれ!
動いてくれよ、カレン。
心臓があれば動くよなあ、カレン!
だけどカレンは動かない。
『さ、そろそろ行こうか、人間の王。魔王様のところへ案内するよ』
モワワワと死臭が強くなり、あたりが黒い霧で覆われる。
肺がその霧を拒絶して、俺はゴホゴホとむせ返った。
数秒後、霧が綺麗に消え去る。
同時に、ハルナフトプと国王も消えている。
俺は自分の腕の中へと視線を落とした。
カレンは俺の腕の中に居た。
どこにも連れていかれていない。
グゥゥと胸が詰まって、いろいろな感情がこみ上げてくる。
いっそのこと、ハルナフトプがカレンをどこかへ連れ去ってくれたら良かった。
ハルナフトプがまた、カレンを元気に動かしてくれるんじゃないか。
俺はそんな期待すらしてしまった。
またふらっと、元気なカレンが現れるんじゃないかって――。
最悪だ。
死神に救いを求めるなんて、どうかしている。
でも、だって。
じゃあ、カレンはどうしたら良いんだよ。
クソッ。
クソッ!
「――あっ」
聖枢機院だ。
俺の頭に衝撃が走る。
あそこなら、なにか特別なアイテムがあるかもしれない。
ピィを浄化したみたいに、カレンを助けられる可能性だってある!
俺はカレンと心臓を抱え、大広間を飛び出した。




