兄妹1
大草原を馬に揺られて走りながら、俺はニヤける顔を止められなかった。
立派な馬。
自営軍から拝借した、それなりの軍服。
そこそこ良いサイズの剣に、目いっぱいの食糧。
ロケッティア団長と協力関係を結んで、大正解じゃねえか!
贅沢の極みだ。いち村人の格好じゃねえ。
ピィもようやくまともな服を身にまとい、ついでに十字軍のマントまで羽織っている。
これまでの旅路とは大違いだ。
「なかなかサマになっているではないか、レノ」
ロケッティア団長が俺に並走しながら言う。
団長の重装備が重そうに揺れた。良いモン持ってんだよな、権力者は。こう見ると、権力に惹かれる気持ちがわからんでもない。
権力を振りかざした団長は、のけ反りそうなレベルで胸を張っている。
「レノには是非とも我が軍の一員になってもらいたいものだな。ワハハハ」
興味はねえが、そう言われると悪い気はしない。
案外、俺には戦闘が向いているかもしれない。
なんて、うぬぼれたくもなる。
「ウチは? ウチは軍、いらないネ?」
「なに。ピィは聖職者になるのであろう?」
「あ、そうだたネ! ウチ、ベアなんとかネ!」
「うむ。軍に入っておる場合ではないぞ」
「わかたネ! がんばるネ!」
――いや無理だろ、その能天気さじゃ。
そんなアホみたいな会話をしながら、王都を目指してひた走る。
馬に乗って風を切る疾走感と共に、身体中にこびりついた苦しみはボロボロ飛ばされた。
俺たちはそれから5日かけて、王都近くの湖畔までたどり着いた。
豊かな緑に綺麗な水辺。パカラ、パカラと歩く馬の上から見た景色は、生き物も多く生息し、狩猟向きの土地に見える。
「ちょと待つネ」
湖畔へ近づく馬の脚が、ピィの一言で止まった。
ピィは顔をくしゃくしゃにして、首を横に振っている。
「どうした」
「嫌な臭いするネ」
俺とロケッティア団長は顔を見合わせた。団長の目が「わからない」と言っている。
俺も鼻をスンスン吸ってみたが、草木と土の香りがするだけだ。
「どんな臭いだ?」
「死、ネ」
俺の心臓がドクンと跳ねた。
――まさか、死神?
いるのか、近くに。
だが草木の間、大地、湖の向こう側、あちこち目を光らせたが死神の姿は見えない。
「臭いネ」
ピィが鼻を押さえながら湖の先を見ている。
あそこか。
「確認してくる」
俺は馬の脇腹を蹴った。
バカラッ、バカラッと湖の外周を駆けていく。大地の香りに生臭い湖の臭いが混じる。その中に、わずかに腐臭もした。
周りに生き物は見えない。違和感がまとわりつき、俺の鼓動を速くする。
「ん? 人?」
徐々に濃くなる腐臭とともに、俺は湖の中に人影が見えることに気付いた。
湖の中で立つ人間。
長い黒髪の、女性的なシルエットだ。
あの日、村で見た人型の魔物とは違う。
――これが死神?
俺は目を凝らした。
だが、なんだろう。不思議と、見慣れたシルエットな気がする。
気のせいか? すごく見覚えがあって、すごく愛おしくて。
すごく抱きしめたくなるような、あのシルエット。
まさか。
「……カレン?」
俺は馬に鋭く蹴りを入れ、シルエットの近くへ急いだ。
あれは、だって、あれは。
息が上がる。湖畔のカーブがもどかしい。一直線で手を伸ばしたいのに。
「カレン!」
声を上げる。
バカラッ、バカラッと馬の足音が響く。
シルエットは服を着たまま湖の中に立っていて、動かない。
「カレン、カレン!」
のどが震える。
おい、こっち見ろよカレン。
カレンだろ、なあ!
馬はもう、確実にシルエットを視認できる距離まで近づいていた。
――カレンだ。
そこに居たのはあの日、あのとき、村で最後に見たカレンそのものだった。カレンが湖の中で直立し、水浴びしている!
鼻を刺す腐った臭いが辺り一帯に立ちこめる。
黒い長髪からカレンの黒ずんだ皮膚が覗いた。
のっそりと動いた灰色のカレンは、俺が近づいたことで水浴びをやめ、湖からあがってくる。
「カレン!」
俺は、のどがかれるほどの大声で叫んだ。
うつろな目をしたカレンは、焦点が定まらないまま顔をわずかに傾け、俺に一応目を向けている。
それだけで構わなかった。
「カレン、良かった! 探してたんだ!」
俺は馬から飛び降りて、カレンにかけよる。
鼻がツンとして痛い。
胃液が勝手にこみ上がる。
目がしみる。
でも、カレンだ。カレンなんだ!
俺は迷いなくカレンを抱きしめた。モワッと腐ったにおいを顔に浴びた。
ズキリ、と氷のように冷たいカレンの肌が俺の皮膚を刺す。
変な色のカレンの肉体は、鋼のように硬い。
「カレン、会いたかった」
ベットリと腐った体液が俺の服につき、糸を引く。
カレンの顔は目がくぼみ、見たことないほどどす黒いが、顔を俺に向けている。
カレンが俺を見ている。
それだけで俺は、心に花が咲いたように嬉しい。
「おにい、ちゃん」
カレンの半開きの口から、聞きたかった言葉が出た。
「カレン! そうだ、お兄ちゃんだぞ! 駄目じゃないか、こんな遠いところまで来て!」
「おにい、ちゃん。ワタシ」
「まてカレン。お前、ビチョビチョだぞ。ちょっとそっちで座って、焚火にあたりながら話そう」
俺は手近なところから木の枝を集め、火をつける。
途中、このガスのような腐敗した空気に引火しないか、少し不安になった。
でも、もし引火したって、カレンを抱えてすぐに湖へ飛び込めばいい。
大丈夫。俺ならできる。
そう思って、俺は火をつけた。
「カレンも来いよ」
焚火のわきに座り、立ち尽くしていたカレンを手招きする。
無表情のカレンは俺の隣にきて、座った。
心が温まる。
隣に座ったカレンへ目を向ける。細く黒い足に、目が留まった。黒ずんだ皮膚は亀裂が入り、すき間からウジがうじゃうじゃと顔を出している。
グッとのどを鳴らして胃液を飲み込む。
カレンの横顔に影が落ちる。
「水浴びしてたのは、コレを洗い流したかったからか?」
カレンは答えない。
でも、お兄ちゃんだからわかる。カレンは虫が嫌いだもんな。洗い落としたかったんだろ?
「苦労したんだな、カレン」
俺は手近な葉っぱで、カレンの足の裂け目をぐるぐる巻きにした。虫が見えないように、カレンが気にしないように。
カレンは黙ってその行為を見ている。
「なあ、カレン。お兄ちゃんと一緒に村へ帰ろう。また静かに暮らそう」
俺はカレンの手を取って言った。
氷の塊みたいに冷たい、カレンの手。
でもこれは、紛れもなくカレンだ。カレンだから。
「帰ろう、二人で」




